第9話 歪んだ誓い
気付けば一年も半年が過ぎ去っていますね。
早いものだなあ。
厄介事が持ち込まれ、シルフィさんは苦い顔で頭を掻いている。
この国の中で最も警備が強固であるはずの城内で神官が殺されたのだ。この事実に貴族や神官たちは気を違えたかのように喚き散らしている。
ジェローム小隊長の部隊が瓦解して以降、僕たちエーデリア特別遊撃隊が教皇より直々に命ぜられ捜査を引き継いでいる。この一連の神官殺しの犯人がカイン・クロノスという男であるというところまでは分かったのだが、今現在彼の行方は知れない。
再び捜査が行き詰まったところにこれだ。権力者たちは好き勝手に僕たちのことを声高に貶めている。
「めんどくせえな。これもカインのせいにしてやろうか」
「駄目に決まってるだろう。全く違う人間の仕業だってことは死体を見れば一目瞭然だからね」
アンドリュー・ビレイグという神官の死体を見る。大きく切り裂かれた腹部以外にも数カ所の刺し傷、そして、いくらかベッドの上で苦しみもがいた形跡がある。カイン・クロノスの仕業であれば死んだことにすら気が付かずに死ねたはずだ。その点ではこの神官はツいてないと思う。
「しかし、何のために彼を殺したんだろうね。それが分からなければこっちの方も暗礁に乗り上げそうだよ」
「とりあえずカインだ。あいつ見つけりゃ全部分かるだろ」
「それが難しいからこうなってるんだけどね」
そう言いながらシルフィさんは嫌そうに現場の部屋の外を顎で指す。
貴族と神官の無責任な罵倒の声に、僕たちは辟易していた。
現場の確認を終えた僕たちは遅めの昼食をとっていた。
僕の実家からほど近いベーカリーで、各々が好みのパンと飲み物を手にテラスで道行く人をぼんやりと眺めている。
捜査の事についてここで話をするだけ無駄なことは、僕たちの誰もが分かっているからだ。
カイン・クロノスという男が一度隠れてしまえば、見つけ出すのは難しいと、黒翼の七騎士であったライヴィスさんに言わせる程なのだ。闇雲に探してどうなる訳でもないだろう。
だからこそ、シルフィさんですらこの場で捜査についての話を出さないのだが、意外にもこの沈黙を破ったのはランスリッドさんだった。
「カイン・クロノスという男を誘き出す方法が一つだけあるわ」
その言葉に、シルフィさんは首が取れんばかりの勢いで反応した。
「本当かいランスリッド!? 可能性があるならその方法を試すしかないんだ、教えてくれるね?」
一筋の光が差し込んだかのような顔のシルフィさんとは対照的に、彼女の顔は暗く沈んでいる。
恐らくライヴィスさんもその方法とやらに思い至っているのだろうが、何も言わず目を閉じている。
しばらくの逡巡の後、ランスリッドさんはようやく言葉を絞り出した。
「私と隊長、それにカインはリデアにある同じ孤児院で育ったわ。その頃からカインは年下の子の面倒をよく見ていたし、リデアの兵士になってからもそれは変わらなかった。戦災孤児を集めて食事を与えたり、奴隷同然の扱いを受けていた子どもを救うために軍規違反を犯したりしていたの」
カイン・クロノスという男の人となりがその後も語られる。一つ一つ、記憶を丁寧に辿りながら紡がれる言葉には、他人に口を挟ませない強い意志が込められている。
そして、彼女が話すカイン・クロノスという男の話からは、彼が悪人のような内容は一切無い。むしろ、善人である彼を捕らえて処断しようとしている僕たちが悪人であるかのようにさえ感じる。
「……話が長くなったわね。彼を誘い出す一番の方法だけど、外道に堕ちる覚悟はあるかしら?」
彼女の問いかけに、僕とセライラは言葉に詰まる。
だが、シルフィさんは即座に頷いた。
「勿論だ。この国の秩序を守る事が僕の使命なんだ。それが後ろ指差されるようなものであっても、アイネスという国のためならばやってやるさ」
ランスリッドさんの鋭い視線がシルフィさんに向けられる。まるで咎めるかのような雰囲気を纏った視線を受けてなお、シルフィさんの堂々たる姿勢に揺らぎは無い。
「……子どもよ。孤児院の子どもにリデアとの内通の嫌疑をかけて処断すればいい。間違い無くカインは怒り狂って姿を見せるわ」
「そんなっ!」
思わずセライラは机を叩きつけて立ち上がる。机の上に並んでいた皿やカップが浮き上がり甲高い音を出した。
「……やろう。それでカイン・クロノスを捕らえられるなら」
「シルフィさん! 何馬鹿な事言ってんですか! 絶対に駄目です!」
「俺も反対だ。……これをやっちまったらもうお前は自分自身の正義に誇りを持てなくなる。良心を蝕まれて一生苦しむぞ」
ライヴィスさんの言葉に、シルフィさんは悲しそうな顔で笑った。
「正義に良心か。そんなもの、アメリアが死んだ時にとっくに失ったさ。ただ一つ……最期に約束したんだ。アメリアが愛した聖アイネスという国を必ず守り抜くってね」
「だからって! そんな方法で守って欲しいなんてお姉さまは望んで無いはずです!」
「確かにアメリアは僕の選択を聞けば怒っただろう。だけどねセライラ……アメリアは死んだんだ。これから先幸せな未来があったかもしれないのに、だ。彼女は言葉の通り命懸けでこの国を守ったんだ。アメリアはそんな立派な騎士だった。……アメリアとの約束の為なら、僕は喜んで悪魔に魂を売れるんだよ」
かつての戦争でシルフィさんと共に戦場に立ち、そして死んだアメリア・ドーシュという女性騎士。セライラのお姉さんであり、シルフィさんが愛した女性だ。
彼女の死がシルフィさんの心に今も楔のように打ち込まれている事は、その場にいる僕たち全員が知っている。
だからこそ、僕たちはシルフィさんにそれ以上何も言うことはできなかった。
ランスリッドさんの案を聞いてから一週間ほど過ぎた頃、シルフィさんから部隊全員に招集がかかった。
いつもの酒屋ではなく、城内の、滅多に使うことのないエーデリア特別遊撃隊専用のラウンジだった。
僕とセライラがそこに着いた時には、既にシルフィさん以外の二人が部屋の中で待機していた。
人目に付かず、誰かに盗み聞きされる可能性の低い場所へ集められた理由は一つだろう。胸糞悪い計画を実行に移す手筈の説明しかない。
皆一様に口を固く閉ざし、シルフィさんが来るのを待っている。
しばらくの後、ラウンジの扉がゆっくりと開かれ、シルフィさんが姿を現わした。
「もう分かっていると思うけど、カイン・クロノス捕獲作戦を実行に移す。五日後、中央広場で孤児を二人処刑台に立たせるつもりだ。ここでカインを必ず確保したい。処刑台付近は僕たちで固める。僕から以上、解散」
それだけ言い残し、シルフィさんは足早に去って行った。
残された僕たちは、言い様のない嫌悪感に包まれていた。
ゆるりと続きます。