僕は彼女に何を望む
終点のアナウンスが聞こえた。
僕はすぐに、正面の席で寝ている女の子に視線を向ける。まだ眠っているようで、頭が前後に揺れていた。
彼女は黒い髪を、背中の当たりまで伸ばし、左肩から体の正面に流している。そして、顔立ちは一言で言えば、美人。鼻筋が通っていて、どこか日本人離れした顔だった。制服と組章から、この辺りで一番偏差値の高い進学校の、三年生だということは知っていた。
アナウンスが終わると、彼女はうっすらと眼を開けた。そのタイミングが、いつもぴったりで、僕は毎日のように驚かされる。
「あの、すみません」
僕は勇気を出して、声をかけた。
因みに、僕は二年前に彼女と同じ高校を受験して、見事に失敗。滑り止めで受験していた、私立の高校に通っている。
頭脳明快、容姿端麗。おまけに、美人で年上。少し頭の悪い言い方をすれば、僕の好みのタイプで――――あ、いや、少しじゃないな。大分頭の悪い言い方だった。とにかく、僕とは大違いだ。
そんな彼女に声を掛けるのは、断崖絶壁から飛び下りるくらいの勇気が必要だった。
「一体なあに?」
彼女は欠伸の後に、返事をした。いつも、寝ている姿しか見たことがなく、声を聞いたのは初めてだ。思ったより高くなく、大人っぽい感じ。それを聞いた瞬間、心臓が高鳴った。声が震えそうになるのを、何とか堪えた僕は、忘れかけていた次の言葉を続ける。
「あの、少し聞きたいことが――――」
「いいけど、早くしてね。私も学校があるから」
「僕も今日、学校」
「見ればわかるよ」
くすりと笑う。
「それで、聞きたいことってなに? あ、言っておくけど、彼氏はいるの、とか、メールアドレスを教えて、とかはなしよ。もっと、面白いことを聞いてね」
それを言われ、今度は僕が吹き出すことになった。失礼かと思ったけれど、仕方ないと思う。だって、彼女が予想した、僕の聞きたいことは、実際に僕の聞きたいことに、掠ってもいなかったのだから。
不思議そうに、彼女は僕の顔を覗き込む。
「あの、なんで終点になってすぐに、起きることができるのかなって。電車に乗っているとき、寝ているよね。なにか、コツとかあるの?」
「え? ああ……。あの、もしかして、聞きたいことって、そんなこと?」
「うん。僕、よく、寝過ごすんだ。電車でね。だから、君みたいに目的地に着いたら、すぐに起きられたらいいと思うんだ」
「なんだ。そんなことだったの」
彼女は溜息をつく。
「僕にとっては、けっこう深刻な悩みだ」
「まあ、確かに、深刻かどうかは人によるわね」
「そう。そして、深刻とか重要とかは、その程度のことだ」
驚いたように、彼女は目を丸くした。
実際に僕はそう思っていた。片方から見れば、非常に重要なことが、もう片方から見ると、何でもない。世の中、そんなことだらけだ。
「へえ。貴方、面白いわね」
「変わっていると、よく言われるよ」
「うん。まあ、そうでしょうね……。それで、聞きたいことは、『どうして、目的地に着いたかどうかわかるか?』だったっけ?」 僕は無言で頷いた。
「残念だけどコツなんて、なにもないよ」
「え?」
「私、寝ていても周りの音は聞こえるんだ。なんとなくだけど。あ、でも、寝ている時の感覚はちゃんとあるのよ」
何気なしに言われた言葉に、僕は驚きを隠せずにいた。ずっと何かコツがあるものだと思っていたのに。なにもないだなんて。
「ごめんなさい。期待に応えられなくて。とても面白い話だったわ」
彼女はそう言うと、くるりと向きを変えて電車から降りた。 彼女に続き、僕も電車から降りる。
「貴方とは、もう少し話していたかったけど」と振り向いて、僕に微笑んだ。「私、もう行かなきゃ」
「それじゃあ、また……」
僕は、彼女の姿が見えなくなるまで、その場に立っていた。
彼女の言った言葉が、可笑しかった。「また」だなんて。彼女は「また」僕と話すつもりがあるのだろうか。それはそれで、楽しいかもしれない。どちらかといえば、彼女は僕と同じ部類に入るだろう。なんとなく、そんな気がした。
風がふわりと通り抜ける。
今更になって、彼女に名前を聞けばよかったと思った。
初の短編です。と言うより、ショートショートと言った方がいいかな? 頭の片隅にでも、残してやってくれると嬉しいです。
感想、評価等をいただけると嬉しいです。