壱 黄昏時がやってきたら
処女作にて雑かつへたくそですが。
ちょっとふしぎなお話です。
打ち寄せる波、引き返す波。
「お姉ちゃん、また消えちゃった」
「波打ち際でやってるからよ。絵はこっちに来て描きなさい」
湿っぽい木の枝を握り締めて、弟は絵を描いていた。
サクサク、ザクザクと砂を割る音が、波の音に飲まれて消える。砂を割って描かれた絵が、押し寄せる波に均されて消える。全部、全部、すぐ消え去る。
それでも、弟―セオは絵を書き続ける。
「…全く、セオは何がしたいの?変なやつ」
五歳と十五歳、十年も年が離れたこの弟を、姉のリアは余り好きでは無い。寧ろ厄介のタネとしか見ていない。
だってほら、今日だって、セオの気紛れな思い付きと我が儘のおかげで、せっかくの日曜日が潰れた。最悪だ。ただ、少し先に生まれたっていう、姉という立場のおかげで、この厄介な弟の面倒を見なきゃいけない。何て理不尽なルール。
相変わらず手を動かし続けるセオを見て、リアは溜め息をつくと、またケータイをいじり始めた。
ケータイをネットにつないで、チャットサイトを開く。ハンドルネームとパスワードを入力すれば、いつも"そこ"にいる、友人とのご対面だ。
〇〇〇
リリ[こんばんは〜]
白兎[はい今晩は。今日も弟君が?]
リリ[そうなの、聞いてよもう!]
白兎[はいはいどうしました]
リリ[セオが突然海に行きたいって言い出して、いくら言っても聞かないから、私がセオと一緒に行かされたのが今朝の話]
白兎[それはそれは。弟君の様子はどう?]
リリ[ずうっと絵を描いてる。しかも波打ち際で。ほんと意味不明。げんなりだよ]
白兎[はは、ドンマイ]
〇〇〇
こうして、日々溜まったストレスを、白兎と名乗る友人に愚痴ることが、リアの日課と化していた。こうでもしないと、いつかどうにかしてしまいそうだった。それに、現実にそれといった友達もいないリアには、ネットという仮想空間で、他人と話すことが、とても楽しかったのだ。
まるで話すように、いや、話すより早く指が動いて文字を打ち出す。
〇〇〇
リリ[おかげで日曜日潰れたんですけど]
白兎[どーせやること無いなら良くね?]
リリ[でも何か腹立つ!もーヤダ。うんざりだよ……]
〇〇〇
―いっそ消えてしまえば良いのに、と動かしかけた指を止めて。流石にチャットで言うと居たたまれないふいんきになりそうだったので、打つのはやめようと入力欄から文字を消した、その時。
〇〇〇
白兎[消えてしまえば良いのに]
リリ[……へ!?]
白兎[何て思った?]
〇〇〇
…ああ、何だ。びっくりしたあ。
あまりに唐突だったその言葉に、リアは一瞬心臓を掴まれたような悪寒を感じた。
馬鹿な話だ。所詮は文字なのに、そんなものに悪寒なんか感じられる訳がない。きっと、思ったことが書かれたから驚いただけ。それだけだ。
〇〇〇
リリ[まあそりゃあね、厄介起こした時とか特に思うよ]
白兎[じゃあ、セオ君に消えてほしいの?]
リリ[ちょ、どしたよ白兎さん、突然そんなことばっかり……]
白兎[セオ君に、消えてほしい?]
〇〇〇
あれ?おかしいな。白兎さんって、こんな人だっけ。もっとコミカルで、楽しい人だったはずなのに。どうして、こんなにも悪寒を感じるんだろう。
〇〇〇
白兎[答えて、リリさん]
リリ[えと、セオには消えてほしいけど……]
白兎[…………]
リリ[……白兎さーん?]
〇〇〇
それきりチャットルームは音沙汰ない。
どうしたのかな、白兎さん。退室した?でも、そうならいつも声をかけてくれるのに……。
ふと、ぞくりと何度目かの悪寒。まさか、でも、まさか……!
「セオ……?」
ゆっくり、顔を上げたら、そこにいたはずの弟がいない。どこを見渡しても、あの小さな弟がいない。あるのは、波打つ静かな海と、消えかけの絵と、海に浮かんだ木の枝だけ。
何を書いたのか分からない絵が、波によって消えてしまったその時、リアの脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
―消えた。セオは、消えたんだ。
何で、どうして、どこに。その三つの言葉が、頭の中をぐるぐる回る。
「そうだ、チャット……!」
カタカタと震える手で、文字盤を打つ。
〇〇〇
リリ[白兎さん、いる!?]
リリ[白兎さん、返事して!]
リリ[白兎さん!]
白兎[はいはい、いますよ]
リリ[一体何をしたの!?]
白兎[何って……リリさんの願いを叶えてあげたんですよ]
リリ[何よそれ!セオはどこ!?]
白兎[消えてほしいんじゃなかったんですか?]
リリ[だからって本当にやることないじゃん!]
白兎[あなたが気にしているのは、怒られることであって、セオ君のことじゃない]
〇〇〇
現れた文字列に、思わず指が止まる。
言われてみれば確かにそうだ。セオがいなくなって、まず思い浮かんだのはセオの安否じゃなくって、お母さんにどう言おう、とか、これから私はどうなるんだろう、とかいうことばっかりだった。
このままセオがいなかったら、私は清々するだろう。じゃあ、放っておけばいいのかな。でも…。
〇〇〇
白兎[でもまあ、セオ君を放っておくと後々面倒なのは分かります]
リリ[じゃあ、返してよ。実はあなた、近くにいるんでしょ]
リリ[私が気づかないうちにセオをさらったんでしょ!]
白兎["はい"でも"いいえ"でもあるね]
白兎[彼は今、異世界にいる]
白兎[僕もまた、そこにいるから]
〇〇〇
……は!?何言ってるのこいつ。
浮かんだ文字列に、リアは眉をゆがめた。そりゃあそうだ、突然弟が消えただけでも信じがたいのに、異世界だなんて。完全に頭がイカれた奴としか思えない。
そんな事を思っている間にも、次々と文字列が現れていく。
〇〇〇
白兎[まあ、いきなり言われても信じられないのは分かる。だけど、これは動かしがたい真実なんだ]
白兎[これはゲームだ。白兎を追って消えたアリス―セオ君を、捕まえて夢から覚めさせてあげられたらリリさんの勝ち]
白兎[セオ君が、日没の時点で不思議の世界で迷ったままなら、セオ君は帰ってこない]
白兎[リリ……いや、リアさん。このゲーム、受けるかい?]
〇〇〇
何。何なの、これは。突然弟が消えて、友人が犯人で、ゲーム……?訳が分からない。
ああ、でも、セオは助けなきゃいけない。確かに厄介の種だけど、無邪気な弟を完全に嫌いって訳じゃなくって、なんていうか、ほっとけない。だから。
〇〇〇
リリ[いいわ、やってやるわよ]
白兎[はは、そう言ってくれると思ったよ]
白兎[追いかける時に合う人達には気をつけてね]
白兎[それから、ケータイはそのままにしておいて。話したいとき話せるようにね]
白兎[じゃあ……ようこそ!"黄昏時の世界"トワイライト・ワンダーランドへ!]
〇〇〇
太陽が、斜めに傾いて黄金の光を放った。波打つ海は金に染められる。まるで音が消えるような、一瞬の永遠の時が来て。
やがて、その眩しさで、世界は眩んだ。