第一章④
死神がトワイライト・ローラーズのスマートフォンに残したアプリケーションは、第三世界にあって第一級の特別な存在の発生に反応し、その居場所をグーグル・マップ上に表示する。その特別な存在のことを、トワイライト・ローラーズの四人は幽霊と呼んでいた。それ以外には、その存在を呼ぶに相応しい言葉が日本語にはなかった。最初にこの世界でそれを観測した里見アキラ博士も最初から、その特別な存在を幽霊と呼んでいたし、死神もそれがピッタリだと言っていた。ただし、幽霊は理解不能意味不明で摩訶不思議な存在、というわけではなくてきちんと説明できるものだった。死神の戯言かもしれないが、しかしハルカたちは死神が説明してくれたことを信じていた。幽霊とは、シンプルに言えば、死者の魂が生前の姿で実体化したものだ。魂の実体化は、膨大なエネルギアが絡みつくことによって可能になる。死者の魂とはそれぞれ大きさ、強度、色が異なっているが、大きければ大きいほど、硬ければ硬いほど、色が濃ければ濃いほど、膨大なエネルギアを呼び寄せることが出来る。エネルギアを呼び寄せ、第三世界に生きる上で必要な量を魂に巻き込むことが出来れば、第三世界において実体化することが可能となる。エネルギアとは、第二世界、第三世界の魔法使い、あるいは魔女の魔法の源だ。第二世界へと繋がる小さな綻びからエネルギアは落ちてくるように第三世界に漏れていて、じんわりと世界の空気に浸透している。その小さな綻びは全世界に点々と存在していて、錦景市の場合には錦景山の頂上付近の上空にその綻びを観測することが出来る。だから錦景山の麓の街には古くから幽霊の目撃談が多かった。本来、その綻びはこの第三世界に許された広がりを維持する最低限の量のエネルギアを供給するための大きさしかなかった。しかし、この夏に次世代エネルギア研究所が綻びを広げたことにより、この世界に許されない、過剰なエネルギアが第二世界から流れ込んで来てしまった。それは世界のバランスを崩した。だから死神がハルカたちの前に姿を見せたのだった。綻びをこれ以上広げないために、死神の四条センカが初登場したのだ。次世代エネルギア研究所を破壊した後、センカはハルカたちに仕事を押しつけて本来の居場所に戻っていった。その仕事というのが、魂に巻き込まれたエネルギアの収集、及び死者の魂を魂に戻し、第一世界へと浄化させることだった。いわゆるゴースト・バスタ。トワイライト・ローラーズの存在理由はそこにある。綻びが完全に元に戻ったときに、センカはエネルギアを回収しに来る。ハルカたちが今まで収集してきたエネルギアは錦景第二ビルの地下核シェルタの中に保管してある。地下鉄が錦景市と会屋橋の間で大きく迂回するのは硬い岩盤のせいじゃなくて、この地下核シェルタのせいである。
さて、今回幽霊が出現したのは錦景市を縦に分かつように流れる利根川にかかる平成大橋の下、群青河原と呼ばれる地点だった。ハルカたちは橋の上から双眼鏡で幽霊を探していた。静かに流れる水面には楕円の月。橋の上は冷たい風が吹きマフラをグルグル巻きにしていないと寒くて死ぬ、というのは全然大げさじゃなくて真実だ。白くなった息が眼鏡を曇らせる。皆で「寒い、寒い」と言っていた。言わなきゃやってられん、という心境だった。
「ねぇ、あの娘じゃない?」
ニシキが双眼鏡を目元から離して遠くを指差す。
ハルカとアイナはその方向にレンズを向けた。
川辺に近い水の上に佇む、セーラ服を纏った少女を見つけた。
暗くてハッキリとは分からないけれど、そのセーラ服は錦景女子高校のものだった。
三人は橋の下に降りて、河原の石の上を歩き、少女の幽霊に近づいた。
少女の幽霊は水の上で、空を見上げていた。
ハルカは少女が何を見ているのだろうと思って空を見上げた。
「星が青いね、」アイナが白い息を吐きながら言った。「なんか、ファンタジック?」
「なぜ?」ニシキが小さく体を震わせながら尋ねる。「どうして青いの?」
「エネルギアがここに濃いから、かな、」ハルカは星座を探しながら答える。「多分、ほら、私たちの髪も、凄く煌めきたがってる」
ハルカは髪の毛を煌めかせた。
ほんのりと、紫色の髪の毛は、ハルカが魔法を編もうとすることによって煌めく。
「エレクトリック・マグネット」
ハルカの魔法は電気磁石。
それは幽霊をハルカに引き寄せる。
幽霊はゆっくりとこちらに向かって振り向いた。
「フラッシュ」
ニシキも髪の毛の色を煌めかせて幽霊のことを強く照らす。
強く照らすことによって、打ち抜く魂の居場所をハッキリさせるのだ。
その眩い光にハルカは眼を細める。
「およ?」幽霊の魂を打ち抜き、エネルギアを魂から解き、浄化させる魔弾を装填したシルバのリボルバを構えていたアイナが首を捻る。煌めく紫色の髪が揺れる。「魂が見えないよ、キンちゃん、ちゃんと編んだ?」
「キンちゃんって言うなっ、ちゃんとやったわよ、やった、ちゃんとやれないことなんてない、でも、」ニシキも目映い光の中の幽霊を見ながら首を捻る。「おかしいな」
「うん、おかしいな、」ハルカは伊達眼鏡を畳みポケットに仕舞った。「足があるし、」水の上から川辺の方にやってきた幽霊には足があって、きちんと歩いていた。「なんていうか、もしかしたら気のせいかもしれないんだけど、ね、アイナはどう思う?」
「……気のせいじゃない、気のせいなもんか、」アイナはリボルバを降ろしてまっすぐに幽霊を見つめている。「萱原トウカ、トウカだよっ!」
萱原トウカ。
彼女は錦景女子高校の二年で、この秋に軽音楽部の部長になった、中々に個性的で有名な女子だった。
「トウカ?」ニシキは彼女のことを知らないからハルカは短く説明してあげた。「……え、でも、それって、つまり、死者じゃないってこと?」
「うん、今日、私は彼女のことを目撃してるよ、目撃してるっていうか、しゃべって、からかって、怒鳴られたし、でも確かに死者じゃないっていうことは言えないよ、もしかしたら最後に会ってからその間に死んでしまったのかもしれないし、」アイナは早口で言いながら、瞳にうっすらと涙を浮かべていた。「ああ、もう、なんか、そんなこと考えたら、悲しくなって来ちゃったじゃないっ」
「死んでない、死んでないよ、だって足がある、萱原トウカは生きてる、」ハルカは現実を言葉にしながらこの状況を考えるけれど、足がある幽霊を見ることは初めてだから少し混乱していた。「生きていると思うんだけれど、ええっと、とにかく里見博士に電話っ」
「電話してる場合じゃないっ!」ニシキが叫ぶ。「なんか、なんか企んでるっ!」
トウカは髪の毛の色を群青色に煌めかせていた。
瞳を瞑り手をこちらにかざし、魔法を編んでいた。
それは魔女の所行であり、幽霊がすることじゃない。
しかし、なぜ。
トウカの髪の色が太陽の光に反射して群青色に見えたことなど今まで一度もなかったのに。
しかし確かにトウカの髪の色は、群青。
揺るがない程濃い、群青色だ。
トウカは高い声で笑う。
感情の読めない不気味な笑い。
トウカは発声する。「キャラクリズン」
それは膨大な水をコントロールする魔法。
トウカの後ろを流れる利根川の水は幻想的に煌めいて、重力の影響よりもトウカの影響を受けて、流れることを止めた。
トウカの人差し指は星に向けられクルクルと回転する。
それに連動して大量の水がゆっくりと持ち上がる。
瞬く間に向こう岸が見えないほどの壁が産まれた。
トウカの人差し指の回転が止まる。
トウカの指先は三人に向けられる。
そして。
水の壁はゆっくりと崩壊する。
『やばいっ!』三人はトウカに背を向けて走った。『呑まれるっ!』
水が迫る。
迫ってくる。
もう濡れる。
濡れて冷たくなる。
嫌だ。
死ぬ。
『きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
三人で絶叫。
しかし。
その時。
「待たせたなっ!」
群青河原に声が響く。
遅れて轟く雷鳴。
弾ける紫電。
足を止めて振り返れば。
三人に迫った水が縦に切り裂かれている。
三人は濡れずに済んだ。
死なずに済んだ。
「誰だっ!?」アイナがふざけた声を出す。「一体、こりゃ、誰の仕業だっ!?」
「全く、もぉ、遅いわよっ!」ニシキが嬉しそうに高い声を出す。「いっつも、そうなんだからっ、いっつも、いっつも、そう、格好付けてっ、でも絶対来てくれるって信じてたぞっ!」
「私は別に、」ハルカは伊達眼鏡を掛け直して言う。「ミヤビのことなんて待ってない」
水を切り裂いたのはトワイライト・ローラーズのもう一人の魔女。
御崎ミヤビ、十五歳。
彼女の魔法はエレクトリック・ジェネレイタ。
つまり、彼女は発電機。
「おいおい、ハルちゃんよぉ、」歪な模様が刻まれた特殊な金属バットを肩に乗せたミヤビが振り返って気障に微笑む。その微笑みは初めて会った時より随分と男らしくなったというか、ボーイッシュになったというか、冴えていて、男子成分の濃いものだった。急にこうなったわけじゃなくて、徐々になったのだ。クリスマスを目前にして、さらに男らしさは増しているようだった。「せっかく助けてやったっていうのに、その言い草はないんじゃないか?」
「じゃあ、待ってたよ、」ハルカはミヤビの横に並び言う。「ずっと待ってた、朝からずっとね、会いたかった」
「それ、」ミヤビは頬を指で掻きながら言う。「皮肉?」
「さあね、」ハルカはミヤビに顔を見られないように笑う。「知らないわ」