第五十四話『An hour』
レガートは純粋なプリズムではなく、かといってミネリアのようにハーフでも、フラムのようにクォーターというわけでもない。
しかし、プリズムのような特性を有している。
その理由は先祖返りである。レガートの家系を遡れば何者かのプリズムに行きつく。
もっともレガートは両親の顔も名前も知らないため、自らのルーツを辿ろうにも辿れない。それはシュネルもメレブンも同じで、二人もレガートのルーツを知らない。
だが、さして興味もないのだ。
赤子のレガートを育てたのはレガートとメレブンの二人で、それ以前のことはレガートの人生に必要とは思わない。
プリズムとヒトのちょうど中間でもない、特異中の特異体質なレガートを救ったのは紛れもなく二人なのだから。
「そして、それがフレンを救うことに繋がる」
力の使い方を教えてくれた二人に恩義があることは、どれだけ世界を捻じ曲げても変わることはない。
「————」
レガートは今、王国を南下している。
——その速度は音速を超えている。
それが、プリズムでもヒトでもないレガートの能力の一端だった。
「———っっ!!」
怪音を周りに撒き散らすことを申し訳なく思いながら走っていると、唐突に視界がぶれる。
同時に、メレブンの狙いが判明した。
情報共有とは、フラムによる『歪』で場の情報インプットすることだったらしい。
だがこれではっきりとわかった。
フレンはブラギ村にいる。
「————」
そこまでの所要時間は、約一時間といったところだ。
「フレンを孤立させたってことは、フレンを盤面から除外するためじゃない。——フレンを倒すためだ」
フラムの力で情報量での差は五分まで引き上がった。
未知数なのは戦力だ。しかしそれは各々を信じて託すしかない。
だが、フレンは別だ。
フレンはレーアの口からフレンの『再現者』と戦わささせられていると言われた。
相手が今のフレンならいい。
だが、もし『再現者』のフレンに七年前の時が押し込められているのなら、フレンはおそらく——否、確実に負けてしまう。
だからその前に、一秒でも早くフレンの下に往きたい。
——だが、それを阻むのが悪意というものだった。
「ぶ」
音速を超えて走るレガートの身体に、正面から何かがぶつかってくる。
否——、
「僕がぶつかったんだ」
もちろんだが、レガートは自らのスピードの中でほぼ正確に周囲の景色を追えている。
たとえ林の中を走っていても、木々にぶつかるなんて凡ミスはしない。
だから、これは明確な何者かの攻撃だ。
「————」
腰に携えた二振りの剣。その一本を抜き取る。
二刀流というわけではない。——もう一つは、大事な預かり物だ。
これの配達もレガートの重要な任務の一つだった。
「必ず、フレンの下へ——」
決意を口に出すと同時に、レガートとは違和感を感じる。加えて、
「————」
もう一つの感情は、既視感だ。
既にレガートはこの感覚を体験している。しかも、つい最近の出来事だ。
具体的には、レガートがファミルド王国からの帰路に着いている——。
「———ッ」
死角から飛んできた鋼鉄のロープに、レガートは剣を合わせる。
しかし、ロープは途中で加速したように伸びて、タイミングがズレた。
上手く力が噛み合わず、剣が手ずからすっぽ抜けて背後に飛んでいく。
それなのに——、
「どこに行った……っ!」
歯噛みしながらキョロキョロと周りを見渡す。
そんな滑稽な姿を晒しているのは、今しがた飛んでいった剣の方向が分からなくなってしまったからだ。
さっき覚えた違和感も、自分の向かっている方向が急に分からなくなったからである。
つまり、方向感覚の消失。
さらに——、
「とりあえず……った!」
一歩踏み出すと、ずっと遠くにあるはずの木と思いきりぶつかる。
だが、木が移動してきたのではない。
さっきの衝突や、ロープが突然伸びたように見えたのも同じ現象で説明がつく。
距離感覚の消失。
レガートは方向に加えて、遠近もまともに認識できなくなっていた。
「空が近い、世界が遠い……!」
眩暈のするような光景に、レガートは目を擦るが風景は変わらない。
だがしかし、レガートの方にそこまで驚きはなかった。
何故なら、これは全て既知のことだからだ。
レガートは敵の正体を知っている。そして、それは一度レガートが打ち破った者だ。
「これは『七躙』の『陸』の『気配繰り』だ」
『七躙』の『陸』は、レガートとセーラとレクトで一度倒した相手だ。
それが何故か蘇りを果たして、また牙を剥いてきている。
——これこそが『再現者』という魔法の劣悪さだ。
一度倒した敵との強制的な再戦。
しかし、それは傾向と対策を持ち越せるため、マイナスばかりというわけではない。
やはり一番厄介なのは、個々人の性質だ。
そして、『陸』の性質は、この状況下で考えうる限り、最悪だった。
「———っ」
距離感の方向感を失ったレガートは、もやい結びをした鋼鉄のロープに打ち殴られる。
回避は当然ながらタイミングが合うわけもなく、強かに肩が打たれた。
『陸』の厄介なところは、こうしてジワジワと消耗させてくるところだ。一度目の戦いでも、消耗戦を強いられていたので、帰りが遅くなってしまったのである。
一度目も二度目も、先を急いでいるレガートにとって、最悪な相手だ。
「あのときはセーラとレクト君の力で無理やり炙り出した。……今はその助けなしで、やるしかない」
セーラの全方位攻撃も、レクトの『星王の啓示』も手元にない。
ロープに叩きつけられながら、レガートは思考を続ける。
「——距離感も、掴めば関係のないことだよね」
身体に当たったロープの端っこを掴んで引っ張ると、力の均衡が返ってくる。
その瞬間、抑えていた速度を爆発させた。
ロープを辿ってその端点に蹴りをぶち込む。
だが、返ってきたのは人体の感触ではなく芯の通った幹の感触だった。
「——かはっ」
隙を見せた胴体をロープに絡め取られて、思いきり地面に叩きつけられる。
奈落の底まで落とされたような距離感が、実際の衝撃以上のダメージを与えた。
しかし、泥に塗れたレガートをロープはまだ離さない。
奈落の底から反転、空の彼方へ投げ出される。
「かっ」
空の無いはずの障害物にぶつかる。——違う、反転したのだ。
世界の空と地面が反転する。
投げ落とされたはずの空が眼下にあった。地面は今、レガートの背を受け止めている。
空の上で引き摺られ、また、世界が反転する。
「————」
いつのまにか後ろ手で縛られて、レガートは直立させられていた。
気分はまるで絞首台に臨む罪人。
レガートは一歩踏み出して——、
「ぁ」
右足が空回りして、レガートは前方に倒れ込む。
——平衡感覚の消失。
もはや歩行すら困難になったレガートは、一点に吸い込まれるように顔を前に突き出した。
絞首台の罪人とはなんとも的を得たアレゴリーだ。
レガートを迎えるは、木の枝に吊るされたもやい結びのロープ。
それが首にかかりキュと閉まる。
「————」
地面から足が離れた瞬間、ものの数秒で脳への血液の供給が止まり、さらに気道閉塞で呼吸も止まる。
命の循環が強制的に途絶させられ、激痛と苦悶で世界が真っ赤に染め上がる。
「————」
声を上げることもできず、バタバタともがき苦しむこと十数秒。
今度は世界が止まる。
——否。
「————」
——レガートの命が止まった。
アルト→レガートの順番で書くのを、レガート→アルトに変えましたので期間が空いてしまいました。申し訳ございません。