第五十七話『僻花』
この世には歪めちゃいけないものが三つある。
大罪、歴史——そして、血縁だ。
子を捨てようが亡くそうが、親は親で在り続け、親を捨てようが亡くそうが、子は子で在り続ける。
不可変な、この世の理であり、大事な掟だった。
「——あなたは右から回ってあぶり出して!」
「は、はい!」
アルトからの『——あなたはいつまでボーっとしてるの?』というキツイ言葉を受けたせいか、弟は素直に指示を受け入れた。
右から回り込む弟に『コンサート』の一枚を追随させて、アルトも別角度から動く。
背後の木の幹を足裏で押して跳躍。枝先に足の甲を引っ掛けて前に飛んだ。
「——まずは一人」
ブラスは木を切り倒し、待機していた『魔法連盟』の魔法使いが飛び出してくる。
アルトはジャストタイミングで、中で回し蹴りを首に繰り出し地面に叩き落とす。
だが——、
「やっぱり囮ってわけね」
あからさまに気づかれやすい位置にいた魔法使いは囮で、アルトを空中に留めおく役割だった。
無防備になったアルトに四方八方から、投石が飛んでくる。
だが、『コンサート』よりかは遅い。
弟につけていない、残りの十一枚を引き戻し——、
「危ないっ!」
「——っ、バカっ!」
囮の後ろを追って、弟がアルトを守るために飛び出してくる。
アルトを射線から逸らすつもりだろうが、弟の目測は甘く間に合わない。
それどころか、弟の身体が邪魔でその背後の射線がが見えなくなった。
だから、さっきの刹那の瞬間視を頼りに感覚で『コンサート』を差し込んだ。
「————」
弾丸を全て撃ち落とし、二人とも無傷だ。
だが、
「まだだ」
「見えてるわよ」
ストリートの報告に、悪態をつくように返す。
眼下にいる、さっき蹴り落とした囮が、アルトたちを狙う。しかし、そこには弟に付けた『コンサート』の一枚を滑り込ませて対処する。
囮はストリートに切り伏せられて、今度こそ撃沈する。
「迂闊だったな、ブラス」
「すみません、お父様」
軽い叱責を受けて、弟はしゅんと項垂れた。
「だが、先ほどの挺身は悪くなかった。騎士道がよく馴染んできた証拠だ」
「っ、はいっ!」
項垂れた弟は、ストリートの称賛に翻って顔を明るくする。
アルトは見たことのないストリートの優しげな顔に瞠目した。しかし不思議と怒りは沸いてこず、代わりに、まだ名前の見つからない感情が沸々と蟠る。
「そちらの方にも話すことがある」
ストリートの優しげな顔がこちらを向いて、アルトは驚きで息を呑む。
まさか——しかし、そんなのは幻想だった。
「あまり指揮官のように振る舞うのはやめていただきたい。ここは私たちの領地で、君は『部外者』なのだから」
目元を厳しく細めて、アルトに注意をする。
アルトにあったのは、失望すらしない冷めた心だけだった。
「そ。なら、勝手に使いなさいよ。そしたら、わたくしの有用さに気づくわ。きっと気づけば——」
「————」
「——なんでもないわ」
髪を払って、言いかけた言葉を直前で飲み込む。
「さて、どう動くのをご所望?」
「いや、動かなくてよい」
アルトは不動を指示される。だが、それは戦力外通告ではない。
アルトの真価を発揮する最も有効な手立てだからだ。
的確に見抜かれて、的確に指示されて——、
「最悪ね」
その頬が僅かに緩んでいたことは、誰も気づくことがなかった。
「くるぞ」
「ええ」
直上から落下してくる岩石を『コンサート』四枚で支える。
同時に横合いから高圧に射出された水柱が、背後からは倒木が大砲のように飛んでくる。それで残りの八枚も消費する。
最後に無防備な正面から、格子状に風の刃が飛んできて、逃げ場は完全に防がれた。
「なんてね」
横側のコンサートを正面に当てて、水柱は背中と地面がくっつくほどスレスレに膝を曲げて回避する。
次に背後の倒木に当てていた『コンサート』を水柱の中断に変える。
倒木が頭上を抜ける前に、地面に着いた手を支点に身体を逆さに起こし、飛んできた倒木を蹴り返す。
「一人」
微妙に射角を上向きに変えて、油断しきった敵を撃ち抜く。
その顛末を見届けることもせず、逆立ちの状態で風の刃の来ている正面を向き、展開した『コンサート』ごと風の刃を踏み潰す。
——まだまだ、アルトの舞踏は終わらない。
「————」
必要なくなった四枚を足場にして、頭上の岩石に飛び乗る。
てっぺんに足場にしていた『コンサート』を差し込んで踵落とし。簡単に縦に割れた岩石を、両脚で横に蹴飛ばす。
それは水柱からアルトを守る盾となる。
『コンサート』十二枚がフリーになり、アルトはまた同じ『舞台』に戻った。
「八人殺ったわよね!?」
「七人です! 一人取り逃しました!」
「いいや、八人だ」
ストリートが当たり前のように斬撃を飛ばし、弟が取り逃した一人を斬った。
「————」
現状は、こうしてちまちま削っていくしかない。
アルトはまた同じ『舞台』で、右腕を前に左脚を後ろに下げる構えをとった。
「……さっきもそうですがお父様、あれは……?」
「『祭国』の舞踏『楽欲』だ。まさか戦闘技術に昇華するとはな。アレもよく考えたものだ」
「———?」
してやられたとストリートが歯を見せる。
その理由がわからず弟は困惑気味だ。
「————」
アルトの『楽欲』は自らが設定した『舞台』の上から逸脱しないようにコンパクトに闘うスタイルだ。不用意にその『舞台』に踏み入れば、鉄のブーツを履いたアルトに蹴り殺される。
さらに不安な防御面は『コンサート』で補うのである。
完璧に扱えれば、『暁の戦乙女』にすら届きうるのではないかとストリートは考え——。
「とかく、あの女を軸にして削っていくぞ。——取り逃してもいいが、強気に攻めていけ」
「はい!」
弟は半ば盲目的にストリートに従う。
一連の会話を聞きながら攻撃の対処をしていたアルトは、気分が悪くなった。
だが——、
「———っ!?」
唐突に眩暈を引き起こし、アルトは思わず膝をついてしまう。
さっきの気持ちの悪さじゃない、もっと外側から脳をかき混ぜられるような感覚だ。
情報と記憶が混ざり合って濁り続ける。ノンダルカス王国の全てが、『魔法国家』の全てが広範に行き渡り——たった一つを拾った。
「——フレン」
その最愛の友達の名前を呼ぶだけで、アルトは眩暈なんて吹き飛ばせた。
「続けて!」
水圧カッターに『コンサート』の面ではなく辺を合わせて、爪先で押し込む。
それから身体を回転させながら他の致命打を避けていく。
「——フレン」
もう一度彼女の名前を呼ぶ。
今、彼女がブラギ村にいることが判明した。
アルトはフレンの過去を詳しく知っているわけではないが、そこがフレンにとって大事な場所であることは知っている。——大事だからこそ、傷つき崩れやすい。
だから、一人で戦わせたくない。
『転移権』を使って今すぐ彼女のところに行きたい。
でも——、
「危ないっ」
『コンサート』を二枚消費して、弟の防護に当てた。
断言するが、この戦場はアルトが抜ければ破綻する。
魔法使い相手にこの森はあまりにも分が悪すぎるからだ。
フレンを助けに行きたい。でも、『家族』が優先だ。『家族』なのだから、アルトが弟を守ってあげないと。
そしたらストリートも見返してくれる。アルトの成果を認めてくれる。
——本当に?
「————」
——もっと簡単な方法があるんじゃないのか。
——本当は逆なんじゃないのか。
「弟を……」
弟はストリートに怒られて褒められて成長を喜ばれる。
さっきからずっと目障りだった。
アルトにはないくせに、それどころか部外者呼ばわり。弟ばっかり妬ましい。
アルトだって——。
「そうよ」
弟を守るのじゃない。きっと弟を殺せば、ストリートはアルトを見るしかなくなる。守る必要がないからフレンを助けに行ける。
脳が作り変えられたみたいに、急に弟のことが羨ましく、そして妬ましくなる。
ずっと才能が憎かった。アルトの持てなかったものを、誇示する様に反吐が出る。
——あの子を殺せば、お父様はわたくしに振り向いてくれるかしら。
「そうよね」
決まりだ。
——弟を殺そう。
「それで——」
「——ボサッとするな!!」
「———ぇ」
ストリートの鋭い声に意識が跳ね起きる。
しかし、それは遅すぎる気づきだった。
頭上から手を組んだ敵が落ちてくる。敵は組んだ手に口づけをすると、爆発的なエネルギーが敵の内側から溢れ出す。
——人間爆弾。
悪趣味なんて思う間もなく——、
「————」
アルトは花のように広がる爆風に飲み込まれた。




