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暁の史記  作者: 焚火卯
三章
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第五十三話『決意』

 ——その戦場は最も凄惨だった。

 

 最初の奇襲で、軍人の半数が殺された。

 次に、臨時の指揮官——ヘネシー・パルランドが殉職した。

 七歳の双子の少女を守ってのことだった。

 

 誰かが剣を放り捨てれば、諦めは一息に伝播し戦場は崩壊するだろう。

 その前に誰かが食い止めなければならない。

 

「誰が」

 

 誰もが顔を俯かせている。

 負けるものだと悲観して、しかし、責任を請け負いたくないという感情が表れている。

 声を上げなければ瓦解するのに、誰も声を上げられない。

 

「誰が」

 

 時と場合によるが、今回は声を上げるのは誰でもいいのだ。

 彼らが欲しているのは指揮官であり、指揮ではないのだ。

 責任が剣を鈍らせることを彼らは知っている。だから、彼らは声を上げられないのだ。

 

「小職が」

 

 声を上げれば特別になる。目立つと言い換えてもいい。

 リゾルートが、史書の裏に隠れるような一介の軍人で終わらなくなる。

 そんな劇的は望んではいけない。

 ——だけど、誰かの犠牲はもっと望めない。

 

「——ヘネシー殿は殉職された! リゾルートが代理を仕った故、ここからは小職の指揮とする!」

 

 慣れない大声を出して、全体の士気を押し戻す。

 ヘネシー・パルランドの殉職を見届けた唯一の者として、盛大な嘘をついた。

 双子の少女を守り、彼は語るいとまもなく命を落とした。

 彼の生の声はもう聞けない。だから、捏造を暴かれることはない。

 それを暴けるのは『天の目』だけだ。

 

「士気は最低ラインに戻った。だが、数で圧倒的に負けている」

 

 最初に半数が減った状態での戦闘開始だ。

 なんとか装備差で持っているように見えているが、数の力にはやがて負ける。

 ——否、それは武力が同じ者同士ならばに限った話だ。

 この戦場で、敵の勢力は三つに分けられる。

 一つはポーコに殺された『シストル村の軍人』。拮抗しているのはここと、新しく派遣された軍の者だけだ。

 残り二つが、戦場を大きく覆す。

 一つは——、

 

「——だッッ!」

 

 鉈を両手に掴んだ男が、家屋の壁をぶち抜いて、リゾルートのいる通りに転がり込んでくる。

 名はモルト。アレキスの口利きで、シストル村の防衛を臨時的に協力している傭兵だ。

 堅気とは思えない——実際、元々堅気ではなかった粗野な目元に、苦しげに皺を寄せている。

 それそのはず、相手は——、

 

「レガート隊長……の『再現者』……っ!?」

 

 自ら溢した言葉に、リゾルートは驚く。

 『再現者』という自分になかった語彙を使ったからだ。

 

「『再現者』……? なんでやすか、それは」

 

 しかし、モルトはその言葉に心当たりが無さそうだった。

 何故、リゾルートはそんなことを話せたのか——、

 

「『再現者』、魔力剤、裏切り、計略、仲間、転移、ノンダルカス王国——フラム嬢?」

 

 溢れ出す情報に眩暈を起こして、リゾルートはよろめきながら、その中心に浮かび上がる少女の名前を呼んだ。

 

「危ねぇ!」

 

 モルトはレガートの斬りかかりを右の鉈で弾き、反対の鉈を脇腹に差し込む。レガートはそれを腹を引っ込めて避ける。

 次の行動は、レガートの方が速かった。

 返す刃でモルトの首を襲い——、

 

「すまない、先ほどは助かった」

 

 モルトの背後から剣撃を引き取る。一旦、腕力が拮抗し、その隙をついてモルトがレガートを蹴り飛ばす。

 

「いいでやすが……さっきのは?」

 

「あまり多くを語る時間はない。——ただ、状況が大きく変わる」

 

「なるほど。それならあんたに全面的に従いやしょう」

 

 半ば独立して動いていた傭兵たちが、モルトを筆頭に指揮下に加わることを表明する。

 直後、胸からぶら下げている笛を吹いた。

 

「『風笛』のモルト」

 

「その屋号は捨てやした。今は陽気な演奏家でやす。もっとも王都の『楽団』さんにはかないやせんが」

 

 彼がまだ荒くれ者だった頃、この地域ではかなり名の馳せた野盗団だった。

 その野盗のカシラだったモルトの異名が『風笛』だ。

 笛を吹き、チームワークを構築して、瞬く間に物品を盗むところから名付けられた。

 彼らは五年前に突如、自首を行い、二年の懲役の後、傭兵に転向した。

 その変わり身に周辺地域の軍部は騒然となったが、一月もすれば語られることもなくなった。

 おそらく、それに多大な寄与をしたのが、アレキスなのだろう。

 ともあれ——、

 

「その笛があれば、仲間に連絡できるのだな?」

 

「できやす。なんでもできやす」

 

 モルトが力強く頷いた。

 そろそろレガートが戻ってくる。指示は迅速にだ。

 

「村民を自宅に籠らせてくれ」

 

「避難じゃなくていいんで?」

 

「ああ。これ以上、前線は下がらない。——下げない」

 

 リゾルートは決然と言い切る。

 

「なら、あの怪物をどうにかする算段もあるってことでやすね」

 

「無論だ」

 

「なら——」

 

 レガートの『再現者』が家屋の壁を滑り、横合いからリゾルートを強襲する。

 モルトはリゾルートの身体を左手で押し、右手で鉈を剣に合わせる。

 

「行ってきてくだせぇ。あなたならその剣も扱えやすよ」

 

 リゾルートの抜いた剣は、アレキスがファミルド王国に行く前に託したものだ。

 ただものとは思っていないが、その真価は未だわからない。

 しかし——、

 

「——信じてくだせぇ」

 

 それを言って、モルトは空いている左手で通りの最奥にいる怪物を指差す。

 これ以上、言葉はいらない。後は往くしかない。

 

「————」

 

 リゾルートは通りを走り始める。見据えるは橙色の体毛を持つ怪物だ。

 それが、戦況を大きく覆す戦力のもう一つであり、ヘネシーの命を奪ったモノであった。

 

「魔獣」

 

 その単語を口にすると、あの悪夢が蘇る。

 ブラギ村の『魔獣強襲』。

 眼前の魔獣も、その時の魔獣のように行動が不自然だった。

 しかし、

 

「あれは、値踏みをしている目だ。自らの強欲を満たすことを考えている目だ」

 

 『魔獣強襲』時の魔獣と違って、目の前の魔獣には意志がある。

 すなわち、考えて行動しているということだ。

 

「考える獣か……。その厄介さは、もうすでに体験させられた」

 

 ヘネシーの命を奪ったのは、橙色の魔獣の大きな爪だった。

 それにより指揮は壊滅し、今は士気を戻しただけで、具体的な動き方は変わっていない。

 魔獣の値踏みがかろうじて均衡を作っているが、それは言い換えると、魔獣に戦場を支配されていると同義である。

 だから、その均衡点をどうにかして裏返す必要があるのだ。

 そこで、リゾルートの出番だった。

 

「魔獣の下し方は、この場で小職が一番心得ている」

 

 すなわち、もっとも時間を稼げるのがリゾルートだった。

 『魔獣』はリゾルートのもっとも得意とする相手なのだから。

 

「————」

 

 魔獣の値踏みする視線と交錯し、開戦の合図だと受け取ったのか、魔獣は沈黙を破りリゾルートの下へ走ってくる。

 リゾルートを狙ってくるのは理想的だが、予想外だ。

 しかし、今はただの幸運として片付ける。

 

「———ッ」

 

 魔獣の右の大振りに、剣を合わせて受け流す。

 爪と鋼の甲高い音が響いて、リゾルートは頭上スレスレで避けた。

 普段なら、絶対にやらなかったような無茶だ。

 しかし、

 

「フラム嬢からの贈り物がある故」

 

 それは、全員に渡っている一度限りの転移権だ。

 リゾルートも忘れられることなく受け取っており、最悪の場合は発動させて一回リセットできる。

 だからこそ、大胆に情報を集めていく。

 

「膂力や癖、視野角、集音性などほしい情報は尽きない」

 

 目の前の魔獣は未知の魔獣だ。

 かつて『魔獣強襲』で、魔獣の種類が爆発的に発見されたが、そのどれでもない。

 だからこそ、探っていかなければならないのだ。

 そのためにも——、

 

「左、右、左——」

 

 三、四倍の体格差がある相手の攻撃を、危なっかしい剣捌きで避ける。

 しかし長くは持たない。

 刹那——致命的な刹那、魔獣の右振りに反応が遅れて——、

 

「———!」

 

 魔獣が、驚いたように鼻息を漏らす。

 当たるはずだった右の大振りは空振り、リゾルートの姿が忽然と消えていたからだ。

 だが、魔獣の動体視力は追えていただろう。

 ——リゾルートの身体を何かが攫っていくのを。

 

「——リゾさん、危なかった!」

 

 空を駆ける馬が、リゾルートを咥えて上昇した。

 一息ついたところで愛らしい声が、宙ぶらりんのリゾルートの頭上から降りかかる。

 彼女は——、

 

「——フラム嬢」

 

「うん! 覚えてたー? 助けにきたよ!」

 

 無邪気に彼女——フラムは笑っていた。

 彼女が救援に駆けつけることは、情報が送られてきた時に判明していた。故に、驚きはない。

 しかし、その実リゾルートの心内は複雑だった。

 

「フラムちゃんも危なかったよ……。もうちょっとで当たるところだった」

 

 リゾルートの心情は他所に、フラムと同じく馬に乗った少年の声が聞こえてくる。

 左目を押さえた少年——レクト・スカイラークは、危険度を話した。

 

「でも、レーくんが止めてくれたから、間に合った。みんな無事!」

 

「そうだけど。そうだけど……!」

 

 レクトの苦悩が、リゾルートには強く理解できる。

 だが当の彼女は、それそっちのけで話し始める。

 

「そうだ、二人は初めましてだよね。お互いのこと、大体全部知ってると思うけど……」

 

「そうだな。だが、名だけは交換しておこう。——小職はリゾルートという」

 

「レクト・スカイラークです。隣の国から来ました」

 

 レクトはファミルド王家の血筋を受け継いでいるらしい。

 そのため、『星王の啓示』という固有の力を扱える。さっきはそれで、魔獣の動きを少し止めたのだ。

 とはいえ、限界許容量は存在する。魔獣だって、おそらく長くは止めていられない。

 

「早速で悪いがレクト殿。あの魔獣はどれほど止められそうだ?」

 

「一魔獣の相手が初めてなので、一秒ぐらいが限界です。慣れたら、もっといけます」

 

「十分、有益だ」

 

 大型の魔獣相手に一秒を稼げる人間は、軍の中でも多くはない。それを引き出せるだけで、戦略の幅が大きく広がる。

 本当は、あまり戦力として頼りたくはないが——。

 

「これから、あの魔獣を倒す。だが、約束してほしい。——絶対に飛び出して行くな。わかったな?」

 

「わかりました」

 

「うん!」

 

 幼い声が二つ、片方は真剣に、片方はひたすらに元気に頷いた。

 フラムはその後に、小さく笑った。

 

「どうした?」

 

「リゾさん、前もおんなじこと言ってた!」

 

「……そうであったな」

 

 以前、フラムと共に魔獣を相手取ったことがあった。

 あの時の敗北は、生涯かけても忘れ去ることはできない。

 今もまだ根強く、冷めることなくリゾルートに残っている。

 だから——、

 

「————」

 

 ——絶対に負けてはいけなかった。

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