ファルシオン決意する
ファルシオンはそれからしばらく、ほとんどずっとアディアと一緒に居た。
ジュニは、ファルシオンはなんとか持ち直したと、仲間達に説明したそうだ。そして、アディアがしばらく面倒を見ると。アディアの案をとったのだろう。ジュニは優しい男で、折角生き延びたファルシオンを殺すような人間ではない。
アディアは毎朝はやくに、粥のはいった茶碗を持ってやってきた。ふたりは並んで座り、それをすする。匙などないから、器に口をつけて食べる。
島に来て時間が経っていたから、広場でみんなで食事をとるのには慣れていたが、アディアとふたりきりでの食事には動揺した。
そもそも、ひとと一緒に食事をとるというのが、ファルシオンの人生にはほとんどなかったことだ。ファルシオンは、用意されたものを注意や指導をうけながらひとりで食べるか、誰かの食べものをくすねて隠れて食べるかのどちらかで、どちらにしてもひとりきりなのだった。
広場での食事は、あれは、死なない為の活動のようにファルシオンには思える。死なないように、なにかを食べ、死なないようになにかを飲む。
だが、アディアとの食事は、妙に緊張するけれど同時に楽しみでもあった。単に、死なない為に食べているのではなくて、彼女との食事が生きていく目的になりえた。
死なないように、と、生きていく為に、は、些細なようで大きく違う。アディアはファルシオンに、希望を与えてくれていた。自分も誰かに必要とされ、生きていることを喜ばれるのだと。
朝食後は、アディアが茶碗を持って出ていき、その間にファルシオンは用足しをすませる。
小屋のなかにはおかわが幾つかあるが、隅に穴が掘ってあって、そこが手洗いだった。ファルシオンは怪我を完全にいやしているので、そこまで歩いていけばいい。本当なら外にある手洗いへ行きたいのだが、怪我をしていることになっているのに小屋から不用意に出て行くことはできない。
用足しをすませたくらいでアディアが戻り、ふたりはベッドに並んで腰掛け、なんでもない会話をした。といっても、ふたりとも口が重たいほうなので、会話は途切れがちだ。
そんな時、アディアは遠慮がちにファルシオンの手を握り、ファルシオンがいやがらないと寄りかかってくる。ファルシオンは彼女のかすかなぬくもりを感じられて、彼女の匂いを嗅いで、充たされた気分になった。この島が流刑地で、自分が謀反の疑いをかけられていることはなにもかわらないのに。このままならアディアが、この島で朽ちていくだけなのは、間違いないのに。
夕食の時間になると、アディアはまた、ふたり分の食事を持ってくる。食事にはたまに、魔物を追い払う為につかう筈のチーズがついた。
ファルシオンと同じ船でやってきた男達が、養生の為にファルシオンに与えてほしいと、ジュニにかけあったらしい。彼らの役に立っていたつもりはないが、役に立たない自分でも仲間と思ってくれていたのだと、ファルシオンはチーズの欠片がのった粥を見ると泣きそうになる。
「スツールが出たんだって」
「へえ……」
夕食時、アディアは男達が話す、坑道で起こったことを、ファルシオンに話してくれた。
スツールというのは、切り株のような形をした魔物で、休憩しようなどと思って不用意に座ると毒の胞子をまきちらす。坑道のなかに人間が座れるくらいの太さの切り株があるのはあきらかにおかしいので、坑道のなかに居る場合騙される人間は少ない。騙されるのは、水くみや洗濯に出ている女達だ。薪にしようと、森のなかや川っぺりに居たスツールを掘りおこそうとして、死んだ女も居ると聴いている。
粥のなかで、チーズが溶けている。
「ファルシオンなら、魔物でも倒せるよね」
「そうかな」
剣技はそれなりに磨いてきた。しかし、魔法をつかえないファルシオンは、魔物の討伐に出しても失敗するのが目に見えているから、従兄弟達が魔物討伐に出る時でも仲間外れにされていた。
ファルシオンを思ってのことではない。王子であったファルシオンが死んだら問題になるからだ。それに、ファルシオンが魔力なしで役に立たない人間だと、面と向かって罵倒することができる。――魔物討伐にも行けないのに剣だけできても無駄だ。
「僕はまものとなんて、たたかえない」
ファルシオンは頭を振る。頭のなかで従兄弟達や、のんだくれの剣術指南役や、意地の悪い魔導師達が、大騒ぎしていた。
彼らはずっと、ファルシオンの頭のなかに居座っていた。そこでずっと、ファルシオンがいかに役に立たないか、いかに無駄な存在か、喚き散らす。魔力なしの、役立たずの、穀潰し。
アディアがそっと、ファルシオンの腕を撫でる。ファルシオンは我に返った。両手で茶碗を持った格好でかたまっている。
「ファルなら、なんでもできるよ」
アディアはほとんど睨むように、真剣な表情でファルシオンを見ている。「魔力があるんだもの。だから、自分を悪く云わないで」
「アディア……」
「ファルシオン。わたしはあなたが好き」
まっ正面から思い切り殴られたような衝撃だった。ファルシオンは口を半分開く。謀反の疑いをかけられた時も、捕まった時も、こんなに驚かなかった。
アディアがわたしを? どうして?
どうして魔力のない、役に立たない人間を好きになる。
アディアはファルシオンから目を逸らさない。
「わたしは、ファルは凄いひとだって知ってる。誰よりも一番、力持ちだし、優しいし、みんなにも好かれてるよ。じゃなきゃ、休んでるあなたに、チーズをあげてなんて、誰も頼まない」
「それは……」
自分がひとに好かれるなんて、ファルシオンには信じられないし、ありえないことのように思えた。しかし、粥のなかのチーズという証拠のようなものをつきつけられて、黙るしかない。たしかに、自分が仲間達の立場だったとして、きらいなやつが怪我をしても見舞をやろうとは思わない。
わたしが役に立っていて、わたしを好いてくれているから、チーズをくれた……。
「アディア」
「うん」
ファルシオンは項垂れる。「手にはいったらで、いいから、木の棒を持ってきてもらえるかな。これくらいの……」
まだ生きていたいのかと、ここへ運ばれてくる間、自問していた。
その答えが出た。
アディアのことをなんとしてもまもり、いずれここから外へ出す。この島から、アディアをつれだして、自由な暮らしをさせる。
「それと、アディア」
「うん」
「ああ……」
「なあに?」
「僕も、アディアのことが、好きだよ。君と結婚したい」
アディアはくすくす笑って、頷いた。