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花筏10

 ぼくの腕がお母さんに引っ張られる。お母さんの手に力が入る。お母さんの目は川をみている。お母さんにひっぱられてぼくの頭が川の上に出る。ぼくは怖くて目をつぶる事もできないまま、川をみる。

 いっぱいの花びらがういている。桜の花びら。その桜の花びらに満月に照らされたお母さんとぼくの影がうつっている。

 突然、風が吹いて桜の木がざわざわと鳴った。


「だれ?」

おびえたようなお母さんの声。

「そんな、そんなことって」

「でも、じゃぁ、本当に」

「うん。そう。でも」

 お母さんの声。ぼくは恐怖のあまり声をあげて泣いていた。

 何がおこったか、わからないまま、ただただ泣いていた。



 ざわざわ、と、なる桜の枝。

 ざわざわ、ざわざわ。

 和美。

 ざわざわと、呼ぶ声。

 誰かが。

 誰かを。呼ぶ。

 声。

 

 ーー和美。

「だれ?」

 ーー私だよ。和美。私のことがわからないの?まぁ、なんて薄情な娘だろうねぇ。

「そんな、そんなことって」

 ーー和美、ごめんなさいね。死んでからも、こんなに思い煩わせることになってしまうとは思っていなかった。おかあちゃんを許してちょうだいね。

「でも、じゃぁ、本当に」

 ーーそう、和美。私の可愛い娘。おかあちゃんが悪かったわ。ごめんなさいね。あれから、さぞかし辛い思いをしたのでしょう。

「うん。そう。でも」

 ーーでも、何?

「でも、それは、お母ちゃんのせいじゃない。あぁ、本当にお母ちゃんなの?」

 ーーそうよ。和美。いったい何をそんなに気に病んでいるの?

「お母ちゃん。お母ちゃんが私にくれると言っていた、あの指輪の事、憶えている?」

 ーーえぇ、憶えているわよ。あの紫水晶の指輪ね。

「そう、小さい頃、私がまだ小さい頃、きれいねぇ。きれいねぇ。と見ていた、あの指輪」

 ーーそうだったわねぇ、あなたは殊の外、あの指輪が気に入っていて。

「そう、大きくなったら、私に頂戴。ってお願いしていた、あの指輪のこと」

 ーーあれは、安物だったのよ。本当に安いものだった。

「でも、あれは、父さんが、おとうちゃんが、お母ちゃんに買ってくれたものだったんでしょう?」

 ーーそうね。あれは、あの道楽者の父さんが珍しく私に買ってくれたものだった。

「だから」

 ーーそう、だから、あなたが大人になるまでは私の物として大事に、大事にしていたもの。

「そう、だから私は楽しみに待っていた。大人になってお母ちゃんからそれをもらえる日を」

 ーーそうねぇ。今となったら早くあなたに渡しておくんだったわね。あんなことになるんだったら。

「あんなこと。あんなこと。私は許せない。お母ちゃんは気が付いていたの?あの日のことを?」

 ーーそうねぇ。危篤だぁーとか、瀕死だぁーとか周りは騒いでいたけれど、私は意外とわかっていたのよねぇ。

「じゃぁ、それじゃぁ、あれは。あの女のことは?」

 ーーわかってるわよ。それゃ。わからないわけないじゃない。


 あの日、危篤だと言われてみんなが集まる直前に現れた、あの女。

 私の兄の嫁。それだけの他人。

 危篤なお母ちゃんの枕もとの引き出しを引っ張りだした。

「これは、もうおばあちゃんにはいらないものですからね」

 彼女の子供達にわけあたえられる、小銭。

 あら、この財布は古臭くて使えないわね。

 投げ捨てられる財布。

 なんだって、こんなもの取ってあるのかしら。折り紙。鶴。お土産。キーホルダー。お守り。捨てられる。

「あら、綺麗」

 見つけ出された、紫水晶。

「おばあちゃんには、もう必要ないものですものね」

 繰り返される台詞。

 それは、私の。

 私が、お母ちゃんにもらう約束をしていた指輪。紫水晶。

 言ったら、お母ちゃんが本当に死んでしまいそうで、本当に死んでしまうことはわかっていたけれど、それでも、それでも、言えなかった。私の紫水晶。


「あの、紫水晶は……」

 ーーそうね。あれはあなたにあげる約束をしていたけれども、でもねぇ。あれは、物でしかないからねぇ。

「そんなことない。私は悔しくて、悔しくて、今でも思い出す度に……、お母ちゃん、ごめんなさい。お母ちゃんが折角、私にくれようとした物を、あの紫水晶をあんな女にとられてしまって」

 ーー何を言ってるの。それは順番が違うでしょう?私はあなたが欲しがっていたから、あなたにあげるといったのよ。私があげたいのではなくて、あなたが欲しいものをあなたにあげたかった、それだけよ。

「でも、でも、私にはお母ちゃんの思い出だった。だから、私は。私は、あの、紫水晶が。欲しかった」

 ーー和美があの紫水晶を失った事で私との思い出まで無くなった様な気持ちになってしまっていたのは分かっていたの。でも、あなたがあの紫水晶と一緒に失ってしまったのは、私の思い出なんかじゃない事は本当はもうわかっているでしょう。あの、紫水晶はただの物にしかすぎないという事に気がついているでしょう。私の思い出がなくなったのなら、私との約束に心を捕らわれてしまい、こんな結果になる事もなかった筈。

 ーーねぇ、和美。あの紫水晶だけが私の思い出になってしまうなんて、あの紫水晶をもらえなかった事が和美にとって私の一番の思い出になってしまうなんて事、そんなのお母ちゃんが可愛そうだと思わない?和美、物に執着して気持ちをとらわれるのは止めなさい。

「でも、でも、お母ちゃん、もう、遅い。もう、遅いのよ。私の家族はもうばらばら、彼も帰ってこないし、この子も塞いだままで、もう、私にはどうしたらいいのか」

 ーーだから、だから、誠と一緒に死のうと言うの?今、ここで?間違いよ。それは。

 ーーお母ちゃんの子供の和美。そして和美の子供の誠。私の可愛い可愛いおまえ達がいつまでも不幸でいる事なんてある筈がない。いつの日か誠も大きくる。大人になり立派になって、そうしておまえを助けてくれる日がきっとくる。

 ーーだから、誠を死なせちゃいけないよ。いつの日かきっと、誠が立派になって、幸せな日がやってくるからね。それまで、死のうなんて考えちゃいけないよ。

「うん。うん。わかった」

 ーーきっと、約束だよ。きっと。絶対に誠がおまえを守ってくれる立派な男になるから、必ず。それまで、それまで、辛いだろうけれど頑張るんだよ。いいね。わかったわね。

「わかった。ありがとう」

 ありがとう、お母ちゃん。


 僕の背中。母の温もり。抱きしめられる。

 遠ざかる。

 花筏。

 あの日の。あの川。遠ざかる。

 重なる。近づく。水溜り。

 近づく。現れる。

 花筏。

 庭の水溜り。揺れる影。祖母の声。


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