第五十三話『決意』
——その戦場は最も凄惨だった。
最初の奇襲で、軍人の半数が殺された。
次に、臨時の指揮官——ヘネシー・パルランドが殉職した。
七歳の双子の少女を守ってのことだった。
誰かが剣を放り捨てれば、諦めは一息に伝播し戦場は崩壊するだろう。
その前に誰かが食い止めなければならない。
「誰が」
誰もが顔を俯かせている。
負けるものだと悲観して、しかし、責任を請け負いたくないという感情が表れている。
声を上げなければ瓦解するのに、誰も声を上げられない。
「誰が」
時と場合によるが、今回は声を上げるのは誰でもいいのだ。
彼らが欲しているのは指揮官であり、指揮ではないのだ。
責任が剣を鈍らせることを彼らは知っている。だから、彼らは声を上げられないのだ。
「小職が」
声を上げれば特別になる。目立つと言い換えてもいい。
リゾルートが、史書の裏に隠れるような一介の軍人で終わらなくなる。
そんな劇的は望んではいけない。
——だけど、誰かの犠牲はもっと望めない。
「——ヘネシー殿は殉職された! リゾルートが代理を仕った故、ここからは小職の指揮とする!」
慣れない大声を出して、全体の士気を押し戻す。
ヘネシー・パルランドの殉職を見届けた唯一の者として、盛大な嘘をついた。
双子の少女を守り、彼は語るいとまもなく命を落とした。
彼の生の声はもう聞けない。だから、捏造を暴かれることはない。
それを暴けるのは『天の目』だけだ。
「士気は最低ラインに戻った。だが、数で圧倒的に負けている」
最初に半数が減った状態での戦闘開始だ。
なんとか装備差で持っているように見えているが、数の力にはやがて負ける。
——否、それは武力が同じ者同士ならばに限った話だ。
この戦場で、敵の勢力は三つに分けられる。
一つはポーコに殺された『シストル村の軍人』。拮抗しているのはここと、新しく派遣された軍の者だけだ。
残り二つが、戦場を大きく覆す。
一つは——、
「——だッッ!」
鉈を両手に掴んだ男が、家屋の壁をぶち抜いて、リゾルートのいる通りに転がり込んでくる。
名はモルト。アレキスの口利きで、シストル村の防衛を臨時的に協力している傭兵だ。
堅気とは思えない——実際、元々堅気ではなかった粗野な目元に、苦しげに皺を寄せている。
それそのはず、相手は——、
「レガート隊長……の『再現者』……っ!?」
自ら溢した言葉に、リゾルートは驚く。
『再現者』という自分になかった語彙を使ったからだ。
「『再現者』……? なんでやすか、それは」
しかし、モルトはその言葉に心当たりが無さそうだった。
何故、リゾルートはそんなことを話せたのか——、
「『再現者』、魔力剤、裏切り、計略、仲間、転移、ノンダルカス王国——フラム嬢?」
溢れ出す情報に眩暈を起こして、リゾルートはよろめきながら、その中心に浮かび上がる少女の名前を呼んだ。
「危ねぇ!」
モルトはレガートの斬りかかりを右の鉈で弾き、反対の鉈を脇腹に差し込む。レガートはそれを腹を引っ込めて避ける。
次の行動は、レガートの方が速かった。
返す刃でモルトの首を襲い——、
「すまない、先ほどは助かった」
モルトの背後から剣撃を引き取る。一旦、腕力が拮抗し、その隙をついてモルトがレガートを蹴り飛ばす。
「いいでやすが……さっきのは?」
「あまり多くを語る時間はない。——ただ、状況が大きく変わる」
「なるほど。それならあんたに全面的に従いやしょう」
半ば独立して動いていた傭兵たちが、モルトを筆頭に指揮下に加わることを表明する。
直後、胸からぶら下げている笛を吹いた。
「『風笛』のモルト」
「その屋号は捨てやした。今は陽気な演奏家でやす。もっとも王都の『楽団』さんにはかないやせんが」
彼がまだ荒くれ者だった頃、この地域ではかなり名の馳せた野盗団だった。
その野盗のカシラだったモルトの異名が『風笛』だ。
笛を吹き、チームワークを構築して、瞬く間に物品を盗むところから名付けられた。
彼らは五年前に突如、自首を行い、二年の懲役の後、傭兵に転向した。
その変わり身に周辺地域の軍部は騒然となったが、一月もすれば語られることもなくなった。
おそらく、それに多大な寄与をしたのが、アレキスなのだろう。
ともあれ——、
「その笛があれば、仲間に連絡できるのだな?」
「できやす。なんでもできやす」
モルトが力強く頷いた。
そろそろレガートが戻ってくる。指示は迅速にだ。
「村民を自宅に籠らせてくれ」
「避難じゃなくていいんで?」
「ああ。これ以上、前線は下がらない。——下げない」
リゾルートは決然と言い切る。
「なら、あの怪物をどうにかする算段もあるってことでやすね」
「無論だ」
「なら——」
レガートの『再現者』が家屋の壁を滑り、横合いからリゾルートを強襲する。
モルトはリゾルートの身体を左手で押し、右手で鉈を剣に合わせる。
「行ってきてくだせぇ。あなたならその剣も扱えやすよ」
リゾルートの抜いた剣は、アレキスがファミルド王国に行く前に託したものだ。
ただものとは思っていないが、その真価は未だわからない。
しかし——、
「——信じてくだせぇ」
それを言って、モルトは空いている左手で通りの最奥にいる怪物を指差す。
これ以上、言葉はいらない。後は往くしかない。
「————」
リゾルートは通りを走り始める。見据えるは橙色の体毛を持つ怪物だ。
それが、戦況を大きく覆す戦力のもう一つであり、ヘネシーの命を奪ったモノであった。
「魔獣」
その単語を口にすると、あの悪夢が蘇る。
ブラギ村の『魔獣強襲』。
眼前の魔獣も、その時の魔獣のように行動が不自然だった。
しかし、
「あれは、値踏みをしている目だ。自らの強欲を満たすことを考えている目だ」
『魔獣強襲』時の魔獣と違って、目の前の魔獣には意志がある。
すなわち、考えて行動しているということだ。
「考える獣か……。その厄介さは、もうすでに体験させられた」
ヘネシーの命を奪ったのは、橙色の魔獣の大きな爪だった。
それにより指揮は壊滅し、今は士気を戻しただけで、具体的な動き方は変わっていない。
魔獣の値踏みがかろうじて均衡を作っているが、それは言い換えると、魔獣に戦場を支配されていると同義である。
だから、その均衡点をどうにかして裏返す必要があるのだ。
そこで、リゾルートの出番だった。
「魔獣の下し方は、この場で小職が一番心得ている」
すなわち、もっとも時間を稼げるのがリゾルートだった。
『魔獣』はリゾルートのもっとも得意とする相手なのだから。
「————」
魔獣の値踏みする視線と交錯し、開戦の合図だと受け取ったのか、魔獣は沈黙を破りリゾルートの下へ走ってくる。
リゾルートを狙ってくるのは理想的だが、予想外だ。
しかし、今はただの幸運として片付ける。
「———ッ」
魔獣の右の大振りに、剣を合わせて受け流す。
爪と鋼の甲高い音が響いて、リゾルートは頭上スレスレで避けた。
普段なら、絶対にやらなかったような無茶だ。
しかし、
「フラム嬢からの贈り物がある故」
それは、全員に渡っている一度限りの転移権だ。
リゾルートも忘れられることなく受け取っており、最悪の場合は発動させて一回リセットできる。
だからこそ、大胆に情報を集めていく。
「膂力や癖、視野角、集音性などほしい情報は尽きない」
目の前の魔獣は未知の魔獣だ。
かつて『魔獣強襲』で、魔獣の種類が爆発的に発見されたが、そのどれでもない。
だからこそ、探っていかなければならないのだ。
そのためにも——、
「左、右、左——」
三、四倍の体格差がある相手の攻撃を、危なっかしい剣捌きで避ける。
しかし長くは持たない。
刹那——致命的な刹那、魔獣の右振りに反応が遅れて——、
「———!」
魔獣が、驚いたように鼻息を漏らす。
当たるはずだった右の大振りは空振り、リゾルートの姿が忽然と消えていたからだ。
だが、魔獣の動体視力は追えていただろう。
——リゾルートの身体を何かが攫っていくのを。
「——リゾさん、危なかった!」
空を駆ける馬が、リゾルートを咥えて上昇した。
一息ついたところで愛らしい声が、宙ぶらりんのリゾルートの頭上から降りかかる。
彼女は——、
「——フラム嬢」
「うん! 覚えてたー? 助けにきたよ!」
無邪気に彼女——フラムは笑っていた。
彼女が救援に駆けつけることは、情報が送られてきた時に判明していた。故に、驚きはない。
しかし、その実リゾルートの心内は複雑だった。
「フラムちゃんも危なかったよ……。もうちょっとで当たるところだった」
リゾルートの心情は他所に、フラムと同じく馬に乗った少年の声が聞こえてくる。
左目を押さえた少年——レクト・スカイラークは、危険度を話した。
「でも、レーくんが止めてくれたから、間に合った。みんな無事!」
「そうだけど。そうだけど……!」
レクトの苦悩が、リゾルートには強く理解できる。
だが当の彼女は、それそっちのけで話し始める。
「そうだ、二人は初めましてだよね。お互いのこと、大体全部知ってると思うけど……」
「そうだな。だが、名だけは交換しておこう。——小職はリゾルートという」
「レクト・スカイラークです。隣の国から来ました」
レクトはファミルド王家の血筋を受け継いでいるらしい。
そのため、『星王の啓示』という固有の力を扱える。さっきはそれで、魔獣の動きを少し止めたのだ。
とはいえ、限界許容量は存在する。魔獣だって、おそらく長くは止めていられない。
「早速で悪いがレクト殿。あの魔獣はどれほど止められそうだ?」
「一魔獣の相手が初めてなので、一秒ぐらいが限界です。慣れたら、もっといけます」
「十分、有益だ」
大型の魔獣相手に一秒を稼げる人間は、軍の中でも多くはない。それを引き出せるだけで、戦略の幅が大きく広がる。
本当は、あまり戦力として頼りたくはないが——。
「これから、あの魔獣を倒す。だが、約束してほしい。——絶対に飛び出して行くな。わかったな?」
「わかりました」
「うん!」
幼い声が二つ、片方は真剣に、片方はひたすらに元気に頷いた。
フラムはその後に、小さく笑った。
「どうした?」
「リゾさん、前もおんなじこと言ってた!」
「……そうであったな」
以前、フラムと共に魔獣を相手取ったことがあった。
あの時の敗北は、生涯かけても忘れ去ることはできない。
今もまだ根強く、冷めることなくリゾルートに残っている。
だから——、
「————」
——絶対に負けてはいけなかった。