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「今から、わたしが読み上げるものは、わたし宛に届いた匿名の手紙だ。無論、楠木高等学校の一生徒が、わたしの執務室の机に、忍ばせたものであるということ、それに相違はない」
一学期が終わると、ぼくら生徒は夏休みに入り、それぞれ休暇を楽しむ。
それが当たり前のはずだ。
しかし、終業式から三日が経った、七月二十一日の火曜日――突如、楠木高等学校の工藤博行校長が、PTAの反対を押し切る形で、強引に緊急全校集会を開いた。
どうして、工藤校長が緊急全校集会を開くに至ったのか? ――話の大筋は、まだ聞いていないが、どうやら原因は、一人の生徒が工藤校長に宛てた手紙のようだった。
「まさか、あの堅物校長……自分に届いた教え子のラブレターをさらすため、こんな全校集会を開いたわけじゃないよね? もしもそうなら、ボクは黙っていないよ」
前列から、そんな女性の声が聞こえてきた。
一人称が「ボク」の女性は、この高校に一人しかいない。
ボクっ子の少女、小野アリス(おの・ありす)だろう。
アリスさんのキリッとした瞳、それはどこか気高く、近寄りがたい印象を与えてしまうのだが、それはそれで、彼女の持ち味なのだと、ぼくは常々思っていた。
よきかな。
「この手紙は、我が校の生徒が発したSOSだ。教職者たるもの、このようなSOSを見逃すわけにはいかない。ところで、日本の学校というものは、よいことを学ぶよりも、悪いことを学ぶほうが多い。具体的に言うと、日本の学校は、協調性よりも、同調性を求める傾向が大変強く、近頃のわたしは、危機感を覚えている。だからこそ、今ここで、わたしは全教職者に告ぐ。これは教職者による仕業だ、悪徳だ。愚かなる我々は、日本の学校を、そこまでおとしめたのだ。どう言い訳しても、これは……」
しばらくの間、ぼくは工藤校長を遠くから眺めていたが、必要以上に、話をもったいぶる工藤校長にあきれ、工藤校長から、目をそらしてしまった。
ぼくは体育館を見回し、緊急全校集会に参加している生徒の人数を、目算することにした。
それによると、ほぼ全生徒が、この緊急全校集会に参加していることが分かった。
もう一度、ぼくは生徒の人数を目算しようと、体育館を見回そうとした。
そのとき、ぼくは見てしまった。
何を目撃したのかというと――体育館の暑さのせいか、付近の女子生徒が、胸元をはだけさせ、上半身のワンピース(緊急全校集会のため、制服の着用は任意だった)を、上下にばたつかせている姿だ。
公衆の面前で、そんなことをするとは、なんてけしからん。
不意に、女子生徒がこちらを見た。
なぜそうなったのか、それは分からないが、ぼくらはバカみたいに見つめ合う。
気まずい。
やがて、女子生徒は顔を赤らめさせ、その場に、うずくまってしまった。
さては、ぼくに一目惚れしたか?
「……おっと」
気づけば、工藤校長は、手紙の本文を読み上げていた。
これは、まじめに聞かなければいけない。
手紙の始まりの文言は、こうだった。
わたしは『魔人』です――。
「いくら、あなたがたが、わたしのことを『人間』と呼び、そうなのだと決めつけようとしても、わたしが『魔人』だという事実は変わりません。
なぜなら、わたしは人の闇を、この目で視ることのできる能力者だからです。
これだけ言うと、それはとんでもなく生易しいものに聞こえるでしょう。
わたしとて、そんなことで、あなたに手紙を差し上げたわけではありません。
問題は、その先にあるのです。
わたしは自身の能力を通して、彼の闇を視ました。
ずばり、言いましょう。
工藤校長、あなたの教え子は……わたしを自殺させようとしています」
その言葉は絶対零度の矢、そのものだった。
絶対零度の矢は、ぼくの胸を簡単に貫いた。
息が苦しい。
ぼくは、ハッと我に返り、最前列にいる彼女の後ろ姿を凝視した。
安藤瑠璃――彼女こそ、例の手紙を書いた人物だ。
憶測などではない。
なぜなら、ぼくは安藤瑠璃のことを、自殺させようとしているからだ。
もしも、彼女が手紙を書いた人物なら、ぼくの願望など、とうに視えているに違いない。
よって、手紙の中の「彼」とは、ぼくを指す。
工藤校長に手紙を書いた人物とは、安藤瑠璃――彼女なのだ。
ぼくは瑠璃さんから目を離すと、工藤校長や、ほかの教員の様子を見ることにした。
どうやら、この工藤校長の発言に対し、教員一同は、血相を変えたようだった。
彼らはステージに上がると、工藤校長を羽交い締めにする。
これを見た生徒らのおしゃべりも相まって、いつしか、体育館は騒然と化していた。
若い教員と中年の教頭に、羽交い締めされてもなお、工藤校長はあきらめない。
工藤校長は演台のマイクに顔を近づけ、演説を続ける。
「我が校の教職員は、この問題に見向きもせず、これは、ただのいたずらなのだと現実逃避し、上層部の圧力を借りると、わたしを失脚させた。この手紙が事実で、それが真実ならば、きみたち生徒の手で、これを解決してほしい。わたしは、きみたちを――」
「マイクだ、マイクを切れ!」
不意に、教頭が大声で叫んだ。
直後、スピーカーから、耳障りなハウリングがした。
教頭の指示により、別の教員によって、演台にあるマイクの電源が切られる。
マイクという大きな力を失った工藤校長は、無念とばかり、その場で、がっくりとうなだれてしまうのであった。