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運を天に




「なあファル、ここの連中がどうして腑抜けているか、考えたことはあるか? なあ? 可愛い子ちゃん」

 アンシューは上機嫌だった。つるはしで高らかに音をたてながら、坑道の壁面を叩いている。普段、クズ石拾いでファルシオンが聴く音とは、それはわずかに異なっていた。岩盤を叩いてしまった時の高い音でもない。湿度のある、ねっとりと粘るような音だ。「俺はこんなところにジュニ達みたいに長い間居るのはごめんだぜ。普通そうだろう。普通の人間ならな。あいつらはそういう普通の人間らしさも失ってる」

 嵐の所為かもしれない。監督官の、というかおそらく、あの不気味な女の云ったとおり、島には嵐が訪れていた。酷い雨と風で、坑道も、出入り口辺りは水浸しになっている。ここに来るまでで、雨に打たれ、ファルシオンはずぶ濡れになっていた。間断なく空がごろごろと鳴るのは、まるで天の怒りのようだった。そんな意思が天にあるのかはわからない。ファルシオンは王子として、神についても学んでいたし、正しき信仰を持つように勉強もしていたが、いまいち神というものを信じ切れていなかった。まともに宗教儀式には参加していないし、神云々と口にする魔導士や剣術指南役達は、ファルシオンを人間として扱わない。森の神に愛された人間であるのなら、同じ人間を敬ってもいいようなものなのに、そうしてくれない。あの、盲目の流刑人の云うことは信じたいけれど、その言葉の大元にある「神」というものについて、懐疑的でいざるを得ない。


 アンシューは、上体をさらしていた。彼も頭のてっぺんから爪先まで、しとどに濡れている。せっけんもなく、叩きつけて汚れを落とすしか洗濯方法のない島では、その為に服というものはあまり洗わないし、大概が酷く傷んでいる。洗濯に具合のいい石に叩きつけられるのだから、当然だ。栄養状態の悪い女達の細腕でも、的確に布を痛めつけられる。アンシューがぬいで、ぎゅっとしぼった服も、服なのかただの布なのかわからないような、うすっぺらくてうすぎたない代物だった。

 アンシューはそれをしぼりながら、女どもの手間を省けたな、と、そんなふうに面白くもないことを云った。ファルシオンがそれになにも返せなくても、満足そうだった。

 当然だ。物凄まじい風の音と、絶え間ない雷、それに滝のような雨のおかげで、つるはしで作業しても、音に気付かれない。音がなくなる訳ではないが、嵐の音でかき消えてしまう。二番目に坑道に近い建物にこもっている男達だって、これに気付くことはない。アンシューの機嫌がいいのは、それでだった。


 ファルシオンは、黙って、アンシューの後ろ姿を見ている。座り込んで、体の痛みをどうにかしよう、と考えながらだ。考えてはいたが、魔法をつかうつもりはない。アンシューに気付かれたら、なにをされるかわからない。すでに、充分痛めつけられたというのに。

 アンシューは、これまでと違った。逆らいようがなくて、結局建物をぬけだし、大雨のなかをやってきたファルシオンに、乱暴なことをした。それについて、ファルシオンはおそらく一生忘れないだろうが、一生語ることもない。こういうことは、これまでもないではなかった。痛みが消えてくれれば、と祈ってみたが、どうにもならないので、また神に対する不信がつのる。そんなものは居ないと考えてみたが、それも不都合だった。少しずつだが、魔物を殺すことで、ファルシオンの魔力は増えている。それが森の神の加護でないのなら、一体なんだというのだろう。

 アンシューがつるはしをおろし、壁面へ立てかけた。粗末なたいまつの明かりが、彼を実際以上に大きく見せている。くっきりとした影が、彼を気色の悪い、なにか人間に似た、けれど人間ではない、奇妙な生物、魔物ですらないなにかに見せている。

 アンシューは振り返り、ファルシオンの腕を掴んだ。獣のような唸りは、吹き込んできた風で消えていった。




 体中の骨を別のものに入れ替えられたような、そんな心地がした。関節がぎくしゃくとしか動かない。少し体を動かすと、どこかでばきばきと音がする。

 アンシューはつるはしで、土を抉っている。土を掘り返し、貫き、浸食する。無遠慮に征服している。アンシューの特性は()()のようだった。厚かましい、破廉恥な、侵略者。なにかを征服しないと気がすまない、それなのに怯えている、臆病者。

「俺は考えてみたんだ。そして結論を得た。あれは監督官の所為だとか、ここの環境の為だとか、そういうのじゃない。結局帰結するところは王家なんだ」

 腑抜けだ、と周囲を批判する割に、アンシューはしかし、気骨のある行いはしない。腑抜けているのはこいつだ。

 そして、こいつは脅威では()()のだと、不意にファルシオンは気付いた。まったくもって脅威ではない。こわくない。おそろしい者ではない。

 何故って、あの気味の悪い、人間に見えない女が、占い師が、アンシューを放っているからだ。

 アンシューはファルシオンの考えることがわかったみたいに、歌うように云った。

「なあファルシオン、森の愛し子、お前はこう考えているんじゃないか? でもあの監督官には、薄気味悪い女が居るじゃないか。気色の悪い女が。そんなふうに。でもあれはたいしたものじゃない。要するに、妖精だ。ただの。監督官の為にしか動かないし、それも自分の保身の為だ。なあファルシオン、この国に居る、ああ、ここがスブムンド王国だなんて信じられない話だが、まあそうなんだろう。ここの魔水晶が都へ送られている訳だから、ここは王国の領土である筈だ。だろう? ここの人間も王国の民だ。かけがえのない王国の民だ。あの女だってそうだな。妖精だがまあ民としてやろう。何故この国の民は、自分の身をまもることに腐心しているか、わかるか? あの女は、自分の身をまもる為に監督官にへつらっている。監督官は、自分の身をまもるために役人にへつらっている。役人は、自分の身をまもる為に軍にへつらう。軍は王家へへつらっている。な? そういうことだ。結局は王家なんだ。王家の顔色をうかがって、誰もが生きているんだ。虫みたいに殺されたくないから、王家を敬うふりをしているんだ」

 アンシューの理屈はねじれ、どこかいびつだったけれど、ファルシオンはそれに反論する術を持たない。誰しもが王家の顔色をうかがっている、誰しもが王家の意向に振りまわされているというのは、決して間違いではないと思ったからだ。実際のところ、彼自身、王家の為に振りまわされてきた一生だった。産み落とされた瞬間から、王家の為に狂わされてきた一生だった。

「俺はそれは間違ってると思う。自分であるべきだ、人間が第一に考えるのはな。王家もなにも知らない。王家が俺達に飯をくわせてくれたか? クソの世話をしてくれたか? そういうのは全部俺達が自力でしてるじゃないか。それどころか、あいつらの飯やクソの世話まで俺達がしてる。魔水晶を手にいれて献上することによってな。あいつらが俺に礼を云ったか? なあファルシオン、第三王子殿下よお」

 アンシューはそう云い、不意に体の向きをかえた。つるはしがファルシオンの傍、すぐ左の壁面を叩く。土塊(つちくれ)が飛び、顔へぶつかる。ファルシオンは目を瞑り、体を強張らせる。


 それから、光に気付いた。


 うっすら目を開けると、アンシューがぽかんと大口を開けていた。彼は、ファルシオンではなく、なにか別のものを見ている。

 じっと、魅入られたように、見詰めている。

 目だけで左を見た。

 鈍く、紺碧に、光るものが、そこにある。

 奇妙に、つやつやと、光るものが。


「やった」

 アンシューはささやいて、それに手を伸ばした。「やった」

 彼がその続きを云うことはなかった。というよりも、続きなんてなかったのだろう。魔水晶が見付かったのだ。言葉は要らない。あとは運を天に任せ、魔水晶を額へおしつけるだけだ。

 アンシューはそれを掘り出そうとした。おそらく。彼は手で、それに触れた。

 その瞬間だった。坑道の出入り口方面から走ってきたマティブが、アンシューに当て身をくらわせた。ファルシオンが呆然としている間に、マティブはアンシューの手からつるはしを奪い、振り上げた。




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