第十一話『曲がらない意思』
エールの過去話を聞いた。
歴史の業と、シュネルの豹変と、王国の裏側にあるものと、気になることは尽きない。
だけどそれ以上に━━、
「━━聞くんじゃなかった」
フレンはこの話を、今すぐ忘れてしまいたいと心の底から思った。
何もかもが最悪だ。最悪で最悪で、そんな感情を抱く自分に辟易とする。
最悪だと思うのは、感情を入れ込んでいる証拠だから。
「じゃが、お前さんは止めなかった」
「━━━━」
「お前さんが何を抱えているのかジジイにはわからん。しかし、考えてしまっていることはわかる」
「……やめてくれ」
ひねり出した懇願に、エールは耳を傾けず、懐から一つの袋を取り出した。
鈍い音を立てながら机に乗った時点で、中身がわかって━━耳を押さえたくなる。
だけどそれよりも早く、エールの言葉がフレンを襲った。
「これはお前さんの剣を売ったときの金じゃ。これでフラムと━━」
「━━やめてくれ!!」
襲いかかる悪夢に、フレンは声を荒げた。こうでもしないと、たちまち飲み込まれてしまいそうだ。
「なんなんだ、お前は……お前らは! 私はもういいんだ! だからもう、ほっておいてくれ!」
エールだけじゃない。フラムもルステラとアレキスも、フレンを煩わせるすべてに対して拳を叩きつけた。
机に罅が入って、それでもお構いなしにフレンは叫び続ける。
「私がなんだって言うんだ! この『暁の戦乙女』に、何を望んでるんだ!」
フレンはただ死にたいだけなのだ。
それなのに、邪魔邪魔邪魔、邪魔ばかりされる。━━死ぬ人に、構わないでほしい。
「━━何も望んどらんわい」
「は、ぁ?」
エールは希望を抱いていたはずだ。なのに何も望んでいないとは矛盾でしかない。
フラムは希望のはずだ。フレンは希望のはずだ。
どうして、意見が翻るのか。何故、
「別に意見が変わったわけじゃない。お前さんの考える通り、お前さんらは希望じゃ。じゃがの、それはミネリアの娘だからでも、『暁の戦乙女』だからでもない」
「じゃあ何故……」
「お前さんらが、若いからじゃ」
屈託のない瞳で告げられて、フレンは言葉を出せなかった。
以前にも、似たようなことを言われたことがある。
若者が一丁前に世話を焼くなと。エールの言葉は、その続きだった。
「確かにお前さんらが国を変革すればそれが理想じゃ。しかし、それよりも前に、ジジイは願っとるんじゃよ」
「━━━━」
「お前さんら若者が、ただ幸せであってほしいとの」
エールの言葉に嘘偽りはなかった。
あの過去を経験して、そう心から願っているのだ。
「大儀も重責も、幸せになれないのなら必要ない。もっともそれを果たせるのなら、果たしてほしいとは思うがの。……つまりは、ジジイの希望はそういう希望じゃ」
「━━━━」
「お前さんらには未来がある。何者にでもなれる可能性がある。━━じゃから、フラムを連れてどこかへ逃げろ」
机の上の金がフレンの方へ押し込まれる。
これを受け取れば、フレンは同意したということになるだろう。
フラムとどこかへ行く。そしてフレン・ヴィヴァーチェとして、生きるのだ。
「どうして私なんだ……。どうして、今なんだ……っ!」
だけど、フラムの隣にいるのは、フレン・ヴィヴァーチェである必要はない。
むしろフレンなんて最も適していないだろう。
「お前さんを選んだのは、お前さんが母親に似ておるからじゃ」
「そんな馬鹿みたいな理由で……」
「大真面目じゃ。お前さんはミネリアに似ておる。顔つきや雰囲気……は微妙じゃが、フラムが度々言っておるじゃろう」
「━━━━」
「━━いい匂いがすると」
亜人の嗅覚は人間の何倍も鋭い。だから、亜人は時折、視覚よりも嗅覚に頼る事もある。
しかし、フラムは嗅覚が鋭いのかもしれないが、それが母親と類似しているなどとは一言も言っていない。
ただいい匂いがするだけなのかもしれないだろう。
「あやつは、お前さんを初めて見かけた時、ちゃんと口にしておった。━━母親の匂いがすると」
「━━━!」
「まあ、その反応を見るに、お前さんの前では言っとらんかったようじゃが」
逃げ道を潰されて、フレンは完全に黙り込む。
だけど、匂いがそんなに重要なものなのだろうか。フレンを気に入るに足る材料になるのだろうか。
「匂いがそんなに重要なのか?」
「さあの。じゃが、フラムは一歳の頃に母を亡くしておる。肉体はそれなりに成長してたとはいえ、記憶の方はあんまり発達しておらんかったんじゃろう。じゃから……」
「鮮明に焼き付いている匂いが、琴線に触れた」
「たぶんの」
フレンとミネリアの共通点である匂い。後は背丈や、髪も赤系統で遠すぎるというわけじゃない。
でもそれはなついたというよりは、
「それは、フラムを騙しているということになるんじゃないか?」
母親ではない見ず知らずの人間を母親みたいだからといって、あまつさえ逃避行までお願いされている始末。
これを騙している以外のなんと言うのだ。
「フラムを馬鹿にするでない。あやつは全部わかっておる。お前さんが母親じゃないことも、母親がすでにこの世にいないことも」
「それでも……」
「━━じゃが、フラムはお前さんを選ぶ。それは絶対なのじゃから、受け入れるしかないわい」
フレンが母親でない以上、騙しているという負い目は、罪悪感は無くならない。
だから━━、
「━━罪悪感は言い訳にならんぞ」
「━━━━」
「お前さんが本気で拒絶するのなら、ジジイも潔く手を引くがの。じゃが……」
「━━拒絶してる」
「お前さん」
「私は拒絶してるんだ。最初から、ずっと! どうしてそれをわかってくれないんだ……っ」
フレンは、フレンを煩わせるすべてのものを拒んでいる。ずっとずっと、拒んでいる。
ルステラのアトリエに行ったのだって、あんなの━━。
━━あそこに拒絶があったというのは、無理があるだろう。
「━━━っ!」
もう、何も考えたくなかった。
フレンは死ねればそれでいい。それでいいんだ。
「お前さんが拒んでいるというのなら、わかった」
「━━━━」
「じゃが、お前さんの質問にはちゃんと答えておきたい。━━どうして今なのか、じゃったな」
フレンの問いかけは二つあった。どうして私なのかと、どうして今なのか。
拒絶した今、もはや質問の答えは聞かなくていい。
どうせ関係のないことだと━━。
「もうじきシュネルがここへ来るだろう。じゃから今話しておる」
「は?」
「なんじゃお前さん。老人より耳が遠くてどうする」
「違う! 何故だと訊いたんだ!」
「そりゃ、お前さんの剣が物流に乗ったからじゃぜ」
まだどこか遠回しな物言いだった。物流に乗ったとは、すなわち売りさばいたという意味でとっていいと思うが。
シュネル、剣、売却。剣は確かシュネルから贈られたもので━━。
「シュネルに気づかれるのを覚悟で、売ったてことか!?」
「そうじゃ。そしてあやつはそういうのを絶対に見逃さん男じゃ。……事の重大さがわかったかのう」
馬鹿げてると、フレンは思う。
もっと他のやり方━━否、何もしないでよかったのだ。そうしたら上手くいくのに。
「どうして……」
フレンが来なければ、こんなことにはならなかった。
フレンが倒れたりしなければ、すべて上手くいっていた。
すべての歪みはフレンから始まっていて、それを正せるのはフレンだけだ。
こんな百害あって一利なしな女に━━みんなみんな馬鹿げてる。
「お前さんが死ねば、フラムが悲しむでの……」
「━━っ! やっぱり知って━━」
「知らん知らん。お前さんが何を考えてるのかなんてジジイにはさっぱりじゃ。じゃが……」
「━━━━」
「ジジイの勘はよう当たる。それだけじゃ」
何もかも見透かしたような目で、エールは何も知らないと嘯き続ける。
「従えと言った後でばつが悪いが、やっぱり自分のことは自分で決めい。シュネルは来る。そして……」
「━━━━」
「フラムにはお前さんが必要じゃ。卑怯じゃが、それだけは言っておく」
それが今回伝えたかったことの総括なのだろう。
色々と話してくれたが、エールにとってフラムはかけがえがなく大切なのだ。
だけどそんなフラムはフレンを気に入ってる。やっぱり行き着くところはそこなのだ。
フラムにはフレンが必要。
しかしそれを差し置いて、エールは単純にフレンを━━。
「━━そうじゃったそうじゃった」
不意に発生したエールの声が、フレンの思考を掻き散らす。
「次、フラムのところへ行ったら、教えてやってはくれんか」
「何をだ?」
「名前じゃよ名前。訊かんようにと釘を刺しておったが、もうええじゃろ」
名前を訊かれるのが嫌だったことも、今すぐフラムのところへ行こうとしていたことも、たぶん全部見透されていた。エールは絶対に認めないだろうけど。
フレンは小さく頷いて、この場を後にする。
後にしたところで考えが変わるわけじゃない。意思は決して揺らがない。揺らがせない。
━━だけど、フラムの顔を、一目見ておこうとフレンは思ったのだった。
○
「おねたん、お話し終わったー?」
「終わったと言えば、終わったのだろうな」
部屋に戻ると、床にへたり込んで手すさびをしていたフラムに出迎えられる。
実際のところ話が終わったかと言われると微妙なところだ。
そもそも、話し合いというよりかは一方的に話されたという感じだった。からの、曲がらない主張のぶつけ合い。
冷静を欠くことはなかったとは思うが、もはやフレンの冷静は当てにならない。自分でも平常なのか異常なのか、いまいち心の運動がパッとしない。
「おねたんもうどっか行く?」
どこかへ行けば━━幸せなのだろうか。
エールの口車に乗せられて、フラムと逃げてしまって、それで━━。
「━━おねたん難しい顔してる」
「そ、そうか?」
「おねたん見つけたときのお助けジジイぐらい、難しい顔」
「それは……だいぶ難しそうだな」
人は生きている限り考える生き物だ。
想像通りになったり、外したり、大きく頭の上を飛び越えられたりすることもある。
それでも人は考える。それは答えがほしいから。
間違っていても、正解でも、答えを欲すから。
「フラム」
「━━━?」
「私はフレン・ヴィヴァーチェだ」
「……名前?」
「そうだ」
「じゃあ……フレたん!」
「おい、それはまたちょっと話が違うんじゃないか」
「フレたんフレたんフレたん━━!」
身長差のせいで、フラムはいつものうなじじゃなくて鳩尾に鼻をこすり付ける。フレンに纏ういい匂いとやらを嗅ぎに。
三日で見慣れた仕草と言えど、真意が判明すればまた違った感慨がある。
ずっとされるのは勘弁だけれど、今日ぐらいは、「フレたん」と合わせて許してやろうと思う。
「あんまり……」
「━━変」
フラムが凝然と目を見開いて、急にこすり付けるのをやめる。何か恐ろしいものを感じ取ったみたいな━━、
「フレたん逃げて━━!」
顔を思いきり上げて訴えたフラムに、フレンは戸惑った━━その一瞬で、状況が目まぐるしく変化する。
この場にいる誰も、ちゃんと把握できていないだろう状況に陥った。
ただ一つ言えるのは━━、
「━━━━」
━━大量の鮮血が、部屋の床を真っ赤に染め上げていた。




