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暁の史記  作者: 焚火卯
三章
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第四十一話『again』

 誤算はあると、そう理解していたはずだ。何事も予想通りにはいかないと。

 しかし、

 

「——アメリ!」

 

「——メレブン!」

 

 聞き覚えのある声と、あまり馴染みのない声が同時に鳴って、アルトは思考に空白が生まれる。

 帰ってくる可能性はあった。それでも咄嗟のことで、自然と思考は『何故』へとシフトする。

 ほとんど反射的で、故に人は致命的な隙を晒す。

 

「アルト!!」

 

 シュネルの腹からの叫びは、アルトの当惑を断ち切るのには十分だった。

 アルトは腰にぶら下げている自身の武器——『コンサート』を展開し、無防備なメレブンとフラムを守った。

 フラムの方へは爆発が、メレブンの方へは何かが襲来していた。

 フラムは守れたが——、

 

「そんなっ」

 

 間に挟み込んだ『コンサート』の一枚に穴が空き、メレブンに何かが迫る。『コンサート』には自動修復力があるので穴自体は問題ないが、メレブンは——、

 

「おかげでよう見えたわ」

 

 メレブンが指を突き出して、その何かを無効化する。

 良かったと安堵しながら、アルトは目を回す。

 状況の把握だ。

 

 今しがたシュネルが飛ばしたレーアがレガートと接敵した。そこにレクトを背負ったセーラが援護に回っている。

 ネイアはシュネルが相手取る様子だ。さっきの『コンサート』のことを伝えれば、相手の魔法の解析は急速に進むだろう。メレブンもいる。

 なら、アルトは——、

 

「————」

 

 それは生存本能とも呼べる勘の働きだった。

 ダイスの姿がないと視認したとき、アルトは『コンサート』を手元に引き戻していた。

 全十二枚。六角形の半透明の板が連なって、一つの楽器のような形に戻る。

 それを抱えてアルトは、ブレた視界の中で正確に状況を把握する。

 ——変化は四つ。

 シュネルの転移。ダイスの出現。ルステラの帰還。そして——、

 

「わたくしも……なのね」

 

 視界が切り替わり、アルトは息を吐く。


 ——転移が起きた。


 シュネルがアルトを戦いの要だとしたのは、アルトが転移の対象でないと判断していたからだ。

 その前提が崩れ去る。

 

「だけど、まだ諦めるには早すぎるわ」

 

 誤算は何も悪いものだけではなかった。少なくとも、メレブン、フラム、ルステラは帰ってきていた。

 三人もいればアルトの分を補える。

 しかし気掛かりなのは、作戦を共有していないこと。

 レガートやセーラが戦闘に手一杯なら、迅速に共有できない。特にルステラやフラムは関係値が薄いので、やはりメレブンと比べれば協力は難儀する。

 それも含めてアルトの役割だったのだけれど、それが果たせないのは本当に申し訳が立たない。

 

「いつ、どのタイミングで……?」

 

 転移が発動したということは、アルトにもあらかじめ術式が刻まれていたということだ。

 それに心当たりがなさすぎる。なんなら条件なしの法外な力と言われた方が納得できる。

 

「いえ、今考えるべきは、それじゃないわ」

 

 複数の可能性を羅列して、アルトはそれを掻き消す。

 今必要なのは、アルトがどこに転移させられたのかということだ。

 

「森」

 

 一般名詞をふっと吐き出してみる。

 やけに背丈の高い木々が、アルトを見下ろしていた。

 視線を戻すと、木々に浅い切り込みが入っていた。見渡せば、色んなところに裂傷が刻まれている。

 その一つを何の気なしなぞって、

 

「———っ」

 

 脳に——否、記憶に疼痛が走る。その痛みがアルトに全てを理解させた。

 この傷はアルトが付けたものだ。幼少期の全ての記憶がフラッシュバックする。

 つまり、ここは——、

 

「う」

 

 動悸が異常なまでに加速して、アルトはその場にへたり込む。吐き戻しそうな口を押さえて、反対の手で冷えた土を握り込む。

 何度も何度も握りしめ——現実はそれでも離れてくれない。

 静謐の満ちる森が、訳のわからないぐらい騒がしい。

 

「————」

 

 アルトを見下ろす木々が、横たわる倒木が、それに寄り添うような若木が。それぞれ別のものと重なっていく。

 みんながアルトを見てる。

 失望の目を、期待の目を、何も知らない純朴な目を。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 ——どうかお願いします。わたくしを見ないで。わたくしが全部悪かったの。

 視線に向き合えず、視線から逃げ続けたアルトは、その場に蹲ることしかできなかった。

 

「——みっともないな」

 

 枯れ葉を踏む音に混ざって声が聞こえる。——この世で最も忌々しい声だった。

 

「————」

 

 ストリート・シュヴェール。『剣聖』の肩書きを貰った、剣の頂に近づいた者の一人。——そして、アルトの実の父であり、アルトを捨てた張本人。

 そう、ここはシュヴェール家の領地内だった。彼が居てもおかしくはなかった。

 それだけでなく、

 

「お父様?」

 

 少し後ろから、まだ変声期のきてない少年の声が聞こえてくる。

 ちゃんと聞くのは初めて。それでも何故だか分かってしまうのだ。

 ブラス・シュヴェール。『剣聖』という肩書きを貰った者の中でも、さらに一際才に恵まれた少年。『剣聖』の中でも五世代に一人と言われてはいるが、おそらく歴代で最も強い。——そして、アルトの七歳離れた弟だ。

 

「そちらの方は。お知り合いなのですか?」

 

 何も知らない無垢な瞳で、ストリートとアルトを交互に見やる。

 それが、さらにアルトの心を掻き立てる。

 

「いいや、知らない女だ」

 

「———っ」

 

 知らないとキッパリ否定されて、アルトは息を詰める。

 愛なんて枯れているのは知っている。それでも、こんなに屈託なくそんな言葉が吐き捨てられるのか。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「——ぇ」

 

「体調が優れないみたいなので、良ければウチに。軍人さんなんでしょう?」

 

 弟はアルトの纏う軍服を見てそう判断する。

 軍人。そう、アルトは軍人。肩書きなんて何も無い。彼から見れば、押し並べられた軍の人。

 ——ああ、そうなのね。そうだったわね。

 

「大丈夫……よ。手も、貸さなくていいわ」

 

 差し伸べられた手を掴まず、膝を払ってアルトは立ち上がる。

 彼の中ではたとえ有象無象の軍人の一人でも、アルトの中では姉弟だ。

 彼がそれを知らなくても、無様は晒せない。

 姉を、演じなくてはならない。

 ——不本意でも、アルトは帰ってきてしまったのだから。

 

「わたくしは……」

 

 意味もなくここが転移場所になったとは考えにくい。

 アルトへの精神攻撃だけが目的なら、少しだけ弱い気がする。これはシュヴェール家、全体への攻撃と見るべきだ。

 それなら——、

 

「———!」

 

 視界の端で色のない塊を認識すると同時に、アルトは『コンサート』を展開する。

 色のないそれはよく見れば、茶色の岩石だった。人の頭ほどもあるそれが『コンサート』の一枚と接触して粉砕。小さな欠片となって降り注ぐ。

 その一粒一粒に熱が籠っているのを『視認』して、アルトは叫んだ。

 

「刻んで!」

 

 アルトの声にすぐさま反応したのは、ストリートの方だった。

 彼は反射的に剣を抜き、小さな欠片を消滅させるまで切り刻んだ。

 

「今のは、放置していたならどうなった?」

 

「分からないわ。ただ、熱が燻っていたから……」

 

「爆発か、溶解か、その辺りだろうな」

 

 魔法の種を暴くにはアルトの知識量じゃ心許ない。

 ストリートや弟も魔法については門外漢だ。

 

「囲まれてるわ」

 

「そのようだな。それにどうやら潜んでいたというわけではないらしい。——これが転移魔法とやらか?」

 

 その質問を聞いて合点がいく。

 そもそも領地ないとはいえ、歩き回っているのはおかしいのだ。

 つまり、シュネルが事前に話を通していたのだ。アルトには内緒で。

 本来、この邂逅はあり得なかったのだから、アルトは把握していなくとも問題がない。

 ——別に、話したからって怒ったりなんかしないのに。

 

「そうね。息遣いがどんどん増えてってるわ」

 

「数は」

 

「ここから視認できるのは三十六。息遣いも含めるなら七十二。実数はその一・五倍ってところかしら」

 

「そんなものか。承知した」

 

 攻撃が本格化していなかったのは、まだ数が揃っていなかったからだ。

 そのモラトリアムももう終わる。

 

「——あなたはいつまでボーっとしてるの?」

 

「……え」

 

 キツイ言葉がアルトから飛んできて、弟は当惑したように息を漏らす。

 

「剣を抜きなさい。ここは戦場よ」

 

 腑抜けた面に、心が無性に掻き立てられる。

 彼はアルトがどんな気持ちでここに立っているのか知らないのだ。

 もちろんそれは半ば八つ当たりであるし、アルトも自覚はしていた。

 それでも——、

 

「——わたくしがいなくなって良かったと思わせてよ」

 

 身を翻し、アルトは大きな一歩を踏み出す。

 そのアルトを撃ち抜くために、四方八方から礫が飛来する。

 『コンサート』を用いてその全てを防ぐのは造作もなかった。

 

「——不器用な奴だ」

 

 礫の破砕音に、その囁きは紛れない。全部、聴こえている。

 アルトの耳がいいことを知ってか知らずか——どちらにせよ、ふざけるなと叫びたい。こっちはあなたの体面を守るために、嫌悪も憎悪も噛み殺しているんだ。

 それがシュヴェール家のためと信じて。弟のためと信じて。

 

 ——そんなもの、本当に大事なの?

 

「大事に……決まってるわよ……」

 

 だって、わたくしたちは『家族』なのだから。

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