第三章⑩
「ここは新宿なの?」マミコトは目を擦りながらセイコに聞いた。
少し寝ぼけていた。
セイコが近くに見えるから、ここは新宿の保健室だと思ったのだ。
新宿のファイ・コネクトの事務所にこんな部屋はないのにそこに二人はいるのだと思った。錦景市でのハルカとの出会いは全て夢だったのではないかと疑ってとても悲しい気持ちになった。でも違うみたい。
「違うわよ、」セイコは髪をかき上げ、変な眼鏡をはずして言う。「新宿じゃない、ここは錦景女子高校」
よかった。
ここは錦景女子高校だ。
ハルカとの出会いは夢ではなくて現実のようだ。
夢ではなくてよかった。
「ほっ」マミコトは胸に手を当て、声を出して息を吐いた。
でもどうして保健室にいるんだろう?
本棚の間を歩きながら世界史の本を捲っていたはずだ。
ハルカと図書委員の人はマミコトの方を見ながら何かを話していた。
気になったから、その会話に加わろうとして本を棚に戻そうとした。
そのとき強く風が吹き。
それから意識はなかった。
完全に飛んでしまっている。
マミコトは形の乱れた三つ編みを解き、眼鏡を外してベッドに腰掛け、冷えた爪先を見ながら聞く。「どうしてセイコがここにいるんだい?」
返事は二秒返ってこなかった。
ふと、視線を上げればマミコトの前にセイコが立っていた。
マミコトは真剣な表情で見下ろして言う。「帰るよ、新宿に」
「え、でも、」マミコトは壁の時計を見て言う。「もう今夜のライブに私たちが出るのは不可能だよね?」
「約束は?」セイコが声のボリュームを急に上げて言うからマミコトは驚いた。「私とした約束は最初から破るつもりだったのねっ!?」
「約束って?」
「ライブまでには新宿に戻るって言ったじゃないのよっ」
「そうだったね、ごめん、」マミコトはセイコの瞳を真っ直ぐに見て言う。セイコの瞳がとても赤いから。「セイコ、とっても目が赤いよ」
「破るつもりの約束なら、」セイコは目を擦りながら言う。「最初から約束なんてするんじゃないわよ、私バカみたいじゃない、その約束を少しでも信じた私ってバカじゃないのよっ!」
「ごめん、セイコ、怒らないで、」マミコトはセイコの目を真っ直ぐに見たまま、彼女の腕に触れた。「別の約束をしてしまったから、今夜、夜空を一緒に見ようって別の人と約束したからだから、新宿には戻れなかった、約束は守るつもりだった、本当だよ、今日は私たちの大事なバースデイ・ライブだから新宿には絶対に戻るつもりだった、でも、」
「あの女との約束が、私たちのバースデイ・ライブよりも大事だったのね?」セイコはマミコトの言葉を遮って言う。「本当に信じられない、本当に信じられないことだわよ」
「ごめん、本当にごめんなさい、でもその人は私にとって、とても大事な人だから」
「大事な人って、私たちよりも大事な人なのっ!?」
「……、」マミコトはしばらく黙り込んで首を横に振った。「そんな、比べられないよ、比べられるわけがないよ、お姉ちゃんと皆の大事さなんて比べられないよ」
「最低、」セイコは吐き捨てるように言って額を押さえた。「最低だわよ」
「ごめん、」マミコトはセイコに最低って言われて涙が出そうだったけれどこらえた。「ライブはどうなったのかな?」
「知らないわよ、中止じゃないの、二つも薬が足りないんだから」
マミコトは再び時計を見上げた。
錦景女子は夜の七時十五分。
ハルカたちと一緒に講堂で開かれるパーティに行く予定だったけれど、パーティはすでに始まっているだろう。約束した綺麗な人たちは周りにいない。眠ってしまったから、マミコトを置いてパーティに行ってしまったのだろう。マミコトはハルカたちがいないのが少し寂しくて、悲しかった。セイコが彼女たちの代わりに、傍にいる。
セイコと二人きりだと不思議な気持ちになる。「……どうしてセイコは錦景女子にいるの? それに、そんな格好で」
「アサコが追いかけろって言ったのよ、アサコに追いかけろって言われたから来たのよ」
「アサコが追いかけろって言ったからセイコは来たんだ」
「そうよ、アサコが追いかけろって言ったから来たのよ、こんな格好なのは、こんな格好にならなくちゃ、ここに入れなかったからよ」
マミコトは微笑み聞く。「まだ、怒ってる?」
「怒ってるわよ、」セイコは髪を払う。その髪は紅く煌めいた気がする。「約束を破る人は嫌いだわよ」
「私がリョウコとテンマとアサコとエッチしたこと、怒ってる?」
セイコは大きく息を吐く。「それはもういいわよ、もう私は何も言わないし、怒らない」
「そう、ありがとう、セイコ」
「どうして感謝されるのか、分からないわよ」
「指、どうしたの?」マミコトはセイコの指先の紅い血に気付いた。
「ああ、」セイコは自分の指の紅い血を見る。「ちょっとね」
「見せて」
マミコトはセイコの手を引っ張り、指先の傷をじっと見た。
見ていたらしゃぶりたくなった。
口に咥えて、舐めて。
マミコトはセイコのことを上目で見た。
「な、何してるのよっ!」セイコは顔を紅くして怒鳴ったけれど手を引っ込めなかった。
「消毒」マミコトは言って笑う。
「指なんて舐めて、」セイコの顔はどんどん紅くなっている。「汚いわよ」
「セイコの指は汚くないよ、」マミコトはセイコの手を離さなかった。「綺麗な指だよね、俺のセイコの指は綺麗だ」
「何よ、俺のセイコって」セイコは力を入れて引っ張らなかった。
許してくれているみたい。
嫌じゃないみたい。
だから舐め続けた。
セイコは舐めるマミコトを紅い目でじっと見ながら言う。「……こんなことしてさ、マミコトは私を誘惑しているの?」
「そうだよ、セイコ、私は誘惑してるんだ」
マミコトは首を傾げて笑った。
「バカじゃないの」
セイコは言って。
マミコトをベッドに押し倒した。
マミコトはビックリして声も出せなかった。
セイコはマミコトの両手を掴んでベッドに押しつける。
セイコの顔が近くにある。
セイコの唇が動く。「私はあんたのこと嫌いだわよ、大嫌い、どうしたらあんたのことを苦悩させることが出来るのかしらね」
「私もセイコのこと大嫌い、ずっと嫌いだ、ずっと大嫌いだった、だからきっと私の唇にキスしたら、」マミコトはセイコの唇を見つめながら唇を舐めた。「私は苦悩するかも」
「バカ」
セイコの唇が近づき触れる。
セイコの唇はとても熱い。
一度離れてセイコは耳元で囁く。「苦しめ、バカ」




