花筏4
「え?山崎?」
まさか、でも。この声は。あの姿は。確かに。
ーー 当ったりー。
「おまえなのか?山崎」
ーー そうだって。結構、しつこいね健一。
笑い声。
「ってか、……おまえ。……だって」
ーー そっか。そりゃ、ビビるよなぁ。俺、死んでるもんなぁ。
「……なんで。おまえ、今さら」
山崎。いじめ。復讐。いや、あれは、単独事故。逆恨み。いや、でも、俺は。
恐怖。
ーー え?なんで、今ごろになって化けて出てきてんのか?って話?まぁ、実際、化けて出ているってのとも、ちょっと違うんだけど。ま、いいか。それは健一にもすぐにワカるよ。おまえが、昔どおりのオマエならね。
「どういう意味だよ」
ーー ま、いいから。いいから。それよか、最初の質問への回答。なんで、俺が今さら、おまえの前に出てきたかって言うと。
「う、うん。なんでだよ」
ーー だから、そービビんなって。今日さぁ、おまえ呑んでたじゃん!?
「あ、あぁ。それがどうしたんだよ?」
ーー で、さぁ。そんとき。ちょっぴりだけ、おまえ、俺の事思い出したじゃん。
「は?なんだよ?それ?そんなん思い出してないって」
ーー いやいや。ちょっぴりだから、気ぃつかなくっても無理ないんだけど、確実に思い出したんだよね。
「いつ?なんの事だよ?」
ーー 質問ばっかだなぁ。ま、しゃーねーか。だから、それを説明しがてら、全部、思い出していただこうと思ってさ。全部、ね。
昔のままの山崎の口調。どこか人を小ばかにしたような。
「いいから、早く話せよ」
ーー まったく。せっかちなとこも変わってないなぁ。はいはい。話しますよ。話せばいいんでしょ。
「だから、なんなんだよ」
そう強い口調で言ったものの、俺の心臓は相変わらずバクバク脈打っているし、足は震えがとまらない。なんでもいいから一刻も早く山崎から開放されたい。そればかりが頭を占める。
ーー 俺さぁ、死ぬちょっと前に、健一ンとこ電話したじゃん?憶えてる?
山崎の発した死という単語が俺の心臓を更に躍らせる。
「え?あぁ」
そう言えば、山崎は死の一週間位前に俺のところに電話をかけてきていた。
「あぁ、憶えてる。確か、夜の結構、遅い時間だったんじゃなかったか?」
花筏の影が嬉しそうに揺れる。
ーー そうそう。やっぱ、憶えててくれたんだ。んで、さぁ。あの時の会話は?憶えてる?
「あの時。あの時は」
何を話したのだったろう。びくつく心臓と震える足をかかえ、今にもパニックを起こしそうな頭で俺は、必死に思い出そうとする。
ーー なんだよぉ。忘れちゃったのかよぉ。
のんびりした口調とは裏腹な、山崎のいらついた気配が伝わる。ヤバい。俺は危機を直感する。山崎の復讐。必死に考える。あの夜の事。あの夜。あの夜は。
山崎から電話がくる事は、頻繁とは言えないまでも、そう珍しい事でもなかった。だから、どの会話がいつの会話だったのか。いや、山崎との会話など、実際、俺は何一つ思い出すことが出来ない。どうでもいいこと。関係ない事。適当にあしらっとけばいい事。山崎との会話。思い出せる訳がない。
まだ、思い出さないのぉ?
山崎の苛立ちの気配が濃くなる。
マズい。なんとか切り抜けなければ。
「ヒ、ヒント。ヒントくれよ」
我ながら、情けなくなる程、子供じみた発想。
ーー ヒントかぁ、んじゃねぇ。
俺の思いに反して、山崎は楽しげで苛立ちの気配が薄らぐ。子供じみた。確かに。しかし、それは山崎があの日のままだという事なのかもしれない。
ーー OK!んじゃ、ヒントね。えーと、バーベキュー。
「バーベキュー」
途端に甦る記憶。
あの日、俺は無性に機嫌が悪かった。原因なんか思い出せない。そんな事はよくある事だった。
山崎が電話をかけてきたのは、そんなよくある一日だった。
自宅でひとりで自棄酒を飲んでいた俺は、ほろ酔い加減になり、そろそろ寝ようかと考えていた。
着信音。
「はい」
不機嫌な俺の声。
「あ、俺、俺」
対照的に明るい、山崎の声。
苛立ちを覚える。
「あぁ、なんだよ?」
「なんだよ。機嫌わりぃなぁ」
さらに、苛立つ。
「んなことねぇよ。なんか用事か?」
「いや、十分機嫌悪いよ」
確かに、機嫌が悪かった、その上、酔いも悪い方向に働いていた。
山崎からの電話。鬱陶しいけれど、雑誌でも読みながら適当に聞き流す。いつもなら。けれど、あの日は違った。俺は機嫌が悪かったし、山崎と付き合う事で得られる俺のメリットも山崎を知るメンバから離れてしまった今となってはほとんど無いに等しかった。山崎と話をしても、もう誰からも、健一はマジで面倒見いいよな。とも、いいやつだよなぁ。とも、言われる事はない。そんな事が頭をよぎりもしていた。もうオマエと付き合っても、全然、お得じゃねーんだよ。
苛立ち。
「だから、そんな事ないって」
自然、語気も荒くなった。
「なんか、マジで感じわりぃな。おまえ。そんなんじゃ、嫌われるぞ」
限界が近いのを自分で感じていた。俺が、なんで、俺が、アノ山崎にここまで言われなくちゃならないんだ?アノ、山崎に。
「おまえこそ、なんなんだよ。こんな時間に電話してきて、俺が嫌われるって忠告しに電話してきたのかよ?」
あまり、言葉を荒げた事のない俺の思いがけない強い口調に面食らった雰囲気が受話器越しに伝わる。
「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだよ。ただ、ちょっと聞きたいことがあってさ」
「なに?」
それでも、会話を続けようとする。気になるのは、俺の評判。健一に相談すると親身になってくれるから嬉しいよ。
「あぁ、あのさぁ、前に俺ら海でバーベキューした事あったじゃん?あん時にさぁ・・・」
「はぁ?バーベキュー?いつの話?」
俺は山崎の言葉を遮った。
「いや、だから、いったじゃん。一回」
まったく、憶えていなかった。山崎と海でバーベキュー?記憶のかけらも残っていなかった。バーベキューは仲間内で毎年やっていたが、山崎の事を気に入らないと口に出してはばからないヤツもメンバに何人かいたから、基本的に山崎は誘わなかったはずだ。山崎もそれに気が付いていたのか、俺達が声をかけなくても別に不満を漏らすこともなかった。
そんな状況で山崎がバーベキューに参加?
「おまえ、なんか勘違いしてない?俺、おまえなんかとバーベキュー行ったことないよ」
「え?」
沈黙。
「だから、俺、おまえとバーベキューなんて行ってないって」
「いや、行ったじゃん、あの時さぁ」
すがりつくような山崎の声。そんな山崎の声に苛立ちがぶり返す。再び山崎の言葉を遮った。
「行ってねぇって。だって、ありえねーもん。おまえの勘違いじゃねー?」
「ありえない。って、ありえないって、どういう意味だよ」
山崎の声を震わすのは、強い感情。怒り。悲しみ。俺には、関係ない。
「その通りの意味だって。誰か、他のやつと……って、それもありえねーか」
嘲笑。俺は自分の言葉に翻弄されていく。
「なんで、そんな事言うんだよ」
「だって、しょうがねーだろ。ホントの事だろ?あの頃の自分の立場、忘れちゃったのか?そんな昔の話じゃねーぞ?よく思いだせよ。や・ま・ざ・き・く・ん」
俺の声。悪意。
消え入りそうな山崎の声。
「健一、そういう事いうんだ」
揺れる。花筏。
居酒屋、誰かの声。あの声は。あれは。
ちょっぴりだけ、おまえ、俺の事思い出したじゃん。
揺れる。花筏。
「健一、そういう事いうんだ」
山崎の寂しげな口調が俺を冷静にする。評判。噂話。どこから話が漏れるかわからない。いくら相手が山崎だったとしても。
「……ごめん、言い過ぎたかもしれないけど、俺だって機嫌が悪いときもあるし」
「もう、いいよ」
「もういいってなんだよ?」
冷静になりかけた俺の頭がまた熱くなる。
尖った声。俺の、声。所詮、山崎。評判。噂。大丈夫。
「……ごめん、俺が悪かったよ」
取り成すかのような、山崎の声。
「なぁ、俺さぁ、もう眠いんだよ。話はまた今度にしてくんない?」
面倒そうな、俺の声。
「あ、あぁ、ホント悪かった。じゃぁ」
山崎の声。諦めている。
「あぁ、じゃな」
俺の声。どうでも、いい。
思い出してくれたみたいだね。
山崎の声。目の前の危機。山崎。
恐怖。山崎との最後の会話。
「あ。あぁ」
舌がもつれ、上手く言葉が出ない。
「悪かった。ごめん。でも」
ーー でも?何?あれぐらいの事、おまえは他のやつらにいつも言われてたじゃないか。って?確かに、そうなんだよね。あれぐらいの事ってーか、あれより酷い事なんか、いっつもいくらでも言われてたし。ま、いくら言われたって慣れる事はなかったんだけどね。
「で、でも、おまえいつだって、笑って」
ーー 笑って、謝って、冗談にしなきゃ、俺は一人ぽっちだもんね。何を言われても、どんな事されても、やってる方が冗談だよ。って笑えば。そうだよね。って笑うしかないし。そうじゃなくても、俺はアレだったしさ。けどさ、やっぱ、人間は慣れないんだよ。そういう事に。慣れる様には出来ていないみたいなんだよね。
「悪かった。本当に、ゴメン」
ーー なんで?健一は、俺に酷いこと言ったり、したりした事なんかなかったじゃん。いつも、いつも、俺なんかの事も気にかけてくれてたし。ほんと、健一がいたから俺、なんとか笑って切り抜けてこれたんだよ。ありがとう。それをどうしても伝えたくてさ。今日は。
俺は、胸をなでおろす。山崎は俺への恨みを晴らそうという気で、ここにいるわけではないらしい。
「なんだよ。そんな事で礼なんていいよ。別に、逆にもっといろいろ出来たと思うにの、何もしなくて悪かったよ」
ーー ううん。俺には十分だったよ。あれで。十分だった。
ーー あの、最後の電話で。俺には。
心臓が跳ね上がる。冷や汗が背を伝う。まだだ、まだ、安心しちゃいけない。まだ。
ーー あの電話で俺の唯一の友達の健一はこの世からいなくなっちゃった。いろんな事がわかっていて、誰にでも優しい健一に一つだけわからなかった事は、俺みたいなのに優しくするって言う意味だね。今となっては、健一がその時のノリと自己愛から俺に優しくしてただけってのはよくわかるんだけどさ。ね。誰にも嫌われたくない。優しい、優しい、け・ん・い・ち・く・ん。
ーー だけど、あの時の俺には何もわからなかった。ただただ、悲しかった。絶望だった。俺のつまんない話を聞いてくれて。まぁ、そんな事もあるよ。とか、そんなんだったら、俺の方が、とか、どうでもいい話を出来る相手がこの世に一人もいなくなっちゃった。って、それが悲しくて。悲しくて。
ーー 本当は俺には最初から、そんなヤツいなかったってだけの事なんだよね。
ーー でも、俺はあの日、それが無くなったって勘違いしちゃってさ。それで、俺、あの日。もう死んじゃおう。って決めて。どうやって死のうか考えて、でも俺がなんで死んだのかを健一にだけはわかってほしくて、あれこれ考えて。
ーー そうそう、最後の電話の時に聞こうと思ってた話。あれはね、あの夏のバーベキューに行く途中で健一がどうしても欲しいアルバムがあるって入った店で買ったの何てアルバムだっけ?って聞きたかったんだ。なんか、ほんとどうでもいい話だよなぁ。そんなん聞きたいと思わなければ、あの夜、俺が電話する事もなかったし、そしたら健一とずっと友達でいられたんだよなぁ、とか思って。じゃ、あの店の前で事故れば、バーベキューの事思い出してくれるんじゃないかって。ね。それで、あの店の前の電柱にドカン。
「そ、そんな。それは」
確かに、そんな事があった。あれはいつの夏だったのだろうか?バーベキューに行く途中、俺は大好きなアーティストの新譜が欲しくて、途中で店によって買ったのだった。でも、あの時に山崎がいたかどうかは今でも思い出せない。
ーー ま、結局、俺があの店の前で死んだからって、健一が俺がいたバーベキューの事を思い出してくれる事もないまま、今日に至るってわけだから、俺も考えが甘かったよなぁ。
ーー 何はともあれ、これが、俺の死の真相。で、バーベキューに俺がいた事思い出してくれた?
「……」
山崎とのバーベキュー。何ひとつ思い出せない。でも思い出せないなんて言えるわけがない。
「もちろん。思い出したよ。あの夏のことだろ?なんで忘れてたんだろ、俺?あん時は楽しかったよなぁ」
俺の口から出たのは、迎合。そして、愛想笑い。嘘。
ーー よかったぁ。これでまだ思い出せないなんて言われたら、憑り殺しちゃおうかと思ったよ。
笑えない山崎の軽口。
「そりゃ、いくら俺だって、そこまで酷くないよ」
ひきつる舌を無理やり動かす。
ーー だよね。楽しかったなぁ。あん時は。日が暮れちゃって、肉が焼けてんだか生なんだかワカんなくて、いちいち懐中電灯で照らして確認したりしてさ。
「そうそう、そうだったよなぁ。ばかだったよなぁ、俺ら」
俺の記憶にない思い出を語る山崎。俺の中の山崎はあの時から既に存在していないのと変わらない。悟られないように。切り抜けろ。気付かれなければ。山崎との思い出は本当になる。山崎の中でだけ、本当の事になる。でも、山崎がもっと詳しい話をしてきたら。いつだかわからない、あの夏の。俺の中には存在しない、山崎の特別な夏。大丈夫。切り抜けられる。相手は山崎。大丈夫。
ーー あ〜。今日は楽しかった。健一にきちんと俺の話伝えられたし。思い出話も出来たし。これも、健一が俺のことを少しでも思い出してくれたおかげだよ。ありがとう。
「全然、そんなん。俺ら友達だろ?」
助かった。どうやら山崎は思い出話を続ける気はないらしい。これで、山崎から開放される。
ーー そう。友達だよね。そうそう、健一さ、これからもたまにでいいから、俺の思い出話につきあってくれない?結構、死人ってのも暇でさ。誰かが思い出してくれるまで出番ないし。
「俺も楽しかったよ、今夜は。思い出話くらいいつでも、いくらでも付き合うよ」
ーー そっか。やっぱ、変わんないなぁ、健一。俺、ほんと嬉しいよ、健一はいつでも、優しくて、思いやりがあって。
ーー 嘘吐きで。
ーー あーあ。何言ってんだか、バーベキュー昼間だったじゃん。まったく。詰が甘いよ。健一。
悪戯っぽい声。
耳元。
ざわめき。
突風/手。
唐突に。
強い力。
背後から。
視界。
傾く。
落下。
迫る。
ゆっくりと/急速に。
川面。
風。
近づく。
花筏。