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うたかた  作者: 武鬼
9/14

本心

 水曜日の三限目の終了を告げるチャイムが期末試験の全行程が終了したことを知らせる。回収される答案用紙とクラスのあちこちから聞こえる諦めの声や疲れを帯びたため息、すぐに近くの生徒と答え合わせをする者たち。反応は様々だが全体の雰囲気的にはお通夜ムードに寄っている。

 いつもの僕だったらぐったりと机に倒れ込んでいることだろう。だが今回は違う。しゃんと背筋を伸ばし、回収待ちの自分の解答用紙を眺めながら、うんうんと頷いている。僕は成し遂げたのだ。新崎先生のご教授と土日休みを返上した甲斐(かい)あってテスト用紙の空欄をすべて埋めることができたのだ。なんだやればできるじゃないか染川巧よ。ほとんど新崎のおかげのような気がするけれど、ここは素直に自分を褒めておこうじゃないか。

 テスト用紙を回収し終えたテスト監督の先生と入れ替わりに担任の幸田が教室に入ってきた。


「さて、一学期の期末テストが終わったわけだが。手応えがあった人もなかった人も、とりあえず三日間お疲れ様! 木曜金曜はテスト休み、そこから土日休み。そのあとにテスト返しなわけだ。まあひとまずそれは置いといて――今年も星河祭(せいがさい)の季節がやってきましたぁ!」


 担任の幸田の言葉に、先程のお通夜ムードが嘘だったかのような歓声があがった。すべてのテストを終えた水曜日のホームルーム。労いとビッグイベントのお知らせの時間だ。星河祭とは、市の自治体と学校が共同で開催する大規模な夏祭りのことだ。子供から大人まで誰もが参加するこの地域における一大イベント。屋台店の数は数百を優に超え、地元の人は当然のことながら、別の街や県外からの客も多い。テレビでは毎年のように報道され、夏の到来を知らせる行事として認知されている。

 そのお祭り騒ぎが今年もやってきたというわけだ。そしてこのホームルームの時間に星河祭の実行委員とクラスの出し物を決める。夏祭りだから屋台店一択じゃないかと思う人もいるだろうけど、星河祭はバラエティに富んでいる。去年の三年生は体育館のステージを借りてライブをやっていた。基本的に出し物は自由なのだ。文化祭に近いものがある。まあ文化祭も文化祭でやるんだけど。

 とにかく、星河祭はこの街の誰もが楽しみにしている。特に学生たちは期末テスト明けということもあり、羽目を外す絶好の行事というわけだ。


「それじゃあさっそく実行委員を決めようじゃないか。誰かやりたい人はいるか?」

「はいはい! オレやる! やります!」


 真っ先に手を上げたのは淳一だった。軟派なやつだがなんだかんだで人望が厚く、クラスのムードメーカー的な立ち位置にいる。案外顔も広いし、自分が楽しむためなら努力を惜しまない男だ。去年も実行委員を務めており、皆淳一を高く評価していた。他に対抗馬はいないようだ。去年に引き続き、淳一が男子の実行委員となった。女子の立候補者は何人かいたのでジャンケンで決定された。

 次いで出し物だ。無難に食べ物を売る屋台にしようとの意見でそれが採用された。売り物はお好み焼きとたこ焼きになった。そんなこんなで決定事項は順調に決まっていった。普通は何をやるかで結構揉めたりするものらしいけど、このクラスはそれがない。淳一の手腕によるものなのかたまたまなのかはわからないけれど、揉めないにこしたことはない。争いがないということはいいことだ。誰も嫌な思いをしないし、なにより早く終わる。一限としてたっぷりの時間を取られていたホームルームは、半分ほどの時間で終わったのでだいぶ早いが、解散となった。


「たっくみぃー! 今年もぉ! 夏がやってきたぜ! かわいい女の子があちこちからやってくるこの季節がぁ!」


 さすがの軟派男だ。考えることはいつもかわらない。


「ガキの頃から毎年あっただろ。そんなにはしゃぐことか?」

「ンなぁにもわかってないな巧くんはぁ。毎年恒例だからこそだろぉ! お前はどうしていつもそんななんだよぉ!」


 バシリと背中を叩かれる。なんだこのテンション。絶妙にうざい。


「もっと楽しそうにしてもいいんじゃねぇか? だって今年は意中の子がいるんだろぉ?」


 そう言われて、彼女の顔が思い浮かんだ。

 いつも放課後一緒にいて。

 話して笑って。

 そんな時間を過ごしている彼女の顔が。


「まあオレがあれこれ言うものでもないけどさ。チャンスなわけじゃん? いい機会なわけじゃん? だったら誘ってみてもいいと思うんだよねぇ」


 確かにそうかもしれない。僕と彼女はいつも旧校舎の美術室でしか会っていない。彼女と一緒に屋台を回るのもいいかもしれない。


「ああ。考えておくよ」

「うんうん。青春は短い。大志を抱け、少年よ! 命短し恋せよ男子だ! じゃ、オレはいろいろと準備があるから」


 そう言って淳一は教室をあとにした。実行委員は多忙だ。実際の準備期間は来週からになるが、実行委員はテスト休みから準備を始めたりする。必要があれば学校に泊まり込みで作業をすることだってある。実行委員は、クラスの要なのだ。僕はまあ、月曜からでいいだろう。それで誰かに咎められることもないだろうし。僕はいつものように旧校舎に向かった。




 旧校舎の美術室を訪れた。友人が実行委員として仕事をするなか、女子とのおしゃべりに興じることに対して、罪悪感のようなものを感じないわけではない。それでも淳一は望んでやっているわけだし、僕にだって放課後を好きに使う権利くらいはあるはずだ。


「やあやあ染川くん。とりあえずテストお疲れ様だね。それで? 手応えはあったのかな?」

「ああ、バッチリだ。こんなに自信を持てたのは今回が初めてだ。礼を言うよ、新崎」

「とりあえず期待はできそうだということだね。でも今回だけがんばっても意味はないよ? 次回以降もしっかりと勉強することだ」

「ははは…………善処するよ」

「うんうん。まあその時は私がまた面倒を見てあげようじゃないか。さて、この話はこれくらいにして。今日も雑談でもしようじゃないか」


 いつものように雑談を始めた。新崎と過ごす時間はあっという間だ。今日もその例に漏れない。今まで誰かと話していてこんなに早く時間が流れるなんて経験はしたことがなかった。今日は特に時間を忘れていた。彼女の指摘を受け、スマホで確認する。

 午後5時48分――それが今の時間だった。しまったと思うにはもう遅すぎる時間だ。いつもならこんなミスをすることもないはずだ。祭りの陽気に当てられて、僕も少し気が舞い上がっていたのだろうか。


「染川くん。もしかして君の家は、門限が決まっていたりするのかな?」

「どうしてそう思うんだ?」

「……なんとなくそう思っただけだよ」


 新崎はまっすぐに僕を見たままそう答えた。


「ああ。門限はある。午後6時だ。全力ダッシュでギリギリ間に合うかどうか」

「それは申し訳ないことをした。私のせいだ。私が長話をするからそれで」

「新崎は悪くないよ。僕が気づかなかったせいだ。悪いけど今日はこれで帰る。じゃあ、また」


 スクールバックを担ぎ、背を向ける。


「染川くん」

「うん?」


 去り際に呼び止められる。僕は彼女の方に向き直ると彼女は少し俯き加減だった。長い髪でよく見えないけれど、きっとその表情は暗いのだろう。そんな気がした。彼女は続けた。


「君には君の生活があるんだろう? 友達と遊んだり家族と過ごしたり。だから私のことを優先してくれなくてもいいんだよ? 私なんかのために君の大切な時間を使ってくれなくてもいいんだ。嫌だったらそう言ってくれてかまわない。無理に来なくてもいいんだ。私は君と話せただけで嬉しかった。もう十分なんだ。こんなに毎日嬉しいことがあっては、いつかバチが当たってしまうよ。君はとても優しい人だ。私は、君のような人に……迷惑をかけたくない」

「新崎は、自分が迷惑をかけているって言うのか?」

「現にそうじゃないか。私に会いに来なかったら、君は門限に遅れることはなかった。きっと君が家に帰った時に、君はとても怒られるだろう。私のせいで君に嫌な思いはしてほしくない。だから――」


 だから――もう来なくていいってか。


 なんだよそれ。わけわんねぇよ。その時の僕は少し腹が立ってしまった。門限に間に合わないのに呼び止められてたことではない。彼女の――新崎の態度にだ。


「バカかよ、新崎は――」

「……え」


 以心伝心なんて言葉があるけれど、言葉にしなければ伝わらないことがある。出会って間もない人間同士であればなおさらだ。だから言ってやらなければならない。言わなければならない。言って、伝えなければならない。


「いいか新崎。僕は新崎と話すのが楽しいから、新崎といるのが居心地がいいからいつもここに来てるんだ。嫌なやつと毎日話できるほど僕は器用な人間じゃない。毎日嬉しいことがあってもいいじゃないか。そんなんでバチをあたえるほど神様の心は狭くねぇよ! 毎日嬉しいことがあれば幸せじゃないか! 毎日幸せでバチが当たるはずないだろう! 幸せに十分なんてない。幸せであるならば、幸せであり続けたいと願うもんじゃないのかよ! 嘘ついてまで人に気を使ってんじゃねぇよ!」


 嘘――新崎は嘘をついていた。無理して来なくてもいい、なんて思ってるわけがない。きっと彼女は毎日来てほしいと思っている。できることならばずっと話をしていたいと思っている。彼女はいつも別れ際に必ずこう言う。


「また会いに来てくれると嬉しいよ。君と話すのはとても楽しいからね」と。


 そして淋しげに笑う、いつも必ず。だから僕はいつも「じゃあ、また」って返すんだ。

 また来る。

 だからそんなふうに笑わないでくれって。

 その想いが伝わっているかはわからない。それでもまた会いたいと思うのは本当だった。だから僕は言う。心からの言葉を。


「迷惑なんてかけてなんぼだろうが。それでも一緒にいたいって思えるのが本物なんじゃないのかよ!」


 僕は伝えた。後先を考えず、その時の感情に身を任せて。新崎はとても驚いたような表情を浮かべた。僕だって驚いている。まさか自分が説教じみたことを誰かに言う日がくるとは思いもしなかった。それでもやってよかったと思えた。伝えることができてよかったと思う。だって、さっきまでの暗い雰囲気の彼女はそこにはいなかったのだから。

 そして彼女は意地悪そうに笑いながら言った。


「それは、愛の告白と受け取ってもいいのかな?」

「…………は?」

「迷惑なんてかけてなんぼ。それでも一緒にいたいって思えるのが本物。君は迷惑をかけられても一緒にいたいと、そう思ってくれるのだろう? 異性である私と。これはもうそういった意味合いに取られてもしかたがないと思うんだ」

「は、はあ? そういう意味で言ったんじゃ……」


 さっきの自分の言葉を訂正しなければならない。いつものようにからかうネタになってしまった。慣れないことはするものじゃない。良き教訓だ。それでもきっと、僕のしたことは正しかったのかもしれない。新崎がいつものように笑ってくれたのだから。


「はっはっはー。観念したまえ染川くん。どこだい? 私のどこに魅力を感じてあのような情熱的な言葉を言ってくれたのかな」

「――――っ」


 顔が暑い。顔から火が出るとはまさにこのことだ。彼女のフィールドで僕は無力だ。手のうちようがない。


「ふふっ。やはり君はかわいいね。そういうところも含めて、私は君のことが好きなんだ」

「…………は?」


 スキ?

 スキってなんだ?


「なんだい染川くん? こんな大切で恥ずかしい言葉を女の子に二度も言わせるつもりかい?」

「……は? い、いや――あの」

「しょうがない人だね君は。ふぅ……好きだよ、染川くん」


 新崎はひとつ呼吸を置き、再びその言葉を口にした。

 スキ、すき、好き。

 好き=LOVE――愛。

 その言葉が正しく変換されるまできっと僕は呆けた面をしていただろう。そしてその言葉が発展していくにつれてきっと僕の顔は赤くなっていっただろう。


「あ、え、えっと……」


 17年間生きてきてそういった場面に出くわしたことは何度かあった。何度かあってもそう簡単に慣れるものではない。それでもここまで言葉が出なくなることはなかった。何故かはわからない。でも、彼女の時はうまく喋ることはできなかった。


 彼女の時だけは――。


「ふふっ。やっぱり君はかわいいね。君といると退屈しないよ。とてもいじりがいのある人だよ君は」


 そう言いながら、いつも僕をからかう時に浮かべる意地悪そうな笑みを浮かべた。もしかして、ひょっとすると僕はからかわれていたのだろうか?

 そういうことだったのだろうか?

 まさかそんな。


「どうしたんだい? そんな残念そうな顔して」

「いや……なんでもない」


 ああそうだ。なんでもない、なんでもないんだ。結局のところ早とちりというのか勘違いというのか、まあそういうことらしい。


「それはそうと染川くん。呼び止めてしまった私が言うのもなんだけど、そろそろ行かないとまずいと思うんだ」


 僕はスマホを取り出して時間を確認する。これは、間に合いそうにないな。





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