1 ヨウコ、呪われる
「宗田さん。俺と付き合ってくれない?」
「ごめんなさい」
とある放課後。校舎裏。
瑤子はいつもの通り即答した。
「なっ、なんで?!みんなが憧れる生徒会長だよ?せめてもう少し考えてもいいんじゃないのかなっ?」
瑤子の目の前に立つ男子生徒は、まさか即答されるとは思っていなかった様子で、大袈裟に驚いた。
弓なりの眉にいつも笑っているような口元。
決して二枚目とは言えないが、愛嬌があって親しみやすい顔立ちで、その印象のまま、誰からも好かれている愉快な生徒会長だ。
瑤子も特に接する機会があったわけではないが、なんとなく好感を持っていた。
持ってはいたが。
惚れた腫れたはまた別の話である。
「…やっぱ男は顔なんすかねえ…」
生徒会長――――石原は眉を八の字にして溜め息をついた。瑤子に向けてというよりも、声に出して確認を取っているようだった。
「始めて話した相手に告白されて、OKする人がいますか」
「じゃあ仲良くなってからだったら、宗田さん的にはありなんだ?」
「…それはまた別の話ですけど」
間を開けずに早口で問われ、瑤子は反射的に目を逸らした。
そもそもクラスの女子とさえ仲良くなれていないのに、特定の男子となんてもっと難しい。
じいぃ、と石原は瑤子を見つめ、瑤子は冷や汗をかきながら校舎外壁の染みをじっくりと見つめた。
どのくらい時間がたったのか瑶子の体内時計が狂って来たころ(実際はものの数分だったが)、石原は苦笑して瑤子から目を離した。
「ま、全くの望みなしってわけじゃないって分かっただけ、今日はいいよ。んじゃ、ごめんね。時間取らせて」
石原は身をひるがえし、ひらひらと手を振りながら歩いていく。
史上類を見ないほどあっさりと、ごく短時間に、さっさと引いた事に対し、拍子抜けした瑤子を残して。
「――――塔野」
どこに向けてでもなく呟くと、会長が歩いて行った方向とは逆側の、建物の影になった部分から、そろりと頭が見えた。
「…気づいてたんですか?」
「いや。なんとなく、見てるんじゃないかと」
ぼさぼさの長めの黒髪に、コナン君みたいな大きな黒縁眼鏡をかけた塔野しのぶは、影から瑤子の前へと姿を現した。アイドルみたいな美少女顔を、目立たないために眼鏡で隠しているクラスメイト(の男子)だ。
二日前に困っていた所を助けてもらってから、ごくたまにこうやって話すようになった。塔野はいつも瑤子のことを見ているらしく、呼ぶと大抵どこからともなく出てくる。もっとも、話すのも呼ぶのも、二人きりで周りに人がいないときだけだった。
「いま、なんか変じゃなかったか?」
「変、とは?」
「告白されたけど、しつこくなかった」
「そう言えば、いつもはもっと長丁場ですよね」
いつも。できるだけ穏便に済まそうと、瑤子も苦心しているのだが、中々上手くいくことはない。
やっぱり塔野はその場に(陰ながら)いたのにただ見ているだけだったのか、と瑤子は思わず溜息をついた。
「…見ているのなら、助けてくれないか」
塔野が瑤子のことを始終見ているのは、ただのクラスメイトというだけの関係ではないからだ。瑤子が死ねば塔野も死ぬ、という誓約を結び、瑤子の眷属として仕える―――のだ、そうだ。塔野曰く。それも、塔野も瑤子も普通の人間ではないとか。話すことはたまにしかないし、瑤子もそこらの事情を詳しく理解してはいない。
塔野はそう言いつつも、学校では積極的に助けてくれたりはしないのだが、それでも、瑤子は遠慮なく塔野に頼ろうと思っていた。なにしろ、塔野は瑤子の惹きつけ易く疎まれ易い体質が効かない唯一の他人なのだし、塔野もそれが当然だというようにふるまうので。
「それは難しい相談ですね」
「なんかあるだろ、便利ワザが…あ、塔野みたいに、目立たないようにする術をかけるとか」
「それは無理ですよ。姫はもう、面がわれているじゃないですか。今さら遅いです」
塔野の眼鏡には「印象を薄くする」術がかけられているそうだ。ただし、その効果は「素顔を知らない」人にのみ限られ、一度見られてしまえば効果は消える。すなわち、塔野の素顔を知るのは瑤子だけだった。
そうなんだよなあ、と溜め息をついてから、瑤子は助けてもらった時の文句を思い出していた。
「そういえば、方法があるとか言っていただろ。根本的に解決する」
「ああ…言ってませんでしたか。力を他人に譲渡してしまえばいいんです」
塔野はさらりと、いとも簡単そうに言った。
瑤子がどんなに自身の体質に悩んでいるのか、塔野は根本的には分かっていないに違いない。でなければこういう言い方は出来ないはずだ。
瑤子は塔野と話していると忍耐力を試されているような気分になることが多いと思った。助けてもらった時もそうだ。塔野のしゃべり方のせいなのか、それとも塔野がおっとりしているからなのか…
「…そういうことは早く言え。どうすればいいんだ?」
「瑤子様の力は魂そのものによるものですから、魂を誰かに差し上げれば」
「死ねと言っているのかお前は…」
呆れて言った言葉に、塔野はぎょっとしてぶんぶんと左右に勢い良く首を振った。
「まさか、滅相もありません。そうですね、一番簡単な方法は」
「うん」
「恋愛することです」
「…はい?」
残念なことに、塔野は大真面目だった。
瑤子が呆気に取られてぼんやりしているのを知ってか知らずか、照れもせずに続ける。
どんな恥ずかしい台詞も、塔野が言うと不自然に聞こえないのが逆に不思議だった。
「恋に落ちたことを、心を盗まれたとか言うじゃないですか。あれって本当で、実際に魂―――心の一部を相手に渡しているんです」
「―――じゃ…じゃあ、誰かに私が、こ、恋…すればいいのか。それだけ?」
瑤子は慣れない単語を口にするだけで照れて口ごもってしまう。告白されるのは星の数でも、瑤子にとって恋愛、色恋沙汰は体質のこともあって無縁どころか最も苦手とする分野だった。
空の上の出来事、物語の上の出来事、だ。
塔野はにこにこと笑った。
「その恋が叶えば。姫はこの力に悩まされることもありません」
(簡単、ねぇ…?)
まともな恋愛(とか)をしたいが為に、この力に悩まされているのだが。この体質が治らない限り、ほぼ不可能に近いのではなかろうか。
自分が誰かに恋をすることも想像できないし、その相手が本当に自分のことを好きになってくれるかどうかもかなり難しいと瑤子は思う。すぐに憎しみへと変わる愛情しか知らないからだ。
「姫の恋が叶うように、できる限りお手伝いしますので」
「…そりゃどーも」
(それにしても、割と会長とはまともに話せたな。…この力の効果も、効き方は個人差があるのかもしれない)
もしもそうなら、まだ望みはあるかもしれない、と瑤子は思った。
××
カーン、カーン、と真夜中の境内に高い音が響いた。
逆槻神社の鳥居は真紅。狐、稲荷大明神を奉っている証である。石段を上り、赤い大鳥居を抜けると、本殿と――――――大きな、銀杏の木があった。
境内にあるのはほとんどが楓で、銀杏の木はこれ一本しかない。
地元の人間にはお化け銀杏とも呼ばれている。数百年近くこの神社と共に在り、畏れられているもの。
それなのに、決してこの木は御神木とはならなかった。
浄いモノ以外のモノも、引き寄せるからである。
葉が黄色みを帯びてきた大銀杏の大木の幹に、一心不乱に五寸釘を打ち付ける、一人の少女がいた。
正確に言うならば、少女は藁で作られた人形を何本もの釘で幹に縫い止めていた。
何も目に入らぬくらいに、無我夢中になって。
「死ね!死ね!死ね!」
赤い眼鏡に長い波打った黒髪の少女は、口汚く呪詛の言葉を吐きながら、金槌を振りかぶる。
「あたしの会長を誑かしやがって!このっ、この、泥棒猫!メス豚ぁ!」
呪いの言葉を言うにつれ、一撃の重さが大きくなっていく。幹に深々と釘が刺さった。ざわざわ、ざわざわと大きく木が揺れ、銀杏の葉が少女の足元に落ちた。
「死ねぇ!宗田瑤子ぉっ!」
金槌の高い音と少女の叫びが逆槻神社の静かな境内に響く。お化け銀杏は少女を隠すように枝を広げているようにも見えた。
お化け銀杏にめり込んだ藁人形を少女は荒い息で点検し、最後にもう一度腕を高く振りかぶった。