第四十七話『怠惰』
ぐんぐんと木々を掻き分けて、アレキスは馬車もかくやというスピードで進んでいく。
目指す先は、王都だ。
全員が全員そこに集まっているとは思わないが、激戦地になっている可能性は高い。
——高いというだけで、確信はない。
ここまで後手に回されるという状況は、アレキスにとっても珍しいことであった。
「——だが、まだギリギリで持ち堪えている」
アレキスの想定しうる最悪というのは、まだ発生していない。
発生すれば、アレキスという戦力はこの戦いにおいて機能しなくなってしまうので、リミットが近づいているかもしれないという仮定すら考えたくはない。
しかし——、
「ここから王都まで、不眠不休で走ったとしても……一週間」
ルステラの『歪』を使ったズルができないので、そもそも不眠不休というのが現実的ではない。
つまり一週間という理想値は、絶対に叶えられない。
せめてこちらの場所が知らせられたら、ルステラに転移を飛ばしてもらえるのだが——、
「『気配繰り』で王都を覆うか?」
遠隔に気配を飛ばし、アレキスの場所を知らせる。
可能か不可能かで言えば、可能である。
しかしながら、ルステラが王都にいるというのが推測だ。それに、王都にいて手が空いていることもないだろう。
ルステラの転移は発動までに一分は猶予がほしい。戦いながら、彼女にその要件は満たせない。——そんな負担は強いられない。
「……クソ」
珍しく悪馬が漏れ出してしまう。柄にもなく焦っているのを感じて、さらに胸が悪くなる。
真の意味で、アレキスはノンダルカス王国の進退に興味はない。
——否、他国に飲み込まれるほどの衰退を見せなければかまわないと言い換えよう。
フレン・ヴィヴァーチェを助けたのは、同情と憐憫の他に、その思惑も乗っていたことは——彼女に語るようなことでもない。
とにかく、未曾有の危機が迫っていて、アレキスにやれることがないという現状が非常に心をざわつかせる。
なにか、外部の——それこそ『運命』を捻じ曲げるほどの強い力が働かなくてはならない。
言うなれば、『世界を革命する力』を——。
「——落ち着け」
浮かび上がった考えを奥底に封印し、アレキスは足を止める。
今の自分には平静さがない。まずは、深呼吸だ。
息を吸って、吐いて——、
「——降ろせ」
肺を満たした空気が抜け切ると同時に、粗野な声が肩の上で鳴る。
視線を向けると、再生の済んだラジアンが目を覚ましていた。
「起きたか。——記憶は?」
「残ってんぜェ。テメェに何されたかばっちしなァ」
肩から降りたラジアンは、トントンと自身の頭を叩く。
どうやら、記憶を失う条件は回避したらしい。もっとも、そのせいでいらぬ恨みを買って——、
「——情けねェ」
「——?」
「べっつに、なんでもねェよ。……なんでもねェ」
ラジアンはやけにしおらしくぼやいたかと思えば、荒々しく頭を掻きむしって、アレキスの肩をこづいた。
「真っ直ぐ進んでたみてェだが、アテはちゃんとあんのかよォ」
「なきにしもあらずってところだな。今は王都に向かって走っていたが……」
「がァ?」
「方針の転換も視野に入れている」
何と何を関連づけて浮かんだかは明言しないが、さっきの思考の中で、シストル村に向かう選択肢も大きな候補になった。
目的は、リゾルートに貸している『剣』の回収。それと、アトリエにある——、
「お前、魔法は得意か?」
「テメェがそれを聞くのかよォ? まァ、基本的なとこはなァ。一応、親父は元三賢人なんだぜ? 改めて言うことでもねェがなァ」
「それも、史書に名を残すレベルのな。——挑戦する価値はあるか」
顎に手を当てて、アレキスは打てる最善の手を修正する。
目的地は、シストル村だ。
「シストル村に俺とルステラのアトリエがある。そこにルステラの『転移』の魔導書があるはずだ。それを使ってお前に転移魔法を覚えてもらう」
アトリエにはマメなルステラが記録した、様々な魔導書を、あるいは本にすらなってない紙の束が散乱している。
少し前にフレンによる大掃除が執り行われてかなり整頓されたので、見つけるのは難しくないだろう。
「……できるできねェは置いといて、それは構わねェ。だが、そこからどこに飛ぶ? オレァ、ノンダルカス王国の地理には詳しくねェぞ」
「そこは一つ案がある。賭けだがな」
地理はアレキスが知っていれば、どうにかなる予定で進める。
「ってかよォ、テメェは転移魔法を覚えようとは思わなかったのかよォ? 属性の指向が悪かったのかァ?」
「ルステラは基本的にマルチタイプの魔法を作る。俺が単純に苦手なだけだ」
「何をだよ」
「他人の作った魔法を模倣することがだ」
魔力操作のレンジに収まる『技術』ならば模倣できるが、複雑に体系化された『魔法』は模倣できない。
これは、アレキスが正道の魔法使いでないが故である。別に邪道を進んだわけでもないが。
もっとも魔法に関してはと、しっかり明記する必要があるけれど。
「だからこそ——」
そこで言葉を途切れさせ、アレキスは腕を持ち上げる。すると、そこに吸い込まれるように、光球がアレキスの腕を叩いた。
「誰だ、お前」
光球の裏側で照らされる顔に向かって、アレキスは問いかける。
ざんばらに伸びた髪の隙間から、紫紺の隈に縁取られた瞳だけがチラと覗いている女だ。口元はマスクで覆われており、身体は毛布のように分厚い外套で包まれている。
外からの情報量が乏しい女だった。
「———し」
女はマスクの下で口を動かし、しかし、その単語は続きは話されない。
攻めるのか、引くのか。それすらもなく、女は光球のついた棒を握りながら、地面に突っ伏した。
いつの間にか、光球の光が暗くなっていて——、
「————」
後方でドサっという音がして、アレキスは振り返る。
ラジアンが、女と同じように地面に俯していた。
「————」
ラジアンの身体は地面に貼り付けられたように動かない。しかし息遣いは感じられ、少なくとも死んでいるようではなかった。
身体の自由を奪う魔法。否——、
「———っ」
よそ見をしていたアレキスの胸を、女は強く打った。
身体が弾かれて、木の幹に当たって止まる。
いつの間にか女は立ち上がっていて、武器にも再び光が戻っていた。
「——つくづく俺は、縁深いらしい」
胸を治しながら、アレキスは体勢を立て直しながら、自分の運命をぼやく。
「あんた、『影跋』だな? ラジアンにかけたのは『気配繰り』。その武器は、補助輪ってところか」
「うん」
「……それに、精度を見るに『七躙』だな?」
「うん」
「名前は?」
「うん」
「……今日の天気は?」
「うん」
まるでそういう生物みたいに、コクコクと反射的に頷いていた。
理由は分からないが話したくはないらしい。
だが、相手は『影跋』。気配の扱い方は一流だ。
彼女は訝しんでいる。
光球をチカチカとさせながら、何故アレキスが金縛りに遭わないのかと——。
「求められても、困るとしか言いようがないな」
実際、アレキスから何かをしているわけではない。
ただ、アレキスの何らかの特殊性が影響しているとは思う。
「言っておくが、今俺は急いでいる。あんたに構っていられない」
アレキスは剣を抜き、現状引き出せる最大の本気を見せる。
戦いを楽しむなんて酔狂な真似はしない。ただ、目の前の障害を取り除くだけ。
「——俺はそうすると決めたんだ」
◯
アレキスにとって、『七躙』との接敵は初めてではない。
例えば、ポーコ。彼は『七躙』だ。
アレキスに破れて、最期にフレンの道筋を勝手に吐き捨てて潰えた。
——アレキスはポーコが『七躙』だったと気づいていない。
何故なら——、
「『魔法国家』でもそうだが、何故こんなにも『七躙』が出張ってくる?」
そもそも『奠国』にとっては、『七躙』は秘中の秘。よっぽどのことがなければ切られることのない手札だ。
『影跋』は替えがきくが、『七躙』はそうはいかない。
だからこそ、ポーコの自害が、アレキスに彼を『七躙』だと思わせなくしていた。
あんな少し考えれば分かるような情報で、『七躙』を口封じに殺したりはしない。——回収し、再発防止のために『教育』するのが普通なのだから。
要するに『七躙』というのは、それほど貴重な人材なのである。
しかし、『奠国』は湯水のように『七躙』を使っている。
『奠国』の今の状態がどうなっているのかは大して知らないが、アレキスが知っているところから大きな変化はないだろう。
ダイス——彼の言葉を間に受けるのは避けたいが、やはり『奠国』は何かがおかしく、注意深く警戒しなければならない国だった。
「——おい、テメェ、オレになにしやがったッ」
『七躙』の女と見合っていると、アレキスの脇から弾丸のようにラジアンが殴りかかる。
彼女は光球棒を下から打ち据え、ラジアンにカウンターを喰らわせた。最小の動きで、しかし、ラジアンは吹き飛んでいく。
さらに運悪く——否、彼女の計算通りラジアンの身体は枝葉に突き刺さり、また動作不能に陥った。
「今度は、ラジアンだけか」
生気の満ちた瞳のまま、絶命のような脱力感が走っており、かなりのアンバランスを感じる。
相手の能力は依然として判断できないが——、
「やはり俺はきかないか」
アレキスの身体に異常はない。
ただ、その幸運はあまりアレキスに影響を与えない。おそらく、彼女の力は、『気配繰り』で対策できる。
故にむしろ、幸運のおかげで能力の詳細が分からず、不幸という見方も可能だった。
だからこそ、短期決戦。
「元より長く続ける予定はないが」
剣を握り、アレキスは距離を詰める。彼女は、剣撃に球の曲面を合わせて受け流す。
「————」
光球棒を持っていない左手で、受け流したアレキスの手を掴み、そこを支点にしてアレキスの腕を逆上がり。跳ね上がる小さな足が、アレキスの顎を正確に打ち据える。
意識が飛ばされないように、顎を引き、紙一重でただの打撃に変えた。
引き戻された光球棒は下から撫でるようにアレキスの鼻頭を叩き、遅れて鼻血が噴き出す。
「流石だな」
『七躙』クラスになると、単なる力押しで制圧できない。
それを再確認して、アレキスは膝を折ってしゃがむ。そして、飛び上がっている彼女との差分の距離に、鞘を投げ込んだ。
「————」
淡々とそれを受け流し、鞘は彼方へ飛んでいく。彼女はアレキスの頭を越えて近くの木に隠れた。
気配を辿りながら、彼女の未来地点を予想する。『七躙』の割には、『気配繰り』の練度が低い。
容易に行動を追いながら、彼女が着地するタイミングで木を縦に割った。
斬撃を避けるために空で速度を緩めた彼女は、本来乗るはずだった足場に乗れず体勢を崩す。
そこにすかさず、追撃を差し込む。
「———っ」
今まで眉一つ動かさずに受け流していた彼女に、初めて咳き込むような嗚咽が漏れる。
衝撃を流しきれなければ、単純なパワー勝負になり、彼女は無論のことアレキスに勝れない。
ただ間一髪で拮抗にまで持っていた。それは流石の手腕としか言いようがない。
状況は仕切り直しで——、
「『帰還輪』」
アレキスの呟きと共に、空に飛んでいった鞘が戻ってきて、剣の銀を覆い隠す。
——元は、『祭国』の技術だったか。
あそこは戦闘技術が発達しているというより、パフォーマンス技術が発達している国だ。アレキスはそれを戦闘に利用しているだけ。
飛ばした鞘が、巡りまわって剣の下へと帰還する。
そして、
「『支葉の舞』」
縦に割れた木の、緑葉が意思を持ったように踊り出し、アレキスの足場に早変わりする。
——元は、『流国』の技術だったか。
木々の流れ、水の流れ、炎の流れなどを繰るのに精通している国だ。
それを用いて、アレキスだけに足場を作る。
それを踏んで、アレキスは彼女に迫り、
「ぐ」
鞘のついた剣で、脇腹を横薙ぎ一閃。鞘がなければ、彼女はここで腸を撒き散らすことになっていた。
しかし、彼女はそのまま地面に叩き落とされる。
それから
「『核心闘法』」
仰向けに荒い息を吐いている彼女の額に剣先をつけて、最小の力で動きを縛る。
元は——元は、『号国』の技術だ。
その国にいる少数民族が生み出した門外不出の技術。——エール・オイリアンテの住処で、使っていた痕跡が見られたがあれは何故だったのだろうか。
ともあれ——、
「終わりだ」
五分にも満たない戦いだった。アレキスは宣言通り、短期決戦を成し遂げた。
しかし、本番はここからとも言える。
ポーコもゴーマも、負けたのちに自害を選択した。訳のわからない『奠国』の方針だが、今回も彼女の死は起こり得るとして注意しなければならない。
そして——、
「———ぅ」
彼女のマスクの内側が、鮮やかな赤で塗られていくのが目に見えた。
舌を噛み切ったのだ。
アレキスはすぐさまマスクを剥ぎ取り、彼女の頭を持ち上げる。
舌を治し、血を吐き出させた。
「——っごほ、えぉ」
咳き込みながらも、呼吸が正常になる。
「あんたには話してもらわなければならないことがある」
彼女の紫紺の瞳に写りながら、アレキスは彼女を丁寧に寝かせる。
——そのときだった。
「お爺ちゃん……?」
うんしか言わなかった彼女が、急に明瞭に喋り出す。
いや、喋り出しただけならそこまで驚きはなかっただろう。ただ、内容が不可思議だったためアレキスはつい油断してしまった。
「———っ」
一瞬の緩みを突かれて、彼女がアレキスに抱きついてくる。
そして、
「やっぱり、お爺ちゃんだぁ。帰ってきてくれたんだぁ」
目をキラキラとさせながら、彼女がとろんとした声付きで喜びを口にする。
ここでしっかりとはっきりさせておきたいが、アレキスは誰かのお爺ちゃんになった覚えはない。
そもそも彼女の名前すら知らないのだ。
それでも、彼女は嬉々としてアレキスに抱きついて、
「トーシャは……ぁ」
気になる名前を口にした瞬間、彼女の周囲の空気感が変わる。
それが条件式だったわけではないだろう。ただ、ちょうどタイムリミットが来てしまったのだ。
彼女は、アレキスの胸を押して、逃げるように距離を取る。
「祖父だなんだのは……この際いい」
そんなことは後回しだ。アレキスは空いた距離を埋めて、激変の理由を『気配繰り』で探る。
「お爺ちゃん……そうだ、ボクはぁ、ボクたちはぁ」
衰弱していく彼女に、アレキスは焦燥を掻き立てられる。
『気配繰り』を使って、彼女の輪郭を追いかけて——ついに、澱みを見つける。
彼女の中に混ぜられた、不自然な残滓。それを掴もうとして——同じく、彼女は物理的にアレキスの首を掴んだ。
そして、
「——内側の点線には抗えないんだよ」
彼女の紫紺の瞳の裏側に、深淵に、最奥に、得体の知れない『モノ』があり、アレキスは手を離す。
その数秒の間に、彼女のキラキラした紫紺の瞳は、嘘のように光を失った。
開かれた眼から涙が一筋流れるのを見て、アレキスは僅かに自分が気圧されていることを自覚した。
さっきの言葉は彼女の本心なのは間違いない。
しかし、それを言わせた『モノ』がいる。——内側の点線がいる。
そして、その正体にアレキスは心当たりがあった。
「点線か……」
もしかしたら、それはアレキスを的確に言い表しているのかも知れない。
近くで見れば繋がっていなくとも、遠くから俯瞰すれば、点線は断続的に繋がっている。
アレキスも、そうなのだろうか。
見えないと思っているのは、自分だけなのだろうか。
もし、アレキスに関わる全ての者に点線が書き留められているのなら——、
「——おいッ、下ろしてくれやァ、早くよォ」
ずっと休眠状態に入っていたラジアンが、彼女の死で目覚める。
「————」
無言で枝葉を切り落とすと、ラジアンは地に落ちて胸は再生で元通り。
服の汚れをパンパンと叩き、落ちきったところでラジアン絶命した彼女を指さした。
「ところで、最後のアレァなんだったんだ?」
「アレとは?」
「爺ちゃんだなんだのって、言われてたじゃねェかよォ」
「聞こえてたのか?」
「実はァ、ずっと意識はあったんだぜェ。だからテメェの戦いも……いやァ、今はいい」
不甲斐なさげに頭を掻いて、ラジアンは話題の逸れを修正する。
「ずっと、見てたし聞いてた。最後のは明らかに異常だったぜェ。テメェも含めてな」
「……あいつの裏側に得体の知れない『モノ』がいた。それに気圧されて、みすみす見殺しにしたってのが全部だ。とはいえ、アレは今の俺たちだけで抱えられるモノじゃない」
「……テメェは、アレが何か分かってんのかよォ」
「おそらく、だがな」
ここでラジアンに語るのが正しいとは思わない。だが、何も知らせないのは、それはそれでリスクがありそうだった。
故に、警告も込めてアレキスはそれの名を呼ぶ。
「そのモノの名は、グテン。『奠国』の天子だ」
その名がそのまま国の名前になっている。国のトップであり、何故か『七躙』を殺しまわっている張本人。
しかし——、
「これ以上、深入りはしない。ここが境界線だ。——ちょうど、いい贈り物も飛んできたしな」
突然、頭の中に異物が滑り込んでくる。だがしかし、それが誰から送られたものなのかも同時に判明した。
「——フラム」
何かを秘めてる少女だとは思っていたが、まさかここまでのことを成し遂げるとは。
彼女の『歪』はさしずめ、『運命』と言ったところか。
「変な気分だぜェ。いや、さっきよかマシだがよォ」
そんなことをぼやきながら、ラジアンがガンガンと頭を叩く。
「オレァ、もちろんダイスの野郎をぶん殴りにいくぜ。テメェはどうすんだァ?」
「俺は——ルステラだ。そうフラムに釘を刺されたしな」
どうやらルステラがのっぴきならない状態らしい。
「だが、一旦メレブン・ラプソードを経由する。『七躙』のことも、伝えておきたいしな」
方針をまとめて、アレキスたちは転移を開始する。
そこに、名も知らぬ彼女と、一抹のやるせなさを残して。
——『七躙』が『漆』◼️◼️◼️VSアレキス。
勝者、アレキス。




