捜査編
八月十七日十四時三十五分に発生したこの螺旋階段大津駅倒壊事故。懸命な救出活動などが行われはしたが、最終的な被害状況は以下のようになった。
◎、下り姫路行新快速電車(運転手:及川奨兵 車掌:川崎進)
1、死者……三名(詳細は以下)。
・及川奨兵……当該車両運転手。運転席にて圧死。
・堀西重夫……新大津商業常務。運転席のすぐ後ろにおり、衝突の際に頭部挫傷。
・板橋市郎……大津水産大学四回生。運転席後方の補助席におり、衝突の際に頚椎骨折。
2、重傷者……三十二名。うち、意識不明十三名(衝突時の衝撃等)。
3、軽傷者……九十八名(急ブレーキ、衝突時の転倒など)。
◎、大津駅
1、死者……一名(詳細は以下)。
・石倉元治……石倉金融サービス社長。電車待合中に螺旋階段の直撃を受け圧死。
2、重軽傷者……六名(避難時の転倒、落下物による損傷等)。
◎、その他
1、死者……二名(詳細は以下)。
・明石専一郎……タクシー運転手。建物横の道路通過中に螺旋階段が直撃し圧死。
・三俣彰……星見建設係長。上記タクシーに乗車。螺旋階段の直撃により圧死。
2、重軽傷者……二名(避難時の転倒、落下物による損傷等)。
◎、総括……死者六名。重軽傷一三八名。
同日午後三時半。現場付近は騒然としていた。大津駅は即座に封鎖され、JRは全線で運行停止を余儀なくされた。
滋賀県警からも捜査陣が派遣され、京都府警と滋賀県警による合同捜査が実施されることになった。
「滋賀県警本部刑事部捜査一課警部の坂本伸吾です」
事件現場のホームで、滋賀県警の坂本警部が中村たちに挨拶する。
「誘拐事件がとんでもないことになりましたな」
「全くです。まさか、身代金受け渡し現場でこんな事が起ころうとは……」
中村が悔しそうな表情をする。目の前で石倉を死なせてしまった責任を感じているのだろう。
「ところで、肝心な点ですがこれは事故ですか? それとも……」
中村が尋ねる。が、その顔はおおむね何か予想しているようなものだった。
「ま、仮にどんな欠陥マンションだったとしても地震でもない限りこんな事故は普通起こらないでしょう」
「とすると?」
「ええ。問題の非常階段の一階根元部分と各階の継ぎ目の部分に粘土型の爆弾が仕掛けられていた形跡があります。これは爆弾による倒壊と考えてもらって結構です」
「つまり、意図的に行われた事件であると」
「はっきり言えば殺人事件だと、我々は解釈しています」
坂本はしっかりと告げた。
「問題の建物は一年ほど前に営業を終了した『ホテル琵琶湖サイド』というビジネスホテルです。現在は解体作業中なんですが利権問題が絡んで作業が進んでおらず、実際は恒常的な無人状態で無理をすれば誰でも入ることができます。要するに、爆弾をセットするにはもってこいの建物なんです」
「中の調査は?」
「いまやっています。爆発直後から野次馬が取り囲んでいて、しかもその数分後に現場は封鎖しましたので、中に誰かいたとしても脱出することはできないでしょう。しかし、大胆にも程がありますな。ここまで過激な犯罪は見たことがない」
坂本は事故現場の方を見ながらため息をついた。
「ところで、中村警部はこの事件と誘拐事件についてどう考えていますか?」
「私は関係があるものと考えています。と言いますのも……」
中村は、石倉がカセットプレーヤーのせいで、倒壊する螺旋階段に直前まで気がつかなかったことを証言した。
「なるほど。つまり、その誘拐犯は意図的に石倉氏に音が聞こえないようにし、なおかつ螺旋階段の真下であるあの位置に誘導した可能性がある、と。ふむ、確かに作為の臭いがプンプンしますな」
坂本が目を光らせた。
「つまり、その誘拐犯は石倉氏一人を殺す為にこの駅舎を丸ごと破壊し、あまつさえ電車の衝突事故を引き起こした、ということになりますが」
「信じられませんが、誘拐犯の行動を考えるとそうなってしまうのです」
中村も当惑したような表情で言った。
「となれば、誘拐犯の正体が問題になるわけですが」
「石倉氏個人を狙ったとすれば、これは単純な利害関係のない誘拐犯の犯行とは思えません。犯人は石倉氏を恨んでいる人間と見るのが妥当でしょう」
「具体的な割り出し作業は?」
「昨日より府警本部が行っていますが、何しろ職業柄敵も多いようで難航しているようです」
「ふむ」
坂本は唸った。
「肝心の幸子ちゃんの行方はわかっていないのですか?」
「残念ながら。もっとも、やつの目的が殺しなら、人質がどうなるのか見当もつきませんが」
と、その時廃ホテルの捜索をしていた県警職員が血相を変えて駆け込んできた。
「警部、ホテルの一室から声がしたということで確認をしてみたのですが……」
「どうした?」
「室内から問題の石倉幸子ちゃんと思しき少女を発見、保護しました」
あまりの急展開に、中村たちは絶句した。
石倉幸子は衰弱していたものの命に別状はなく、大津市内の警察病院に搬送された。
「しかし、まさか人質を生かして帰すとは……」
正直、この展開では人質の命も危ないと思っていただけに、中村はやや拍子抜けしたように言った。
「あくまで狙いは石倉氏だけで、幸子はエサに過ぎなかったということでしょうか?」
「その割には多くの人間を巻き込んで殺していますがね」
坂本の発言に中村は吐き捨てた。
「人質が無事だったのは喜ばしいですが、この状況では素直に喜べませんね」
坂本はそう呟くと、発見した刑事に事情を聞いた。
「軽く事情を聞いたところ、誘拐されたあと手錠で拘束されてすぐに問題の部屋に連れてこられて、今までずっとあの部屋に監禁されていたようです。昨日の夜に部屋に連れ込まれて以降、犯人は一度も訪れていないと」
「犯人の様相は?」
「マスクにサングラスに帽子で素顔はわからないとのことですが、声は間違いなく男の人だったと」
「少なくとも誘拐の実行犯は男性ということか」
と、廃ホテルから帰ってきた鑑識官が報告した。
「問題の爆弾ですが、どうやらリモコン式の発火装置を内蔵していて、この発火装置に発火することで爆発する仕組みだったようです」
「リモコン式の爆弾というと?」
「残骸から判断するに携帯電話を利用したもののようで、携帯で特定の操作をすればいっせいに爆発するタイプのものです。リモコンが携帯ですから極端な話日本国内のどこにいようとも遠隔で爆破可能です」
「つまり、犯人がこの場にいなくてもよい?」
「あくまで可能性ですが」
「いつ仕掛けられたかは?」
「さぁ、何しろ粘土状の爆弾を壁に貼り付けて起爆装置を設置するだけの作業ですからね。全ての階を回る手間はありますが何しろ廃墟で誰もいない建物ですから、時間さえあれば設置作業そのものは比較的簡単にできると思います」
「うーん、その方面から犯人を特定するのは困難か」
坂本が唸った。
と、その時中村の携帯に着信があった。
「はい、中村です」
『私だ』
「田辺さんですか」
電話の相手は京都府警刑事部管理官で中村の上司に当たる田辺京一警視であった。今回の誘拐事件では府警本部で石倉に恨みを持つ人間の捜査、すなわち犯人の素性の特定の指揮を行っていた。
『そっちの様子は聞いたぞ。大変なことになったな』
「誘拐事件が一転して大量無差別殺人事件ですからね」
『石倉氏の奥さんもそっちに向かっている。夫が死んだと聞いたときは卒倒しかかっていたが、さっき肝心の娘さんが見つかったと聞いて何とか気力を取り戻した』
中村は京都側の状況を報告した後、本題に入った。
『で、やはり誘拐事件絡みか?』
「はい。状況的に石倉氏を狙ったのはほぼ間違いないかと」
『となると、こちらの捜査も無意味ではなかったということだな』
田辺が意味深な発言をした。
「何かわかったんですか?」
『とりあえず、何人か石倉氏に恨みを持ちそうな人間はリストアップした。滋賀県警からの報告で誘拐犯は少なくとも男性であり、なおかつ引き回しの際の行動から京都市内の地理に詳しい事がわかっている。したがって市内在住者か、勤務先が市内にある人間の可能性が高い。おまけに少なくとも爆発物に対する知識があり、螺旋階段を正確に大津駅にいる被害者の場所に倒すというかなり高等な技術を使っている。被害者の位置を誘導できてもこれはかなりの技術だ。以上より、爆破関連の職業についていた可能性が高い。リストの中でそれらの知識をもつ人間となると、おのずと限られてくる』
向こうで書類をめくる音がする。
『まず、日高甚太という男だ』
「何者ですか?」
『石倉氏が金を貸していた人間の一人だ。かつては京都市内にある大手建設会社に勤務していた。ところが友人が石倉氏から借金した際に連帯保証人になって、その友人が逃亡したため多額の借金を背負うこととなり、借金を返す為に別の会社から金を借りた。その後どうなったかはわかるな?』
「借金を返す為に新たな借金を借りる。借金の連鎖地獄ですね」
『ああ。日高もそれに陥って、離婚、失職、最後には自己破産。少なくとも石倉氏に対して恨みを抱いているのは間違いないな』
「しかし、それはお門違いでは? 恨みを抱くなら逃げた友人でしょう」
『ところが、その友人が石倉氏と組んでいたらしい』
「組んでいたとは?」
『石倉氏のかつての共同経営者だったんだよ。無論、当時は表向き退職したことになっていたが』
「つまり、偽装借金?」
『ああ、第三者に実際はしてもいない借金の連帯保証人になってもらい、その後友人が表向きは逃亡。第三者から金を搾り取る。実際には石倉側は一円も金を貸していないから、完全なぼろ儲け。一種の詐欺だ』
「犯罪ですよね」
『だが、証拠はない。やっていたのは石倉氏が今の会社を設立して軌道に乗るかどうかの瀬戸際だった数十年前のことで、この事実が噂されるようになったのはつい最近のこと。肝心の友人は現在本当に失踪状態だし、何よりすでに時効が成立している。だから噂が流れていても警察としては動けなかった』
「日高もこの噂を聞いていた可能性があると?」
『やつにとっては自分を犠牲にして石倉氏が成功したようなものだからな。恨みはあるだろう。おまけにやつは京都の元大手建設会社出身。京都の土地勘や、爆発物の知識、さらにはそれに伴う発破解体の技術も持っている』
「条件にはしっかり当てはまるということですね」
『しかも、現在日高は大津駅の近くにあるコンビニで雇われ店長のようなことをやっている。大津駅周辺の土地勘もある』
「なるほど。確かに条件には一致しますね」
携帯の向こうで書類をめくる音がする。
『二人目、市島六四郎。この名前は聞いた事があるな?』
中村だけでなく、そばで聞いていた坂本の表情も険しくなった。
「あの爆弾魔のですか?」
市島六四郎は七十年代安保闘争時に各地の大学で設立されたセクトで暗躍した過激派の一人である。元々は京大学理工学部の学生だったのだが、爆発物のエキスパートとして各セクトから爆発物製造の依頼を受け、事実彼の作った爆弾が学生闘争や過激派によるテロ行為に使用されていたという。後に国内での数々の事件への関与により国際手配を受けていたのだが、一九九〇年になって突然古巣である京都に帰参し、そのまま京都府警に自首。いわく「もうついていけなくなった」とのことで、裁判の結果自首などが考慮されて懲役十五年に確定。四年前に出所してちょっとした話題になっていた。
「あの市島の名前が今さらどうして? やつが協力していた過激派はすでに最高指導者の逮捕で壊滅しています。市島自身もすでに六十歳前半。七十年代のようなテロ擁護論はもはや国民にありませんし、過激派のテロという可能性はありえません」
『問題は、市島と石倉氏の関係だ』
「市島と石倉氏に何か関係が?」
『石倉氏は京大学経済学部出身。そして、当時京大学内に設立されていた過激派学生によるセクトに所属していて、かなり本格的な活動をしていたらしい』
「石倉氏がセクトに?」
『ああ。古い公安の資料にも名前が確認できた。東大安田講堂攻防戦にはじまる各地の国立大学での機動隊と学生との「戦争」。京大学でも大学に立て篭もった学生と京都府警機動隊との全面衝突が起こっているが、この際の検挙者の中に石倉氏の名前が見える。もっともすぐに釈放されたようで、この戦争の直後にセクトを抜けたらしいが』
「その際に、市島とのつながりができた?」
『その通りだ。実は石倉氏には極めて初期、まぁ石倉氏が日高を罠にかけていたころになるが、そのころに市島の資金源となっていた可能性がある』
「資金源?」
『市島は正式な過激派の面子じゃなかったからな。あくまで雇われで、それだけじゃ爆弾のための金がない。だから、金融会社を経営していた石倉氏に援助を求めていた可能性がある』
「ですが、これも時効ですね」
『もう四十年以上前の話だからな』
「でも、市島がなぜ石倉氏を?」
『市島が捕まった際、石倉氏が市島に対する極めて不利な証言をした。それも自身を保身した上でだ。それどころか、時効が成立していたことをいいことに警察に関与が発覚していなかった三件の爆破事件に市島が絡んでいたことを進んで証言した。その結果、市島の刑はさらに延長されている』
「なぜそんなことを?」
『証言した事件は全て死者が出ている。石倉氏としては市島には死刑になってもらったほうが都合がよかったんだろう』
「市島がそれを恨んでいる可能性があると?」
『何しろ相手は筋金入りの爆弾魔だ。復讐に走ってもおかしくない。ただし、やつは長年裏の世界で生きてきただけはあって仕事に関しては感情で動くことは少ない。それに動いたとしてもこんな手の混んだやり方をする可能性は低い。ただな、やつは現在大津市内に住んでいるらしいんだ。それが少し気になる』
確かに、相手が相手だけに気になる話だ。
『三人目。これが一番意外かもしれん』
「誰ですか?」
『石倉氏の奥さん、すなわち石倉立江だ』
意外な名前に中村は少し戸惑った。
「石倉氏の奥さんがなぜ?」
『こちらの動機は日高や市島ほど背景があるものではなく、もっと単純なものだ。まぁ、簡単に言えば浮気だ』
「浮気ですか」
『子供がいながら隠れてやっていたらしい。で、最近になってそれがばれかけていた。石倉氏はこういったことに関しては非常に敏感で、もしばれたら殺されかねないと本気でカウンセラーに相談している』
「やられる前にやってしまおうということですか?」
『まぁ、そうだ』
「しかし、ここまで手の込んだことをしますかね」
『少なくとも、この犯行で事実上の被害者遺族である立江が疑われることはほとんどないと踏んだのかもしれん』
そこで中村はふと違和感を覚えた。
「待ってください、誘拐犯は男です。立江が犯人なら娘がわからないはずがないし、彼女に爆発物の知識もあったとは考えにくい。それに立江には昨日からずっと自宅で警察関係者と一緒にいたという鉄壁のアリバイがあります」
『そこで、浮気相手が問題になる。実はその浮気相手、現役の自衛隊員だ』
中村は眉をひそめた。田辺が情報を読み上げる。
『名前は上坂藤吉郎。陸上自衛隊滋賀高島駐屯地所属。実家は滋賀県野洲市だ。当然、爆発物の知識もある』
「つまり、石倉立江と上坂藤吉郎の共犯という可能性ですか?」
『その通りだ』
その時、突然坂本が反応した。
「待ってください。今、上坂藤吉郎と言いましたね?」
「ええ」
坂本は何事か考えていたが、手に持っていた書類をめくり始めると、
「やっぱり」
と頷いた。
「何ですか?」
「あの電車の重傷者リストです。ここに……」
一ヶ所を指差す。
『上坂藤吉郎:一両目前方に乗車。事故当時転倒により頭部を強打。意識不明の重態』
石倉立江の浮気相手、上坂藤吉郎はよりにもよって衝突した電車で意識不明の重傷を負っていたのだった。
「日高甚太、市島六四郎、石倉立江、上坂藤吉郎。現状、この四人が容疑者ですね」
坂本が確認の意味をこめて田辺との電話を終えた中村に尋ねた。
「立江と上坂はともかく、残る二人の所在確認が必要です」
「確か、二人とも大津に在住しているとのことでしたね」
「お願いできますか? 私の部下も同行させますので」
「いいでしょう。すぐに所在を確認します」
坂本の答えに、中村は再び携帯を取り出すと、三条に連絡を取った。
「三条、今どこだ?」
『改札の辺りで客から事情聴取をしているところですが……』
「ちょうどいい。いいか、田辺さんからの連絡で何人かの容疑者が浮上した」
中村は先ほどの報告内容や今までの捜査で判明したことを三条に説明する。
「……捜査状況は以上だ。そこで、三条には滋賀県警の捜査員と一緒に日高甚太と市島六四郎の所在確認に向かってほしい」
『はぁ』
電話の向こうからどことなく間の抜けた声がした。中村は少し不審に思った。
「どうした?」
『いえ、何でもありません』
「言っておくが、この件は極秘だぞ。下手にマスコミに嗅ぎつけられて問題の二人が関係なかったら洒落にならないからな」
『そうですね……』
困ったような声が聞こえる。が、中村は気にしないことにした。
「そういうわけで頼むぞ」
返事を待たずに電話を切る。どうも、あまりに突飛な事件ゆえに少々心理的ショックが大きいようだ。
「まぁ、私も人のことは言えんがな」
中村は遠い目で大破した車両と、未だに車両近くで呆然としている車掌や乗客たちを見つめていた。
で、一方そのころ改札口付近にいた三条はと言えば……。
「……まぁ、そういうことだよ」
すでに切れた携帯電話を見ながら、傍らで満面の笑みを浮かべている瑞穂に対しため息をついていた。
事件の後、改札口にまで乗客たちの事情聴取に来たまではよかったが、
「いい加減に何がどうなってこうなったのか説明してください!」
と、わけもわからぬまま駅員室に足止めされた挙句この事件に巻き込まれてしまった上に救助作業まで手伝うことになった瑞穂から執拗な説明の催促を受ける羽目になり、気がついてみれば今までの誘拐事件のことを洗いざらい白状することになってしまったのだった。そのあまりの手際のよさに、瑞穂が取調官になったらほとんどの犯人はわけもわからないうちに白状してしまうのではないかと思わず三条が感じたほどである。
で、運がいいのか悪いのかその話の途中に中村からの電話が入り、現在までの捜査状況や容疑者の詳しい来歴などの極秘事項がそっくりそのまま傍らにいた瑞穂に筒抜けになってしまったのだった。
「ふーん、元建築業者に元過激派メンバー、それに現役の自衛官ですか。うまい具合に怪しい人たちばっかりですね」
瑞穂が好奇心旺盛な声で言う。三条は再度ため息をつくと、
「ま、そんなわけだから私は行かなくてはいけない。君はそこでおとなしくしておくように」
「その容疑者に話を聞きにですか?」
「そうだ」
「ふーん。じゃあ、私はこの辺の人の話でも聞いていますよ」
事件に首を突っ込む気満々である。というより、首を突っ込ませてしまったのは警察なのだが、もはやそのことについては何も言うまいと三条はやや諦め気味に思った。
「では、私はこの辺で……」
そう言って三条が去ろうとしたときだった。
「ああ、ここですよ!」
突然、瑞穂が改札口付近にたむろする野次馬たちの向こうに呼びかけた。三条が訝しげに振り返ると、向こうから六十歳過ぎくらいのナイスミドルの老人が姿を現した。
「おお、嬢ちゃん。今ザッと見てきたよ」
「どうでした?」
「技術はそこそこだな。だが、いかんせんやり方がなっちゃいねぇ」
三条は訝しげに尋ねた。
「あの、瑞穂君、こちらは?」
「ついさっきここで会った方なんですけど、話していたら意気投合して、専門だからって事件現場を見てきてもらったんです」
「専門?」
三条の問いに、老人は挨拶する。
「市内で花火職人やってるもんだ。仲間からはロクちゃんと呼ばれている。ま、野次馬がてらに来てみたんだが、面白い嬢ちゃんと出会えてよかったよ」
「花火職人の方ですか?」
「おうよ。この前の琵琶湖花火大会でも作品を出したもんだ」
なるほど、花火職人も立派な爆発物の職人である。
「しかし、今であったばかりの人とよく意気投合できるね」
「まぁ、人と上手に話す事が探偵の第一条件だと先生が常日頃から言っていまして」
三条の頭に彼女の師である東京の私立探偵の顔が浮かぶ。
と、向こうから滋賀県警の刑事が姿を見せた。
「ご苦労様です。これから、問題の二人のいる場所までご案内します」
「ありがとうございます。二人の写真などは?」
「すでに京都府警からファックスでいただいていますので、見ればすぐに……」
と、突然その刑事の表情が凍りついた。
「どうしましたか?」
「さ、三条警部補! そいつです!」
「はい?」
刑事は若干震えながら指を突きつけた。瑞穂の横でニコニコ笑っているロクちゃんなるナイスミドルに。
「そいつが市島六四郎です!」
三条は一瞬呆気に取られていたが、次の瞬間、不覚にも大きく後ずさりしてしまった。
「お、お前があの爆弾魔だと!」
「ん? なんだ? 俺を探していたのかい? そりゃまたどうして?」
ナイスミドル……市島六四郎は特に慌てた様子もなく、のんびりと尋ね返した。で、瑞穂はと言えば……。
「へぇ、おじいさんが爆弾魔の市島だったんですか」
「はは、こりゃ驚かせちまったかな」
「いえいえ、想像していたより優しそうな方で少し驚きましたけど」
「ほう、そんな態度をとる子は初めてだよ。たいてい俺の正体を言うとみんなびびっちまうんだけどね」
全く動じることなく市島とのんきそうな会話を続けていた。
「み、瑞穂君、日本有数の爆弾魔相手に、君は何でそんなに落ち着いている?」
「え? そうですねぇ」
緊張で震えている三条の問いに、瑞穂は少し考えると、
「なんだか、先生にくっついて色々な犯罪者の人と会ってきましたから、もうこのくらいじゃ何とも思わなくなっちゃって。だってこの人、今ここで何かしているわけでもないじゃないですか」
なにやら感覚が麻痺していないか、と思わず三条は心の中で突っ込んでしまった。
「あー、とにかく市島六四郎。少し話をしたいので来てくれるか?」
「そりゃ任意かい?」
「爆弾が使われた犯罪現場に爆弾魔のお前がいたら気になるのが普通だろう。それに、死んだのは石倉元治だ。知らないとは言わせないぞ」
「何? 石倉が死んだ?」
一瞬、市島の目つきが変わった。が、すぐに元に戻ると、
「そうかい。じゃ、しかたねぇな」
「では……」
「その代わり」
市島は三条の言葉をさえぎって告げた。
「一つ条件がある」
「で、なんで瑞穂君がこんな場所にいるんだ!」
事件現場となったホームに意識不明の上坂藤吉郎を除いた問題の三人の容疑者、すなわち日高甚太、市島六四郎、石倉立江が集合していた。他にも救助に立ち会った駅員や事故車両の車掌などが事実確認のために控えている。で、その後ろになぜか瑞穂が当然と言わんばかりに陣取っていた。
「市島が彼女を同席させることを条件に出してきまして」
三条が弱りきったように答え、市島が苦笑する。
「いやぁ、あの有名な名探偵さんのお弟子さんなら、俺の無実を証明して事件をチャッチャと解決してくれるかと思ってね」
「榊原さんが警察に入ったのはお前が捕まった年のはずだが」
「こんな身分でもな、今でも裏の世界の話は入ってくるよ。東京に凄腕の探偵さんがいるという話もな。それと、俺は捕まったんじゃなくて自首したんだ。そこんとこよろしく」
中村は盛大にため息をついた。坂本にいたってはどうして女子高生がこの場にいるかすら全くわかっていない様子である。
「い、いいのでしょうか?」
「仕方ないだろう!」
中村がやけくそ気味に叫ぶ。もうどうにでもなれといった感じだ。
「とにかく、単刀直入に言いますが、ここにいるのは石倉さんに恨みを持っていて、なおかつ爆弾の知識がある人間です。今回の犯行は事前状況などから石倉さん個人を狙った犯行の可能性が高い。そこで、皆さんの事件当時の動きを知りたいのですが」
「私が犯人だっていうの?」
立江が詰め寄る。
「娘を誘拐され、夫を殺され、その上殺人容疑? ふざけないでよ!」
「ですが、あなたと上坂藤吉郎氏が浮気関係にあったのは事実でしょう。そして、夫にばれそうになっていたことも」
「知りませんよ。仮にそうでも、その程度で殺しませんよ」
「ですが、上坂藤吉郎氏は問題の電車に乗っているんですよ」
「偶然です! 彼には誘拐のことなんか一切伝えていませんから!」
立江がヒステリックに叫ぶ。が、中村はニヤリとした。
「浮気は認めるのですね」
その瞬間、立江の顔にしまったと言わんばかりの表情が浮かんだ。
「だ、だとしても何か罪になるんですか?」
「いいえ、ですが動機は生まれますね」
「私はずっと警察と一緒にいたんですよ」
「でも、上坂氏と協力すれば、指示は出せる。何しろ、被害者の家族ということで被害者や警察の動向は無線を通じて筒抜けになっていたはずですから」
「じゃあ、上坂はどうして意識不明なんですか! 犯人なら大間抜けもいいところじゃないですか!」
立江がわめく。
「まぁ、まだ犯人と決まったわけではありませんしね。では、次に市島さん」
当然質問対象を変える。が、さすがに市島は動じなかった。
「市島六四郎、安保闘争や過激派事件で日本公安史に名を残した伝説の爆弾魔と出会えて光栄だよ」
「よしてくれ。俺はもうしがない花火職人だ」
「つまり、まだ爆弾とは手が切れていないわけか」
「爆弾というなよ。こいつは芸術でね」
「お前の爆弾も芸術だそうだな。他の爆弾魔には作れない神の作品だ」
「ふん、だったらわかるだろう。今回の事件は俺の仕事じゃねぇよ。俺だったら、こんなくだらない爆弾の使い方はしねぇ」
「ほう、くだらない?」
「こんなまだるっこしい方法はとらねぇ。素直に直接仕掛けている。その方が確実だからな。そもそも、俺の見立てじゃ今回の爆弾はちゃちな粘土爆弾か何かじゃねぇか?」
「よく知っているな」
「見りゃわかるさ。俺を誰だと思っている?」
市島の目が一瞬すごんだ。
「俺はこんな安っぽい手口は使わねぇ。それを一番知っているのはあんたらじゃねぇか?」
確かに、過去の記録では市島が粘土式プラスチック爆弾などという安物を使った記録はない。精密に組み立てられた文字通り芸術品とも呼べる複雑極まりない爆弾ばかりなのだ。
「だいたい、俺がどうして石倉の野郎を殺さなきゃならねぇ」
「お前に不利な証言をしている」
「馬鹿か。あの程度でいちいち殺しまわっているようじゃ、裏の人間じゃ信用されねぇ。最悪の事態の際は潔く仲間を見限り、自己の保身を守るのが過激派だ。そうしないと組織そのものがつぶれちまうからな。俺も他のやつもそれはよくわかっている。その程度で復讐なんかしやしないさ」
どうも、市島には市島なりの信念があるらしい。正直、中村たちにはあまり理解できなかったが。
「ちなみに、今日はどこに?」
「ずっと自宅の花火工房で花火を作っていた。一人だ、証人はいない。偽るつもりはねぇよ。そしたら、駅の方で爆弾騒ぎがあったっていうから、血が騒いで野次馬に来たんだ」
これ以上は突っ込めそうになかった。
「では、日高さん」
「は、はい?」
一人ビクビクしていた日高が中村を見る。
「この近くのコンビニで雇われ店長をしているとか?」
「え、ええ」
「失礼ですが、今日はずっとそちらに?」
「いえ、風邪を引いてさっきまで自宅にいました」
三条が黙って頷く。事実、日高は大津市内の自宅アパートにいるのを発見されていた。
「つまり、今日は一歩も外に出ていないと?」
「ええ」
と、突然後ろから不思議そうな声を出した人間がいた。
「あれ、でもあなた、さっきまでここにいましたよね?」
取調べを聞いていた、事故を起こした電車の車掌だった。その瞬間、日高の表情が青ざめた。
「車掌さん、どういうことですか?」
「いえ、事件が起こった後、救助活動をしている際にこの人の顔を見たような気がして……。そうだ、確か声もかけましたよ。救助を手伝ってくれるように」
その瞬間、他の駅員もざわめいた。
「そう言えば、見たような気がするなぁ」
「いや、確かにいたような気がする」
日高の顔色がどんどん悪くなっていく。
「どういうことですか?」
中村が問い詰める。日高はしばらく震えていたが、
「も、申し訳ありません。私は、確かに事件当時この駅にいました」
その場が緊張する。
「で、でも、信じてください! 私はやっていません!」
「では、なぜ隠そうとしたんですか?」
「ぜ、絶対に疑われると思ったんです」
日高は語り始めた。
「用事で京都に行く事があって、事件当時このホームにいました。そしたら、石倉のやつがいるのを見つけたんです。あいつが偽装借金の詐欺で私を破滅に追い込んだという噂は知っていました。だから、いい機会だからそれを問いただしてやろうと思って彼の元に向かおうとしたんです。そしたらいきなりの轟音です。驚いてその場で固まっていたら、石倉が螺旋階段で潰されて、電車が激突する音がして…。わ、私はしばらくその場で呆然としていました。ところが、救助活動が始まってしばらくして、その車掌さんから『螺旋階段の下敷きになっている男の人がいる! 救助を手伝ってくれ!』と声をかけられて正気に戻ったんです。そして、早くこのままここにいたら石倉に恨みを持つ私が疑われるんじゃないかって突飛な発想が浮かんで、逃げるように大津駅を後にしました。その後、自宅で震えていたんです」
中村はフムと唸り、車掌に確認した。車掌は頷いて、日高にそのように声をかけたことを認めた。
「つまり、事件当時この駅にいたのは間違いない?」
「でも、やっていません! 本当です!」
日高は涙を浮かべながら訴えた。
「さてさて、どうだね嬢ちゃん。何かわかったかい?」
と、突然市島が瑞穂に振り返った。瑞穂は至極難しそうに何か考え込んでいたが、市島に呼ばれてハッと顔を上げた。
「え、もうですか?」
「はは、さすがに無理があったかな?」
市島が笑う。まるで、市島が犯人で、自分の犯行を見破れるかと瑞穂に挑戦しているようにも映る。
「市島さん、さすがにそれは無理があるでしょう」
中村が厳しい声で言う。
「いくら榊原さんの弟子とは言え、こう言っては何ですがまだ高校生です。そもそも、こういうことには慣れていないでしょうから」
「そんなもんかな」
市島はニコニコと笑みを浮かべながら言った。
と、当の瑞穂が不意に困惑気味に発言した。
「ええっと、まぁ犯人ならもうわかっていますけど、私なんかが言っていいのかなぁ」
その場が硬直した。