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うたかた  作者: 武鬼
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 そこはどこかの建物の中だった。木造であちこち傷んでいる。床なんかは下手をしたら抜けてしまいそうだ。ホコリが目立ち、クモの巣もある。加えて人の気配も感じないところを考慮するに、ここは長く使われていない建物なんだろう。

 僕はここがどこかもわからないまま、あてもなくただ長い通路を歩いた。通路の左手にはいくつもの部屋があった。戸の一部はガラス張りになっていて、そこから中の様子が見える。歩きながら横目で部屋の中に視線を送る。積み上げられた椅子や机、ダンボール。どうやら物置らしい。この建物は倉庫かなにかだろうか。


 そんなことを考えているとつきあたりまで来た。通路は右手に伸びている。道に沿って進むとひとつだけ部屋があった。美術室と書かれた札。となるとここは学校か。それも古い、使われなくなった学校。


 どうして僕はこんなところに?


 わからない、覚えていない。なら、考えても無駄だ。僕は考えるのも思い出すのも放棄して、ただなんとなく美術室と書かれた部屋の戸を開けた。意味なんてなかった。歩いてる時に不意に周囲に視線を流すように。勉強中に持っているペンをクルクル回すように。意味のない行為、目的のない行為。それと同じで目の前に部屋があったから入ってみよう――そんな動機のない行動だ。


 戸を開くとそこには制服姿の少女がいた。

 長く真っ黒な髪、雪のように白い肌、見ていると吸い込まれてしまいそうになる黒い瞳。

 少女は床まで垂れる白い布を敷いた机の上に座っていた。

 不思議な雰囲気をまとった少女。

 不思議で神秘的でキレイで、そして――どこか儚げな印象を与える少女。


 僕は彼女から目を離せないでいた。案山子のように突っ立っていた。それを見ておかしかったのか少女は目を細め優しく笑い、何かを口にした。それを聞き取ることはできなかった。

 少女は繰り返す。徐々に声が大きくなるにつれてそれが僕の名前だということがわかった。何故初対面の彼女が僕の名前を知っているのか。それは瑣末な問題だった。今の僕は、彼女を見つめることのみに注力していたからだ。声が大きくなる。耳元で囁くような声だ。


「――(たくみ)!」


 一際大きいその声が僕の名前を呼んだ時、景色が一変した。最初に目に入ったのは、ワックスで固めたツンツンヘアーの男――中学からの友人もとい悪友である佐藤淳一(さとう じゅんいち)だった。


「いい夢は見れたか? 染川(そめかわ)


 なにがどうなってるんだ?

 ぼんやりとした頭で状況を理解しようとしていると、太い声が僕の名前を呼んだ。顔だけ上げると国語の担当教師兼担任の幸田健介(こうだ けんすけ)の姿があった。国語の教師よりも体育の教師が似合いそうなガタイのいいその男が呆れ顔で僕を見下ろしている。


「染川、俺の授業はそんなにつまらんか?」


 周囲から笑いが漏れる。ここでようやく自分が置かれている状況を理解した。ここは教室で、担任の国語の授業中。その最中に僕は居眠りをしていた。


「お前はいっつも寝てばかりだな。そんな居眠り常習犯のお前に罰を与えようと思う。次の授業は清水先生の美術だったな。今回の授業は準備が大変だとおっしゃっていた。ご年配の女性だ。このクラス40人分の道具を用意するのは苦労するだろう。そこでだ、染川。お前、手伝え」


 やけに芝居がかった口調で幸田は言った。


「えぇ……なんで僕が」


 正直言って面倒だ。次の授業が予告通りならば、キャンバスにそれぞれ自由に絵を描くといった内容だ。授業内容自体は簡単だ。テキトーに絵を描いていればそれで終わる。

 だが準備をしろとなれば話は別だ。準備室までキャンバスと画材を取りに行かなければならない。美術室は二階、美術準備室は一階にある。今までも不便だろうと思ってはいたが、関わりのないことだったからたいして気にしていなかった。しかし今回ばかりは美術室と準備室を同じ階にしなかった設計者を呪う。


「寝ているやつが悪い。しっかりと俺の話しを聞き、ノートを取り、居眠りをしていなければこんなことにはならなかったわけだが?」

「寝てるやつなら他にもいるでしょう? なんで僕だけが」


 現に今もうとうとしているやつ、机に突っ伏しているやつが何人かいる。


「確かにそうだな。でもいつも寝てるのはお前だけだ。あーそうそう。今回の授業の内容はテストに出すからな。みんなしっかりと覚えておくんだぞ」


 気の抜けるような長い返事をするクラスメート。飛び起きて必死にノートをとる数人。抗議虚しく僕は次の授業の準備を手伝うことになった。これ以上何を言っても決定を覆すことはできなさそうだ。今僕にできる最善の行動は黒板の内容をノートに書き写すことだ。取れるところで点を取らなければ。

 今は6月の下旬――7月に控えたテストで赤点を取り、夏休みに補講に来るなどという愚行は犯したくはなかった。僕は字のキレイさを捨て、ひたすら黒板の内容を書き写した。

淳一曰く、その時のお前の書き写すスピードはノート早書き選手権があったら間違いなく優勝していた、とわけのわからないたとえで賞賛をもらった。

 しかし努力虚しくチャイムの音と同時に黒板はまっさらにされた。こうなってしまってはどうすることもできない。淳一に飲み物一本で手を打ってもらい、ノートを写させてもらうことにした。






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