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聖アイネスの咆哮  作者: マリー・ラム
10/10

第10話 歌唄いの警告

甲子園の出場校が出揃ったようで。

今年も名試合が生まれるだろうなと楽しみにしております。

 聖アイネスの中心地に位置する広場には物々しい空気が漂っていた。着々と組み上げられる物体がなんなのか、数日後にここで何が行われるのかを知らない者はいない。処刑台の組み立てを見に野次馬が集まってきているが、その群衆は不気味なほどに静かである。

 大罪人の処刑はこれまでにも何度か行われているが、今回の処刑の対象となるのはまだ子どもなのだ。いくら神官殺しの内通者であるとはいえ、その処刑を見守る者にとって気分が良いものでは無い。

 何も知らない者でさえこの状態なのだ。真実を知る僕たちの士気は最悪であった。

 エーデリア特別遊撃隊の面々が処刑台の周囲を固め、処刑台の上には責任者として指示を出すシルフィさんが立つ。いつも通りの淡々としたシルフィさんの姿に、僕もセライラも、ランスリッドさんですら非難のこもった視線を向けてしまう。

 そんな視線を受けても、シルフィさんは全く動じない。確固たる信念に基づいたものなのだろう。僕には理解できない。

 着々と進む処刑の準備に、ライヴィスさんは姿を見せない。ライヴィスさんにも思うところがあるのだろうか。自由に動けるのは羨ましい。

 今すぐにでも任務を放棄したいと考えていた僕の耳に、突然弦楽器の演奏が届いた。処刑台を組み上げる無機質な音が続いていた広場においてその音は異質で、その場にいた人間は皆一様に曲が奏でられている方向へと目を向ける。

 広場の端にある店の、日よけの幌が付いたテラス席でリュートを弾く人物の姿がそこにあった。


 「皆は作業を続けてくれ」


 作業員にそう言うと、シルフィさんはその人物の元へと歩き出した。僕たちもそれに倣って後を追う。

 少しくすんだ緑色のローブと帽子を纏うその人物は、僕たちが目の前に立っても気にも留めず演奏を続けている。

 しばらくの後、演奏していた曲が終わったのか、その人物はリュートから手を離し、椅子の脇に立てかけた。そのタイミングでシルフィさんがその人物に右手を差し出す。


 「久しぶりだね、ロロ」


 「ああ、5年振りくらいになるのかな?」


 差し出された右手に応じるようにその手を握り、ロロと呼ばれた男は柔らかく微笑んだ。


 作業が終わるまでの間、ロロと呼ばれた男はずっとテラス席で、時々曲を奏でながら待っていた。

 今日の工程を終え、彼を迎えに行こうとすると、いつの間にか彼は周りを多くの女性たちに取り囲まれている。その場にいた女性たちは、年端もいかない少女から生き字引と呼ばれるほどの老女まで、皆が同じように頬を紅潮させて演奏に聴き入っていた。


 「ああ、終わったんだね。さあ、残念だけど時間のようだ。今日はここまで、また聴きに来てくれるかい?」


 彼を取り囲む女性たちは首が取れんばかりに頷く。その姿を見て満足したのか、彼は微笑み、僕たちの元へと立ち上がる。


 「さあ、行こうか」


 僕たちはロロさんを連れ立っていつもの酒場に向けて歩き始める。その背中を見送るように、女性たちの視線はずっと角を曲がるまで途切れることは無かった。


 酒場は広場とはうって変わり、いつも通りの喧噪が繰り広げられていた。慣れたとはいえ、辟易するほどやかましいその空間が、今は僕に安心感を与えてくれる。

 通い慣れた酒場の、奥の角にあるいつもの席。一人新顔がいること以外は、何ら変わりない。昼間はどこかでサボっていたライヴィスさんも、この場にはちゃっかり参加している。

 シルフィさんたちは普通に話をしているが、僕とセライラはまた置いてけぼりにされている。そんな様子にやっと気がついたのか、シルフィさんがばつが悪そうに頭を掻いた。


 「あっと、紹介が遅くなったね。彼はロロネスロ・ロスロ。今は吟遊詩人として放浪中だったかな?」


 「ロロネスロ・ロスロ、言いにくいだろう? ……ライヴィス、無言で頷かないでくれるかな。地味に傷つくから。君たちと直接会うのは初めてだね。ロロと呼んでくれたらいい。しがない流しの歌唄いさ」


 彼が喋る姿にセライラは顔を紅らめ、男の僕ですら胸が高鳴ってしてしまった。淡く茶色い長髪を後ろで纏め、グラスを細くしなやかな白い指で掲げて柔らかく微笑む姿は、まるで一枚の芸術作品かのように美しく思えた。


 「相変わらずだな。老若男女見境無くオトしていきやがる。戦場でも敵兵手籠めにしてた奴は違うな」


 「手籠めにはしていないさ。ただ、たまたま敵の中に芸術を理解する人がいただけさ」


 ライヴィスさんたちは軽口の応酬を続ける。そんな様子に、ランスリッドさんも久々に笑顔を見せていた。

 話の端々から先の戦争でも同じ戦場にいたんだろうということは分かった。軍楽隊にでもいたのだろうか。思い切って訊いてみた。


 「いえ、ロロは反リデア派のゲリラ兵よ。今もその部隊のリーダーをやっているし、たまにリデアに手を出しているわね」


 面白そうにランスリッドさんが笑い、ライヴィスさんが服を脱ぎ、左肩、鎖骨の少し下の傷を指す。


 「これはこいつにやられたもんだ。弓使いで俺に傷をつけたのはロロだけだ」


 「僕は戦争後に模擬戦で一本も取れなかったんだよね。近接戦闘で弓使いに負けた時は流石に僕もへこんだよ」


 「そうだ、ロロ。お前の腕前、こいつらに見せてやれよ」


 ライヴィスさんが僕たちの席の対角の方向を指さした。その方向を見たロロさんは苦笑いを浮かべ、自身のリュートを分解して弓を組み上げ始める。

 店にいた客も、見慣れない男がいきなり楽器を分解して武器を作り出した状況に興味津々なようで、しっかり野次を飛ばしながらこちらの様子を眺めている。

 弓と矢を組み上げ、ほんの一瞬対角を睨む。僕が瞬きをした瞬間、矢は放たれ、店の対角の壁へと突き刺さった。

 酒場の店主が言葉にならない怒鳴り声を上げ、客たちはそれを見てゲラゲラ笑う。怒りに足を踏みならしながら、店主が壁に刺さった矢を引き抜こうとして、その場で動きを止めた。そんな店主の様子に気がついた客たちは次々と店主の所へと向かい、同じように言葉と動きを失ってゆく。


 「私、見てきます」


 そう言うと、セライラが客を掻き分けて矢の元へと向かう。

 ひっ、という短い女の子の悲鳴ののち、セライラは壁から抜いた矢をゆっくりと僕たちの席まで持ってきた。

 矢の先には、黒いゴキブリが刺さっていた。丁度、身体の中心部を射抜かれた状態で。

 静まりかえる酒場の中、ロロさんは椅子の上に立ち上がると、帽子を脱いで恭しく頭を下げたのだった。


 酒場での食事を終え、僕たちはロロさんを宿まで送り届けていた。

 あまりの弓の腕に、今日の僕たちの食事代は店主と客の奢りということになり、いつも以上に酒と食事を楽しんでしまった。騎士としてはいかがなものかと思う振る舞いだが、うちの部隊でそれを気にしてはいけない。

 鼻歌を歌いながら、ロロさんはご機嫌な様子だ。帰り道でリュートを掻き鳴らそうとしていたが、それは流石に僕とセライラが止めた。このまま宿でも静かにしてくれるといいのだけれど。

 街の中心部にほど近い、旅行者用のグレードの高い宿の前でロロさんは足を止め、僕たちにゆっくりとお辞儀をした。


 「久々に楽しい時間をありがとう。今日は良い夢を見られそうだよ」


 「僕たちもだ、ありがとう。……頼むから静かに寝てくれよ?」


 わかっているとも、となんとも心配な返事を返し、ロロさんは宿へと入ってゆく。その様子を見届け、リュートの音も鳴らないことを確認してから、僕たちもその場を後にしようと宿に背を向けた。

 その時、甲高い風切り音が一瞬聞こえ、それはシルフィさんの足下、一歩踏み出していれば頭を射抜いていたであろう場所へと突き刺さる。

 ゆっくりと振り返ると、客室の窓からロロさんが僕たちを、正確に言えばシルフィさんを見下ろしていた。先ほどまで見せていた優しい顔ではなく、どこまでも冷たく、感情の無い目だった。


 「シルフィ、僕はリデアが嫌いだ。もし、きみがリデアと同じような行動を取るなら、その時は覚悟しておいてほしい」


 シルフィさんは何も言わず、そのまま道を歩き始める。

 翌日、太陽が真上に昇る頃、広場では無実の子どもが処刑台に立たされていた。

ゆるりと続きます。

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