プロローグ『さようなら』
赤く燃え盛る戦場に、剣を一振り携えて立っている女がいた。
それに相対するは、百は優に超えるだろう敵。しかし、彼女を心配するものなど一人もいない。
なぜなら、
「『暁の戦乙女』━━ッ!」
「あまりそれは言ってくれるな。━━好きじゃないんだ」
彼女はノンダルカス王国の最高戦力であり、この世界においての最強だった。
だから、負けることに対する心配など必要ない。彼女を殺せる者など、一人もいないのだから。
「仲間の仇、取らせてもらうぞ!」
「馬鹿言うな。先の兵士たちが仲間だと?」
「ああ、そうだ! 何がおかしい!」
嘲弄めいた物言いに、目の前の男が激昂する。
どうやら、本気で理解していないようだ。
「いや、何でもない。すまなかった。国が違えば、辞書の内容も変わるということを失念していた。仇討ちとやら、続けてくれ」
私の皮肉に、男はさらに顔を赤くして憤慨する。あやつの方が、よっぽど暁という言葉が相応しいだろう。
ちなみに事の内容とやらだが、見てればいずれわかるので説明は省く。
ともあれ━━、
「貴様━━ッ!」
どうやら挑発は成功したようで、部下を置いて男が一人飛び出してくる。
成人男性ほどの大斧を抱えながら高い敏捷性を維持できていて、中々に手強い相手だなと思う。━━それが、常人であったならば。
「なっ!?」
男の渾身の一撃を、私は右脚だけで止める。
その光景に、男は凝然と目を見張った。
「生身で受け止めるなど……」
「生身じゃない。私をなんだと思ってるんだ」
流石の私とて、手練れの斧撃を生身で受ければ確実に切断される。今回はすね当てを仕込んでいた。加えて、受け止めたのではなく打ち合わせたという方が正確だ。
そも、金属音が鳴ったろうに。何を聞いていたのやらだ。まあ、いちいち教えてやったりはしないが。
その代わりに、
「━━ぐっ!」
男が何故、苦鳴を洩らしながら吹き飛んでいるのか、理解できたものが果たして何人いるだろうか。
それは刹那の出来事だった。
距離を取ろうと後ろに跳んだ男に、追い付いて足裏を叩き込んだ。それがただ速すぎただけのこと。
吹き飛ばされた男の身体が、奥の木に当たって地に落ちた。
「命が惜しいのなら、帰るなりなんなり好きにしろ」
どよめく兵士達に聞こえるよう、私は言い放った。
だが、結果は別に変わらないのだろうなと、言いながら気が滅入っていた。
「そんな恥、さらせるか━━!」
兵士の一人が声を上げて、それに不賛同の者はいない。みな愛国心を持って━━というわけでは決してなかった。
兵士の瞳には何かを想う気持ちなど微塵もなく、ただただ純然な怯えだけがあった。
強大な敵に相対してではなく、もっと身近な存在に対して、死を予感していた。
「どんな指導をしてたのやら……」
ここにいる者だけでなく、ここより前に倒した兵士も、一人も余すことなく同じ目をしたのでまったく気味が悪い。
だというのに、あの男は本気で仲間などと嘯くのだから傑作だ。
しかしながら、理由はどうであれ刃を向けた以上は、その責任を負わなければならない。手加減無用だ。
「━━━━」
携えていた剣を抜いて、私は駆け出す。
━━兵士百四十二名を倒すのにかかった時間は、たったの二分四秒だった。
「ちゃんと指導していれば、もっと統率のとれた強い部隊だったろうに」
血溜まりが広がっていくのを足で感じながら、もう二度と目を開けない兵士達を憐れむ。
「━━それで、仲間を失ったお前は、何を語ってくれる?」
木に体重を預けてへたっている男を、叩き起こす。
気絶こそしているが、怪我自体はそこまで酷くない。せいぜい軽い脳震盪が起きたぐらいだろう。
だってそうなるように、調整したから。
彼が一人で突撃してくるよう挑発し、無手を演じて無意識に侮らせた。━━全ては、この状況を生み出すために。
結果は成功。彼はゆっくり目を開けた、
「貴様か……『暁の戦乙女』」
「だから、それはやめてくれ」
「ならば━━フレンよ。我に一つだけ教えてはくれないか」
今だなお男は斧を握っているが、それを振るう気力は無さそうだった。
起きた瞬間、暴れられるかと思っていたが、予想は大外れだ。
「我らは、負けたのか……?」
「そうだ」
私の回答に、男は何かを噛みしめるように目を伏せた。
しかしすぐに面持ちを取り戻して、私に問いかけをする。
「それで、我を生かしたのには、理由があるのだろう?」
「ああ。私も貴様に一つだけ聞きたいことがあってな」
迂遠な手段を使って彼を逃がさないようにしたのは、すべてこの時のため。
ここが戦場になった瞬間から決めていたこと。
「━━私の敵は、なんだ?」
剣の柄に触れながら、焦燥とともに彼の言葉を待つ。
期待に反して知らないや分からないという返答になるかもしれないが、それならまた同じ事をするだけだ。
━━そして、幾ばくか間が空いた後に、彼は言葉を紡いだ。
「そうか」
もはや、そう答えるしかなかった。
もっと怒ったり悲しんだりするべきだったのかもしれないけれど、不思議とそんな感情は湧かなかった。
「お前はこれから二陣目と戦うのか?」
「いや、そんな気力はない」
「ならば、どうする」
問われ、瞑目する。
敵の前で目を瞑るなど、愚かしいにもほどがあるが、私にはもう関係のないことだった。
「━━自殺するよ」
口角を上げながら告げる私に、男は鼻白む。
しかしそれだけで、止めたりはしない。当たり前だ。彼は私を殺しに来たのだから。
だけど私は、彼を殺しに来たわけじゃない。━━誰かの死を望んだことなどない。
だからだろうか、最期にこんなことを口走ってしまったのは。
「お前はもっと部下に思いやりを持て。━━それと、悪かった」
暁のような赤橙色の髪を靡かせながら、女は燃え盛る戦場に吸い込まれていく。
━━しばらくして、何かが水面を叩いたような音がした。