信仰心と怨嗟は両立する
島にはたまに、悪天候の日があった。風が吹いて、女達がぼやくような日だ。火をつけること、火を維持することが難しいし、洗濯をするのに苦労する。また、当然だが雨が降る日もあった。そういう日は、女達のつかっている建物で粥がつくられ、運ばれてくる。あの建物にはかまどがあるのだ。だが、普段は薬をつくるのにつかっており、材料やなにかの混乱を避ける為に料理をそこでするのは、女達はいやがる。洗濯はできても寒さで具合を悪くする女がかならず出るし、森をうろつくエルブルがほぼかならず増えるので、薪拾いはできない。川縁のアーブルも元気になるとかで、洗濯もいやがっていた。
それでも、酷い悪天候は、それまでファルシオンは経験したことがなかった。だが、その日ははじめて「警告」された。
「今日、明日は、作業は休みだ」
朝、いつものように広場へ行くと、粥を用意する女達を横目に、ジュニが喋っていた。ファルシオンは眠たい頭で、それを聴いていた。
アンシューに捕まった夜から、数日経っている。さいわいなのは、アンシューとファルシオンはどちらも大柄で、体にまだ厚みがあるので、別の組になっていることだった。ジュニはひとつの坑道に這入る組に、基本的にふたり以上は大柄な者を組み込まない。
流刑人達がしているのは、魔水晶をほりだすという作業だ。目標である魔水晶は、幾らでも手にはいるようなものではない。ひとつの坑道を何日掘ってもひと欠片も出ないなんてことは、ざらにある。その間も、魔水晶ではないクズ石は多くほりだされる。それを外へ運び出す仕事は、誰かがやらないといけない。
流刑人達は栄養状態が悪く、長く島に居るゼフトンは痩せているし、ジュニも長年の作業が祟って、痩せるだけでなくせなかが大きく曲がっていた。そうなると、魔水晶の鉱脈を見極め、丁寧にほりだす作業はできても、クズ石運びはできない。
どの組にも、クズ石運びをする人間は絶対に必要になる。クズ石がたまると、採掘担当は作業をしづらい。ジュニはだから、体格がいい人間を同じ組にせず、均等にすべての坑道へ振り分け、それが不可能でも次に動きのいい者を割り当てるなどしていた。そうしなければ、クズ石を運び出す人間が居ない、力仕事を任せる相手が居ない、と、不満が噴出するからだ。
組が別で、昼間、作業する坑道も、運よくはなれていた。その為に、ファルシオンはアンシューとは違う建物で寝起きしている。アンシューが、仮に夜、坑道へ忍びこむとしても、わざわざファルシオンを起こしに来ることはない。昼間はひと目があるので、夜の話はできない。アンシューができることは精々、にやにやと、謎めかした思わせぶりな視線を寄越すだけだ。それも、数回しかしてこなかった。
だからファルシオンがアンシューに捕まるとしたら、同じ時間帯に建物から出たとか、ファルシオンが森から帰った時にアンシューが広場に居たとか、そういう偶然が原因だった。
その偶然は、あのあと二度、起こった。アンシューはファルシオンを捕まえ、彼お気にいりの坑道へひっぱっていったが、さりとて作業の手伝いを強制することもない。ファルシオンは座り込み、まるまって顔を膝へ埋め、耳を塞いで抵抗した。アンシューはおかまいなしで、間断なく呪いの言葉をささやき続けた。ファルシオンめがけて。
聴きたくもないのに聴こえるその恨みのこもった声によって、ファルシオンはアンシューがどうして島へ送られたかを知った。彼は賭け事に熱中していて、その為に財産すべてを失い、貴族の傍仕えも辞めざるを得なくなったそうだ。彼はあろうことか、賭けられるものがなくなったあと、勝手に自分の従兄弟の命を賭けたらしい。それが露見して親族からは縁を切られ、職を失った。
同情できるところはあまりなかったが、けれどファルシオンは、アンシューを突き放すこともできなかった。
こわいのだ。
アンシューからはなにか、迸るものがあった。にじみでるものがあった。滴っているものがあった。ファルシオンはそれがおそろしかった。アンシューは、人間の原初的な力のようなものを感じさせるのだ。また、彼は森の神の熱心な信徒であるらしく、度々そのことを口にした。ファルシオンを森の愛し子と呼ぶことさえあった。それが一体、どういう意味なのか、なにを云いたいのか、宗教儀式にろくに参加できず、まともな信仰心を育む機会はついぞなかったファルシオンにはわからない。その得体の知れなさも、ファルシオンの恐怖の理由だった。
彼はアンシューに恐怖を覚えていた。原始的な力を迸らせ、憎しみをささやきながら手にはいりそうもない魔水晶をさがしもとめるアンシューに。復讐をしつこく口にしながら、森の神への敬意にあふれ、死ねばくだらない人生が終わって清々すると云った次の瞬間には生きていることへの感謝を口にする彼に。
それでも、森へ行って魔物を狩ることを続けたのはひとえに、アディアの為だ。魔力を鍛え、ソワンをつかえるようになれば、アディアの母を助けることができる。ファルシオンは、アディアが母親を失って泣く姿を、見たくなかった。
もっと見たくないのは、母親が死んでも彼女が泣かずにいるところだ。それはアディアの、精神的な死を意味する。母親の死によって彼女の魂が完全にすりきれてしまうことは、ファルシオンがもっとも避けたい事象だった。
昨夜も魔物を幾らか狩り、睡眠時間が短かったファルシオンは、アンシューが近付いてくるのを目の端に捉えて身をかたくした。途端に、完全に目が覚め、ジュニの言葉が耳にはいる。
「監督官さまが、そのようにおっしゃる」
「そのようにってのは?」
マティブが遠慮がちに手をあげ、云う。マティブは少々、頭が鈍いと云われているが、ファルシオンはそれを信じていなかった。賢いように偽装することは難しくても、間がぬけているように、ばかなように偽装するのは、誰にでもできる。精度が高いかどうかは別として。
「今月の採掘量が、先月よりも少なくても、監督官さまはわたし達を咎めないとおっしゃった」ジュニはやわらかく、根気強く云う。「嵐が来るそうだ。だからどうせ、船も来ない、と」
「おかしな話があったものだ。魔水晶よりも俺達の命を心配してくれているのか?」
「本当に。大体、こんなに天気がいいのに……」
ファルシオンと同じ船でやってきた連中が言葉をかわし、大袈裟なくらいに頷いた。ファルシオンよりもあとにやってきた連中もだ。坑道で重たいものを運んだり、汚い空気を吸いこむことは、彼らにとって決して嬉しいことではない。休めるのは嬉しい。だが、採掘量が少なくてもいいというのにひっかかっている。そういう口ぶりだった。嵐が来るという予測についても、あまり信用しているふうはない。
ファルシオンは、なにかを糊塗する為に流刑人達をとじこめておきたいのだろうか、と思ったが、すぐに思い直した。監督官には、あの気味の悪い女がついている。
古株連中はそれを知っているらしい。ジュニがくわしい説明をする前に、得心した様子だった。彼らの心配ごとは、監督官の不可解な言動ではなく、もっと実際的なことだった。「飯はどうなる?」ゼフトンが云い、ジュニが頷いた。「監督官さまが、チーズをくださった。朝飯が終わったら家に配る。そのあと、皆で水を汲んで運び込む」
アンシューが、しゅっと鋭く息を吐く。
粥を炊くこともできなくなるかもしれないらしい。だから、それぞれの今日と明日の食糧として、各建物にチーズが配られた。けれどそれは、かなりいい待遇らしい。古株連中は驚いた様子だった。「今回は、気前がいいな」「ああ」
「ファル」
女達がチーズの包みを建物へ運び込むのを見ていると、耳許でアンシューがささやいて、ファルシオンは身をすくめた。アンシューが傍に来ると、それだけで肌が粟立つ。彼の、人間の原初的ななにか、原始の力を感じるのが、それに身をさらすのがおぞましい。彼の前に立っているのは苦痛だ。間違いなく。
アンシューはなんでもないみたいな顔で、なんでもないみたいに、ごく小さく云う。「今夜はつるはしをつかっても大丈夫そうだな、可愛い子ちゃん」