ヒロインに転生したけれど、堅実に暮らしたいのです!
転生ものに挑戦してみました。そんなに長くはなりません。
今回と次回は世界観説明になります。話が動くのは第3話からです。
「あ」
わたしこと"廣井えみり"は、ある日ふと、いきなり、自分がこの世界のヒロインである事を思い出してしまった。
でもねえ、こんなタイミングで思い出さなくてもいいと思うのよ。
よりにもよって、台所で夕飯に使う玉ねぎ切っていて号泣している時なんかに。
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とりあえず、玉ねぎを切りながら一気に押し寄せてきた記憶を整理することにする。
私、エミリー・ノエンヴリオスは、以前は『廣井えみり』という名前で日本に住んでいた。中流家庭のどこにでもいるような女の子で、女子高から女子大に進み、運良くも正社員で事務系の仕事に就いてと、普通の生活を送っていた。
人付き合いが苦手で友達が多いほうではなかったけれど、ネット上には趣味仲間もいてくれた。その趣味とは——─リアルの知りあいには隠していたけれど——─ガチなコスレイヤーで、結構イベントに参加もしていた。だからハンドルネームでの友人の方が多いほどだ。
そんなふうにそこそこ充実した生活を送っていたのだけれど、その私がこの世界にいるという以上、あの秋の日、私は死んでしまったのだろう。
原因はたぶん、階段を踏み外したことでの転落死だと思う。
久しぶりの休日、雨上がりに綺麗な虹がでたのもあって、ちょっと散歩に出かけたのだ。雨で空気も洗われて紅葉がきれいだった。それで紅葉の綺麗に見える小高い場所にある公園に行き、階段に落ちていた濡れた落ち葉で足を滑らせてしまったのだ。たぶん。
確実なのは、階段を降りていたこと。そして嫌な浮遊感に、あ、と思ったところまでしか記憶にない。最後に目に焼き付いている光景からして頭から落ちたはずだから、生きてはいまい。こうして転生? しているわけだし。
ちなみに階段からの転落死は、ご家庭でも多い事故死の原因だから皆さんも気をつけてください。
そうしてその記憶が今、エミリーとして玉ねぎが目に染みて号泣しているときに、頭の中にいきなりその思い出映像が流れてきたわけだ。それと同時に私が今いる世界が、その時スマホで遊んでいた恋愛攻略系ゲーム「エミリーの華麗なる転身」の世界である事にも気が付いてしまったのだ。
これがうわさに聞く転生か!
しかもその題名からも分かるように、私がヒロインということか! うひょう!
なんという夢のような出来事! あ、死んでるから死後の世界の一つなのだろうか。三途の川を渡った記憶はないのだけれど。
まあでも何というか、生前の世界では孤独だったし、不幸ではなかったかもしれないけれど、幸せでもなかったから、あまり未練もない。
なにより幸いだったのは、ペットを飼っていなかったことだ。いたらそれこそ死んでも死にきれない。
家族とも疎遠だし、リアル友達はいないし。レイヤーの友人は急にSNSに上がらなくなった私を心配してくれるかもしれないけれど、直近でコス合わせとかイベントの予定が無かったのは幸いだ。仕事の迷惑はかけるかもしれないけれど、いつも仕事の出来ない役立たずと罵られて仲間外れにされていたから、最低限の迷惑で済むだろう。
まさか『役立たず』であることが役に立つことがあるなんて(笑)。何たる皮肉。
だからこの世界で幸せになれたら、こんなに嬉しいことはない。
それはそうと、このゲームの設定を思い出してみる。
中世ヨーロッパを思わせる風景と暮らしぶり、王様と貴族が国を治めているビラング王国で、ヒロインであるエミリー・ノエンヴリオスは王都にある『ビラング学院』に入学する。ここはヒロインのような庶民も入れるが、基本的に貴族が中心の学校だ。
その中でど庶民であるけれど成績優秀なヒロインは、高等部の入学試験にトップ合格して、学費全額無料の特待生となる。さらに成績順のクラス分けで堂々貴族たちに交じって成績上位者が集まるAクラスに入る。
そうしてそこで出会う人々との交流(主に貴族令息)を通じ、楽しい学院生活と共に彼らと恋をして、最終的には攻略対象と婚約、玉の輿結婚を目指すという、まあ攻略系によくある設定のゲームだった。
私がそんなよくある設定のゲームからこの作品を選んだのは、ヒロインの名前が似ているというのと、推し声優さんが多かったからだ。推し声で思う存分ちやほやしてもらえる。しかもその声が推しならば、嬉しさも倍増というものだ。何せ名前も呼んでもらえるし!
さらにはコスチュームも可愛くてカッコよくて、このゲームのコスプレイヤーも沢山いた。私はジャンルが違ったのでやらなかったけれど。
という事で攻略対象が7人いたこのゲームを私はやり込み、なんなら何周もして楽しんでいた。
だからこそわかる。今の私はそのヒロインの設定、そのものであると。
玉ねぎを手にしたまま、ふらふらと台所の隣のリビングに行き、そこの姿見を見る。
顔は可愛い。自分とは思えないほどの可愛さだ。当然だ、なにせヒロインだもの。
ローズヒップとも言われる赤茶色の瞳。ピンクゴールドの胸下まである柔らかい髪。
Bカップの胸はAカップだった現実世界よりも大きいくてウホウホ……いや、ちょっと嬉しいかもしれない。大きすぎても肩が凝ると聞くし、乙女ゲーならばこの位の大きさがちょうどいいだろう。この胸の大きさにエミリーはコンプレックスを抱いているのだけれど、私はちょうどいいと思う。うん。
身長は165cmくらいだったはず。庶民生活のお陰か全体的に無駄肉がない! ありていに言えば、ウエストがきゅっと引き締まっているし、二の腕に足は細い! この世界ではちょっとふくよかな方が裕福の証といわれているけれど、前世? でダイエットに苦労していた私は、今のこの体型に大満足です! その上お肌もピチピチ!
アイドル並みの可愛さですよ! これは。レイヤー心が疼きますよ! いやこの子のコスプレしなかったけれど! 私のコスプレは魔法少女もの中心だったから、こういったゲームに出て来がちな中世ヨーロッパ的なドレスは作らなかったし、あんなもの夏のイベントで着たら熱中症を起こしかねない。冬なら暖かそうだけれど。しかもコルセットで腰を締め上げるとかイベントで貧血起こす自信がある! ついでにこのキャラクターをやるには前世では背が高すぎてですね、ほら魔法少女なら背の高い子もいるから……。いや、話がそれました。
我ながら今の姿は本当にかわいい容姿で、そりゃあ男なら声を掛けたくもなるよな、この容姿なら! と思いますわ。でも恋人婚約者いるのに浮気はダメよ!!
そんな私は来月、その恋愛攻略系ゲーム「エミリーの華麗なる転身」の舞台、王立『ビラング学院』へ入学をするのだ。
「うっわ、最悪!」
泣きながら思わず呟いてしまう。だってゲームだから割り切って楽しんでいたけれど、現実にこんな女がいたらサイテーと思いながらプレーしていたからだ。
攻略対象はお貴族さまの令息なので、彼らにはもれなく幼少時からの婚約者がいる。しかしどの攻略対象もエミリーに出会ったことで「真実の愛」に目覚めたとか言い出して、婚約を解消してヒロインに乗り換えるのだ。
ゲーム内ではその婚約者たちが良い人揃いで、成績も人柄でもヒロインに敵わないとそっと身を引いてくれる。なんて健気な人たちなのだろう。私なら悪役令嬢になる自信があるけれど、本当に彼女たちは性格が良かった。
これらの行為は婚約不履行だ。不貞行為だ。こんな女が現実にいたら袋叩きものだ。あくまでゲームだから許されるのだ。だいたいそんな女にひっかかる男も男だ。考えてみればどちらもサイテーである。
「もうちょっと早く記憶が戻ってくれてたら、もう少しやりようもあったのに!」
なにせ私は『転生ヒロイン』なのだ。どうして死んだ私がゲームのヒロインになってしまったのかは分からないけれど、きっと若くて死んでしまった私を哀れんだ神様仏様推しキャラ様が、もう少し人生楽しみなさいと拾ってくださったのだろう。
随分冷静に判断しているって?
うん、そこは自分でもちょっと意外なのだけれど。なんだか、ああそうなんだ~。という感じで納得してしまったのだから仕方がない。
私は、エミリー・ノエンヴリオスとしての記憶もきちんと持っている。幼少期から今日までの記憶を。
同時に廣井えみりとしての記憶も持っている。だからこれが転生生まれ変わりなのか、えみりの記憶なのか魂なのかがいきなりエミリーの中に入ったのかは、わからない。
ただ、今現在の私は、間違いなく、エミリー・ノエンヴリオスであり、廣井えみりだ。ただし、意識は廣井えみりだと断言できる。エミリーの意識、どこ行った?
そういえばおととい、エミリーは段差で滑って頭を強打していた。それと何か関係があるのだろうか。
そんな私、エミリー・ノエンヴリオスは、田舎の、両親と兄と姉、エミリーと弟の5人家族の、庶民の中流家庭に生まれだ。
私の住んでいる街は田舎ではあったけれど、そこそこ大きな街だったから欲しい物は大体手に入ったし、教育水準も高めで、学校もしっかりしていた。
父親は街の、現代で言う所の役所勤め、母親は裁縫店でお針子をしている。
この世界での教育は、読み書き計算ができるようにと小学部と中学部は無料で通えるけれど、義務教育ではない。まあ子供の9割が中等部まで通っているし、学費がかかる高等部にも7割、さらに4割が大学部へ通っている。
兄は高等部を卒業後に冒険者協会へ勤めているし、姉も同様で、母親と同じ店でお針子をしている。少し歳の離れた弟は現在小学部だ。将来は冒険家になると目を輝かせている。
この家族、全員が紅茶色の髪と目をしているが、ピンクゴールドは私だけ。さらに言えば顔も誰にも似ていない。そのせいもあって、私は家族から浮いていた。
その上ヒロイン補正なのか、エミリーはいわゆる無双なのだ。
勉強に関して言えば、一度読んだもの、見聞きしたものはだいたい記憶できる。暗記物ならお手の物だ。
運動能力も高い。剣や体術では男性には力負けしてしまうものの、素早い動きで攻撃をかわすのが得意だし、その素早さと言ったら、まるで忍者のごとき身の軽さだ。
それと魔法。現実世界では使う事ができない魔法! しかもどんな属性の魔法でも使える。
そして家族の中で魔法を使える者はおらず、勉強も運動能力も平均的だった。
そんな子供が一人だけいたらどうなるか。お前は天才だと持ち上げられるか、逆になんでこんな子が生まれたのかと困惑されるか。
エミリーの家族は後者だった。
あまりの優秀さに、周りがどうしてよいか分からなくなってしまったパターンだ。
両親も兄も姉も働いているから、勉強時間も必要のないエミリーが家の事をしているけれど、料理だって簡単になんでも作ってしまうエミリーは、家族の自慢であると同時に、持て余す存在でもあった。
高等学校も街のでは勿体ないと、中学部の先生方と街からの推薦で王都のビラング学院への受験資格を得た。この街からビラング学院への受験者は初めてだと多大な期待を受けながらの受験だった。
そうして無事に合格してしまった。
さてそんな私がゲームの舞台である学院に入学するという事は、問答無用でいきなりヒロイン生活が始まってしまうという事だ。
そのずば抜けた能力と、貴族にはない発想、行動で結果的に周りを虜に、同時に女性たちを不幸にして行く生活が。
前述のとおり、私、えみりとしてはエミリーの行動を嫌っているから、記憶が戻ったのがもう少し前なら学院に入学しない、そもそも受験すらしないという手段がとれたのだが、入試も終わり、無事に合格して入学の一月前にその記憶が戻ってももう遅い。
それにこの世界の私は、この学院に入学しないといけない理由もあるのだ。
「こうなったらもう、入学しても目立たないように、攻略対象と知り合わないように、万が一にも婚約者の令嬢に迷惑をかけたりしないように、卒業までひっそりと過ごしていくしかないわ!」
そうだ。そうしよう。私は量のタマネギのみじん切りを前にひ~ひ~と涙を流しながら、こぶしを握る。これだけあれば、おうち特性、家族5人分の夕飯の、久しぶりのお肉より玉ねぎの方がおおいぞハンバークには十分だろう。
「あ~あ、自分の幸福のために周りを不幸にするヒロインよりも、契約して魔法少女にでもなった方がまだましだった……かも?」
お読みいただきありがとうございます。毎週1作更新予定です。
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