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暁の史記  作者: 焚火卯
第一章
11/122

第十話『暁と黄色』

 三度も寝起きすれば、部屋の新鮮味は褪せてしまうが、腹の上で眠る幼女の愛しさは変わらない。

 むしろ、日に日に安眠度が増している気がする。一週間後にはどうなっているのか少し興味をそそられるが、どうやらその好奇心は埋められそうにない。

 なにせ━━、


「━━脚、動くな」


 愛しい幼女━━フラムを起こさないように、器用に脚を動かす。

 エールと自分の見立てでは、今日はまだ快調にはならないはずだったが、予想は外れてほとんど寛解だった。


「いいもの食ったからかな……?」


 昨夜はエールが大金を握りしめながら帰って来て、喜びで一晩中踊り明かした。

 前日比だが豪勢な食事もできたので、そのおかげかもしれない。

 ともあれ━━、


「今日でお別れだな……」


 フレンにはやらなくてはいけない使命がある。

 脚が動かなくなって足踏みする羽目になったが、本来の目的があってフレンははるばる王都まで戻ってきたのだ。

 それが今日、達成できる。だから今日でお別れ。フラムの頭を惜しむように撫でると━━その手を突然掴まれた。


「おねたん、どっか行っちゃやだ……」


 うつ伏せで表情を隠したまま、フラムは震えた声を出した。

 その声にフレンは心が痛くなるが、目を背けずにちゃんと向き合う。


「ごめんな。でも、私にはやらなくちゃいけないことがあるんだ」


「それ、お助けジジイに任せられないの……?」


「無理だ。これは私が決着をつけないといけないことだから」


「……そう」


「だから……わぶっ」


 大事な宣告をしようとしたフレンのうなじに、フラムが飛びついてきて鼻をこすりつける。

 そしてそのまま、耳元で囁かれた。


「でも、いいよ。だって、永遠のお別れじゃないもんね」


「━━━━。━━━。ああ、永遠の別れじゃない」


 その言葉に、フレンは真実を話せなかった。

 ━━今ここでお別れをしたら、フラムは二度とフレンと会えないという真実を。

 だから覆い隠した。嘘で、欺瞞で、大罪で、フレンはすべてが見えなくなるまで真っ黒に塗り潰した。


「それじゃあ、フラムから大事な伝言を託します!」


「伝言?」


 首をひねって問い返すと、フラムはわざとらしく咳払いをした。そして、


「脚が治ったら、出ていく前にジジイのところへ来い━━」


 あんまり似ていない物真似でそこまで言ってから、フラムは止まって口をもにょらせる。

 たぶん発音のリハーサルをしているのだろう。いささか時間が経過して、フラムは舌足らずな声音で先を紡いだ。


「『あかつきのいくさおとめ』よ」と。





 歩けるようになって、初めて家の内部構造を知る。部屋を出れば、前に廊下が一本通っており、それを辿れば階下にいける。そして階下はしきりのない広間で、所謂吹き抜けというやつだ。

 構造的には宿屋に近いだろうか。まあこういう構造の家もあるにはあるので、断定はできないけれど。

 それにしても、貧民街にしては立派な家だと思う。

 天井には穴が空いていたり、床板がギシギシと音を立てていたりする安普請ではあるが、全然ましな部類だ。

 もっとも、そういう疑問を問い詰めに来たわけではないのだが。


「で、ジジイ。色々と語ってくれるんだろう?」


「もちろんじゃ、『暁の戦乙女』。━━それで何から訊きたい?」


 机を挟んで、噛みつき合うみたいに言葉を交わし始める。

 訊きたいこと。あるにはあるし、ないと言えばない。━━否、別に疑問が解消されようとされまいとフレンにはあまり関係のないことなのだ。

 だがしかし、絶対に訊きたいことが一つあった。それは━━、


「そうだな。━━まず、この服はなんだ! ふざけているのか!?」


 自分の胸に手を当てて、前のめりになりながら怒鳴るように声を上げた。

 フレンの今の格好は、さらしにホットパンツという頭のイカれた状態だ。渋々着てはいるが、そろそろ声を荒げなければ気が済まない。


「まてまて、お前さんなにか勘違いしとるようじゃが、その服装はフラムの意思じゃ。ジジイは関与しとらん」


「……フラムがこれを?」


「ああ、そうじゃ。確か、そういう服装の方が体温を感じられて嬉しいと言っておった。……それを止めなかったのは、ジジイの責任と言えるかもしれんがの」


 相変わらずフラムの考えはわからないが━━今回ばかりは、そうでもない気がする。

 昨日だったか、はぐらかされたことがあった。確か━━、


「━━冷たくなってた?」


 体温という言葉に引っかかる部分があったので手繰り寄せると、フラムが一度そんなことを口走っていたのを思い出す。

 その半ば独り言のような問いに、エールは頷いた。


「お前さんが倒れているのを最初に見つけたのはフラムでな。そのときお前さんの体温がとても低かったんじゃ」


「仮死状態だったのか?」


「とも、違うの。基本的に仮死状態じゃ体温は保たれる。……呪い、が一番的を得てるかの」


「呪われてたのか!?」


 呪いだとか呪術だとか呪詛だとか呪印だとか、呼び方は色々あれど、それらは魔法とはまた違った概念であることは間違いない。

 呪いは基本的に人体の益になることはない。大方が人体を害するものだ。益になる呪いも、それを霞ませるぐらいの条件が一緒になって付いてくるので、もはや無いに等しい。

 そんな代物がフレンの身にかかっていたのかと驚くが、エールは早合点を咎めた。


「呪いに近しいが、呪いではない。ジジイの確認するところでは、術式はなかった。ただ、魔力の流れが少しおかしかった。じゃから、呪いが的を得てると言ったんじゃ」


「んー?」


「理解できんでも無理もない。なにせジジイもようわかっとらん。疲労や魔力の流れが、なにか反応を起こし、体温を阻害したのでは、ということじゃ。……王国でお抱えの魔術師にでもあたれば、また違ってくるんじゃろうがな」


 含みのある言い方をするエールの真意に、フレンはすぐに気づく。

 おそらくは、自分も全てを話すから、フレンも隠し事は極力抑えてくれということだろう。


「━━王国には頼れない」


「━━━━」


「私は現在、追われている身なのだから」


 エールの前で初めて自分の置かれている状況を述べた。それに特別驚いた素振りを見せるわけでもなく、エールは静かに瞑目した。


「なるほどのう。ま、そんなとこじゃろうとは思っていたわい」


「━━ジジイは何を知っているんだ?」


「そう睨むな。何か知っとるわけじゃない。ジジイはジジイ。ただのお助けジジイじゃよ」


 手をひらひらとしながら、軽い調子でそう言った。だがしかし、その裏にはなにか隠している思惑みたいなものがあるようだった。


「じゃから、ジジイはその責務を果たすだけ。……お前さんを運命の袋小路から抜け出す方法を教えてやろう」


 運命の袋小路から抜け出すための、フレンに知恵を授けてくれるらしい。

 だけどそれは全部ら見当違いのお門違いだ。なにせフレンは、


「必要ない。私の行く先はすでに決まっている」


 フレンの行く道は正しい。━━違えはしない。

 だからエールの話がそれだけならば、フレンがここに留まる必要は失われる。


「話はそれだけか?」


「いいや、まだじゃ。ジジイの伝え方が悪かったのう」


 お気楽な調子で失敗と口ずさむエール。だが、その身に纏う空気感が、瞬きほどの刹那の間に一変した。


「━━ジジイに……私に従え、『暁の戦乙女』よ」


 私人ではなく、公人としてのエールが顔を出し、覇気が空間を包み込む。

 それは以前ルステラに浴びせられたものとは別種の、鋭く研ぎ澄まされた覇気だった。

 しかしそれは、すぐに弛緩して、


「もっともジジイは、免職されておるでの。お前さんを軍人としてどうこうというのはできんな。これから話すのも私情じゃし。━━じゃが、少しは耳を傾けくれる気にはなったか?」


「……生憎だが、私は総帥だ」


「ぬっ!? どういうことじゃ!? シュネルじゃないのか!?」


「ああ。もう二年ほど前から総帥は私だ。━━そうか、市井には触れていなかったか」


 当惑するエールを横目に、当時のことを思い出す。

 確かに今になられば疑問は過らなくもないが、ここで二人シュネルについて話し合っても解決するわけじゃないので、フレンはすっぱりと打ち切る。


「総帥のことはもういいだろう。それより話とやらの続きをしてくれ。聞く気になった」


「それは重畳じゃが……いや、考えても埒が明かんの。お前さんに伝えることが変わるわけじゃない」


 想定外があったようだが、エールはそれを強引に掻き消した。

 フレンも驚かれたことに驚いたが、それは呑み込んでエールの言葉を待つ。

 そして、


「ちょいと、フラムについての昔話をしよう━━」


「━━その話は、聞きたくない」


 神妙な顔でエールは切り出す。

 しかしフレンは、その話題については聞きたくなかった。


「なんでじゃ?」


「関係がないからだ」


 フレンが聞く気になったのは、大仰な宣言に興味が湧いたのと、エールの真剣さに感化されたからだ。

 だけど、こんな話をされるのなら、あんなことは口走らなかった。


 ━━本当は、わかってたんじゃないのか?


 フレンはどこかで、ずっと━━。


「悪いが私は聞かない。━━聞けない」


 言ったことを撤回するのは、本当に申し訳ないと思っている。

 だけど、これを聞けば、本当に戻れない。

 だから、


「━━っ! お前さんの脚の回復を早めたのはこのジジイじゃぞ!」


「━━━━」


 直後、脚を杖で触れられた時の感覚がフラッシュバックする。

 フレンの脚が回復したのは、誤差などではなかった。ちゃんと治療されていたのだ。

 故に本来ならば、今日はまだ動けないでいるはずである。

 だから、その恩のために座ってくれと━━。


「━━━━」


 ━━そういう、免罪符をエールはフレンに与えた。

 正直、気は進まない。逸る心も存在しない。むしろ駄目だと、警鐘を鳴らされている気がする。

 だけど━━座ってしまった。


「……すまんの」


 その小さな謝罪を耳に入れ、フレンは自分がとてつもなく度しがたい愚か者であることを恥じ入る。

 しかし、それは後ろにやって、繙かれる過去の話に耳を傾けた。





 ━━時は十年前に遡る。

 

 フレンがまだブラギ村で平凡に暮らしていたの時期だ。

 しかし、今回焦点が当たるのはブラギ村よりもう少し西へ行ったドラグ村である。

 厳密に語れば、それも間違いなのだけれど。

 なにせ、フラムの出生地はドラグ村ではなく、その近辺の洞窟なのだから。



「エール隊長! 野盗の根城が割り出せました!」


 ドラグ村の駐屯地、その一室で高らかな声が鳴り響いた。

 そしてそれを受けるのは気難しい顔の壮年━━十年前のエールだ。


「ど、どうされました?」


「いや、昇進昇進と、王国から文書が届きまくってうんざりしてただけだ」


 開封された文書を適当に端へ寄せると、先ほど報告をした兵士とは別の兵士が、気さくにエールへ話しかけた。


「また蹴ったんですかい。隊長なら街の警護……いや、総帥の座にすら届きうるというのに」


「そんな地位などいらぬ。ここで細々とやっている方が私には性に合っておる。━━それで、本題だ。割り出せたと言ったな?」


「はい! 場所はここから東の森にある小さな洞窟です!」


 その報告を受けエールは地図を広げると、兵士を手招いた。そして地図に印を付けさせる。

 そこはドラグ村と隣村のちょうど中間に位置するところだった。


「承知した。あそこの森は起伏も激しく見通しが悪い。隠れるのは打ってつけというわけだな」


 見通しをつけていたから、早々に森へ捜査隊を送っていたのだが、発見するのに三ヶ月近くかかってしまった。

 もっとも、野盗も警戒してか村や行商人を襲う頻度を減らしていたけれど。


「よくやった。━━それでは早速、行ってくるとする」


 それなりの剣を携えて、エールは身支度を始めた。

 すると兵士の一人が、「もしや」と口を開けて、


「お一人で行かれるおつもりですか!?」


「当たり前だ」


 驚愕に声を上げる兵士の肩に、居合わせたもう一人の兵士が手を置き頭を振る。


「洞窟なら一人の方がいい。そして、個人の強さは隊長が一番だ」


「しかし……っ」


「あー、率直に言うけど、うちの基地じゃこれが日常茶飯事なんだわ。止めたきゃ隊長とタイマンで勝つしかない。ですよね?」


「そんなルールを設けたつもりはない。が、挑むというのなら断りはせんぞ。━━そこな奴に従っておれ」


 エールの言葉に兵士の顔が青ざめた。なので、忠告をしてエールは退出する。



 起伏の激しい森を軽快に進んでいくと、地図通りの場所に洞窟があった。

 一見はただの洞窟だが、入口はの手前の土が人間の足で踏み均されている。もっとも、目視するのは簡単ではないが。


「さてと、全員いてくれると助かるのだがな」


 肩を回しながら、ゆったりとした足取りで洞窟に踏み込む。

 罠が仕掛けられていて、野盗が襲いかかってきて、結構強めの頭領がいて、それを約十分で制圧した。

 殺さず、生け捕りにするというのはやはり骨が折れる。

 全員気絶していて当分は起きないと思うが、一応逃げられる可能性を潰すために身体検査だけしておいて、まだ奥に何かありそうだったのでエールは進む。


「━━━━」


 カツンカツンという音の反響が洞窟を満たす。

 モノトニーだけが鼓膜を震わすなか、不意に別の音が混じる。


「━━━ッッ!」


 それはたぶん━━人の声だった。

 瞬間エールは走りだし、その声のところへと駆けつける。


「━━━━」


 たどり着いた場所には、猿轡を食わせられ拘束されていた━━亜人がいた。

 長く伸ばされた深紅の癖毛に、切れ長の緑瞳。

 エールは場違いにも、美しいという感慨を抱いてしまった。


「━━っ! 今、助ける!」


 丁寧に拘束を切り離し、倒れかかる身体を支える。

 すると、彼女は憔悴しきった顔を湛えながら、弱々しい力でエールを押し戻した。


「やめ……て、くださいっ! 離して……ぇ」


 力なく抵抗する彼女の顔には、本気の怯えが宿っていた。


「助けてくれたのは、感謝、します。それで大丈夫っ……ですから。ありがとうっ、ございました……」


 彼女は涙を拭いながら、笑って、懇願していた。

 あまりにも歪な仕草に、エールは喉を詰まらせる。━━そして、世界の業を自覚した。

 彼女は野盗に襲われたからこうなっているわけではない。

 おそらくもっと以前から、人間への怯えを積み重ねてきたのだ。


「━━ぐうぅっ!」


 涙を拭っていた彼女は突然腹を押さえて苦しみだした。

 理由は簡単だ。━━彼女は身籠っている。

 野盗かあるいはもっと以前のものか、なんにせよ、すぐに産まれてもおかしくないほど妊娠は進行していた。


「大丈夫か!」


「……っ、大丈夫です……から。ごめんなさいごめんなさい━━ごめんなさい」


 腹を押さえながら謝り続ける彼女が、ひどく痛々しくてエールは手を離してしまった。

 彼女をこうしている一因には、エールも含まれている。そう思うと、触れるなんて到底できなかった。

 そして、エールが離れたのを理解して、彼女は安堵で微笑んだのだ。


「ありがとう……っ、ございました……」


 それを最後に、エールは彼女のいた空間から出ていく。

 そして野盗を引き連れ基地に戻り、諸々の手続きを済ませた後、食糧を持って彼女のところへと帰ってきたのだった。



「いらない……です」「やめてください……っ」


 初日と二日目は、あえなく拒絶された。しかし三日目からは相手も限界がきたのか、


「食べれば、もうほっといてくれますか……!」


 彼女の問いかけに、エールは大きく頷いた。すると、初めて食事を摂ってくれたのだった。

 ━━そして、次の日もまた持っていった。


「何が目的なんですか……っ」


 涙目で食事を摂りながら、彼女はエールに投げかける。しかしエールには答えることができない。

 自分でも、どうしてこんなことをしているのか、わからなかったから。


「━━━━」「━━━━」「━━━━」


 五日目からは、なにも言われなくなった。

 ただエールは食事を持っていき、彼女はただ食事を摂る。それを受け入れてくれたからだろうか。


「ミネリア……です」


「━━━?」


 八日目、変化は唐突に訪れた。なんと彼女が自分から、話しかけてきたのだ。


「名前っ、わたしの名前……!」


「お、ああ、そうか。ミネリアか。……私はエールと言う」


「聞いてない……っ!」


 そう睨み返されるが、表情は初めて会ったときより、とても良くなっていた気がした。


 ━━それから少し日を重ねて、十二日目。その日はやって来た。


「━━━うぅっ」


 いつものように彼女━━ミネリアのところへ赴くと、ミネリアは小さく呻きながら、腹を押さえていた。


「━━っ、どうした!?」


 ミネリアに駆け寄り、若干の躊躇いを振りきって彼女に触れる。

 だが彼女はエールを突き放さずに、そのまま手を掴んで囁いた。


「産まれる……」


 もちろんエールに助産の経験などない。だが、培ってきた技術ならある。

 ツボを押して魔力に干渉し、苦痛を和らげた。

 その甲斐があってか━━、


「━━━ッ!」


 特に危なげもなく、赤子が産まれ、産声が響き渡った。

 そして、奇妙な洞窟生活は、エールとミネリアと━━、


「━━フラム」


 赤子━━フラムを新たに加え、さらに一年ほど続いた。



「亜人は、成長が早いのだな」


「はい。亜人は最初の一年で肉体が急激に成長し、そこからは少年期を抜けるまで緩やかに成長します。……この子はクオーターですが、そこは変化がなかったですね」


「なるほど」


 洞窟を出てすぐのところを、無邪気に走り回るフラムを見ながら、亜人の生態について聞いた。

 そうして納得していると、ミネリアが物憂げな顔で小さく呟く。


「……気味が悪いだとか、思ったりしないですか?」


「馬鹿を言うな。そんなこと、思うわけがなかろう」


 エールの回答に、ミネリアは顔を俯かせながら、微笑んだ。

 本当に今さらすぎる質問だった。

 エールの感情は、あの日拘束を解いた日から一切変わっていないのだから。


「━━フラム」


 ミネリアの柔和な美声が我が子を呼ぶと、フラムは一直線に帰ってくる。

 そして、


「今日はもうこの辺で。それでは、また」


「じゃあねっ!」


 洞窟へ帰っていく親子に、エールは手を振りながらお別れした。

 ━━明日もまた会える。

 この一年、それを疑ったことはなかった。だから、今日も、そう信じていた。



「エール隊長! 東の森でまた野盗がいるとの情報が!」


「なんだと?」


 兵士の言葉に思いきり食いつき、少し驚かせてしまう。

 だが、野盗という言葉には過剰に反応せざるを得なかった。

 昨日の今日でまさかとは思うが、万が一でもミネリアとフラムになにかがあったら大変だ。

 すぐに洞窟へ向かおうと━━、


「お待ちください、隊長!」


「どうした?」


「今回は隣村の隊が出動していて、我々は行かなくてもよいと」


 席を立ち上がったエールを、一年前にも野盗の報告をしてくれた兵士が制止する。

 だがしかし、野盗もそうだが、ミネリアやフラムにおいては隣村の部隊も脅威度は、さほど変わらないだろう。

 何もないとは思うが、流石に何もないとは思うが━━。


「やっぱり、無理にでも連れてくるべきか……」


 せめて今回の野盗の一件が終わるまでは、基地に居させよう。

 幸いにもエールは人望が厚い。兵のみんなも説明すればきっと、わかってくれる。

 そうしよう。ああ、そうしよう。


「隊長……?」


「━━私は往くところがある」


 そう言って、エールは廊下の突き当たりの窓から基地を出る。

 隊長が見せる行動としては最低の部類だが、今は一分一秒が惜しかった。


「━━━━」


 肉体はすでに老いてしまい、出せる力は全盛期の何分の一か。

 だが、エールはこの老体で出せる最高速で、洞窟へたどり着いた。

 ちょうど一時間ほどで着けて、やれるもんだなと自分自身に感心する。


「フラム、ミネリア……」


 大切な人たちの名前を口にして、エールは洞窟へと踏み込む。

 じっとりと背中を這う緊張感は、野盗がいるときにも抱かなかったものだ。

 しかし、今はそれが収まってくれない。

 焦燥とともに逸る鼓動は、野盗と対峙しても起きなかったことだ。

 しかし、今はそれが恐ろしく鳴り響いている。

 カツンカツンと反響するモノトニーが、エールを嘲笑っている気がしてならない。

 一歩、また一歩と嘲笑は加速する。

 

 ━━思えば、自分は勘が鋭い人間だった。


 こうなっている気がする。ああなっている気がする。こうなる気がする。ああなる気がする。

 勝率で言えば、勝っている方に軍配が上がる。

 違和感も嫌な予感も、全部丸っきり真実になるとしたら━━。


「━━は」



 ━━血反吐と吐瀉物をぶちまけながら、全身アザだらけで死んでいるミネリアがいた。



「━━は」


 人は魂がひび割れそうになったとき、自衛のために感情を抑制する。

 怒りも悲しみも、憤怒も慟哭も、表面化させないように。


「━━は」


 鼓動が速くなって、呼吸が浅くなっているのを感じて、血が出るほど唇を噛んだ。

 ━━抑えろ。抑えろ抑えろ抑えろ抑えろ抑えろ。


「━━誰かと思ったら、エールさんじゃねぇか」


 不意に低い声が耳を打ち、激情をそのままに後ろに振り向く。

 振り向いた先に立っていたのは、隣村の隊長だった。

 隣村の隊長は退屈そうに頭を掻きながら、エールに語りかける。


「なんだってここに? 今回はうちの管轄って話は伝わってるだろ?」


「━━今まで何してた」


「はい?」


 ポツリとこぼれた言葉に、男は首を傾げる。

 演技などではなく、本気で理解していないようだった。


「何って、ちょっくら外で小便を……」


「━━この人をこんな目に遭わせたのはお前かと訊いているんだ!!」


 しわの増えた手で、男の胸ぐらを力強く掴んだ。そして牙を剥いて睨むと、男は冷や汗をかきながら両手を上げた。


「おいおい待ってくれよエールさん。そいつは美人だが亜人だぜ? 野盗の一派かもしれないし、百害あって一利なしだろ」


 絶句した。

 もう、男がおぞましくて見ていられなくなった。

 見るのも、触れるのも、言葉を聞くのもすべて嫌になる。


「……もう、ここには誰もいない。どうせお前のことだから、隊員を置き去りにして歩き回っているんだろう? だから、早く合流しろ」


「お、おう……。エールさんはこれからどうするんで?」


「━━ぶっ殺してやる」


「へ?」


「早く行けと言ったんだ!」


 エールの気迫に圧されて、男が小走りにこの場を後にする。

 それを見届けて深い息を吐くと、小刻みに震えていた腕が止まったのを確認した。

 もし、もっと男と会話していたら、エールは確実に殺していた。

 本当は、今も殺したくて殺したくて堪らない。

 だがしかし、それでは根本的な解決は叶わないだろう。

 ずっと目を背けてきた差別の歴史。そのツケが今になって、老い先短い老人に巡ってきた。


「━━やってやる」


 ミネリアの死を、ミネリアの死だけで終わらせない。

 幸いにも相手はノンダルカス王国だ。話は聞いてくれる。

 そこから世界は無理でも、軍部の在り方ぐらいは変えて見せよう。

 ミネリアとフラムに誓って━━。


「フラム……!」


 最初から、この空間にフラムがいることは感づいていた。

 だがしかし、男の前でフラムなどと口走るわけにもいかず、心苦しくも放っていた。それを今から捜索する。

 この空間は石に囲まれた無骨な空間だったが、一年で色々と物が増えていくらか住よい場所になった。

 なので隠す場所は結構ある。例えば━━、


「フラム……っ!」


 奥にあるチェストを開けると、布にくるまれて眠っているフラムが入っていた。

 ミネリアが残した、最上の宝物。

 それを抱き上げて、思いがこぼれる。


「こんなジジイの腕で、ごめんなぁ……」


「━━━━」


「ごめんなぁ……」



 元々の顔の広さもあり、王都には難なく入ることができた。

 遺体を運んでいるという状況は決して快いものではないが、今だけは噛みしめて統帥との面会に赴く。

 今の総帥であるシュネルとは、だいぶ親密な関係であった。故にシュネルは快く引き受けてくれた。


「お久しぶりですね、エールさん。━━と、雑談でもできればよかったんですが、報告を受けた限り、そんなことはできなさそうだ。そちらが?」


 シュネルの主語のない問いかけにエールは頷く。

 ここまでミネリアの遺体を運んできたのは、シュネルに持ってくることを頼まれたからだ。

 最初は断ったが、未来のためと渋々承諾した。


「そうだ。娘子もおる。━━それで、わざわざこんなことをさせたのは理由があるのだろう?」


 その問いかけに、シュネルは目をすっと細めた。

 細めた目の裏に眠る真意は読み解けないけれど、こんなことをさせたからにはそれなりにいい話をしてくれるだろうと期待する。

 しかし、


「ええ、理由はあります。あなたには決して話しませんが」


 シュネルが深い声を出したかと思えば、直後、纏わせる雰囲気を一変させながら剣先をエールの喉元に差し向けた。


「━━っ、これはどういうつもりだ」


「どうもこうもありませんよ。視ているものが真実です」


 一歩でも動けば躊躇なく殺されると、エールの長年の勘が警告を出していた。

 しかし突然豹変したシュネルの考えは、勘では導き出されない。

 だが、おそらくは━━、


「私が亜人を庇っているからか? だとしたら……」


「━━言い分はわかります。ですがその上で間違っていると、是正しましょう。説明はしませんがね。━━とにかく、あなたは赤子と死んだ亜人を置いて、立ち去ってください。命が惜しいのならば」


 剣先を閃かせながら、シュネルはさらに続ける。


「あなたは亜人を知らなさすぎた。ただ、それだけのことです」


 亜人のこと、軍部のこと、王国のこと。エールは貪欲に追いかけたことはなかった。

 昇格を蹴り続け、村の警護隊長という役職に甘んじた、その代償がこれだというのか。

 

 ━━ならば、エールのしてきたことは何の意味もなかった。


 何十年と無益に歳だけを重ねて、挙げ句の果てには犬死寸前だ。

 命が惜しければと言われた。━━ああ、確かに惜しい。

 このまま何も為せずに終わる命が、堪らなく、惜しい━━。


「━━調子に乗るなよ、若造」


 突きつけられた剣を素手で掴んで、そのままへし折る。腕力ではなく、魔法のちょっとした応用だ。

 だがしかし、それで彼我の実力差は埋まらない。━━エールの方が断然劣っている。

 それでも、時間稼ぎぐらいは可能だ。


「━━フラム」


 愛しき宝の名前を呟いて、エールはミネリアを置いて逃げ出す。

 苦渋の決断だった。だけど、


『━━フラム』


 我が子を抱いて、愛情を奏でたミネリアを思い出した。

 彼女ならば、きっとこうしろと言うだろう。

 エールの不甲斐なさを責めたりせずに、言っていた。

 それが本当に苦しくて、救われる。


「━━━━」


 フラムは未来であり、希望。

 その助けができるのなら、不甲斐ないジジイも、ちょっとは見れるものになるだろうか。


 ━━そして、九年が経った。 



 世は並べて事もなしというのか、エールの失踪は大きく取り沙汰されることもなく、平穏は続いていた。

 たぶんシュネルが何らかの手回しをしたのだろうが、何を考えているのかはわからない。

 だが意欲的に追いかけることはなくても、王都を出ようとでもすれば一瞬で捕まってしまうので、フラムには悪いが貧民街に身を置かせてもらった。

 亜人差別に貧困問題。目を背けてきた社会問題が、巡り巡ってエールを蝕む。

 だけど、フラムまでそんな思いをする必要はない。

 いつかきっと、フラムをちゃんと支えてやれる人間が出てくる。

 それはただの勘だけれど、


「ジジイの勘は当たるんじゃぜ」


 そしてエールはやがて『暁の戦乙女』と出会う。

 彼女がどんな人物かエールは知らない。知る前に、軍を逃げ出したから。

 けれど、フラムが彼女になついた瞬間、エールは確信した。


 ━━彼女もまた、希望なのだと。

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