ロビン殿下の愉快な日常
前作の司書にネタを仕込んだのに回収しなかったので。
某月某日、学舎内の食堂にて。
儚げで線の細い嫋やかな美少年が、黙々と大量の食事を平らげている。ああ、この違和感よ。
隣では、その小気味良い食べっぷりを嬉しそうにニコニコと、きりりとした清涼感のある中性的な麗人が眺めている。少年のような見目でありながら、慈母のような眼差しがなんとも美しい。
「……餓鬼かってくらいの食べっぷりね、クリス様」
二人の正面に座る娘が、呆れたような声で言う。彼はちらと視線を娘に寄越すが、すぐに皿へと戻す。
「そりゃあ今まで餓鬼になりそうなほど食べられなかったからね」
「私のせいで無理をさせたものな……ほらクリス、これもお食べ」
「駄目だよクリス、それは君の分だ。大丈夫、足りない分はまた貰ってくるから。ナタリー、席を立つならついでにパンと肉の追加を伝えてきてくれる?」
「自分で行きなさいよ」
「私の分の茶も頼む。ミルクピッチャーには多めに入れるように伝えてくれ」
「畏まりました、クリスティーナ様。すぐにも給仕に持ってくるよう伝えます」
「うむ」
「ではお先に下がらせて頂きます。失礼致します、クリスティーナ様」
「私には一言もないのかな、ナタリー嬢」
「……失礼致します、クリス様」
深々と一礼して、彼女は去っていった。彼女の立った席に入れ替わるように座る。
「おや、殿下。今から食事?」
「野暮用があってね」
「ロビン、今日もここの食堂は美味いな! 留学先で食事に困った事はなかったが、やはり私はこの国の味が好ましいよ」
「ティナが嬉しそうなら何よりだ」
「この味を少しばかりしか食べられなかった地獄の日々から解放された私の清々しさが分かるかい、殿下」
「いや、まぁ分からんでもないが……」
「目の前でばくばく美味そうに食いやがって……」
「落ち着け、トファー。今にも呪いそうな顔をするんじゃない」
「いっそ呪ってやりたかった」
「デザートやるから許せ」
「よし、許す」
「……腹、破裂するんじゃないか。そのうち」
ティナのお茶と、トファーの追加の肉とパンがやってくる。ついでに自分の食事も。
相変わらず黙々と食事を平らげる彼を見て、あちこちからひっそりと溜息が聞こえる。中には頭を抱える者や顔を覆う者までも。
残念ながら、お前らの憧れていたクリス・マクスウェルの中身はこんな感じだ。現実とは厳しいものなのだな、と納得しながら食事へと手を付けた。
某月某日、広場のベンチにて。
最近は友人でもあるオルガ、サリュー、ディオニスと余り顔を合わせることがない。というか向こうが合わせる顔がないとでも思っているようだ。
……彼ら、自分の役割を忘れたんじゃないだろうね? ただの学友だけじゃなくて、俺の護衛でもあり監視でもあったと思うんだけれどね? これ以上、減点になる真似はしてほしくないのだが。
無理もない、かもしれないけど。チヤホヤしていたお姫様が実は男でした、はキツい。しかも初恋相手。というか、なんでティナを男と勘違いしていたんだろうか。それさえなければ、トファーが女と勘違いしたままにならなかったというのに。
(……あ、留学前は二人で男装だったっけ。トファー声変わり遅かったし)
再会まで遠目で見ただけ、或いは挨拶程度だったなら。思い込みが強ければ気づかない、のか?
うむ、分からん。あれほど可愛くて美しいクリスティーナが男のわけないだろうに。あれか、トファーの見た目が女々しすぎて男と断定出来なかったのかもしれない。
「……、あの三人は今、どうしている?」
「武芸や勉学等に打ち込んで、己を鍛え直しているようです」
呟けば、何処からともなく答えが返る。誰かしら護衛が潜んでいるだろうと思ったが、本当に居たよ。
「悪いことではないが……そういうことは先に伝えてからにしてもらいたいんだがなぁ」
「一応、三人のうち一人は何か遭った時すぐに駆け付けられる位置に居るようです」
「そうか。先に騙したのはこちらだ、彼らをどうこうするつもりはないから、一度きちんと顔を出すよう伝えておいてくれ」
「畏まりました」
単純にクリスたちが居ないとぼっちになるから暇なんだよ。
くあ、と欠伸をひとつ。仕方がないから、のんびりと本でも読むことにした。
某月某日、廊下にて。
「失礼致します、ロビン殿下。クリス様に関することで、少々お耳に入れたい事が御座います」
引き止め、一礼したのはとある娘。ナタリー・ドロッセル。マクスウェル公爵令嬢の虚像を砕く切欠を作った張本人。
「何か?」
「可愛さ余って憎さ百倍、ということでクリス様を闇討ちしてやろうという計画が立ち上がりかけています」
「……詳しく」
「麗しのお姫様、楚々とした妖精のような可憐な娘、手本にしたい公爵令嬢……そんなクリス・マクスウェル様が実は虚像だったと知り、夢破れた皆様が混乱の末、元凶を討とうと思い立ったようです。男だけでなく、ご令嬢方まで参加しそうな勢いです。理想を穢された恨みは根深いようで」
「うわぁ……」
「ということで、失礼致します」
「待った待った待った!!」
少々お耳に入れたい事だけ言ってあっさり去ろうとするドロッセル嬢を慌てて引き止める。
「何か? 殿下」
「いやいや……えっ、それだけ?」
「はい」
「何処でその情報聞いたとか、発起人とか、規模とか……何かこう、他にもあるでしょ。俺の耳に入れたい事柄が少々すぎるんじゃ?」
「いえ、私としても彼ら彼女らの気持ちが十二分に理解出来るので、こう何と申しましょうか……クリス様への肩入れは、ちょっと」
「えぇー……冷めてるなぁ嫁候補……」
「いっぺん酷い目にあっても良いと思いません?」
「そうは言うけれど。ひとつ教えてあげよう、ナタリー・ドロッセル」
「はい、何でしょうか」
「入れ替わりを頼んだのはクリスティーナの方からで、あくまでもクリストファーは受け入れただけだから元凶と言うならば」
「不肖ナタリー・ドロッセル、この件の解決に向けて迅速に行動させて頂きます」
クリスティーナ曰く、諦めて受け入れたら意外と使える娘、だそうだ。貴族だから知っていて当たり前という事でも彼女は知らない場合がある、いまいち理解出来ていない時は『こういう常識がある』と一度伝えてやれば二度と忘れないから、仕込めば仕込むだけ伸びる……というクリストファーの助言を元に、ティナは育て始めたらしい。トファーもトファーで何やら悪知恵を伝えているようだ。
「ところで、どこから仕入れてきたんだ? こんな情報」
あの事件の所為で彼女も人の輪から遠ざかったのではなかったか。それとも彼女もまた誘われたのだろうか、件の闇討ちに。
「私を黒幕に仕立てあげたいそうで、気をつけなさいとさる御方から耳打ちを。暴いた私もまた逆恨みを受けているようです。私さえ余計な事をしなければ、と」
「君が行動せずとも、いずれは分かった事だったのだけれどね」
「そうでしょうとも。まったく良い迷惑ですこと」
「ところで、さる御方というのは?」
「変態です」
「……はい?」
「ですから、変態です。少女のクリス様ではなく、少年に戻ったクリス様に不埒な視線を送っている変態野郎です」
「闇討ち云々よりそいつ先にどうにかすべきなんじゃないのか!?」
「ご安心を、殿下。クリス様本人もご承知で黙認しております。また、彼は決して手出しはしません。日一日と変わりゆく様を追って眺める事に喜びを見出す種類の変態なのだと自称しておりました」
自称すんな、変態を。
「幼さや性差の境界が曖昧にも見える少女性・少年性に内包される女性性・男性性が不意に現れる瞬間や、未完成な少年少女が徐々に娘や青年へと成長していく様、そして成長したことで失われた稚さを脳内で思い返すのが何よりの至福なのだとか」
「さっぱり分からん」
「曰く、必ず失われると分かっているからこそ今は尊く、その尽くを目撃したい。……ということでクリス様の学舎内での行動他、凡そ掴んでおります。思いついたことが御座いますので、失礼致します」
「ところで、その変態なんだが、君が接触するのは大丈夫なのか?」
「私は『もう娘になりきっちゃってるから食指は動かない』だそうです」
「あ、そう……」
「ところで殿下、ご学友の御三方をお借りしてもよろしゅう御座いますか?」
「構わない。彼ら自身が拒否するなら別だが」
「有難う御座います。それでは、また」
……何というか、うむ。世の中、自分の王国内の事とはいえ、なかなか広いものだ。
あ、しまった、衝撃的すぎてその変態が何処の誰なんだか聞きそびれてしまった。トファーも黙認しているというなら聞けば分かるだろう。でも行動の凡そを掴んでいるって……どんな情報網だ。
能力の高い変態か……ティナの耳にはなんとしても入れないようにしなければ。
呆然としたまま、教室へと戻った。
某月某日、特別談話室にて。
「収束致しましたのでご報告に参りました」
ナタリーの一言により、部屋を借りてあらましを聞くことにした。
「まずは結論から。闇討ちの為、密かに結束しようとしていた集団は『夢の乙女を慕う会』としてそれぞれ切磋琢磨し己を磨く秘密結社として再結せ」
「待て待て待て。色々と待て。前段端折った所為で何が何やら分からないというか……何やったんだ、お前」
「まず変態へ協力を要請し、あの三人を拉t……お呼び立て頂きました」
「普通に呼び出しなさい」
「私のことは避けておりますし、偽名使った恋文で呼びだそうと思ったのですが……女性に対して警戒心が高まっておりましたので、申し訳ないのですが力技で」
その警戒心を身につけさせたのは、間違いなくこのナタリーの所為だがな。自業自得である。
それにしても何者なんだ、その変態とやらは。あの三人を拉致するって余程の手腕だぞ。
「あとは変態理論の中にあった『失われた美しさを愛でる』に少々手を加えた『失われたからこそ心の中で美しさは永遠となり、その美しさは心の中にしか存在しないからこそ誰にも侵されることのない己唯一つのものとなる』という内容を洗脳してもらいまして」
「言葉取り繕うのも止めたな、ナタリー。洗脳って」
「その上でクリス様襲撃計画を話し、阻止したいとご助力を願いました。御三方とも快く協力して下さいました」
「快くだよな? それも洗脳とかじゃないよな?」
「その後、決起集会のような集まりのタレコミを変態から受けましたので」
「大活躍だな変態」
「御三方に乗り込んで頂き、先程の云々について一席打って頂きました。なにせ公爵令嬢の一番の被害者ですから、その説得力もひとしお。勿論私も集団にこっそり混ざって、変態直伝の扇動で御三方に協力致しましたが」
「何でも出来るんだなーその変態」
「集団心理とは恐ろしいものなのですね……うっかり私も名簿に記名して会員になろうかって気持ちになりました……」
「欲しいな、その名簿」
「ばれないように私は一足先に逃げましたが、恐らく御三方のどなたかが名簿の管理者を知っている筈です。彼らは名誉会員として無名の会長の後ろ盾になるそうですから」
とにかくこれで襲撃計画は流れました、と彼女は言う。
こういう形で収束させて欲しかったわけじゃないんだが……いや、落着したなら良い、のか?
「女性陣に関しては、クリス様とクリストファー様の折り合いがつけば、いずれクリスティーナ様の素晴らしさに気付くでしょう。方向性は違えど、クリスティーナ様もまた美しき理想の姫君ですから」
女性陣に関しては。……あれ? ちょっと待て。
「結構な数じゃないのか、その会の男性会員って。その男共全員が理想の乙女を心の中に飼っているってことか? ……それ、男の理想が高すぎて中々結婚しない奴が増えるんじゃ……?」
「あ」
「……おい」
「いつか理想と現実は違うって気付く! きっと! 夢見がちな男多いけど!」
「なんて種を仕込んでくれたんだナタリー・ドロッセル!! 晩婚化進んで子供減ったらウチの国力減るんだぞ!? 俺の御代にとんでもないもの仕掛けてくれたな!?」
「理想の乙女に近づこうとする女性が多々居ることを信じましょう! それにホラ、考えようによっては相手の理想を装えば簡単に落とせるってことですから! 強かな娘さんは多いですし、私は現にそうやって色んな男にチヤホヤされてきたんですから!」
ということは、そうやって簡単に落とされる男が同年代に多いって事か! 若いから痛い目見ただけならいいが、そういう安直な奴ばかりだったらどうしよう。そんな奴らが自分の統治時代の戦力だぞ。不安だ。
「……あと、そうだ。その変態というのは結局どこのどいつなんだ」
「司書さんです」
「…………、司書」
あ、それ、俺、知ってる。
「……王家の部下じゃねぇかぁぁぁぁ……!!」
「えっ!?」
それ、俺の護衛で紛れ込んでる近衛隊諜報部の一人だよ! そりゃ三人のことも簡単に拉致るし洗脳めいたことも扇動も出来るわ!! クリスの行動だって掴めるよな、そりゃあよぉ!!
知ってる、そいつ有能な若手だよね! 俺の時には恐らく部隊長くらいにはなってるよ!
そんな奴の性癖なんか知りたくなかった!!
「ロビン殿下、お労しや……」
「君も原因に一役買っているからな? 分かってて言ってるだろうけど」
前略、父上様、母上様。
愚息は将来が大層不安で御座います。