第四十一話『again』
誤算はあると、そう理解していたはずだ。何事も予想通りにはいかないと。
しかし、
「——アメリ!」
「——メレブン!」
聞き覚えのある声と、あまり馴染みのない声が同時に鳴って、アルトは思考に空白が生まれる。
帰ってくる可能性はあった。それでも咄嗟のことで、自然と思考は『何故』へとシフトする。
ほとんど反射的で、故に人は致命的な隙を晒す。
「アルト!!」
シュネルの腹からの叫びは、アルトの当惑を断ち切るのには十分だった。
アルトは腰にぶら下げている自身の武器——『コンサート』を展開し、無防備なメレブンとフラムを守った。
フラムの方へは爆発が、メレブンの方へは何かが襲来していた。
フラムは守れたが——、
「そんなっ」
間に挟み込んだ『コンサート』の一枚に穴が空き、メレブンに何かが迫る。『コンサート』には自動修復力があるので穴自体は問題ないが、メレブンは——、
「おかげでよう見えたわ」
メレブンが指を突き出して、その何かを無効化する。
良かったと安堵しながら、アルトは目を回す。
状況の把握だ。
今しがたシュネルが飛ばしたレーアがレガートと接敵した。そこにレクトを背負ったセーラが援護に回っている。
ネイアはシュネルが相手取る様子だ。さっきの『コンサート』のことを伝えれば、相手の魔法の解析は急速に進むだろう。メレブンもいる。
なら、アルトは——、
「————」
それは生存本能とも呼べる勘の働きだった。
ダイスの姿がないと視認したとき、アルトは『コンサート』を手元に引き戻していた。
全十二枚。六角形の半透明の板が連なって、一つの楽器のような形に戻る。
それを抱えてアルトは、ブレた視界の中で正確に状況を把握する。
——変化は四つ。
シュネルの転移。ダイスの出現。ルステラの帰還。そして——、
「わたくしも……なのね」
視界が切り替わり、アルトは息を吐く。
——転移が起きた。
シュネルがアルトを戦いの要だとしたのは、アルトが転移の対象でないと判断していたからだ。
その前提が崩れ去る。
「だけど、まだ諦めるには早すぎるわ」
誤算は何も悪いものだけではなかった。少なくとも、メレブン、フラム、ルステラは帰ってきていた。
三人もいればアルトの分を補える。
しかし気掛かりなのは、作戦を共有していないこと。
レガートやセーラが戦闘に手一杯なら、迅速に共有できない。特にルステラやフラムは関係値が薄いので、やはりメレブンと比べれば協力は難儀する。
それも含めてアルトの役割だったのだけれど、それが果たせないのは本当に申し訳が立たない。
「いつ、どのタイミングで……?」
転移が発動したということは、アルトにもあらかじめ術式が刻まれていたということだ。
それに心当たりがなさすぎる。なんなら条件なしの法外な力と言われた方が納得できる。
「いえ、今考えるべきは、それじゃないわ」
複数の可能性を羅列して、アルトはそれを掻き消す。
今必要なのは、アルトがどこに転移させられたのかということだ。
「森」
一般名詞をふっと吐き出してみる。
やけに背丈の高い木々が、アルトを見下ろしていた。
視線を戻すと、木々に浅い切り込みが入っていた。見渡せば、色んなところに裂傷が刻まれている。
その一つを何の気なしなぞって、
「———っ」
脳に——否、記憶に疼痛が走る。その痛みがアルトに全てを理解させた。
この傷はアルトが付けたものだ。幼少期の全ての記憶がフラッシュバックする。
つまり、ここは——、
「う」
動悸が異常なまでに加速して、アルトはその場にへたり込む。吐き戻しそうな口を押さえて、反対の手で冷えた土を握り込む。
何度も何度も握りしめ——現実はそれでも離れてくれない。
静謐の満ちる森が、訳のわからないぐらい騒がしい。
「————」
アルトを見下ろす木々が、横たわる倒木が、それに寄り添うような若木が。それぞれ別のものと重なっていく。
みんながアルトを見てる。
失望の目を、期待の目を、何も知らない純朴な目を。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
——どうかお願いします。わたくしを見ないで。わたくしが全部悪かったの。
視線に向き合えず、視線から逃げ続けたアルトは、その場に蹲ることしかできなかった。
「——みっともないな」
枯れ葉を踏む音に混ざって声が聞こえる。——この世で最も忌々しい声だった。
「————」
ストリート・シュヴェール。『剣聖』の肩書きを貰った、剣の頂に近づいた者の一人。——そして、アルトの実の父であり、アルトを捨てた張本人。
そう、ここはシュヴェール家の領地内だった。彼が居てもおかしくはなかった。
それだけでなく、
「お父様?」
少し後ろから、まだ変声期のきてない少年の声が聞こえてくる。
ちゃんと聞くのは初めて。それでも何故だか分かってしまうのだ。
ブラス・シュヴェール。『剣聖』という肩書きを貰った者の中でも、さらに一際才に恵まれた少年。『剣聖』の中でも五世代に一人と言われてはいるが、おそらく歴代で最も強い。——そして、アルトの七歳離れた弟だ。
「そちらの方は。お知り合いなのですか?」
何も知らない無垢な瞳で、ストリートとアルトを交互に見やる。
それが、さらにアルトの心を掻き立てる。
「いいや、知らない女だ」
「———っ」
知らないとキッパリ否定されて、アルトは息を詰める。
愛なんて枯れているのは知っている。それでも、こんなに屈託なくそんな言葉が吐き捨てられるのか。
「あの、大丈夫ですか?」
「——ぇ」
「体調が優れないみたいなので、良ければウチに。軍人さんなんでしょう?」
弟はアルトの纏う軍服を見てそう判断する。
軍人。そう、アルトは軍人。肩書きなんて何も無い。彼から見れば、押し並べられた軍の人。
——ああ、そうなのね。そうだったわね。
「大丈夫……よ。手も、貸さなくていいわ」
差し伸べられた手を掴まず、膝を払ってアルトは立ち上がる。
彼の中ではたとえ有象無象の軍人の一人でも、アルトの中では姉弟だ。
彼がそれを知らなくても、無様は晒せない。
姉を、演じなくてはならない。
——不本意でも、アルトは帰ってきてしまったのだから。
「わたくしは……」
意味もなくここが転移場所になったとは考えにくい。
アルトへの精神攻撃だけが目的なら、少しだけ弱い気がする。これはシュヴェール家、全体への攻撃と見るべきだ。
それなら——、
「———!」
視界の端で色のない塊を認識すると同時に、アルトは『コンサート』を展開する。
色のないそれはよく見れば、茶色の岩石だった。人の頭ほどもあるそれが『コンサート』の一枚と接触して粉砕。小さな欠片となって降り注ぐ。
その一粒一粒に熱が籠っているのを『視認』して、アルトは叫んだ。
「刻んで!」
アルトの声にすぐさま反応したのは、ストリートの方だった。
彼は反射的に剣を抜き、小さな欠片を消滅させるまで切り刻んだ。
「今のは、放置していたならどうなった?」
「分からないわ。ただ、熱が燻っていたから……」
「爆発か、溶解か、その辺りだろうな」
魔法の種を暴くにはアルトの知識量じゃ心許ない。
ストリートや弟も魔法については門外漢だ。
「囲まれてるわ」
「そのようだな。それにどうやら潜んでいたというわけではないらしい。——これが転移魔法とやらか?」
その質問を聞いて合点がいく。
そもそも領地ないとはいえ、歩き回っているのはおかしいのだ。
つまり、シュネルが事前に話を通していたのだ。アルトには内緒で。
本来、この邂逅はあり得なかったのだから、アルトは把握していなくとも問題がない。
——別に、話したからって怒ったりなんかしないのに。
「そうね。息遣いがどんどん増えてってるわ」
「数は」
「ここから視認できるのは三十六。息遣いも含めるなら七十二。実数はその一・五倍ってところかしら」
「そんなものか。承知した」
攻撃が本格化していなかったのは、まだ数が揃っていなかったからだ。
そのモラトリアムももう終わる。
「——あなたはいつまでボーっとしてるの?」
「……え」
キツイ言葉がアルトから飛んできて、弟は当惑したように息を漏らす。
「剣を抜きなさい。ここは戦場よ」
腑抜けた面に、心が無性に掻き立てられる。
彼はアルトがどんな気持ちでここに立っているのか知らないのだ。
もちろんそれは半ば八つ当たりであるし、アルトも自覚はしていた。
それでも——、
「——わたくしがいなくなって良かったと思わせてよ」
身を翻し、アルトは大きな一歩を踏み出す。
そのアルトを撃ち抜くために、四方八方から礫が飛来する。
『コンサート』を用いてその全てを防ぐのは造作もなかった。
「——不器用な奴だ」
礫の破砕音に、その囁きは紛れない。全部、聴こえている。
アルトの耳がいいことを知ってか知らずか——どちらにせよ、ふざけるなと叫びたい。こっちはあなたの体面を守るために、嫌悪も憎悪も噛み殺しているんだ。
それがシュヴェール家のためと信じて。弟のためと信じて。
——そんなもの、本当に大事なの?
「大事に……決まってるわよ……」
だって、わたくしたちは『家族』なのだから。




