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暁の史記  作者: 焚火卯
三章
122/124

第六十二話『鼓動』

 トーシャの『気配繰り』によって、感覚が共有——すなわち、彼女の持つ飢餓感がそのままシュネルにも植え付けられた。

 絶望にもよく似た、締め付けられながら底に引っ張られていく感覚だ。

 彼女は常にこんなものを抱えているのかと——、

 

「同情など、必要ありませんね」

 

 彼女は倒すべき敵で、シュネルにとって最大級の脅威だ。

 互いに、ほとんどの手札を見せ合った。特にシュネルの公開した手札は、トーシャ以上だ。

 幸いに、シュネルの魔法は明かされても対処が困難である。一方でトーシャの鍼は、シュネルに対して有効打を決めにくくなっている。

 しかし、

 

「『初鍼』」

 

「————」

 

 彼女の鍼に対しても、かなり目が慣れてきて、中途で切り落とすことはできるようになってきた。

 そのまま切り落とした刃をぶつけてみるが、やはりトーシャは容易く回避する。

 

「すごい。ね。身体ぐちゃぐちゃ。頭ふわふわで。まだ。ちゃんと魔法使えるんだ」

 

「訓練してますので」

 

 トーシャの返答にシュネルは面白みのない返答を返す。

 実際、今の状況を楽しめる段階には入れていないのだから当然でもある。

 理由は三つある。

 一つは先の相対でも確かめたことだが、シュネルの魔法は『不可視』になっているが、『気配繰り』をできる相手にそれは通用しないということ。よって、直接攻撃を叩き込まなければならない。

 二つめは、彼女がまだ手札を隠している可能性が高いことだ。二つが三つか、まだ隠し鍼があるだろう。

 三つめは、彼女の鍼——特に『初鍼』が、シュネルの魔法と本質的に同じであることだ。

 故に、最悪完全に対処されるかもしれない危うさを秘めている。

 故に、ここからは、

 

「今だけに集中しましょう」

 

 もし、万が一、同時に発生してる戦闘の一つで味方が負けた場合、シュネルがその対応をしなければならない場合がある。

 しかし、今はその可能性を排除する。物事を簡単に、平易に、楽観に見よう。

 ただ、信用を通して。

 

「————」

 

 シュネルとトーシャが同時に飛ぶ。

 不可視の刃が砂埃を起こし、それを巻き込みながら、さらにトーシャを追従する。

 

「————」

 

 鍼が刺さらないものには、捩ることも砕くこともできない。

 トーシャは隣の大きな家屋に転がり込んだ。しかし、砂嵐の破砕は止まらない。

 

「『初鍼』」

 

 トーシャは家屋ごと回転させて砂嵐を相殺しようとするが、シュネルはそのタイミングに合わせて砂嵐を逆回転にする。

 家屋と砂嵐の回転が、つまり、同じになることで、砂嵐は相殺されず、むしろ力を増して家屋を取り囲む。

 右向きのモーメントは、家を地盤から持ち上げる。

 

「————」

 

 シュネルは中のトーシャを勘案せず、既に半分残っていない屋根に手袋を外した掌を置いて、家をいくつかにぶつ切る。

 貧民街の空に散らばるフラグメントに回転軸をそれぞれ挿した。

 回転軸を中心に公転するフラグメントは、宙に固定される。

 その星屑の隙間で、視線があった。

 

「これが。最後。ね」

 

「最期です」

 

「あは」

 

 彼女の渇きが、飢餓が、一層増したのがフィードバックされる。

 

「『恢鍼』」

 

 彼女の脚がたわみ、横向きに跳ぶ。

 

「『中鍼』」

 

 破片を砕きながら跳躍する。破片は捩れて舞い散り、トーシャに新たな道を生み出す。

 予測できない軌道から、彼女が鍼を飛ばすが——、

 

「守ってばっかじゃ。つまんない」

 

 鍼がシュネルを逸れて、飛んでいくことに彼女は不満げに唇を尖らせた。

 

「しかし、こうしていればいずれあなたの命に届く」

 

「それは。あなたも。同じようなもの」

 

「ええ。ですからやりますか。根比べでも」

 

 お互い命を消耗しながら戦っているのは、視覚的にも感覚的にも自明だった。

 故に、このまま守っていれば、もしかしたら——、

 

「いいよ。やって。あげる」

 

 宙を翔けるトーシャが、シュネルの正面に逆さ向きに落ちてくる。

 その手には、今までのとは違う、新たな『鍼』が握られていた。

 禍々しいその鍼越しに、トーシャは怪しげに嗤った。

 

「————」

 

 その禍々しい鍼を、トーシャは刺さずに——呑み込んだ。

 直後——、

 

「ぶ、わぁ」

 

 彼女が吐血しながら、フラグメントの一つに落ちていく。

 それは紛れもない、自傷だった。

 しかし、現在、シュネルとトーシャは——感覚を共有している。

 

「ぶ」

 

 胃を潰した時と同じぐらいの血が込み上げて、シュネルも同じように吐き出す。

 同じになれたことを祝福するように、彼女はよがり微笑う。


「『致鍼』」

 

 第四の仕込み鍼。その鍼は、命を溶かす毒の味がしていた。

 それが『気配繰り』を通して、トーシャの肉体から、直接毒を喰らったわけではないシュネルにも、同じ感覚が付与された。

 ドクドク流れる血液が痙攣しながら、全身を灼熱に包む。神経が侵されて、劈く痛みが脳機能を壊す。視界がカレイドスコープみたいに、色塗られる。

 死が、ビビッドに、急速に近づく。

 

「だけど、ぶ、即死ではない……」

 

 なりふり構わない心中技なら、お互いに即死だったはずだ。

 しかし、まだ死はどちらにも訪れていない。

 つまり彼女はここから生還する手段を有しているはずだ。

 順当にいけば解毒剤だが、

 

「毒を食らわば皿まで……ですね」

 

 シュネルは回転に乗りながら、トーシャの方に飛ぶ。毒を呑んだ彼女は、苦しげに距離を取った。

 シュネルは揺れる脳を叩きながら、彼女を追いかける。

 

「これで。どっちが先に。死ぬ。かな……?」

 

「どうでしょうね」

 

 生返事でシュネルはトーシャの表情を窺う。顔色は悪いが、死を予期しているわけではなさそうだ。

 

「『初鍼』」

 

 シュネルは後ろの手すりに捕まって、背後の浮かぶ扉に入る。通過した後に、脚で扉を閉めて、それをそのままぶつける。

 

「————」


 トーシャはそれを砕いて凌いだ。

 破片は背後の回転軸に吸い込まれて、クルクルと回り出す。

 

「————」

 

 その回転軸を消して、破片の一部をトーシャの背中からぶつける。

 彼女は咄嗟に防御するが、破片の一つが肩を撃って、浮かぶフラグメントの一際大きなところに叩きつけられる。

 『中鍼』を地面に刺して勢いを殺す彼女は、微かな違和感に顔を顰める。

 

「知ってる。血の臭い」

 

「その血は、エールさんのものです。思えば、この建物に見覚えはあるでしょう?」

 

「私が。あなたの素敵なところに。気づいた場所。だね」

 

 シュネルが空に飛ばした家屋は、かつてエールとフラムが過ごしていた場所だった。

 平穏に、平和に。

 そして、シュネルがそれを破壊した場所でもある。

 エールは死んだ。シュネルが殺した。

 だからこそ、最後までやり通さなければならない。——毒を皿まで食らうのだ。

 

「『気配繰り』の条件は、体液の交換ですか」

 

「ゾクゾク。する。ね」

 

「しかし、感覚の共有はリスキーではありませんか?」

 

「——あれ」

 

 会話していたトーシャが何かに気づく。その一瞬の隙に、シュネルは回し蹴りを入れる。

 トーシャはそれをまともに食らい、穴の空いていた壁から放り出される。

 

「っ。なんで」

 

 おそらく折れた腕と肋骨を庇いながら、トーシャが不思議そうに目を丸くする。

 理由は、シュネルの身体があまりにも軽やかだったからだ。

 すなわち、毒の影響や飢餓感の影響が失われている。——『気配繰り』を解除したのだ。

 

「己の気配に耳を傾けては」

 

 回転しながら落ちるトーシャに、さらに横合いから破片が飛んでくる。

 彼女は身体を打たれながら宙を舞っていた。

 

「対象の。変更……!」

 

 飛び舞う大きめの床で受け身を取りながら、答えに行き着いた彼女はシュネルを見上げる。

 

「ご明察です」

 

 受け身を取り静止した彼女に、シュネルは猛追する。

 足場破壊し、組んだ両手で彼女を地面に撃ち落とそうとする。

 

「『恢鍼』・一消」

 

 彼女は折れた右腕に鍼を刺して、腕が使い物にならないぐらいの力でシュネルの組手に合わせる。

 反動で彼女の細腕はひしゃげたが、シュネルも無事では済まない。

 思い切り直上に飛ばされて、回転する壁をぶち抜きながら、空高く飛んでいく。

 

 

「もう。これは。いらないかな」

 

 トーシャは呟きながら、無事な左手の人差し指と中指を立てる。

 そして、それを自分の喉に突っ込んで愛撫した。

 

「うぅ、ぁえっ」

 

 喘ぐように彼女は吐瀉物を撒き散らす。そこには呑み込んだ『致鍼』が含まれていた。

 

「あは。気持ち。い」

 

 必要なくなった毒の影響が抜けて、トーシャの足取りが幾分と軽くなる。

 身体をくねらせながら、トーシャはシュネルを追いかけた。

 

「これも。もう。いいや」

 

 せっかく交じり合えたのに、対象を変更されて『気配繰り』は何の価値もなくなった。

 シュネルだったから良かったのに——エールにするなんて、いけずにも程がある。

 

 シュネルは、建物にこびりついたエールの血を、極小の破片にしてトーシャに吸い込ませたのだ。

 そこから『気配繰り』の感覚を逆算する形で対象を変更。おそらくフィードバックは、エールの『再現者』に向かった。

 死してなお使い潰すシュネルの非情さに、胸が躍る。

 

 トーシャはずっと、下品で卑怯な飢えに囲まれて辟易としていた。

 飢えは忌むべきもので、トーシャ自身それを抱えていた。トーシャは早く埋めたくて、無駄な時間を過ごした。

 だけど、シュネルは違った。

 彼は飢えていた。しかし、気高かった。

 飢えに気高さがあるなんて、知らなかった。

 大義や信念とも違う、その飢えの気高さに魅入られたのだ。

 だから、あなたが——、

 

「大好き」

 

 そして、あなたと——、

 

「もっと深く。交ざりあいたい。の」

 

 彼との命のやり取りは興奮が止まらなくなる。彼の気高さが、トーシャの渇きを湿らせる。

 彼の隅から隅まで、喰らい尽くしたい。

 

「気高いあなたを手に入れて。私は満ちるの」

 

 『七躙』も『奠国』もグテン様も、もう知らない。

 その恐ろしいまでの気高い飢えを、独り占めできたなら、他にはもう何もいらないのだ。

 だから、シュネルに勝てば、暁じゃなくてトーシャを見てくれるかな。

 

「————」

 

 空へと飛ばされていくシュネルの、その直下のフラグメントでトーシャは彼に手を伸ばした。

 

「リケンに作らせた。最初で最後の。とっておき」

 

 一本だけの、最後の最後の仕込み鍼。

 それを添えるように、シュネルへ飛ばした。

 

「『果鍼』」

 

 その鍼は、認識できないほどに細い。

 人も動物も、空も大地も海も、世界が認識できない極細鍼。

 全てを貫通し、超えていく。それはさながら、何人も捻じ曲げられない初恋の乙女心。

 それがシュネルすらも貫通して、太陽まで飛んでいく。

 

「————」

 

 『果鍼』は捩ることも砕くこともしない。

 ただ、均衡を崩すだけの鍼だ。

 『果鍼』に貫かれた身体は、均衡を失って——、

 

「———っ」

 

 何かに気づいたシュネル。その身体が、先端から『破れていく』。

 崩れるはずのない均衡が、異次元の介入によって崩れ始めているのだった。

 

「——どうやら、これで最後みたいですね」

 

 最後の鍼を消費したトーシャの顔色を正確に読み取る。

 しかし、身体の割破は止まらない。

 シュネルはそれに見向きもせず、両手を虚空に伸ばして、

 

「『◼️◼️』」

 

 ドメインのない、無秩序な魔法が世界をひっくり返した。

 

「————————。

          ————————。

                   え」

 

 

 トーシャはひっくり返った世界で上向きに落ちていた。

 いや、それはすなわち地面に落ちていることなので、物理法則的には正しくて——、

 

「ぅぶ」


 戦場はずっと、空に浮かぶ建物のフラグメントだった。

 部屋があって、通路があって、広間があって、床があって、壁があって屋根があって、扉があった。

 それがなくなった。——否、トーシャの視点が変わったのだ。

 上を見ている。空を見ている。太陽を見ている。

 しかし、今のトーシャにとってそれは下で、奈落だった。

 でも、そっちには落ちていかない。

 物理法則は上から下だから。空から地面だから。

 

「ぅぶ」

 

 脳を撹拌するような眩暈が、トーシャの嘔吐感を促進する。

 上に——つまり、下に、落ちていく。力は加わってない。天地がひっくり返ったという感覚だけで、落ちているのだ。

 圧力に負けて、トーシャは足場にいていた建物の一部をぶち抜く。

 そのまま、切り離されたとある一室に入った。

 そこは浴室だった。

 トーシャは黄ばんだバスタブにすっぽりと収まる。

 

「は分気、かすでうど」

 

 シュネルが天井を——つまり、床を歩きながら歩いてくる。

 心地いい足音が、トーシャを半ば現実に戻してくれた。

 

「うょしまし戻」

 

 シュネルが指を鳴らすと、トーシャの天地が元通りになる。

 穴の空いた天井を見上げると、太陽が近くにあって、眩しかった。

 

「どうですか、気分は」

 

 そう言われてやっと最初の問いかけの意味が判然とする。

 

「わからない。よ」

 

 トーシャはバスタブからだらっと左腕を垂らし、力なく笑いながらそう答える。

 さっきの衝撃と体験で、もう身体は動かせなかった。

 

「私のことですか。それとも、気分のことですか」

 

「どっち。も」


「そうみたいですね」

 

 シュネルは深い洞察で、トーシャのことなどお見通しだったのだ。

 『果鍼』のことも、恋心のことも。

 

「でも。あなたはどうせ。教えてくれない。の」

 

「——ええ、当然です」

 

 シュネルは片膝をついて、バスタブからまろび出たトーシャの左手を掴む。

 そして、口づけをするようにそっと手首を親指でなぞった。

 手首はさっくりと割れ、ドクドクと血が流れる。

 

「あは。私。死んじゃう。ね」

 

 ドクドクと命が溢れていく。トクトクと脈が弱くなっていく。

 だけど、胸だけはずっと高鳴ってて。

 

「居てくれる。の?」

 

「見届けますよ。最期まで」

 

「私のこと。好きなの?」

 

「いえ、全く」

 

 シュネルの返答にトーシャは薄弱に微笑う。

 そのまま、空に視線をやった。

 

「太陽って。どうしてあんなに。眩しいんだろう。ね」

 

「その答えを、私も探しているのですよ」

 

 彼の気高い飢えは、きっとあの太陽ぐらい絶対的でないと満たせないのだ。

 

「あは。私。負けちゃった。ね」

 

「ええ、あなたの負けです」

 

 ——ドクドク、トクトク、ドクドク、トクトク。

 

 彼の声を聞く命が、彼の存在を知覚する命が、彼に惹かれてしまう命が、もう足りない。

 

 ——ドクドク、トクトク、ドクドク、トクトク。

 

「————」

 

 ドクドクドクドク、暗くなっていって。

 トクトクトクトク、止まらなくて。

 ドクドクトクトク、終わってゆく、

 

「————」

 

 の。

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