噂
「ファル、どうしたの?」
朝、粥をもらいにファルシオンが広場へ行くと、アディアが不安げに云いながら近付いてきた。ファルシオンは小首を傾げる。
昨夜、エルブルを殺した。すべて殺すことは出来なかったが、目についたものをある程度排除することは出来た。魔力がどれだけ多くなったかどうかはわからないけれど、体を癒す魔法……ゲリールを一回つかっても、そこまで魔力が減る感じはしなかった。
治療は済ませてある。だから、ファルシオンは、アディアがなにに反応したのか、わからない。
アディアはファルシオンの腕を軽く掴んで、不安そうに見詰めてきた。ファルシオンと同じ小屋で寝起きしている男達が、くすくす笑いながら、ふたりからはなれていく。「邪魔しちゃ悪いぜ、俺達は退散しよう」
「ファル、少しくらい遅れてもいいぞ」
「ゼフトンには俺達から云っておくから」
ファルシオンは男達に短く礼を云い、男達は手を振りながら粥をもらいに並ぶ。アディアがファルシオンの袖を掴んだ。
「ファル、なにかした?」
「え?」
「こわい顔してる」
彼女にはなにもかもわかってしまうのかもしれない。
ファルシオンは微笑んで、頭を振った。魔物を殺したのは、誰に誇るようなことでもない。夜、くらいなかで、魔物と戦うのは、魔法がなければ難しいことだ。それをした、と知られて、いいことはない。
死骸は溶岩流へ沈めて始末した。もし、どこかにひっかかって溶け残ってしまったり、見落としがあって森へ放置してしまったり、そういう死骸があっても、魔物同士の争いだと思われるだろう。ドゥブルもたまにうろついているし、よく同じような場所に居るエルブルとアーブルにしても、味方同士という訳ではない。魔物は、同種以外は大概、敵とみなし、縄張りへ這入れば襲う。人間では理解できないほんの些細な位置の違いで、敵対するか、無視するかがかわる。
「なにも、ないよ」
「ほんとう?」
「うん……」
「……わかった」
アディアはさっと、顔を背ける。「危ないことは、しないでね」
アディアの願いを叶えてあげられないのは心苦しいけれど、もっとずっと大きな目的の為には仕方がない。
ファルシオンは粥を食べ、クズ石を運ぶ仕事をこなした。昼頃、ゼフトンが大物の魔水晶の鉱脈らしきものをほりあて、ジュニを呼んだ。魔水晶の鉱脈らしきものが見付かるとそうやって、魔水晶を見慣れている、この島が長い連中が呼ばれる。そこに、ファルシオンのような新米がまざるすきはない。
ファルシオンはかごにつめられるだけのクズ石と一緒に坑道を追い出された。鉱脈の傍をはなれる直前、ジュニとゼフトンが角突きあわせて、深刻そうに話し合っているのが見えた。
年嵩の男に指示され、別の坑道へ這入る。普段、あまり喋らない、アンシューという大柄な男の組と一緒だ。アンシューはつるはしをたまにおろし、愚痴をこぼした。
「割に合わんと思わんか? なあ、ファルシオン」
自分に対しての言葉だと思っていなかったファルシオンは、クズ石を拾う手を停め、顔を上げた。「え……なんですか?」
「割に合わんって話だよ。ここに居て、こんな仕事をして、魔水晶を掘り出して。それが俺達のものになるならともかく、王家や貴族のものになる。都や、大きな町の、立派なお城のなかで、安穏とすごしてる連中のものに」
ファルシオンはなにか云おうとしたのだが、声が出なかった。咽が詰まったようになっていて、言葉を紡げない。王家や貴族。そこに、本来、自分も含まれていた筈だと思うと、気持ちが悪くなった。手にはいったかもしれなかったのに滑りおちていった、とりこぼしたものが、もの凄く惜しく感じた。
わたしのものだったかもしれなかったのに。
ファルシオンは目を逸らし、クズ石拾いを再開した。苦労して云う。
「僕は、アンシューさんと違って、魔水晶を掘り当てたことがないので、わか、わからないです」
男達がくすくすと笑った。ファルシオンの返答を、気のきいた冗談だと思ったのだ。
アンシューも笑いながら、つるはしを持ちかえる。「そうか、まだお前にはわからない悔しさだな」冗談めかして云うが、ファルシオンを見る目が、奇妙に笑っている。あまり、気持ちのよくない笑いかただ。
彼は二回、つるはしをふりおろし、額を拭った。
「ところで、ファルシオンっていうのは、あまりない名前だよな。もしかして、王子殿下にあやかってつけられた名か? たしか、第三王子がファルシオンといった筈だ」
心臓が痛いほど高く打っている。
ファルシオンは手を停めない。声は出ない。
アンシューはつるはしを動かさず、にやにやしてファルシオンを見ていた。
「王家の人間にあやかって名をつけるのは、よくあることだろう。お前もそのクチか?」
「し。しりません」
「知らないってことはないだろう。ああ、あまり誇るようなことでもないからな。魔法の大家の第一王子や、戦争で大きな功を上げている第二王子と違って、第三王子は得体の知れん人間だからな。まともな噂は聴こえてこない。魔力がないとか、うすのろだとか、女癖が悪いとか、そういう話ばかりだ」
手が震えた。自分に関する噂は、ファルシオンは聴いたことはなかった。面と向かって罵ってくるいとこ達が居るだけだ。婉曲なものはない。直接、魔力なしの役立たずだとか、穀潰しだとか、魔物と戦うことも出来ないだとか、そういうことを云われる。
魔力がないのは事実だから枉げられない。うすのろ、というのも、別にどうでもいい。ファルシオンは体が大きいせいか、動作がゆっくりしていると、剣術指南役にも云われていた。多分にいやがらせだろうが、実際のところ、速度が足りない自覚はあった。
だが……女云々は、まったく身に覚えがない。ファルシオンは、男だろうと女だろうと、接触することは苦手だった。近衛兵達くらいしか、まともに喋ったことはない。近衛兵に女は居ないし、下女達は魔力なしのファルシオンをさげすみ、近寄ろうとしなかった。乳母達と話した覚えはあるが、それだけだ。
かごにいれたクズ石が崩れ、ファルシオンは動揺して立ち上がる。アンシューが笑った。「ああ、お前とはまったく違う人間みたいだな、その第三王子ってやつは」
「本当にな」
ぱっと、声のほうを見ると、ゼフトンが居た。アンシューがそれを睨みつける。「ファルシオンは王家の人間みたいな無責任なことはしない。アンシュー、めずらしくお前と意見があった」
「ああ、そりゃ、どうも」
「ファル、マティブ、こっちに手伝いにはいってもらいたい。アンシュー、ふたりをもらってくぞ」
「ご自由にどうぞ、ゼフトンさん」
アンシューはばかにしたように云い、ゼフトンに大仰なお辞儀をした。ゼフトンはそれを睨みつけてから、クズ石拾いをしていたファルと、マティブという男を促す。ふたりはクズ石のつまったかごを棒にひっかけて担ぎ、ゼフトンを先頭に坑道を出た。
坑道から出、クズ石を捨ててから、別の坑道へ這入る。マティブに自然に先に行かせ、ゼフトンが小さく云った。「ファル、アンシューになにか云われたら、俺かジュニへすぐに報せろ」
ゼフトンは理由を云うことはなく、ファルシオンもなにも訊かなかった。アンシューには、なにかいやな感じを覚えていた。