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うたかた  作者: 武鬼
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和解

 星河祭は大成功に終わった。クラスで打ち上げをしようという話になったけれど、到底そんな気分にはなれなかった。僕は実行委員である淳一に断りを入れて帰宅した。いつもは食い下がったり茶化したりする彼だったが、今回はやけに素直に承知してくれた。家に帰ると親父が何かの片付けをしていた。


「巧、帰ったか。今日は星河祭だった。門限は大目にみてやろう。だが明日からはいつもどおりだ。染川家の人間として規律ある行動を心掛けろ」


 いつもだったら無視して自分の部屋に向かったはずだ。でも今回は用事がある。新崎から伝えてほしいと言われたことがある。


「親父……話がある」

「俺にはない。さっさと消えろ」


 こちらを見もせずに吐き捨てる。でも簡単には引き下がれない。


「親父。大切な話なんだ」


 親父は探るような目でこちらを睨む。


「いいだろう」


 やがて作業を止め、こちらに向き直った。


「新崎彩音って人を知ってるか?」


 その名に親父は目を見開いた。それも一瞬で、すぐに仏頂面に戻った。


「何故その名を知っている?」

「あ、ええと……星河祭でその人の子供に会って――」

「嘘をつくな。彼女は30年以上前に亡くなっている。俺をからかうつもりならば、話はここで終わりだ」

「まってくれ。からかうつもりはない。ないんだけど、その、なんていうか。本当のことを言っても信じてもらえないと思ったんだ」


 新崎の幽霊に会ったなんて、こんな一ミリもオカルトを信じてなさそうな親父に言っても一蹴されるに決まっている。


「話してみろ」


 それでも話せというのであれば、本当のことを言うしかない。


「新崎彩音の幽霊に会ったんだ」

「それを俺に信じろと?」

「だからぼかしたんじゃないか」


 望みは薄そうだ。信じてもらえないとなると、彼女の言葉を伝えても嘘だと思われるだろう。彼女の残した最後の頼みは果たせないかもしれない。


「信じてやろう」

「…………は?」

「信じてやると言ったんだ」

「ウソだろ……。全然そういうの信じない人間だと思ってたよ」

「染川家は代々霊感が強い家系だ。俺の父もそうだった。俺自身も何度か見たことがある」

「マジかよ……」


 そんなとんでも設定、今までどこにも出てきてないんだけど?


「それで? 彼女に会ったからどうだというんだ?」

「ああ、えっと。彼女から伝えてほしいと言われたことがあるんだ」

「ほう。彼女から」

「『祭りに一緒に行けなくてごめんなさい。でも、誘ってくれてとても嬉しかった。いろいろとありがとう』って。彼女は言っていた」


 親父は唖然としていた。やがてその表情は悲痛なものへと変わる。


「俺は……彼女に礼を言われるようなことなどなにもしていない、できていない。俺は彼女に恨まれるべきなんだ。俺は――彼女を見殺しにしたようなものなのだから」


 生まれて初めて親父のそんな顔を見た。鉄面皮で合理性の鬼のような彼がした人間らしいその表情を。だから少し戸惑った。


「親父……?」

「少し、昔話をしてもいいか?」


 僕の呼びかけに対してやや食い気味にそう切り出した。


「……ああ」


 その気迫の混じった重い声に気圧されながらも同意した。






 俺は染川財閥の会長である父の一人息子として生まれた。偉大な父の跡を継ぐのだと、幼少の頃から努力を重ねた。

 父は人一倍正義感が強かった。慈善活動にも力を注いでいた。世界中の活動家に呼びかけて戦争のない世界を実現させようともしていた。それを見て育った俺の中にも強い正義感というものが芽生えた。しかし、当時の俺は酷く臆病だった。そのせいで自分の中にある正義の心を燻ぶらせていた。

 高校の時だった、新崎彩音という女生徒に出会ったのは。彼女はよく美術室で絵を描いていた。何故か夏場でも長袖を着ていたのを覚えている。ある日の放課後、部活の備品を整理しに体育倉庫に向かった俺は、そこで座り込んでいる彼女を見つけた。よく見ると彼女の服は汚れていて、靴は片方無かった。何があったのかと俺が訪ねると、彼女は言った。


『なんでもないよ。いつものことだから』と。


 俺は理解した。彼女は虐めを受けているのだと。俺は彼女を保健室に運んだ。そして俺は言った。俺が守ってやる、と。彼女はとても驚いたような表情を浮かべた。だがすぐに目を細め、笑った。それを見た俺は、不意に口から言葉が飛び出した。


 もしよかったら星河祭、一緒に行かないか、と。


 彼女はありがとう、と言って笑った。俺は彼女を星河祭に誘おうと思っていたわけではなかった。ただ、時々見かける彼女の儚げで、そして美しいと思えるその容姿に気づかぬうちに惹かれていたのかもしれない。俺と彼女は互いに名乗り、その日は別れた。俺は彼女を守る、そう決意を固めた。これでようやく父のような立派な人間になれる。その一歩となる。そう思った翌日だった。放課後の美術室から怒鳴り声のようなものが聞こえた。

 様子を見に行くと彼女を取り囲む数人の男女の姿があった。俺はすぐにわかった、虐めの現場なのだと。助けようとしたが足が動かなかった、情けないことに。僅かに開いた戸の隙間からその光景を見続けることしかできなかった。

 不意に彼女と目があった。彼女はなんでもないというようにに薄く笑った。優しさに満ちた微笑みだった。俺は胸が押しつぶされる思いだった。堪らずその場から逃げ出してしまった。


 次の日だった。彼女が亡くなったことを知らされたのは。俺は激しく後悔した。あの時飛び出していたら、こんな結末にはならなかったかもしれない、と。それと同時に自身を憎んだ。守ってやると言っておきながら、彼女を見捨てた自分を憎んだ。俺はせめてもの罪滅ぼしとして、教師に一部始終を話した。それでも事件は公にならなかった。警察の捜査があったにも関わらずだ。虐めはなかった。ただの不幸な事故だった。

 俺は深く絶望した。自分には何の力もない。何も変えることができない。誰も救うことができない。

 俺はその日、父に言った。あなたのような強い人間になりたい。あなたのような誰かを助けて、笑顔を守るような人になりたい。父は俺にとある慈善活動を勧めた。それは戦争難民の支援だった。俺は飛びついた。高校を中退し、海外に飛んだ。英語には自信があったが、学校で学んだ日本語主体の英語教育はまるで役に立たなかった。俺は必死で英語を勉強し、父の友人の助けを得ながら、現地での活動に注力した。何年も何年も。世界中を飛び回った。俺は自分の甘さを全て捨て去った。そこで俺は新崎彩音という少女を救えなかった弱き自分と決別した。

 その最中、父が事故にあったという知らせを聞いた。すぐに日本に戻ったがその時には父は弱りきっていた。父は俺に言った。なりたい自分になれたか、と。


 俺は――答えることができなかった。


 その日に父は息を引き取った。人々を助けるために奔走した数年間だった。まだやらなければならないことが山積みだった。だがその気力がわかなかった。尊敬する父の死は、俺に大きな傷を残した。通夜や葬式もどこか他人事のように思えた。涙は出なかった。ただただ虚無感だけが俺を支配した。葬式が終わり、抜け殻のような状態だった俺に一人の女性が話しかけてきた。その女性は父に世話になったことがあるそうだ。

 俺はその女性と父の話をした。多くのことを話した。俺が尊敬する父の話を。話をしていると不意に涙がこぼれた。それを止めることができなかった。胸の内に留まっていたさまざまな思いが溢れ出した。俺は泣いた、泣き叫んだ。みっともなく、大きな声を上げて。父に世話になったという女性は何も言わず、静かに俺の背をさすってくれた。

 俺はその女性と度々連絡を取るようになった。慈善活動のことや仕事のことで彼女にはいろいろと手伝ってもらった。父の跡を継ぎ、必死になって働く俺を支えてくれた。いつの間にか俺は彼女に好意を抱いていた。大きな仕事を片付いた後、俺は思いの内を彼女に伝えた。彼女は頷いてくれた。式はすぐにあげた。


 彼女は――冬子(とうこ)は俺の妻となった。


 しばらくして彼女の腹に子が宿った。その話を聞いて俺は思い描いた。子が生まれ、家庭を築いていく。温かで幸せな家庭だ。それから六ヶ月ほど経ったある時、染川財閥のグループ会社が海外進出することが決まった。俺がその指揮を行うこととなった。俺は後ろ髪を引かれる思いだったが、冬子と腹の子を残し海外に向かった。そこで最悪の知らせが二つ届いた。ひとつは冬子が大病を患ったこと。もうひとつは、現地でテロが起こり、交通手段が完全にその機能を失ったことだ。俺は日本に戻ることも、現地で作業を進めることもできなくなった。

もどかしい時間が四ヶ月近く続いた。日本に戻れた数日後に彼女は陣痛に襲われた。俺はひたすら祈った。神に、仏に。

 そして――子が生まれた。それと同時に、冬子は息を引き取った。俺は生まれた子を抱いた。この世の悲劇を知らない無垢な子だ。俺は嬉しかったがそれよりも怒りが芽生えた。俺は子を片手で抱き、もう片方の手で医者に掴みかかった。何故妻の手術をしなかったのかと。どうして彼女を助けてくれなかったのかと。

 医者は言った。あなたの奥さんが、そう望んだのだと。手術をすれば、子供に負担がかかる。何かの障害を持って生まれることになるかもしれない。最悪死んでしまうこともあり得た。彼女は自分と子を天秤にかけ、子を選んだのだと。

 俺は力なく医師を掴んでいた手を離した。俺は何もできなかった。高校時代に出会った少女の時も。事故にあった父の時も。大病を患った妻の時も。俺は無力だった。無力なままだった。いくら自分の甘さを捨てようとも。慈善活動で多くの人々を救おうとも。大企業のトップになろうとも。一番大切なものは、なにひとつ守れなかった。俺は我が子を見つめ、決意した。この子に俺と同じ過ちを繰り返させてはならない。


 俺は子の教育に全力を注いだ。強い人間になるように。染川の名に恥じぬ人間になるように。だが俺の教育は失敗した。俺はやり方は間違えてしまった。結果、大きな溝を作っただけだった。






「……長々とすまなかったな。話は、これで終わりだ」


 そう言って親父は大きく息を吐きだした。知らなかった。親父の過去がそんな壮絶なものだったなんて。一度も自分のことを話してくれなかったから。それ以上にその機会がなかったから。


「親父……」


 なんと言えばいいかわからなかった。僕の人生に、そんな過去を経験した人にかけるための言葉は、一度もでてきたことがない。しかも父親だ。何年間も喧嘩を続けてきた父親だ。


「俺は尊敬する父が残したものを守ろうとした。お前を立派な人間に育てようとした。俺は……そればかり考えていた。それしか、考えていなかった。俺は……染川家の長男という人間しか見ていなかった。お前を――染川巧という俺の息子を見ていなかった。俺は愚かな人間だ。愚かで頑固で……無力な人間だ。巧、お前は自分のやりたいことを見つけろ。この呉服屋は継がずともよい。お前はお前の道を探せ。だが最後にひとつだけ言わせてほしい。どんなことがあろうとも、俺のような人間にはなるな。それだけだ」


 親父は背を向けて作業に戻ろうとした。


「親父」

「話は終わった。俺からもう何も言うことはない」

「親父。実はもうやりたいことは見つけたんだ。俺は――この呉服屋を継ぎたい。親父の跡を継ぎたい」

「……どうしてだ?」


 驚きを隠そうともせずに親父が訪ねた。


「新崎に着物を着せてやったんだ。星河祭だったから着物を着てみたいって。彼女は笑っていた、とても嬉しそうに。それを見て思ったんだ。これで誰かを笑顔にしたいって」

「本当にいいのか?」

「ああ」


 これが僕のやりたいことだ。新崎と出会って見つけたことだ。


「だからさ親父。仕事の事とかいろいろ、僕に教えてくれないか?」

「……あぁ――ああ! だが覚えることは多いぞ? 夏休みはないものと思え」

「望むところだ」


 僕と親父は和解した。きっかけは新崎だった。なんだか彼女を利用した形になってしまったことを申し訳ないと感じるけれど、きっと彼女もこうなることを望んでいたと思う。きっと喜んでくれると思う。

 その日、夢を見た。古くてボロい建物。木造であちこち傷んでいる。床なんかは下手をしたら抜けてしまいそうだ。ホコリが目立ち、クモの巣もある。西棟二階のつきあたりを右に。美術室の札がある教室。いつも新崎がいた場所。そこに彼女の姿はなかった。誰もいない美術室。

 そこで僕は、ただ立っていた。目が覚めると僕は泣いていた。夢で泣くなんて恥ずかしい。新崎はもういないんだ。別れを告げたじゃないか。だというのに夢の中で会えればよかったのにと思ってしまった。

 17年間生きた中のわずか一ヶ月ほどだったけれど、彼女の存在は僕の中でかけがえのないものとなっていた。それゆえ、彼女がいなくなったショックというのは計り知れない。夢で泣いてしまうほどに、強烈なものなんだ。寝ただけで気持ちの整理がつくはずがない。これは僕が経験した初めての恋であると同時に初めての失恋だったのだから。






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