表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

 クリューチには二つの不安がありました。


 一つ目は、狼が人間の生活に馴染めず、すぐ帰ってきてしまうのではないかと。

 二つ目は、狼が人間の生活にはまってしまい、三ヶ月経っても戻らないのではないかと。


 クリューチはそんなことを思いながらも、狼を信頼していました。 


 果たして狼は三ヶ月後、無事に泉にいました。戻ってきたのです!

 少々興奮した様子で、人間について事細かに話し始めます。

「ええ、クリューチ様。本当にすごかったのです。私はとりあえず、宿を探したのですが―」


 親切な人のおかげで、安く、それにしては上等な宿を見つけたこと。

 そこの女将さんが大変優しく、働かせてくれたこと。

 慣れない環境に風邪を引いたものの、看病してもらったこと。

 人間の食べ物は素晴らしく、いくら食べても飽きないこと(この時点で狼は、ベジタリアンになりかけていました)。


 それから―それから――


 狼の言葉はとどまることを知りません。クリューチはそんな話も、ただ黙って聞いていました。


「それから…その。美しい娘と知り合ったのです」

『む?』

クリューチには彼の言いたいことが分かりました。

『よもや食べる気ではあるまいな?』

「とんでもない!」

『冗談だ』

狼はほっと息を吐きます。

『恋をしたのであろう?』

狼が微かに頷くのを見ると、クリューチは若干呆れ顔をしました。


 別に、獣と人間の恋は禁止されてはいません。しかしこの辺りでは例を見ないことも、事実です。


「私はたくさんの人間に出会いました。優しかったり、厳しかったり。時には悪い人もいて…その時は噛み殺してやろうか、なんて思いました」

狼はいたずらっ子の笑顔でそう言いましたが、冗談には見えませんでした。

「でも、孤独はありませんでした」

『ほう』

「いつも誰かが傍にいてくれました」

狼はそこで言葉を切ると、ふいに


「人間を滅亡させるべきではありません」


 クリューチはある程度、その答えを予想していたのでしょう。

『…なぜだ?』


「人間は愚かです。馬鹿です。私たちにも分かる簡単なことは、何一つ理解できていません」

狼は変わらぬ無邪気な笑顔で

「でも、私たちには分からないことを、自分たちの手で開いてきました」

クリューチの瞳を見つめ

「だから私は、彼らに期待したい。そして…彼らに混ざりたい」


「私は人間として生きたい」


 狼の心からの言葉だということは、クリューチも承知していました。それでも―尋ねました。


『後悔…しないな?その女にフラれても、友人に裏切られても、周りが皆、敵に見えても。狼になりたい、なんて思わないと誓えるか?』


「このエメラルドの泉にかけて」

それが、ここらの狼の誓い文句でした。


『よし』

クリューチが空中から取り出したのは、タキシード。

『我の知るうちで最も上等な服だ。着ていくがよい』

「ありがとうございます」

狼は苦笑しながら、それを受け取りました。

『完全な人間となれば、我の姿は見えなくなる。しかし我は、常にお主を見ておるからな』

「はい」


『それから…記憶もなくなる』


「…え?」

狼には初耳なことでした。しかしクリューチはさも当然のように、続けます。

『それでも潜在意識はあるかもしれないな…生きている動物を食わないように』

「ちょっ、待ってください!」

『それから後は…』

「己が狼だったことも…クリューチ様のことも、忘れるということですか!」

『いかにも』

「嫌です!ならいいです!私はここで狼として―」

『誓ったことはもう変えられん』


 ぐらっ、と狼の体が傾きました。足取りはおぼつかず、酒にでも酔ったようです。

『じゃあ…な』


 待って!

 そう叫んだつもりでした。

 でも狼は意識を失い、そして…




「どうしたんだよ、翔太。朝から様子おかしいぞ」

クラスメイトが話しかけてくる。僕はぼーっとする頭をおさえ、なんでもないよ、と返した。

 なんだろう。分からない。大事な何かがあったはずなのに…。ダメだ。

 それよりあれだ。彼女と放課後デートがあるんだ。服はどうしよう。あのタキシードにしようか。


 …なんでタキシードなんだ?




 クリューチは呼吸を荒くしながら、微笑んでいました。

『よかった、狼よ。本当に。我はまた、一人だな』


 信仰を失った神に、存在する意味はないのです。

 忘れられた神は、死んだも同然なのです。


『幸せに…な』

クリューチの姿が消えていきます。それはある意味、何物よりも神秘的でした。



 残されたエメラルド色の泉だけが、キラキラと輝いていました。

これは童話なのか??と思う今日この頃です。読了ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ