会見
会見の場が持たれたのは、皆が坑道へ行ったのでからになった建物だった。クズ石を運ぶのにつかうかごやざるが、壁に立てかけてある。それらは年季が入っていて、一部が破れていた。修繕してつかうか、それとも廃棄するか、決めがたい程度の壊れかただ。
これ以上派手に破れていれば、監督官にあたらしいものをねだれる。坑道での作業に必要なものであれば、監督官は彼らに惜しみなく与えた。ざるやかごは勿論、たいまつやそれにしみこませる油、火打ちがねなども。もっとも、つるはしや天秤棒などの武器になりそうなものに関しては、数の制限があったし、作業に直接関係のない服については簡単にはもらえなかった。
ざるもかごも、これ以上控え目な壊れかたであれば、少ない道具を駆使して、もともと職人だった連中が直す。それくらいのことのできる者は、居た。そういった優秀な職人達が一体どんな理由で流刑になったのか、ファルシオンには想像もつかない。
その建物に集められているざるやかごは、直せそうな、そうでもないような、判断しがたい壊れ具合である。職人ならどうにかできるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。枠の部分はまったく無事だが、看過しがたい穴が開いている、というのがほとんどだった。
監督官は、一番綺麗なベッドに腰掛けている。
左足の裏をベッドへつけて、そちらの脚を左腕で抱えるようにしていた。目付きは悪く、顔色も相変わらず悪い。脚になにか問題があるのかもしれない。せなかが少しまるまって、姿勢は悪かった。あのような格好を、もし、以前のファルシオンがしていたら、魔導師辺りに鞭打たれたろう。監督官は流刑人達におそれられ、兵士達も監督官には礼儀を払うから、おそらく貴族なのだろうけれど、それにしては「貴族らしさ」に欠けている。横柄さはあるが、けばけばしいような、大仰な態度は、見えなかった。
監督官の隣には、兵士が居る。朝、採掘の様子を見に来る監督官が、たまに連れている兵士ふたりのうちの、ひとりだ。護衛官だろう。くらい目付きの、やはり顔色の悪い男だ。監督官やこの兵士と比べれば、流刑人のほうが顔色がいいのではないだろうかと、ファルシオンは一瞬そんなふうに考える。
兵士は嵐の為か、怪我をしているようで、頭や手首に包帯をまいていた。ファルシオンよりも大柄で、体に厚みがある。この間死んだアンシューよりも、立派な体格だった。食糧事情がいいから、という言葉で片付けられるものではない。上背があるし、あの厚みは、相当に鍛えている証拠だ。それにしては不健康そうだから、魔力坑の傍に居るのが体に合わないのかもしれない。
革製の頑丈そうなベルトをつけ、そこに錘をさげていた。随分、重みがあるように思える。ファルシオンをちらりと見るが、脅威はないと判断したらしく、すぐに目を逸らす。
もし、魔力坑の傍に居ることで体調を崩しているのなら、それを治せる、ソワンをつかえる人間が、監督官の傍には居るのではないだろうか。ファルシオンはそれに思い至って、思わず息をのみそうになり、こらえた。そうだ。監督官だって、あまり体調がいいようには見えない。
魔力坑の傍に長く居ると、体に毒がたまっていくみたいに、魔力が徐々に徐々に影響する。外からはいってくる魔力に撹乱されるのだ。なんでもないように見えたのに、不意に息が詰まってしまって死んでしまう者も居る。幻に欺かれ、溶岩流へ飛び込んでしまう者も居る。アディアの母のように、体内に魔水晶に似たものができてしまい、切ってとりだす者も居る。体の表面近く、それも、大きな血管とははなれた場所なら問題ないが、首や腋などにできてしまうと、手の施しようがない。
ソワンという魔法があれば、外部からの魔力による異常でも、治療できた。監督官は貴族だ。ソワンをつかえる人間をつれてくるくらい、簡単なことなのではないか。
あの女がソワンをつかえるのかもしれない。
ちらりと、ファルシオンは目を遣って、すぐに伏せた。ふたりから距離をとって、あの女が立っている。
エミリル、だ。
傍で見ると、黒に近い茶色の、とても長い髪をしているとわかった。今日もやはり、額を覆うような飾りをつけ、淡い色合いの布を被っているが、その向こうにちらちらと見えるのだ。髪は、普段ここでファルシオンが目にしているような、脂じみたものではなかった。さらりとして、やわらかそうで、塊になっていなかった。頻繁に洗えるのだ。もしくは、洗ってもらえるのだ。湯やせっけんを用意して。もしくは、誰かに用意させて。
顔を直視できなくて、髪を見ていた。エミリルの造作は整っているらしいのだが、目や口許が人間と違い、そのわずかな違いがおそろしい。魔物のように人間とまったく違う格好ならばおそろしくないのに、人間に見えるけれどどこか違うエミリルに対しては、内臓が凍りついてしまったみたいな恐怖を覚える。気色の悪さを感じる。だからファルシオンは、ずっと髪を見ていて、勇気を奮い起こしてエミリルの顔を見、またすぐ目を伏せる。もしくは彼女が手にしている大振りな魔水晶を見詰め、ちらりと顔へ目を移して、またそらす、というのを繰り返していた。あの目はなんだというのだろう? あの、黒目が異常に大きな目。それに、口も、なにかが変だ。なにかがおかしい。
伏し目がちなファルシオンの傍には、ジュニが居た。まるまったせなかを更にまるめるようにして、監督官へ頭をさげる。へりくだった態度に、監督官は目をくれる。尊大な表情だった。「卿、つれてきました。彼が、あの魔水晶を見付けた、ファルシオンです」
「ああ」
監督官は横柄に応じ、億劫そうに左足を床へ置いた。脚で隠れていたが、その傍らには、あの魔水晶を置いてある。屋根と壁の間にあるすきまからかすかにさしこんでくる、弱々しい日光で、それは独特のかがやきを見せた。夜、坑道のなかでも、ごくわずかに光っていたのだが、日光をうけるとその光は格別だった。これまで見た魔水晶のなかで、一番……心惹かれる。
監督官は無造作に、魔水晶をとりあげた。ぽんと投げ、うけとめる。ファルシオンを見詰めながらだ。ファルシオンは目を伏せて、そちらを見なかった。不用意に視線を向けて、それが気に障ったのか、暴力に訴える人間は、これまで何人も見てきた。そういう人間に、数え切れないくらい殴りつけられていた。鞭打たれてきた。まともに目を見て喋れるのは、アディアやゼフトン、ジュニくらいのものだ。ほかの流刑人達を疑う訳ではないけれど、ファルシオンは自分に、他人をいらいらさせる性質があると思っている。そのように云われてきたから、そうなのだろう。
ずっと。
監督官は魔水晶をしっかりと掴み、腕を伸ばした。護衛官がすっとすすみでて、魔水晶を両手でうけとる。丁寧に、会釈しながらだ。そうすると、襟で隠れていた首がわずかに見えて、そこにも包帯がまかれているのに気付く。嵐ではなく、魔物退治でもしたのかもしれない。
監督官は護衛官を、軽く睨んだ。
「ジクエフ、丁寧に扱えよ」
「はい、卿」
「間違っても額にあてるな。……ああ、お前は怪我をしてたな」
「はい、卿。アレニエにやられました」
ジクエフと呼ばれた護衛官は、かすかに声を震わせた。大柄な体躯に似合わず、声は細い。「自分よりも大きな魔物というのは、あまり戦いたいものではありません、卿」
「そりゃあ悪かったな」
監督官は申し訳なそうには見えない。ジクエフも、謝罪を求めているのではないようで、くいっと肩をすくめるて額の包帯を触るだけだった。包帯のようなうすい布でも、魔水晶から魔力を体へ移す妨げになる。
「ファルシオン」
呼びかけられて、ファルシオンはびくりと、身をすくませる。
呼びつけられた理由は、先程のジュニの言葉でわかっていた。あの魔水晶を掘り出したことになっているからだ。マティブの意図がわからず、また、アンシューとのことを目の当たりにしていたので、ファルシオンはマティブの言葉を訂正できなかった。違う、自分が掘ったのではない、と、云えなかったのだ。
マティブは、ジュニとゼフトンには本当のことを喋ったようだが、その情報は一部の人間達が共有するのみだった。ファルシオンと同じ坑道に這入っている仲間達は、あの夜マティブに云われたことを忘れていない。あれだけの大きさの魔水晶を見せられ、それを掘り出したのが誰か聴いて、忘れる者はないだろう。
マティブがしたことを隠す、というのが、ジュニやゼフトン達古株の決めたことだ。そうなると、マティブが一番最初にした説明を、そのまま通すしかない。だからこの島に居るほとんどの人間にとって、あれをとったのはファルシオンなのだ。
ジュニは監督官にも、勿論そう報告したのだろう。普通、魔水晶を誰が掘り出したかなど話すものではないが、あれだけの大きさ、そしてかがやきの魔水晶だ。監督官のほうから、これは誰が採ったものだ、と聴く可能性はあった。
大きな、そして魔力の濃い魔水晶というのは、監督官にとっては大きな加点になると聴く。自分の監督している魔力坑からそういったものが出るのは、監督官にとっては嬉しいことだ。それを掘り出した流刑人に、なにかしらのことをしようとする可能性はあった。例えば、チーズをひと欠片くれるとか、つるはしを新調してくれるとか、或いは単に労うとか。
どれでもいい。はやくこの会見を終えたかった。これは、似ている。魔導師にできもしないことを強要されるあの感覚に。木剣を持った剣術指南役に、素手で立ち向かわないといけないあの感覚に。なにかにおしつぶされそうになっているみたいな、いやな感覚がある。
ジュニが不安げにこちらを見ている。ファルシオンはそれに気付いたけれど、どうにもしようがなかった。咽がぎゅっとしまったようになっていて、息が苦しい。
監督官は膝に腕を置いて、前のめりになった。下から、睨むような強い眼差しを、ファルシオンへ寄越す。
「よくやってくれた。この魔水晶はいいものだ。凄くな」
その声は、表情と違い、かなり穏やかなものだった。ファルシオンはそれに戸惑い、なにも返せない。かりに労われるとしても、尊大か、居丈高か、傲慢そうか、とにかくあまりいい感情を向けられはしないと思っていたのだ。
おずおずと目を向ける。監督官は、しかし、やはり強い眼差しで、ファルシオンをみていた。
すっと、その眼差しが、エミリルへ向く。占い師の女は、小さく頷いた。なにか示し合わせていたのかもしれない。
監督官はジュニへ顔を向け、顎をしゃくった。
「あとはこいつと話す。お前は自分の仕事をしろ」
ジュニは怯えたみたいに口をかすかに開けたが、なにも云わず、お辞儀して、出ていった。
ファルシオンはそこへとりのこされた。監督官と、護衛官と、気色の悪い占い師の女と一緒に。