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暁の史記  作者: 焚火卯
第一章
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第九話『剣、一振り』

 天井と空を同時に眺めるという体験も、二度目となると驚きは薄い。

 たぶん次に驚くことになるのは、雨が降ったときだろう。

 それを体験できるかはまた別の話になってくるけれど。


「━━━━」


 フラムの癖毛の、とりわけ強くハネている部分を指で弾いて、フレンは目を細める。

 彼女とは、昨夜も一緒の床に入った。もっとも、フレンは動けないので、彼女が勝手に入ってきたというのが正しいと言えば正しい。

 けれども、殊に拒絶もしなかったので、正しさを追及するのも意味のないことだ。

 今こうして寝ているという事実は、朝を迎えた時点で覆らないものとなった。

 それに、フレンとってもフラムにとっても、これが一番いいのだから、何を言い募ろうとも詮無いことである。


「布団も新調されたしな」


 寝床は変わらず軋むソファーの上だが、二人を包み込む布は布団へと昇格された。

 決して一級品などではなく、ただの一般的に普及している布団だが、なんだかとても心地よかった。

 まだ眠っているフラムの顔つきからも、それは窺える。

 この穏やかで幸せそうな寝顔を見れば、身ぐるみを剥がされたことも、腹の上で爆睡されていることも、髪の毛の先端を食まれていたことも、全部許せる。

 髪の毛はばっちいので、すぐに口から引き抜いたが。


「今日は流石に水浴びしないとな……」


 昨日フラムは大衆浴場にでも行ってきたのか、とてもキレイになって帰ってきた。服装もちゃんとしたものに変わっていたので、フレンの何倍もこの場所にミスマッチだった。

 その反面、フレンはそろそろこの場所に適応してきている気がする。

 人間は知らない地に飛ばされても、三日目ぐらいからだいぶ適応してくるとは言うが、今回はそういうことじゃなく、清潔感的な話だ。

 特に髪のベタつきがやばいと思う。前髪が段々と線ではなく面へと変遷している。

 フラムの言ったいい匂いが、何をもってしてのものなのか、甚だ疑問だ。リップサービスだったならちょっと凹むかもしれない。


「そんなに器用じゃないか……」


 微笑みながら、あの明るくて直情的な笑みを思い浮かべる。

 フラムは、世辞も打算も嘘もついたことがなさそうだ。もはや、単語すら知らないのではないかとすら考えてしまう。

 裏腹に、エールという名のジジイは色々と抱えてそうだが。

 しかし今は、フレンの腹の上で小動物みたいに矮躯を丸めて眠っているフラムを愛でるのに忙しいので、それが終わるまでは見逃しておく。

 あと、ナメた服を買ってきたのも問いただせばなるまい。

 ボロ布の時はまだ仕方ない感じが残っていたが、なまじまともな服になったせいで、能動的に露出している人間になってしまっている。

 王都に入ってから、一向に肌面積が減ってくれない。アトリエで服飾についての考え方が変わったが、流石にこれは肯定できない。

 別に新しく買ってこいとは言わないけれど。お金もないだろうし━━。


「あ、そう言えば……」


 とあることを思い付いて、可能かどうかを吟味する。━━が、フラムがもぞもぞと動いて、目を覚ましたので中断した。


「おねたん……おはよう……」


 フラムはフレンの腹上に跨がったまま、自分の眼をこする。そしてまた、フレンの身体に体重を預けて寝転がった。

 確実に二度寝するであろう姿勢に、フレンは自分ごとフラムの上体を起こして、意識を現実に留めさせる。


「朝は苦手か?」


「ううん。でも、おねたんあったかくていい匂いだから、いっぱい寝ちゃいたくなる」


「……それは、ちょっと卑怯だ」


 そんな説明をされたら、フレンはたくさん寝てくれと身を捧げることしかできなくなる。

 もうすでに、フラムの顔からは眠気がほとんど消えているので、今日は叶わないけれど。


「おねたん、脚治った?」


「いや、まだ動かなそうだ」


「早く動かせるようになったらいいね!」


「━━そうだな」


 昨日もう今日も動かないという事実に変わりはないけれど、確かに回復しているという実感はあった。

 たぶん明日には、つかまり立ちぐらいはできるようになるかもしれない。


「あっ、フラムお助けジジイ呼んでくるね!」


 フレンの上から退いたフラムは、短い足を忙しなく動かしながら部屋を出た。

 背中を見送ったあと、ふくらはぎをさすっていると、数分もしない内にフラムと紙袋を抱えたエールが帰ってきた。


「あんまり急くでない。ジジイは足が回らんのじゃ」


「でもお助けジジイ、きびきび動ける」


「それとこれとはまた別の話じゃのう……」


「別じゃない。いっしょ」


 藹々とした会話とともに、二人が傍へ寄ってくる。それに呼応して、フレンも居住まいを正した。

 そのとき脚がもたついていたからか、エールが杖で床を弾きながらこんな言葉をかけた。


「脚はまだ動かなそうじゃの」


「ああ、まったくだ。……回復はしていると思うがな」


「そうじゃの……立つ程度なら明日にでもできるようになるじゃろう」


 フレンの見立てとエールの見立てが合致して、推測の確度が上がる。

 そのことを内心で喜んでいると、エールが「ほれ」と手に持っていた紙袋を目の前に突き出してきた。

 フレンはそれを包み込むように受けとり「これは?」と質問をする。


「飯じゃ。やはり何事も食わなきゃ始まらん」


 中身を確認すると、そこには塩漬け肉が挟まったシンプルなパンがいくつも入っていた。

 そして確認後フレンはそのまま袋口を丸めて、フラムに手渡す。


「私はいいから、フラムとジジイとで食ってくれ」


 腹が減ってないと言えば嘘になるが、昨夜少しだけ食事を摂ったのでまだ耐えられる。

 ならば二人に食べてもらった方がよほど有意義というもの。お金は有限なのだから。

 そう思い紙袋を手放すと、エールの杖がゆっくりフレンの脛へ伸びてきて、


「━━のわっ!?」


 瞬間、脚全体に謎のくすぐったさのようなものが走る。痛くはなかったが、体験したことのない感覚だったので、大袈裟に反応してしまった。

 フラムが心配そうな顔で近づいてこようとするが、エールがそれを手で咎めて、杖で床を強く叩いた。


「若造が、一丁前に世話を焼くでない」


「━━っ、だが……っ」


「お前さんの懸念通り金はない。じゃのに、飯を食わせる相手は増えておる。じゃがの━━」


 フラムを制止した手で、今度はフラムの頭を撫でる。それからフラムの背を押して、フレンのところへ行くよう促した。

 そして、エールは視界に二人を入れながら先を紡ぐ。


「お前さんらはまだ若い。━━それだけで、十分じゃ」


「━━━━」


「心配せずとも、お前さんらの三食はジジイが確保しちゃる」


 エールはまさしく、お助けジジイだった。

 若者━━フラムとフレンに費やすとそう言ってのけられるのだから。

 だがしかし、切羽詰まっているのも事実。根性で困窮は解決しない。

 フレンとしても、すぐにフレンのせいで二人に心苦しい思いをしてほしくないという気持ちが消えるわけじゃない。

 エールの言葉はそれとして、事実は事実なのだ。

 けれどもフレンはお金を持っていない。━━だが、還元する当てはあった。

 それはさっき、フラムが起きたことで中断した、とある案のことだ。


「ジジイ、お金のことだが……」


「なんじゃお前さん。話を聞いとらんかったんか」


「違う。これは払える払えないの話じゃなく、当て所の話だ」


「なに?」


 実際にフレンは金も金に代わるような物も持っていない。だからこその負い目だったのだが、それは今もなお燻っている。

 だけど、これを完全に鎮火させるため話すのではない。

 そもそも、内容が不可能に近いものなのだ。

 ━━しかしフレンは、エールならばできてしまうのではないかという気がした。


「私が倒れていた場所のすぐ後ろの防壁━━その外側に剣が刺さっている」


「━━━━」


「上等なものだから、売れば結構な金になるだろう」


 王都に侵入する際、鞘ごと防壁に突き刺した剣の存在を思い出した。

 しかし、だいぶ深く突き刺した気がするし、城壁の上から取るにしても下から取るにしても難易度は変わらないだろう。

 フレンでさえ、取れるかと言われれば微妙だ。

 だけど━━、


「ジジイなら取れそうか?」


 フレンの問いかけに、エールはなにかを返そうとして━━、


「━━お助けジジイなら取れる!」


 幼気な声が、先に部屋を鳴らした。声の発生源は、フレンの膝の上でおとなしくしていたフラムだ。

 そして意図してか天然か、発破をかけるようにこう続けた。


「できるでしょ?」


 あどけない仕草で首を傾げるフラムに、フレンはちょっとだけゾッとする。こんなことを言われてしまったら、


「ああ、余裕じゃわい。━━なにせジジイは、お助けジジイなんじゃからの」


 歯を見せて笑うエールを見て、フラムも満足げに笑みを浮かべた。

 その二人を見やりながら、やっぱりかとフレンは嘆息する。

 フラムにあの顔であの声で問われてしまったら、できないなどとは言えないだろう。

 だがしかし、


「大丈夫じゃわい。無理なことは無理と言うわ。まあ、気長に待っておれ。今晩は馳走じゃの」


 心配そうな目つきでエールを見ると、返礼に杖で床を弾きながらそう言った。

 実際どうするのか見当もつかないが、そんな底知れなさに託してしまったフレンであるので、特に何かを言うことはなく引き下がる。


「いってら!」


 無邪気に手を振るフラムに、エールは杖を持ち上げるだけで対応した。

 なんか普通に杖をつかずに歩いているのを見てしまったが、フレンは見なかったことにしておく。


「━━━━」


 フレンの剣が、ささやかながらでも助けになってくれればいいなと、じゃれてくるフラムをいなしながらそう思う。


 ━━この一振りが、後に引き起こすことなど微塵も知らずに。





「さて、出て来たはいいが、どうするかのう」


 貧民街にしてはまともな家屋を出て、白髪の老人━━エールは杖で砂をなぞった。

 どうするかとぼやいたのは、どうやればいいのか困っているということではない。困っているのはそこよりも前の問題とも言えるし、捉えようによっては後の問題とも言える。

 防壁に刺さった剣を抜き取るのは、エールにとっては容易なことだ。

 だから、取る方法に悩みはしない。━━悩むのは、取った後のことである。

 しかしそれを解決するのは、もっと前━━下手すれば十年ぐらい遡らなくてはいけないのだから、難儀なんていう次元の話ではない。


「賭け、じゃのう」


 それも、人生で最大になるであろう大博打。チップがなにかは言明するまでもないが。

 もっとも、ここまで大きく出ておいて、まったくの肩透かしという結果に終わる可能性もあるのだけれど。


「それが理想なんじゃがの」


 だが、それが叶わないことは後ろ向きの信頼で保証されている。

 むしろ、ここまで来れたことが奇跡みたいなものだ。

 ならばもうそろそろ、打ち止めでも不思議ではない。


「ま、なんでもいいがの」


 どうせなんでも時間の問題だ。賭けとは言いつつ、初めからそうするつもりではいた。

 ━━フラムの直情に、自覚させられた瞬間から。


「さっさとやってしまうかの」


 そう言って目を細めたエールの先には、王都の外側の景色が広がっていた。

 本来、貧民街側の防壁は、登ることを想定していない。

 だがしかし、以前にこの壁に迎撃機構を設置するという案が出たことはある。もっとも必要性があまり感じられず、計画は早々に打ち切られてしまったのだが。

 けれども、工事は確かに始まったのだ。

 故に、たった一本だけ、柱に螺旋階段がついている。

 そこへの入口は埋め立てられたけれど、中身の螺旋階段自体は残っているので、壊してしまえば簡単に上に行ける。

 そうしてエールは防壁の上に来たが、本番はここからだった。


「だいぶ深く刺さっておるのう」


 眼下、ほぼ柄しか出ていない剣を視認する。

 位置的には真下四メートルといったところだ。思ったより上にあって、少しだけ安心である。

 けれども手が届く位置ではないのは確かなので、どうにかこうにか取得しなければならない。


「久しぶりじゃが……」


 鈍っていないことを信じながら、杖を思いきり地に叩きつける。

 すると、小さな破壊音とともに、深々と突き刺さった剣が壁から吐き出され、空へと放り投げ出される。

 それを風魔法で、ちょいと引き戻した。


「余裕じゃの」


 今しがた手に入れた剣を鞘から引き抜いて、状態を確かめる。

 しかし鞘が無事な時点で、中身は大体わかるだろう。


「傷一つ無し。一級品じゃのう」


 初めて触れる感触に浸っていたくなるが、それはすぐさま振りきって剣を鞘に戻す。

 これは売り物だ。金に換えるもの。言い聞かせて、携える。

 しかし━━、


「━━振りたくなってしまうのが、人情じゃのう」


 かつて戦いに携わっていた身として、そう思ってしまうのは仕方のないことだった。

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