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助けられない現実




 アディアの母はベッドの上で、壁によりかかるようにしていた。壁と体の間にうすい、本当にうすいクッションのようなものがはさまっている。女達が、毛布やなにかを工夫したのだろう。

 女達の住んでいる建物は、二段ベッドが大量に詰め込まれた、せまくるしいところだった。女はそんなに多くないから、今はそこまで息苦しくはないだろうが、このベッドすべてに持ち主が居たら大変なことになりそうだとファルシオンは思った。そういう、どうでもいいことを考えていないと、不安と心配で逃げ出したくなる。ここから走り出て、坑道の奥深くへ隠れていたくなる。アディアへ不誠実な言葉を投げかけたことも、自分になにもないことも、すべてを忘れてしまいたかった。すべてを放り捨ててしまいたかった。

 アディアの母は、アディアに似た金髪をしている。しかし、脂ぎっているだけでつやは鈍く、長いこと洗った様子はない。それどころか、しばらくは櫛も通していないだろう。顔は肉が減り、頬がこけて、骨の形がはっきりわかった。体はうすっぺらく、腕は細く、それなのに首だけはふとい。


 アディアの母のベッドの、向かいのベッドには、盲目の流刑人が居る。彼は項垂れ、穴のあいたシャツの袖を、ゆっくりとひっぱっておろした。

「ファルか?」

 ファルシオンは頷いてから、彼には見えないのだと思い出し、はいと答えた。アディアの母、そしてジュニの妻である女性は、緩慢な動きでファルシオンを見る。深い緑の瞳は、アディアにはしかし似ていなかった。緑の色が違う。アディアの緑は、もっと澄んでいて、もっときらめいている。

 アディアの母はか細い声を出した。「はじめまして……レーンといいます」

「ファ、ファルシオン、です」

 緊張でぎこちなく答えるファルシオンに、医師は笑う。「いい男だ。見えやしないが、ああ。声でわかる。いいやつで、優しくて、真面目で、どうしてこんなところに居るのかわからんね。天の神さまか森の神さまが、アディアに与える為に、こいつにつまらん罪を与えて、ここへ寄越したのかもしれん」

 ジュニもレーンも、かすかに笑んだ。ファルシオンは、医師の言葉に衝撃をうけていた。そうだ、と思ったのだ。アディアの為に、わたしはここへ遣わされたのでは? それならば、わたしの人生にも意義がある。これまでのことが意味を持つ。

 わたしが生まれたのはアディアの為かもしれない。彼女の為に生きるのがわたしの運命なのかも。




 医師は出て行き、ファルシオンはジュニに促されて、ベッドへ腰掛ける。

 レーンはあまり、動かない。じっと、ファルシオンを見ている。

「レーンは、ここがあわない」

 相当時間が経ってから、ジュニがぼそぼそと、低声(こごえ)で喋った。「魔力坑の付近は、魔力がこごりやすい。知っているか」

「はい」

 ファルシオンも低声(こごえ)で返す。

 魔力坑というのは、不可思議なものだ。魔力がこごり、魔水晶になる。その、魔水晶になる少し前の段階なのか、周囲の空気にも魔力が多く含まれる。

 普通の人間……普通の、魔力がある人間なら、それはありがたいことだ。魔法をつかっても、魔力がすぐに補われる。

 だが、魔力坑に近寄るのは、多くの場合魔力がない人間だ。魔力を失ったのか、もとからないのかは別として。それは、魔水晶をくすねないようにという防衛策であると同時に、人間が近寄って無駄に魔力を吸いとらないから、魔水晶が出来やすいという面もある。魔水晶が出来やすければ、為政者は喜ぶ。その分、王家や貴族や、兵士や、とにかくそういう上流階級の人間達に魔水晶が行き渡るのだから。

 それを考えているととてもいやな気分になってきて、ファルシオンは頭を振って、余計なことを頭のなかから払い落とした。


「魔力がない人間にとって、体にとりいれることが出来ない空気中の魔力は、毒になりうる。ここ程の濃さだと、魔力のある人間でも充分、毒になるそうだが」

 ジュニの言葉に、ファルシオンは我に返った。

 ジュニを見る。ジュニはファルシオンへ、哀しげな目を向け、顔を背けた。レーンが静かに、云う。

「わたしは、その毒に、特に……弱いようです。体のなかに、魔水晶に似たものが、出来てしまっていて。ここに。場所が、悪かったんです。さすがに、目が見えなくては、ここを切るのは難しい、と」

「……そんな……」

 レーンはゆっくりと手を動かし、首を撫でている。ジュニが吐き捨てた。

「都だったら、助けてもらえたのに。幾らでも。その程度、都なら……」

「僕なら、魔法を」

 ファルシオンが云うと、ジュニは重苦しく頭を振る。ファルシオンは絶望的な気持ちになって、まともに喋ることも出来ない。「何故」

「体のなかに出来た、魔水晶のようなものを、とりださないといけない。魔法が役立つのはそのあとだ。どこを切ってどうやってとりだしたらいいか、俺達にはわからない。あいつは、目が見えなくて、指示も出来ん。ソワンという魔法なら、そういうことをしなくても治るそうだが」

「ソワンなら知ってます」

 急き込んで云い、つかおうとしたが、だめだった。


 魔力が足りない。


 ふたりにもそれはわかったのだろう。レーンはジュニか、アディアから聴いて、ファルシオンが魔力を持っていることを知っているらしい。驚いた様子はない。だが、それを頼りに呼んだということではないようだ。

 レーンは弱々しく笑い、頷いた。「よかった」

「……レーン?」

「アディアのことが、心配だったの。わたしのわがままで、手許に置いてしまった。あの子の為にはならなかったかもしれない。でも、こうして、素晴らしいひとが来てくれた」

 すばらしい?

 今、彼女は、わたしのことを云ったんだろうか。本当に?

 レーンはもう一度頷き、今までとはまったく違う、はきはきした口調で喋った。

「ファルシオンさん。あなたを見て、お話しして、決心できました。娘は、あなたに任せます。わたし達はいたらない親だったけれど、最後の最後に、わたしに、子どもの為になることを選択させてくれて、ありがとうございます」

 レーンは静かに、頭を下げた。ファルシオンはなにも云えず、項垂れ、顔を覆った。胸が苦しくて、息ができなくて、どうしようもなく哀しい。

 それに、怒りがあった。おなかのなかに、どうにもしがたい怒りがあった。どうして、こんなに善良なひと達が、ここに居る。どうして、こんなに優しいひと達が流刑人になって、子どもにろくな食べものも与えず、追いまわして棒で叩いたり、魔法をぶつけたり、そういう酷いことをする人間がのさばっている。どうしてこんな不公平がまかりとおっている。

 こんなのはおかしい。




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