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共同生活に、もめごとは必須だ。
その対策として、ぼくらは、いくつかの約束を考えることにした。
書記は、瑠璃さんがふさわしいだろう、とぼくは勝手に決め、すぐに紙とボールペンを、彼女の前に差し出した。
恐る恐る瑠璃さんを見ると、彼女は天使のように、明るく、ほほ笑んでいた。
「鬼羅くんは、とってもいい子だよ。だから、雑用……あとでたくさん、押しつけてあげるね」
「あ、はい」
失礼、言葉を間違えたようだ。
彼女は悪魔のように、薄気味悪く、ほほ笑んでいた。
こうして、会議は始まった。
「一番風呂は、レディである、このわたしだからね」
「当然だけど、一番風呂にふさわしいのは、家の主である、このぼくだからな」
「二人のガキが何を言うかと思えば……当然、大人である、このわたしが一番風呂だ」
「何よ……二人とも、レディである、このわたしに逆らうっていうの?」
「家の主は、このぼくだぞ!」
「ガキのくせに、大人をなめるとはな……いいだろう、体罰の時間だ」
こんな具合に会議が進行したため、思った以上に、会議は難航した。
二時間後――苦労の末、ぼくらは七個の約束を作り上げた。
一、一番風呂の権利があるのは、全員! じゃんけんで順番を決めたら、ローテーションで回すべし。
二、食事は、女性の安藤瑠璃様に、お任せあれ。買い出しと食後の片付けは、野郎の仕事。
三、掃除は、みんなで協力。
四、ケンカした場合、話し合いで、解決すること!
五、水道光熱費は、仁にお任せします。
六、家の備品を壊した者は、きちんと鬼羅にまで、報告すること。
七、警察に通報した者は、容赦なく殺す。
「うん、このくらいかな。あとは、わたしと鬼羅くんだけの約束を作らないとね。そうじゃないと、鬼羅くんは何をしでかすか、分からないもの」
「それは、どういう意味だ?」
瑠璃さんは、怪訝な顔をするぼくを、じろりとにらみつけた。
「身に覚えは、あるでしょう?」
「きみから、にらまれるようなことをした覚えはないな。もう一度訊くけどね、それは、どういう意味だ?」
これが言いがかりなら、ぼくは、たっぷり文句を言おうと決めていた。
けれど、それは、かなわぬことだった。
「わたしと一緒に寝て、男女の間違いを起こす、なんてセクハラ発言をした変態は、誰だっけ? 加えて、わたしを自殺させようとしている、異常者は誰だっけ?」
「……少なくとも、監督ではないことは確かだな」
このとき、ぼくは己の発言を呪った。
身から出たサビ、とは、よく言ったものである。
「反省しても、もう遅いよ。前者も後者も、ろくでなしがすることだもん」
本気で怒っているのか、瑠璃さんは、そっぽを向き、かたくなに、ぼくと視線を合わせようとしなかった。
心にトゲが刺さり、切なくなったぼくは、目を伏せる。
そして思わず、床に唾を吐き捨てたくなった。
なぜって、今の瑠璃さんの言葉は、このぼくを真っ向から、否定する言葉だったからだ。
それを瑠璃さんから言われると、ぼくの心の傷跡が、うずいてしまう。
「……それで、二人だけの約束って?」
ぼくは気を取り直し、なんでもないふうを装った。
瑠璃さんも、そんなぼくを見ならってか、不機嫌そうな表情をやめると、ニコッと笑顔を見せた。
「鬼羅くんの願望が、きれいさっぱり消え去って、わたしが、鬼羅くんのことを好きになった場合……そのときは、わたしと付き合ってね。約束だよ? 言うのが遅れたけど、これが、鬼羅くんを改心させる方法のひとつ。つまり、トラウマを抱える、鬼羅くんへの治療なの」
ぼくが、その言葉の意味を理解する前に、テーブルの上にある、ぼくのスマートフォンから、愉快な着信音が鳴った。
ぼくが自分のスマートフォンを、ぼんやり眺めていると、仁から「早く電話に出てしまえ、坊主。貴様の携帯の着信音は、なんともセンスが悪く、聞くに堪えん」と一喝されてしまい、急いでぼくは、スマートフォンを手に取った。
タッチパネルを見ると、見知らぬ携帯番号からだった。
こういう場合、電話に出るのは、あまりよろしくない。
けれど――。
「貴様は、わたしに殺されたいのか? 早く電話に出るんだ、坊主」
「分かったよ!」
むしゃくしゃとした気分のまま、ぼくは、見知らぬ携帯番号の呼び出しに応じた。
「もしもし?」
「あ、鬼羅さんですか? わたし、同級生の黒江レナ(くろえ・れな)です。お時間、よろしいですか?」
黒江レナ――それは、我が二年一組の教室において、律儀ではあるが、同時に危険人物とされている、女子生徒だった(少なくとも、ぼくは、そのように彼女を捉えている)。
ちなみに言うと、ぼくはレナさんのことが、それほど好きではない。
なぜかと問われたのなら、ぼくは包み隠さず、そのわけを話そう。
前に、レナさんは、とある将来有望な男子生徒とケンカし、男子生徒を三階教室の窓から、突き落とそうとしたことがあった。
まるで、犯罪者になる前段階のようだ。
先日など、レナさんは、とある女子生徒の髪を、教室で切ると言い出し、嫌がる女子生徒の髪を、ハサミで切り落としたこともあった。
まるで、不良になる前段階のようだ。
さらに、彼女は童顔だ。
ぼくは童顔系が、大の苦手だった。
「ああ、レナさんか……どうして、ぼくの携帯番号を知っているの?」
「雷塔さんから、教えていただきました」
「奴か……それで、用は何?」
雷塔が絡んでくるとなると、何か嫌な予感がする。
いつだって、雷塔は、厄介事を持ってくるのだ。
警戒するに、越したことはない。
レナさんは、いささか緊張気味に、「鬼羅さん」とぼくの名前を呼ぶと、それから本題について、話し出した。
「工藤校長が読み上げた手紙、覚えていますよね? この楠木高等学校の生徒が、手紙の差出人を、自殺させようとしているっていう話です。その生徒なんですが、それは鬼羅さんなんですよね? ええと、雷塔さんから、聞きました。鬼羅さん、それは本当ですか? あなたは――」
「きみの話が、よく分からない。だから、じゃあね」
ぼくは、レナさんに別れの挨拶を口にすると、彼女が返事をする前に、電話を切った。
なぜって、これ以上の厄介事は、キャパシティオーバーだからだ。
「レナが、どうしたって?」
興味津々に、こちらを見つめてくる瑠璃さんの視線を避け、ぼくは吐き捨てるように言った。
「知るか」