第二章③
「里見博士、」ハルカはスマホを耳に当てて言う。「つまり萱原トウカが恥ずかしがり屋になってしまったっていうのは、氷の魔女の幽霊に憑依され、萱原トウカ自身の魂が冷やされて色が変わってしまったからだ、とおっしゃるんですか?」
「つまりも何もそういうことよ、」電波に乗せて届く里見アキラの声は粘性強く、アルコールが絡んだような声だった。「そういうことしか考えられない、そういうことに遭遇したことはないけれど、魂は影響し合うと死神は言っていた、だからそういうことが言えると思うんだけど、森村はこの回答じゃ不満?」
「全然、いやでも、納得出来ない、」ハルカはこめかみを押さえる。「……でも、そう考えるのが自然でしょうか?」
ハルカはマシロの家からアキラに電話を掛け昨夜のことを話した。死神がトワイライト・ローラーズのスマホに残したアプリケーションが示した場所に行くと、そこには錦景女子高校の軽音楽部の部長の萱原トウカがいたこと。トウカは群青色に髪の毛を煌めかせ、ハルカたちを氷になるまで後四度くらいの冷たい水で濡らしたこと。ミヤビがエレクトリック・ジェネレイタをトウカに向けて放とうとしたら、トウカから氷の魔女の幽霊が離脱して命乞い(というのは幽霊に対して適切な表現じゃないと思うんだけれど)して、この第三世界に留まることを望んだこと。氷の魔女の幽霊は、彼女から話を聞く限りでは第二世界の魔女であり、一緒に死んだ、つまり心中した魔女の魂を探しているのだということ。一度意識を失ったトウカは目覚めると、会話をするだけで頬が赤くなってしまうほどの恥ずかしがり屋さんになってしまったこと。とにかく昨夜あったあらゆることをアキラには話した。ハルカはアキラの適切な分析を聞きたかった。
「とにかく恥ずかしがり屋さんになってしまった理由とは、そういうことだと思う、おそらくトウカの魂とは魔女として開花することはなかったが紅色だった、その紅色に氷の魔女の魂が憑依した結果が群青色だ、火が氷を溶かして水、だから君たちは水に濡れた、そんなことより問題は、」
「そんなことよりって、」ハルカはアキラの言葉を遮って言う。「トウカの恥ずかしがり屋を直す方法を教えて下さいよ、彼女、明日のパーティでライブをする予定らしいんです、でも今のままじゃステージに立つこともままなりません」
「彼女の魂の色を元に戻す方法を教えろってこと?」
「はい、それが私が今、里見博士に電話を掛けている大きな理由の一つです」
「私は魔女の世界のことを何でも知っているわけじゃない、」アキラは早口で言う。「これを言うのは何度目か分からないけれど、魔法というものがこの世にあることに納得したことなんて一度だってないんだから私に期待されても困る」
「里見博士がそういうスタンスで魔法工学研究に臨まれていることの方が私には納得出来ませんけれど」
アキラは二秒ほど黙って、電波にハッキリと乗るほどの大きな溜息を吐いてから、再びしゃべり出した。「もう一度魂の色を変えるしか方法はないんじゃない? トウカの魂を紅色、我らが国旗、我らが日章の色に戻すしか方法はないと思われますな」
「そうでしょうけど、」ハルカは首を傾けて聞く。「でもどうやって?」
「さあ、そこから先は専門外ですよぉ、魔女様たちでお考えになって下さいな、」アキラは自分で言って、自分で笑った。「まあ、そんなことしなくたって、恥ずかしがり屋なんてすぐに治るわよ、きっと、心配いらないっしょ」
「うーん、」ハルカは目を瞑って唸った。「里見博士はちょっと、恥ずかしがり屋っていうものを舐めていると思います」
「それよりも森村、私が気がかりなのは氷の魔女の魂だよ、成仏していないんだよね?」
「はい、今、コオリコは」
「コオリコ、っていうのが名前なの?」
「ええ、氷の魔女の魂だからコオリコ、私が二秒で考えてつけました、一緒に死んだ魔女と会う約束をしたということしか覚えていないようで、その探している魔女の名前も覚えていないようです」
どうして心中なんてしたのかも。
どうして死後の世界で会う約束をしたのかも彼女は覚えていなかった。
ただ約束だけを覚えていて。
ただ約束を果たすために。
この第三世界に漂っていたんだ。
コオリコは今、マシロの家の中をふんわりと泳ぐように漂っていた。黒猫のスコールと遊んでいる。おしゃべりオウムも騒いでいる。彼らにはコオリコの姿が見えているようだ。普通の人間は幽霊の姿は見ることは出来ない。この第三世界で幽霊を肉眼で見ることが出来るのは魔法を司る存在だけ。今、マシロに占ってもらっている女性はコオリコが前を通ってもそれに気付く素振りを見せない。マシロは嫌な顔をして、しっしとコオリコを手で追い払った。コオリコはマシロからすーっと逃げて奥のソファに座るハルカとミヤビのところまで来て、二人の間にすとんと座った。もちろんソファは沈まない。彼女には物理的な重さがないのだから。
「コオリコは今、」ハルカはコオリコの頭を撫でながら言う。もちろん触れるわけじゃないんだけど、ハルカは彼女を撫でる手の平に冷たい体温を感じる気がするし、コオリコは笑顔でハルカを見上げている。コオリコを成仏させないと決めたのはハルカだった。そう決めた理由は単純だ。彼女に同情したのだ。「私の隣にいますよ」
「別に森村の隣にいてもいなくてもどうだっていいんだけどさ、コオリコがこの第三世界でのイレギュラ因子であることは確かなことなんだから、早いうちに綺麗にしなさい」
「綺麗?」
「幽霊に同情してしまったんでしょう? だったら、最後まで綺麗にしないといけないってこと、きちんと成仏させてあげなくちゃいけないってこと」
「はい、もちろん、そのつもりです、そのつもりじゃなかったら、昨日で終わってます、あらゆることは昨日で終わってます」
「死神が気付く前に終わらせるのよ、いいわね?」
「もちろん」ハルカは頷く。
「死神が来たら色々面倒だし、私、彼女のこと嫌いだし」
「そうでしたね、あ、それで、その件で、里見博士に聞きたいもう一つのことがあって」
「コオリコが探している魔女の居場所をどうやって探せばいいかって?」
「ええ、まさにソレです」
「アプリケーションはコオリコにしか反応していないのよね?」
「はい、他に反応はありません」
「反応がないのならば、」アキラは歯切れよく言う。「考えられることは二つ、コオリコが探しているという魔女の魂が一定量のエネルギアを巻き込んでいないから反応していない場合とそもそも魔女の魂が第三世界にない場合」
「はい、その二つの場合の魔女の魂の見つけ方を知りたいのです」
「マシロに占ってもらうのね、」アキラは自分で言って高い声で笑った。「ちょっとそれは分からない、難解過ぎる、森村だって、私に期待なんてしてなかったでしょ?」
「いいえ、そんなことありません、少しは期待していましたよ」
「正直者め、」アキラは軽く笑う。「ああ、そうだ、全く新しい魔法を研究するとか、どう?」
「それは冗談ですか?」ハルカは苦笑した。「もし本気でおっしゃっているとしたらそれは私には難解過ぎることですよ」
「羅針盤を上手く使ってさ、出来ないかな?」
「上手く、というと?」
「それは君が考えること」
「ああ、」ハルカは大きく息を吐く。「弱ったなぁ、困ったなぁ」
「まあとにかくさ、見つけられなくても、綺麗に終わらせるのよ、いいわね?」
「はい、そうじゃないと、意味がありませんものね」
アキラとの通話を切り、ハルカは何度目か、大きく息を吐き、隣に座るコオリコの不安そうな顔を見た。
「約束は、」コオリコの声はハルカの脳ミソに優しく響く。「私は約束を守ることが出来ますか?」
「うん、ちょっと、難しそうだけど、」ハルカは得意のハルちゃんスマイルを作って言う。最近のハルカにしてはレアな表情だ。「まあ、なんとかなりそうだわ」
「ほ、本当ですか?」コオリコは表情を変えて目を煌めかせる。
本当かよ、という目でコオリコの向こうからミヤビは見てくる。
「ただちょっと時間を頂戴」
全く新しい魔法の研究。
時間があれば。
出来るだろうか?
あるいは、羅針盤?
アキラも言っていたようにハルカは電気磁石を応用した、羅針盤という探知魔法を編むことが出来る。それは周囲の環境を一定範囲具体的に把握する魔法だ。それによって特定の人物や探し物を見つけ出したりすることは出来る。しかしハルカの脳ミソが処理出来る範囲の限界はせいぜいビル一つ分。それでもこの第三世界の魔女としては優秀な部類だとマシロは言っていた。コオリコが探している魔女はもしかしたら錦景市のどこかにいるのかもしれないが、錦景市を全て把握することなんて出来やしない。まして錦景市にいないかもしれないのだ。この第三世界にいないのかもしれないのだ。そもそもハルカの羅針盤がエネルギアを巻き込んでいない幽霊に反応するかどうかも分からない。幽霊の探知に関しては死神が残してくれたアプリケーションの方が優秀だ。
ハルカはコオリコの笑顔を見ながらちょっと途方に暮れている。
そのおり。
急におしゃべりオウムが騒ぎ出した。
黒猫のスコールが鳴いて跳躍してハルカの肩に乗った。
「どうしたの?」ハルカはスコールのつぶらな目を見る。
「は、ハルちゃんっ!」
店先で受付をしている斗浪アイナが尋常じゃない声を出して名前を呼ぶ。「ハルちゃんっ、ちょっと来てっ!」




