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人の悩みとは

作者: おるー

医学の専門家から悩みのある人に。

「悩み」そのものを理解するための助けとなりますように。

 人の悩みはどのようにして生まれるか。

それは、実際に起こった客観的事実(つまり現実)を父とし、そしてその現実に意味づけを行う自分自身の潜在的な判断基準を母として産まれてくる。


 人間は一人一人実に多種多様な性質を持っているが、共通していることも多い。生物学的な性質はもちろんだが、精神の働きにも共通した性質がある。それは、「ありとあらゆるものや現象に無意識に、瞬間的に意義づけを行う」という性質だ。これは人間が「感情の動物」と言われる所以でもある。

 意識しなければ自覚すらされることのないこの性質は、しかし人間にとって欠かせない性質である。

おそらくは危険察知のために発達した能力と思われるが、私達は産まれた直後から今現在にいたるまでの間で経験した「過去」の様々なことを基に、「現在」起こっている出来事を評価し、自分にとって利のある出来事、状況や人に対してはポジティブな感情を抱く。反対に、自分にとって不都合となるものに対してはネガティブな感情を抱く。

 しかし、人はそれぞれ違う性格をもって生まれ、違う環境で違う物事を学び、そして全く違う経験をして成長していく。そのため、全く同じ出来事、状況や人に遭遇したとしても、自分にとって利があるかどうかは受け取り手によって必ずしも一致しない。つまり判断基準は人それぞれである。


例えばこのような状況に対してあなたは直感的にどう感じるだろう?

状況:あなたはある大企業で働いている30代社員である。平社員だが月の給料は35万円ほどの手取りがあり、ボーナスもある。しかしその職場はあなたの得意分野ではなく、当然希望していた系統の職場ではない。上司は事あるごとに「自分の頭で考えてから質問しろ」と厳しい態度を取るが、明確なハラスメントはない。


さぁ、あなたはこのような状況でどのような気持ちになるだろう?

辛いと感じる人は「得意なことに自分の力を活かしたいが、生活の安定のために耐えるしかない」などと考えるかもしれない。

特になんとも感じない人は、「仕事は仕事。生活に必要な金銭を入手する手段としては妥当だからこれはこれで良い」などと考えるかもしれない。

 当然、10人いれば10人の感じ方がある。重要なことは直感的に生じる感覚が2人以上の人間で(厳密な意味で)完全に一致することは極めて稀であるということだ。つまり、身の回りの出来事、状況や人に対して行う意味づけは、1人1人異なっている。

この事実は、頭で考えればそれほど抵抗なく理解することができるかもしれないが、実際には客観的事実に対する意味づけは無意識・瞬時に行われるため、それが他の人の意味づけと厳密な意味で異なるという事実を、私たちは日常生活の中で忘れられがちである。


その結果何が起こるか。1人でいる分には何も起こらない。

しかし、2人以上の人間の間でなんらかの関係性ができた場合、運悪く片方の人間の琴線に触れる出来事が起こると、2人の間で感情の不一致が生じる。さらに運が悪いと人間関係上の悩みに発展する。


具体例を挙げてみよう。

AとBは夫婦である。2人はダイビングを共通の趣味にしている。

ある日2人は2人でスポーツ用品店を訪れ、1割引で販売されている最新のダイビング用品を見つけた。

2人ともそれが欲しいと思ったが、節約家であるAは直感的に「浪費はできない」と感じ、家のローンや子育て費用のことを考え、「今は買うべき時じゃない。我慢しよう。」と結論づけた。

しかしBの直感は「これは心を豊かにしてくれる」と告げており、家のローンや子育て費用を考慮しても「これは買いだ。」と結論づけた。

当然2人は言い争いになる。適切な解決方法を身につけていなければ2人は険悪なムードになるだろう。

Aはタイミングをわきまえないという理由でBにうんざりするだろうし、Bは人生を素直に楽しめないBと一緒にやっていくのは苦痛だと感じるかもしれない。


人の悩みは概ねこのようにして起こる。


 悩みに限らず、感情というのは常に、現実に起こる客観的事実に対して、(無意識のうちに)その人固有の判断基準を用いて評価を下した結果として生じる。ここで重要なポイントは、固有の判断基準というものが無意識の海の中にあり、通常は本人ですら認識していないということと、評価が無意識のうちに自動的に・瞬時に下されるということである。自動的に判断されることで、本人にとっては全く疑いようのない結論として(つまり常識的な感覚として)認知される。自然に自分の中に生じた感情に対して日常的に異議を唱えたり疑義を持ったりするのは凡そ哲学者や宗教家くらいだろう。


 では悩みはどうやって解決するのか。

目をそむける、妥協する、我慢するなどという方法もあるだろうし、実際それが現実的な対処法だろう。ただしそれは根本的な解決ではない。同じような構造をもつ問題に出会うと、同じ苦悩を繰り返すことになる。

同じような構造をもつ問題に出会わないように回避行動を取るという方法もあるかもしれないし、実際に人間は、嫌な印象をもつ人や場所を無意識的に避けるという性質も備えている。ただ、根本的な解決ではないという点では妥協や我慢と大差ない。

 では根本的な解決はどのようにして得られるのか?

感情が客観的事実と自分固有の判断基準によってもたらされるのだから、解決の糸口は常に自分の中にある。

しかしそれは難しいことでもある。

 根本的な解決に至る段階としては、①まず自分固有の判断基準基準を明確にし、明文化する必要がある。②そしてそれを、「自分固有のものであり、他の誰かとは異なった基準である」ということを知らなくてはならない。文章で書けば簡単なようだが、自分以外の判断基準をイメージするのは非常に難しい。なぜなら通常、自分は自分以外の性格になったことはないし、自身の人生しか経験していないからだ。

 とはいえこの難しい工程を超えることができれば、あなたの精神的な世界は一気に拡がる。

③次に自分固有の判断基準にこだわらず(つまり感情的な視点や解釈を一度手放して)、中立的な姿勢で現実に起こっている事実をよく観察する。④最後に、起こった事実や引き続いて起こるであろう出来事を受け入れた上で、最善の対処方法を考えることに全意識を集中する。

 この過程を経ることによって、感情に焦点が当たりネガティブになっているモードから、事実関係に対して効果的な行動を考えるというモードに移行できるばかりでなく、同様の構造をもつ問題に対しても対処能力を得ることができる。

 スキルの習得は容易ではない。しかし、一度会得すれば人生を通して助けになってくれるスキルであることは間違いない。


私としては、運良くこの文章が自分の心を磨きたい人の元に届き、役に立ってくれることを願う。





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