防衛策
監督官からなにか云われることもなく、アディアは魔物の子どもを可愛がった。ファルシオンも、たまに虫を捕って、魔物の子どもに与えた。魔物の子どもは、虫を半分ずつ、ふたつの頭で器用に食べる。
アディアはそいつを可愛がっているが、名前はつけなかった。世話はする。怪我をすれば、川までつれていって洗ってやった。腹をすかしている様子だと、ファルシオンのところまでやってきて、虫を捕りに行きたいからついてきてほしいと頼んできた。尻尾を振ってまとわりついてくれば、一緒にその辺りをうろついて、遊んでやった。
だが、名前はつけない。それはファルシオンには、なにかをおそれている行動に見えた。いずれ、監督官や、誰かが、もしくはなにかが、魔物の子どもをとりあげる。そう信じているようだ。
それは、この魔力坑の島という、あらゆる物事を制限された環境で生まれ、魔力を持たずに生きてきたアディアの、彼女なりの処世術なのだろう。アディアはなにも持たずに生まれ、なにも与えられてこなかった。
命や体や、日々を生きる為に必要な水や少量の食糧のことではない。アディアにはたしかに命があり、五体満足な――しかし栄養状態の悪さから年齢相応の体格をしていない――体がある。毎日、少しの水と、少しの食糧を摂取している。それはそうだ。だが、人間らしい暮らしはしていない。流刑人の娘だから。魔力がないから。
流刑人は、些細なことで命を落とす。坑道で怪我をしたから。魔物に接触したから。なにかをして、もしくはなにかをしなくて、監督官の気に触ったから。
アディアにとって、今日と明日はとてももろい関係なのだ。今日あたりまえに生きていた人間が、明日は居ない。それが普通の環境で生きてきた。なにもかもがごく簡単に失われ、なにもかもが自分の裁量ではない部分であっさりと動かされる。すべての物事は自分にどうにも出来ない部分で操られ、動かされ、働き、そして自分がどう考えていようとすんなりとなくなる。いなくなる。
だからアディアは、身をまもっている。いつ、魔物の子どもをとりあげられてもいいように、失ってもいいように、できる限り距離をとろうとしている。名前をつけずに、あくまでも自分と関係のないものとして扱っている。
はじめて手にはいりそうな自分のものなのに。
その気持ちが理解できて、ファルシオンはアディアをより一層、愛おしく思った。自分をまもろうとする彼女の気持ちは痛いほどわかる。一度、手にいれたと思ったものが、簡単に失われて、それがどれだけの衝撃か、どれだけの痛手か、ファルシオンは知っている。自分と関わりがなければ傷付かない。関係のないものがなくなっても、関係がないのだから動揺もしない。
アディアもおそらく、なにかを失ったことがあるのだ。なにか大切にしていたものを、失った。だから二度と失いたくなくて、失うのがこわいから手にしない。本当はほしいのに、わざと遠ざけている。
ファルシオンも、一度、失った。近衛兵達に慕われるようになって、自分の運命が少しだけでもよい方向へすすんでいったと思ったのに、そうではなかった。
それでも、アディアを放す気はない。彼女を失うつもりはない。
わたしは王の子どもなのに、流刑人になってからのほうが恵まれている気がする、と、ファルシオンは思う。わたしをただのファルシオンとして見て、接してくれる者達。それに、わたしの死をおそれてくれる、アディア。
二度と失いたくない。
魔物の子どもには相変わらず、名前はなかった。ファルシオンも、名前をつけようと云うことはなかった。アディアの不安はわかる。その不安をあえて増幅させるつもりはない。
彼女が安心できれば、自然と、名前をつけようとするだろう。彼女を安心させられない自分が不甲斐ないが、そればかりは時間をかけなくてはどうしようもない。
最近では、魔物の子どもはひとりで森へ行き、虫を捕って食べ、アディアやファルシオンにも虫を捕って戻ってくる。ファルシオンが虫を捕ってくる必要ななくなった。ふたりは虫を食べることも、なにかほかの用途につかうこともないので、もらったものは結局魔物の子どもに返していた。
たまに、怪我をしたり、具合が悪いのかまるまって動かなくなったり、そういう時にはファルシオンがなにかをとってくるようになっていた。
魔物の子どもは、子どもと云っても魔物で、傷の治りは人間とは比べものにならないくらいはやい。魔物というだけあって、魔法をつかうものも居るのだが、魔物の子どもは治癒の魔法をつかわなかった。
つかわない、であって、つかえないかどうかはわからない。魔物が魔法をつかえるかどうかは、調べる方法はない。それこそ、占い師や僧侶にでも訊くしかないことだ。
魔物の子どもは、坑道から出てきた頃に比べると倍ほどに体が大きくなったが、それでもまだアディアの三分の一もない。いずれはもう少し大きくなる。ドゥブルは魔法をつかえる個体が多い。そうならないとしても、アディアの盾くらいにはなってくれるだろう。
アディアが魔物の子どもに対して、あまり情が移らないようにしているのは、よいことかもしれない。アディアとあれとなら、アディアのほうが大事だから。