一体、いつからだろうか。
健全な少年であるはずのぼくが、好きな人の自殺を、目の前で見たいと思うようになったのは……一体、いつからだろうか。
すると、「それは四年前の夏からだね、真田鬼羅くん」という声がした。
その声に聞き覚えがあると思ったら、なんとそれは、ぼくの声だった。
黙れ、とぼくは、もう一人の自分に一喝してみたが、どうやらそれは、時すでに遅しだったようだ。
すでに脳内では、その当時のことを、鮮明に思い出していた。
四年前の夏。
それはちょうど、中学校の四時限目が終わった直後のことだ。
「あれ、エアコン壊れてね?」
「え、嘘!」
「おいおい……嘘だろ、ポンコツ王!」
「嫌よ、天国に逝かないでちょうだい、ポンコツ王!」
それはちょうど、教室に設置されたオンボロエアコンが、天国に旅立たれたときのことだ。
「鬼羅くん。わたしね、あなたのことが好き。だから、わたしと付き合ってほしいの」
それはちょうど、我が一年一組の教室が、蒸し蒸しとなっていき、席に座っていたぼくが、腹を立てていたときのことだ。
突然の告白。
ぼくは告白してきた少女に目を向けると、すぐに彼女をにらみつけた。
涼しげな制服に身を包んだ、同級生の少女――不破優香里は、どこか知らない異国のお城を見るように、ぼうっとした様子で、その場に立ちすくんでいた。
ぼくからにらまれていることに、彼女は気づいていないのだろう。
彼女の目には、異国のお城で暮らす王子様が映っているに違いない。
けれど、ぼくは異国のお城で暮らす王子様であるはずがなかった。
そもそも、彼女の頬はこけていて、見れば見るほど、やつれた顔をしていた。
控えめに言っても、ぼくのタイプではない。
「ぼくは、きみのことが大嫌いだ」
ぼくは、目の前で恍惚とする彼女を突き放した。
すると、夢見心地な彼女の様子は一変し、今度は痛々しそうに、自分の腹部を押さえ始めるではないか。
当初、ぼくは彼女が腹痛を訴え出したのかと思ったが、実はそうではなかった。
どうやら、彼女は、両親から虐待を受けているのだという。
おそらく、彼女の腹部には、生々しい傷があるのだろう。
その傷が痛むから、彼女は腹部を押さえたのだ。
なんということだ、とぼくは戦慄すると、すぐに彼女から目をそらした。
このような存在と関わってはいけない。
目の前の彼女は、ぼくを非日常という魔境に連れていく、案内人なのだ。
彼女に連れていかれたら最後、ぼくは日常という安寧の地と決別しなくてはならない。
そんなこと、決してあってはダメだ。
蒸し蒸しとした教室の暑さのせいか、ぼくと彼女だけに存在する緊張感のせいか――気づけば、ぼくは全身に粘っこい汗をかいていた。
この不快な汗をかいてしまうのは、彼女のせいだ。
彼女は、ぼくの身体を乗っ取ろうと、悪巧みをしている。
だから、ぼくの身体は粘っこい汗をかくことで、彼女に抵抗しているのだ。
彼女に背を向けたら最後、ぼくは身体を彼女に乗っ取られてしまう――。
やがて、彼女は、ぼくの敵意に気づいたのだろう。
「……鬼羅くんって、わたしのことが大嫌いなんだね。そっか、もういいよ。もう、うんざり」
彼女は、絶望と憎悪が入り交じった言葉を吐き捨てると、ヒステリーを起こしたかのように、ドタバタと教室から出ていった。
それから、五分は経っただろうか。
ぼくは、彼女の呪縛から逃れたことに気づき、大きく息を吸った。
ふと、せっかく窓際の席に陣取っているのだから、暑さでもだえる同級生のため、窓を開けてやらねば、と妙な義務感に駆られ、ぼくは席を立った。
まもなくして、ぼくは教室の窓をガラリと開けた。
直後、生ぬるい風が、ぼくの頬をなでた。
涼しくない風とはいえ、風は風である。
外からの風を、より身近で堪能するべく、ぼくは、さらに窓のほうへ近づいた。
そのとき、生ぬるい風が強く吹き、それは、ぼくの顔を直撃した。
あまりにも、それが不快な風だったため、ぼくは顔をしかめた。
ぼくは気分を変えるため、外の風景を眺めようと、まっすぐに目を向けた。
そしたら、ぼくは人と目が合った。
それは、窓に映った教室内の同級生でもないし、ましてや、地上にいる人物と目が合ったわけでもない。
空から地上へと、真っ逆さまに落ちていく人間だった。
不破優香里だ。
彼女は、なんの感情も持たない人形のように、空から地上へと落ちていく真っ最中だった。
それを見た瞬間、あらゆる時空のすべてが停止した。
教室の喧噪はやみ、セミの鳴き声もやんだ。
当然、生ぬるい風も吹かなくなった。
ぼくは叫ぼうと口を開こうとしたが、その口は開かない。
まるで、金縛りにあったみたいだ。
手足はピクリとも動かないし、目を動かすことさえもできない。
つまり、今のぼくは、目の前の彼女を見ることしかできない、というわけだ。
いつぼくの気が狂っても、おかしくはなかった。
発狂寸前、といったところだろう。
そのとき、時空のすべてが停止しているにも関わらず、彼女の口元が動いた。
動いてしまった。
確かに、それは声まで聞こえた。
そう、あれは確か――。
「人殺し」
そう彼女は口にしたのだ。
再び、時空が動き始める。
そのまま、彼女は地上へと落ちていった。
ぼくが失神する前に聞いた、最後の音はというと、誰かの悲鳴ではなかった。
それは、彼女の体が潰れる音――生命を絶つ瞬間の音だった。
その後、校内に出回ったうわさによると、彼女の両目は、木の枝で、えぐられてしまったのだとか。
「人殺し」
その呪いの言葉がきっかけで、それからのぼくは「好きな人の自殺を、目の前で見たい」という願望を持つようになった。
以後、ぼくは願望を抑えながら、きょうまで生きている。
けれど、願望を抑えるのは、もはや限界だった。
ぼくは願望の対象となる彼女に会い、自殺をしてみるよう、近々お願いするつもりだ。
彼女の名は、安藤瑠璃。
ぼくの片思いの同級生だ。