本編2
それから瞬く間に話が進んでいき、一ヶ月後。気が付けば私は大きなトランク一つを手に持ち、ニーレンベルグ侯爵家の門の前に立っていた。
(……いや、何で?)
脳内は疑問符まみれである。
姉に家を出る支度をするよう言われ、てっきり私は姉の婚姻が終わるまで、彼女の親友であるロベリア様のところに預けられるのだろうと思っていた。
才媛と名高いロベリア様の元で、女伯爵としてのノウハウを勉強することになるとばかり思っていた私が馬車に乗り込み、辿り着いたのはなぜかニーレンベルグ侯爵家で。
(ほんとに何で……???)
ぽつんと所存なさげに佇む私をよそに、先ほどまで揺られていた馬車は、ガラガラ音を立てて遠ざかっていく。
なぜ私が姉の嫁ぎ先に置き去りにされているのか、まったく頭が追い付かない。
そのままどれぐらいそこに立ち竦んでいたのだろう。
門の向こうから足音が聞こえてきて、私はハッと顔を上げた。
「……いつからそこに立っていたんだ、ウッドラフ嬢」
「に、ニーレンベルグ侯爵閣下!? 失礼いたしました、えっと、あの、これは多分何かの手違いで……!」
てっきり挙動不審の私を怪しんだ使用人や執事が様子を見に来たのかと思えば、姿を現したニーレンベルグ侯爵閣下を捉え、ぎょっと目を瞠ってから、慌てて頭を下げる。
「? 手違いではない。荷物はそれだけか? 専属の侍女は?」
「え、あ、えっと。姉と私の侍女は父の戦死時に暇を出しまして。我が家には、最低限の使用人しかいないのです」
「…………そうか。確かにあまり使用人の姿を見なかったな。色々不便であっただろう。後でウッドラフ伯爵家には、我が家から使用人を遣わせておく」
「いえ、私は別に今の生活に困っておりませんので……お心遣いだけ、ありがたく頂戴いたします」
「……? 貴女はこれからニーレンベルグ家で暮らすことになる。せめて貴女の姉上が困らぬよう、使用人や侍女は数名増やすべきだろう」
「え?」
数秒、沈黙が落ちた。
どうにも会話がかみ合っていない気がする。なぜかニーレンベルグ侯爵閣下の中では、私が侯爵家で暮らすことになっているようだ。
なぜ。
閣下のお嫁さんは、姉のベロニカではなかったのか。
思わず顔を上げて瞳をまん丸に見開いた私を見て何を思ったのか、閣下の眉間に深い皺が刻まれた。
「まさか、貴女の姉上から何も聞いていないのか?」
「姉からは、荷物を纏めて家から出る用意をして馬車に乗るように、とだけ。後は着いた先の家の方が案内してくれるから、と」
「……」
ぎゅっと深くなった眉間の皺に、内心で冷や汗を流しながら再度頭を下げる。
「も、申し訳ございません。おそらく御者が行き先を誤ったのだと思います。すぐ姉を連れてまいりますので!」
「違う」
「……恐れながら、違う、とは?」
「貴女の認識が違うと言っている。我がニーレンベルグ侯爵家へ輿入れするのは、アルメリア・ウッドラフ嬢。貴女で間違いない」
「………………え?」
流れるような所作で私の手からトランクを抜き取り、当たり前のような顔をしてニーレンベルグ侯爵閣下は私の手を取る。
初めて父以外の異性に触られた、と思うより前に、私は閣下に手を引かれるまま、ニーレンベルグ侯爵家の立派な門を潜っていたのであった。
綺麗に敷かれた石畳の上を歩き、階段を登って邸宅の前までたどり着く。
邸宅の大きさ自体は、ウッドラフ伯爵家とあまり大差はないように見える。全体的に落ち着いた佇まいではあるが、扉の木材はウォールナットだろうか。紫褐色の美しい色合いに、深みのある木目模様。随所に古典様式の細かい紋様が彫られており、一目で高級品だと分かる。ドアノブ一つをとっても高そうだ。
手を触れるのも恐れる次元で、実用性重視の我が家とは扉からして雲泥の差である。
そんなドアノブに躊躇いもなく手をかけ、事もなげに開ける閣下の後ろから、手を引かれるままエントランスホールへ踏み入った。
邸宅の見た目に反せず、エントランスホールも落ち着いた色合いで統一されていた。やたら豪華絢爛だと落ち着かないので大変ありがたい見た目ではあるが、きっと一つひとつの質は大変良いものなのだろう。
父が生きていた頃だって、ウッドラフ伯爵家の家財はせいぜいが中の上であった。広大な領地の中に金鉱山や港を持つニーレンベルグ侯爵家は、元は伯爵家とは言え、貴族としての地力が全く違うようだ。
「ようこそおいでくださいました、ウッドラフ伯爵令嬢様」
「ノイン、ウッドラフ嬢の荷物を彼女の寝室に運んでおいてくれ。ウッドラフ嬢——いや、婚姻するのだから貴女もニーレンベルグになるのだったな。……アルメリアと呼んで差支えないだろうか?」
「も、もちろんでございます。アルメリアが長いようであれば、どうぞアリアと。父にはそう呼ばれておりました」
「そうか、ウッドラフ将軍が……。では、私もアリアと呼ばせてもらおう。彼はノイン。この屋敷の使用人を束ねている執事長だ。侍女はまた別につけるが、屋敷の中で何か困ったことがあれば、私かノインに声を掛けなさい」
品の良い初老の紳士が、私のトランクを受け取りながら優雅に頭を下げた。ノインと呼ばれた紳士に礼を返し、恐る恐るニーレンベルグ侯爵閣下を見上げる。
「アルメリア・ウッドラフでございます。どうぞお見知りおきを。……あの、侯爵閣下」
「なんだ? ああ、いや。デュランテス……そうだな、貴女に倣うのならば、デュランとでも呼ぶと良い」
「そんな! 恐れ多いことでございます!」
「? これから婚姻するのだ。いつまでも私のことを侯爵と呼ぶわけにはいかないだろう」
「こっ……ん、んんっ。そのことで、確認したいことがあるのです」
門前でやり取りした認識違いの件は、記憶に新しいだろう。
私の申し出に、ニーレンベルグ侯爵閣下——デュラン様は、少しばかり思案したのち、すぐ首を縦に振ってくれた。
「そうか……立って話す内容でもない。サロンに案内しよう。ノイン、後で侍女の誰かに茶と焼き菓子を持ってくるよう伝えておいてくれ」
「畏まりました、ご主人様」
「頼んだぞ。おいで、アリア」
「っ!」
微かに細められた深い蒼の瞳が私を捉え、低く耳当りの良い声が久しく呼ばれていない音を奏でただけで、私の心臓は面白いぐらい跳ねる。
顔が燃えるように熱い。今、変な顔をしていないだろうか。
おそらく真っ赤になっている顔を見られないよう咄嗟に俯いたけれど、私の挙動を気にすることなく、デュラン様は私の手を引いて歩きだした。
案内されたサロンは、大きなガラス窓から燦々と日差しが降り注ぐ、とても居心地の良い場所だった。庭園の緑がよく見える場所にはカウチが置かれていて、あそこでのお昼寝は特段に心地がよさそうに見える。
デュラン様に促されるまま、真ん中にローテーブルを挟んだソファへ向かい合って腰掛けた。
少しして侍女が紅茶を運んできた。お互いの目の前に置かれた紅茶や茶菓子に手をつけることもなく、デュラン様は長い脚を組み、両の手を合わせると、蒼い瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
「アリア。貴女は姉上から何も聞いていないのか?」
「家を出る支度をして、本日迎えに来る馬車に乗るように、と聞き及んでおります」
「では、私とのことは?」
「婚姻の件でございますか? 具体的な話を聞いたわけではございませんが、私の覚悟は姉に申し伝えました」
「それで、貴女の姉上はなんと?」
「折れずに生きていく覚悟が、私にあるか問われました。覚悟は出来ていると伝えると、姉は分かった、ニーレンベルグ侯爵閣下……あ、いえ。デュラン様にお返事を書く、とだけ」
ニーレンベルグ侯爵閣下、と口にした途端、切れ長の瞳がすう、と細められた。慌てて先ほど許された愛称を呼べば、途端に剣吞さは消えうせ、知的な色が戻る。
私のたどたどしい説明に、ふむ、と頷きながら長くしなやかな指を唇に沿わせ、数秒瞼を閉じた。
「……それでは、貴女はこの婚姻に不服があるわけではないのだな?」
「ありがたい事だと思います。不服などとても」
(ただ、何でベロニカ姉様ではなく私が嫁ぐことになっているのかが分からないだけで……)
内心の疑問か、はたまた意図しない状況への躊躇いが顔に出ていたのか、その場の空気を変えるようにデュラン様は優雅に脚を組みなおすと、まだほんのりと温かさを残す紅茶に口をつけた。
失礼にならないように、と、私も目の前に置かれた白磁のソーサーに手を伸ばす。
「……美味しい」
「……そうか。後で侍女に声を掛けてやると良い」
口の中に茶葉の豊かな香りが広がって、温かな紅茶がストンと胃に落ち、ほわりと身体を中から暖めてくれる。
無意識に口から零れてしまった私のありきたりな感想にデュラン様はほんの僅かに口角を持ち上げ、自身のティーカップをソーサーの上に戻した。
現状ここまでしか書けてないのですが、全体の流れは決めているので、救国女王書き終わったらか、書きながらこっちもちまちま書いていきたい所存……。




