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聖アイネスの咆哮  作者: マリー・ラム
7/10

第7話 意志

 その朝は鈍い頭痛から始まった。

 目を開けるのも億劫に感じ、腕を目の上に置き部屋に差し込む朝日から逃れる。どうせ起きたところで謹慎中の身だ。何もさせてもらえないのだから怠惰に身を任せてしまおう。

 暫しの間ベッドの上で何もせず横になったままでいると、徐々に頭の痛みが和らいでくる。そこに至り、俺はようやく昨夜の記憶を思い出した。

 ゆっくりと目を開ける。

 ジェローム隊の面々が壊れる中、何もできない無力さから、俺は酒に逃げたのだ。アイネスの騎士であれば絶対に行かないような粗暴な酒場で自棄酒を飲み下していた。

 己の限界をとうに超えていたのに更に飲もうとしていたところで、俺の手を掴んで止める者が居た。

 視界が歪んでいたが、あれはジェローム隊長が常に誇らしく語っていたシルフィ隊長なのは間違いない。見間違うはずもない。

 俺の、俺たちの無念を一手に引き受けるという言葉には、例えようのない安心感を与えられた。その言葉に安心し、俺は意識を手放したのだろう。そこからの記憶は無いのだから。

 見上げている天井は間違いなく俺の部屋だった。 

 俺の部屋なのだ、と認識した瞬間、自分がここに居ることの意味に思い至り意識が一気に覚醒する。


 「そうだ! 俺はシルフィ隊長の前でなんて醜態を!」


飛び起きた瞬間に鈍い頭痛が頭全体へと襲いかかる。昨晩の酒について改めて後悔の念が生じた。


 「よう、起きたかファリオ」


 「ああ、起きたことを後悔してるさ。……一応聞くんだが、俺をここまで運んでくれたのはマイルス、お前でいいのか?」


 「あー……お前を担いでたのはシルフィ隊長だな。まあ、エーデリア隊総出でお前を運んできてたぜ」


 同僚の言葉に、俺は改めて頭を抱えることになった。


 ― ― ― ― ―


 完全に酒が抜けたのは昼を大幅に過ぎた頃だった。

 城内を歩く俺に向けて、貴族や神官から冷たい目線が向けられている。それについては最早慣れたものだ。だが、昨夜の酒での失態が噂になっているのか、同じ騎士から憐れみの目を向けられるのは少し堪えた。

 様々な視線を身に受けつつ、俺はエーデリア隊が詰めているであろう部屋を訪れる。

 部屋の前に立ち、呼吸を整える。酒に飲まれ、騎士としてあるまじき姿を上官に見られたのだ。いかなる叱責をも受ける覚悟はできている。

 扉をノックし、反応を待つ。だが、応答は無い。


 「居ないか……仕方ない、寝直すか」


 頭を掻きながらその場を立ち去ろうとすると、いつの間にか俺の背後には数人の人影があった。


 「確か、そなたはジェロームの部下でったな」


 俺は即座に跪いた。


 「きょ、教皇! 大変お見苦しいところを!」

 

 「そう畏まるでない。だが……ふむ、丁度良い。共に来てもらおう」


 教皇の言葉を拒否などできるはずも無く、俺は近衛兵に囲まれて城内を進む。

 ところで、教皇の勅命を受け任務に失敗し、謹慎中に酒で醜態を晒した騎士が、教皇直轄の近衛兵に囲まれて歩くこの状況だが、これを見た人間にどんな印象を与えるか想像できるだろうか。

 俺を見る視線に込められた感情がひしひしと伝わってくる。

 ……俺も医療棟送りにされた方がマシだったかもしれない。


 しばらく歩き、俺が通されたのは教皇の私室だった。

 生家は貴族に名を連ねているとはいえ、精々小金持ち程度の下級貴族だ。教皇の私室になんぞ何代かかっても入室することが叶わない大変名誉な事だ。ありがたいことに全く落ち着かない。 

 教皇に促されるまま椅子に腰掛けると、侍女がそれを見計らっていたかのような頃合いで紅茶を運んでくる。これほど洗練され、無駄の無い優雅な持て成しができる者が一体どれ程居るのだろうか。俺は思わずその所作に魅せられていた。


 「紅茶ですまないな。流石に陽の高いうちから酒は出せんからな」


 「いえ! その……申し訳ありません」


 「よい、ジェロームやシルフィの方がもっと酷かったからな」


 教皇はにやりと笑う。

 その表情を見て、少しだけ俺の緊張が和らいだ。


 「教皇。畏れながら、何故俺、いや、私をここへ?」

 

 「人の目の届かぬところといえばここしか心当たりが無かったものでな。なに、そう萎縮せずともよい。公の場では無いのだ。もっと気楽にするがよかろう」


 そう言われても、気楽にするには立場が違いすぎる。

 居心地の悪さを感じたまま紅茶を口に含む。鼻腔に広がる芳醇な香りとほんのりと甘い味、とある貴族主催の社交界で飲んだ物よりも遙かに上質なのだろう。まあ、俺は紅茶はそこまで好きではないから、美味いという子供並みの感想しか抱けない訳だが。


 「そなたには謝らねばならん。ジェローム以下、そなたらは我が命を受けてよく働いてくれた、忠心を捧げてくれた。それなのに、だ。私はジェロームたちを守れなかった。私の目の届かぬところでそなたらに心無い振る舞いをした者が居たことは把握しておったのにな。何と詫びてよいか、本当に申し訳なかった」


 そう言うと、教皇は俺に頭を下げた。


 「待ってください! 教皇の命に従い、求められた使命を達成できなかったのは我々です! ジェローム隊長以下、死罪になっても不思議ではない失態を犯しました。……現状は我々自身が招いたものです。この状況は受け入れています」


 教皇の言葉に慌てて言葉を返したものの、隊長や仲間の姿を考えると、怒りや悲しみ、憎しみや嘆きの感情が渦巻いてしまう。これほどまで心中が荒れ狂うのは、俺の人生において初めてのことだ。この感情の矛先をどこに向けるべきなのか分からない。だが、叶うことならば、隊長や仲間たちへ悪意に満ちた攻撃を繰り返した神官や貴族連中はこの手で葬ってやりたい。


 「……そなたが胸の奥に秘めている激情はシルフィから聞いておる。何かのきっかけで壊れてしまいそうだと」


 教皇はティーカップを置くと窓辺へと歩く。その動きに言葉はないが、何故か俺も窓辺へ来るように言われているような気がした。

 ゆっくりと席を立ち、教皇と並び立つ。窓の外にはアイネスの街が広がり、その中に住む人々がせわしなく動く様子が見て取れた。


 「見えるかね、皆が日々精一杯生きている姿が。私はこれを守りたいのだ」


 そんなことは重々分かっている。俺たち騎士はそのための組織なのだから。

 だからこそ俺は、眼下に広がるその光景を、瞳を閉じて見ないようにした。


 「申し訳ありません。私はもう……」


 窓に背を向け、俺は直視すべき騎士の本分から目を背けてしまった。志を持って騎士になったはずなのに、だ。

 その瞬間、俺の中で何かが壊れたような気がした。

 胸の奥に閉じ込めていた、得体の知れない激情が一気に噴き出し、気が付いたときには、俺は人目も憚らず声を上げて泣いていた。


 そんな俺の肩へ、教皇は手を置き語りかける。


 「私は清廉潔白な人間では無い。この国を守るために後ろ暗いことを行ってきた。だが、それがこの国を、民たちを守る事につながるという確固たる思いがあったからだ。私はこの国に生きる者を守るためならば悪魔に魂を売り渡すことすら厭わない」


 教皇は両手で俺の顔を支え、目と目を合わせる。

 そして、俺に向けてある提案を持ち掛けた。教皇から向けられた言葉を、俺は生涯忘れることは無いだろう。

 

 その日、俺は騎士の身分を正式に剥奪され、そして俺という存在は聖アイネスの闇へと沈んでいった。

いろいろあって二ヶ月ぶりの更新となりました。

小説を書けることの楽しさや嬉しさを感じています。

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