1 ヨウコ、奔る
以前書いていた「恋せよ乙女、しのぶれど」の書き直しです。
随分違っているので、前作を知っていても、違うものとして楽しめるかと。
挿絵つきです。気に入らなくとも、お気になさらず…
ファンタジーとは書いていますが、目指すはラブコメです。
ちょっとした暇つぶしになればいいなあと思います。
宗田瑤子は奔っていた。
綺麗に掃除されたリノリウムの床を、力強く蹴る。一般的女子高校生の平均をはるかに超えたタイムで全力疾走していた。両耳の上で束ねた肩までの髪をなびかせ、華奢な肢体を弾ませて、それでも引き離すことができない。
(流石に体育会系部からは、直線距離では逃げ切れない…っ!どこかに隠れないと…)
―――――――こちらのスタミナが持たない。
「そーうっださ――――ん♡」
「待ってよ―――ぅ♡」
「煩い黙れぇっ!追ってくるな!早く失せろっ!」
追い募る屈強な男子生徒たちに振り向きざまに怒鳴る。怒鳴った分だけスピードが落ちることは百も承知なのだが、その不快さに耐えきれずに。
「ああっ♡怒った姿もなんて美しいんだ俺のmy angel!」
「はあぁ!?瑤子ちゃんはお前なんかのもんじゃねーよ!ただ天使であることは同意する!」
「宗田さーん♡」
―――――――――――――きもい。
(ああもうなんか頭が痛い。ていうかなんだろう寒気と吐き気が。風邪?いや、今流行のノロウイルスかなー。)
怒りを込めて、宗田瑤子は絶叫した。
「くたばれ――――――――――――っ!」
××
それに気づいたのは、小学校低学年のころだった。
数多くの男子から告白される。バレンタインには机の上に山積みのチョコレート。それも、なぜか全く面識のない人から、特に。
そこまではただ単純に喜んでいた。どこかで自分を見ていてくれて、好意を持ってくれた人がこんなにいたのだと。
宗田瑤子には両親がいない。
小さなころに交通事故で亡くなってしまい、今は祖父との二人暮らしだ。だから、自分のことを誰かが好いてくれていると思うだけで、とてもうれしかった。
しかし問題はそこで終わらなかった。
周囲の人間から向けられるのは、強い憎悪。女子ならば、ほんの少しの誤解が広まって、羨望が強くなって、憎しみに変わっていく。男子からはそこまでひどくはなかったが、それでも疎まれ、避けられているのは確かだった。
自分はきっと、無意識に人の嫌なことをしてしまうのだろう。それがなんなのかはわからないけれど、こんなにも嫌われ、憎まれているのだから―――――――――
自分を好きだと言ってくれる人とだけ、付きあったこともあった。結局は、その好意は憎しみに簡単に変わってしまうものだったけれども。
彼女の人生において、ほんの少しでも接点のあった人間で、好意にしろ悪意にしろ彼女に強い感情を持たなかった人物は誰一人としていなかった。
度を超しすぎた悪意と好意。
原因は自分の顔にあるのだろうか?
どんなに優しく接しても、それが報われることは無く、こちらが傷つくだけだと言うのなら――――――
―――誰ともかかわらなければいい。
そして今、高校一年生の秋。厳密に言えば九月九日。
彼女の目標は、できるだけ目立たない小市民的生活を送る、だ。
今のところまだ達成される兆しは見えないが。
「瑤子、誕生日おめでとう」
そんな瑤子も今日、十六歳になった。
「…それはどうも有難う。広海が素直に祝うなんて、喜んでいいのか落ち込んでいいのか反応に困るな」
「あらどうして落ち込む必要があるの?友人がせっかく祝ってあげてるというのに」
定永広海。中学からの同級生で、高校でも一緒になった。瑤子がどんなに突き放しても、瑤子のせいでどんなに迷惑を被っても、そばにいるのをやめない奇特な人物だ。彼女がなぜ瑤子を嫌わないのか、他の人とどう違うのか、はよく分からない。少なくとも、彼女のおかげで瑤子が救われているのは確かだ。
今は昼休み。さっさと昼食を済ませてしまった広海は、後ろでゆるくまとめた横の髪をいじりつつ、クリームパンをぱくつく瑤子を見た。
上向きの睫毛に縁どられた猫を思わせる大きな瞳。口紅も塗らないのに桃色をしている小さな口元。白い、小作りな顔に絶妙なバランスで配置され、誰がどこから見ても美少女と認める顔立ち。小柄で全体的に細い肢体から、愛でるべき小動物を思わせる。
「経験からして、広海が妙に素直である時は裏があるか何か企んでるかのどっちかなんだが」
それも、ひとたび口を開けば出てくる言葉は予想外にひねているか、
「失礼ね。だって朝から代わる代わる、たくさんの男の子が貴女の机にプレゼントを置いていくものだから、さすがに思い出すわよ」
「!?…忘れられたら忘れられたでなんだか悲しいんだが!?」
「だからプレゼントも何も用意してないの、ごめんなさい」
「全く悪いと思ってないだろその顔!そして覚えてたとしてもくれなかっただろ!」
「まあ瑤子すごい。分かってるじゃない」
容姿のイメージに反して、ぶっきらぼうで男のような口調(でその上お馬鹿)なのだが。
「あの…宗田さん。まだノート出てないんですけど…」
広海と机を向い合せて昼食中だった瑤子に、山のようなノートを抱えた、小柄な男子生徒が声をかけた。小柄、とはいっても男子のなかでの話で、瑤子よりはいくばくか大きかったが。
「あ、ごめん。今出すから待って」
あちこちにはねたぼさぼさの中途半端な長さの黒髪に、冴えない厚い黒縁眼鏡をかけた彼は、クラスの雑用係としてよく先生に使われていた。地味で目立たない、クラスの底辺にいる。
「はい。大変だな、手伝おうか?」
「え?いやっ、宗田さんはまだ、食べてるじゃないですか…」
「まあ、そうだけど…」
こんなのもう食べ終わるし、と言いかけた時には男子生徒は身をひるがえして行ってしまった。追いかけて手伝うほどの気持ちがあったわけでもないので、浮かしかけた腰を下ろす。クラスメイトに避けられるのはいつものことなので、さみしくはなるものの特に気にならない。
「…瑤子」
「ん?」
「なんだか瑤子の反応が普段よりも優しかったような気がするんだけど」
「うん」
「気のせいかしら?」
「ううん」
クリームパンを飲み下して、笑顔で答える。
「憧れてるんだ」
その一言に、広海の顔が硬直した。
「…えっと、今の…誰だったかしら。あー名前が出てこない。―――に?」
「そういうところがだよ。クラスメイトからさえ名前を覚えられず、慎ましやかに生きているところが」
目をきらきらと輝かせ、瑤子は言った。
そういった、地味で目立たない生活を送りたくて、自分のことを知る人がほとんどいないこの高校に入学したのだったが…
広海が冷めた眼差しで遠くを見て、一言。
「そう…瑤子の好みはそんなジミメンだったのね…」
「馬鹿そういう意味じゃない。分かってるだろうが」
「分かってるわよ。瑤子もそんな生活を夢見ているのよねえー」
「うん。いったいどんな風に振る舞えばいいのか、たまに観察させてもらってる」
クラスの中で、多分誰より目立たない。
疎外されてるわけでも、いじめられているわけでもない。かといって、特定の人物と話しているところも見かけない。頭がいいとか運動ができるとか、そんな目立った特技があるようでもない。背丈は小さめ、記憶には眼鏡しか残らない。
「いてもいなくても変わらない」というような。暗くはない。ただ、どこまでも地味。無個性、無主張。埋没していることが個性の、不思議な存在に憧れる。
自分もそうなりたいと。
「瑤子が彼と同じように振る舞っても、目立つことには変わりないでしょうがね…。そうだ、瑤子、こんな話があるわよ」
「うん?」
「恋って、性欲に伴う脳の電気信号を錯覚したものなの。一目ボレがいい例ね。自分の好み、もっとざっくりいえばより強い遺伝子を残すために必要な遺伝子を持った人間を、においとか…そうね、フェロモンとかで判断するの。だからその人のことをよく知らなくても「好き」と思うわけね」
突然広海は薀蓄をたれ始めた。彼女は妙な雑学に詳しく、気の向いた時に話し始める。変わり者ではあるだろう。「つまり、何が言いたいのかというと」
瑤子はげんなりとしてため息をついた。
「私が、なんか人から好かれたり、嫌われたりするフェロモンを出してるんじゃないか、って…?」
「そういうこと。瑤子の持つ遺伝子は最強の遺伝子、とか言って。九割冗談の仮定ね」
「一割もない。そんな可能性」
「で、何故この話を今したのかというとね」
どどどどど、と遠くから地鳴りが聞こえる。
「逃げた方がいいわよー、瑤子」
広海はにやりと笑う。他人事だと思って(実際その通りだが)、暢気なものだ。
「馬鹿もっと早く言え――――――!」
(この薄情もの!気づいてるんだったら早く言ってくれれば逃げるなり隠れるなりできたというのにっ!)
がたあん、と瑤子は勢い良く立ち上がり、教室の引き戸を開けて廊下を覗いた。
昼休みを楽しむ生徒たちでごった返したその向こうに、舞い上がる埃と人影が見える。
「「「そーうっださ――――ん♡」」」
「誕生日オメデト――ッ♡」
「十六歳に俺の愛を受け取ってくれ―――い!」
「もう結婚できるね!どうする?俺と結婚しちゃう――?」
だまれ。
「来んな阿呆どもぉっ!」
思わず怒鳴り返す。
教室にいては危険であると判断し、廊下に躍り出て走り出す。鬱陶しい奴らをこのまま待っていれば、プレゼントの雨とか公開告白とかポエム大会とかが始まってしまう。つまり、クラスメイトの方たちに迷惑をおかけしてしまう。こんなくだらない理由でまた敵を増やしてはたまらない。
幸運なことに運動神経は抜群、男子の平均タイムくらいのスピードは出る。短距離だけど。
昼休みはあと十分弱、それを逃げ切れば私の勝ちだ!
××冒頭に戻る
「はっ、はあっ!」
息を切らして角を曲がる。やっと死角に入った。これでどこかの空き教室にでも入れば、やり過ごせるだろう。
確かこの辺はもう学級が入っている教室はなく、物置だとか特別教室だ。昼休みだというのに人気がなく、閑散としている。そう、隠れるところはいくらでもある。瑤子は目についた理科室の引き戸に手をかけた。
がっつん、と手に軽い衝撃。
(わあああああああ鍵――――――――!)
落ち着け落ち着け、と瑤子は自分に言い聞かせた。息が切れて頭ががんがんと痛かった。脳に酸素が足りてない。
まだまだ教室はあるのだから、どこか開いているところもあるはずである。五時間目に移動教室の学級もあるのだから…そう思い、瑤子はすぐさま隣の多目的室の扉のドアノブを回した。
これまた腕に抵抗があった。
まさか今日に限って、どこも開いていないのか。
とにかく息を整えて、落ち着かなくては、隠れてもすぐに捕まってしまうだろう。深呼吸しようとして、動悸が収まらずに失敗する。
(すぐにあいつらが来るはずだ、時間はない。次の場所を試さなくちゃ…)
被服室。調理実習室。理科準備室、教材室―――――――
(開いてない…)
ふと思いついて女子トイレを探す。さすがに奴らも女子トイレまでは入ってこれないだろうと思ったからだ。しかし、見つかるのは男子トイレだけだった。―――そういえば特別教室の辺りは不便だとクラスの女子たちが言っていた、かもしれない。
「「「待ってよーっ、宗田さーん♡♡♡」」」
追いかけてきた奴らの声が聞こえてくる。隠れ場所がたくさんあることを見越して走ってきたので、瑤子はもうこれ以上走れなかった。
(万事休す、ここまでか…)
額から大粒の汗が流れ落ちる。制服のシャツが張り付いて、気持ちが悪かった。
(どうしよう。あいつらに捕まるなんて絶対いやなのに…――――)
「―――――――こっち」
ぐい、と後ろから腕が引かれる。全く気配を感じなかった。この廊下へ来た時も、人影は見ていない。
「え…」
角から奴らの先頭が曲がってくるのが、見えた。
わりとスローペースで書いて行きます。
しかも不定期に更新です。