神の名の下に
【人間国 王城 大司教執務室】※大司教視点
扉を閉めた。鍵を、かけた。
窓の外を見る。城下町が、広がっている。
信徒たちが、今日も生きている。
神の秩序の中で。
(……秩序は、誰のためにあるのか)
あの勇者の言葉が、頭から離れない。
評議室で問われた瞬間、答えが出なかった。
出なかったのではない。
答えてはいけなかった。
本当のことを言えば、全てが崩れる。
(秩序は、教会のためにある)
それが、答えだ。
だが、口に出せない答えだ。
神の名の下に、教会は秩序を作った。闇属性を排除し、光属性を祝福し、魔族を異端とした。
その秩序が、教会の権威を支えてきた。
だが、建国地が生まれた。
闇属性と光属性が共存する国が、存在してしまった。存在するだけで、秩序への問いになる。
そして、勇者がその問いを口にした。
評議室で。全員の前で。
(……放置できない)
大司教は、椅子に座った。机の上に、報告書が積まれている。
教会の資金流用疑惑の噂が、広まっているという報告だ。
(あの司祭め)
神殿の記録を調べた者がいる。闇属性として処分した子供たちの名前が、外に漏れ始めている。
ルカという名の子供の話が、特に広まっていた。
七歳で処分された子だ。名前など、覚えていなかった。
だが、誰かが覚えていた。誰かが、広めた。
噂が広まれば、信徒が離れる。
信徒が離れれば、献金が減る。
献金が減れば、軍への支援ができなくなる。
軍への支援ができなくなれば、教会の影響力が落ちる。
(全て、繋がっている)
建国地が、全ての始まりだ。あの国が生まれたことで、秩序が揺らぎ始めた。
勇者が問いを持った。老将が、その問いを肯定した。
噂が、広まっている。一つ一つは小さい。
だが、全部が同じ方向に動いている。
(……終わらせなければならない)
大司教は、立ち上がった。
扉をノックする音がした。
「入れ」
側近が、入ってきた。ヴィクトルだ。
長年仕えてきた男だ。
何でもできる。何でもする。それが、この男の価値だ。
「閉めろ」
ヴィクトルが、扉を閉めた。
「座れ」
ヴィクトルが、静かに座る。
大司教は、机の前に立ったまま、口を開いた。
「聖戦を、起こす」
ヴィクトルが、表情を変えなかった。
「……建国地に、ですか」
「建国地と、魔物国だ」
「両方、ですか」
「異端を、根絶やしにする。それが、神の意志だ」
ヴィクトルが、少し間を置いた。
「現在の兵力では、難しいかと」
「だから、準備をする」
大司教は、窓の外を見た。
「兵糧の生産を、奨励しろ。農村への布教活動を強化して、神の名の下に民を動かす。献金だけではなく、食料も集める」
「民に、何と説明しますか」
「異端が、迫っていると言え」
ヴィクトルが、また少し間を置いた。
「……建国地は、今のところ人間国に攻撃していません」
「していなくても、する可能性がある」
大司教は、静かに言った。
「可能性は、事実になる。人は、怖れるものに動く」
「なるほど」
「布教活動を強化しろ。神の秩序を守るために戦う、という意識を民に植え付ける。半年で、最大勢力を整える」
「半年、ですか」
「それ以上かけると、噂が広まりすぎる。教会への疑念が、抑えられなくなる」
ヴィクトルが、頷いた。
「王族への対応は、いかがなさいますか」
大司教は、少し間を置いた。
「釘を刺す」
「具体的には」
「国王に謁見を申し込む。聖戦への協力を、正式に求める」
「拒否された場合は」
大司教は、静かに言った。
「破門だ」
ヴィクトルが、わずかに目を細めた。
「……王族を、破門すると」
「できる。やったことがある」
大司教は、窓の外を見たまま続けた。
「王族といえど、教会の権威には逆らえない。破門された王が、民にどう映るか。神に見捨てられた王が、どれだけ長く玉座に座っていられるか」
「……なるほど」
「老将オルドスが何か言っても、王が黙れば動けない。王を押さえれば、軍も動けない」
ヴィクトルが、頷いた。
「勇者は──」
大司教は、少し間を置いた。
「エリオスは、まだ使える」
「評議室での発言を見ると、制御が難しいかと」
「問いを持っている間は、動かない」
大司教は、静かに言った。
「だが、聖戦が始まれば、勇者は戦わざるを得ない。それが、勇者というものだ」
「ルクレシア王女の動きは」
「注視しろ」
大司教は、机に手をついた。
「あの女が外交で動いている。魔物国が建国地と手を結べば、話が変わる。同盟が成立する前に、最大勢力で叩く」
ヴィクトルが、立ち上がった。
「承知しました」
「ヴィクトル」
「はい」
「これは、神の意志だ」
大司教は、振り返らずに言った。
「神の秩序を守るための、聖戦だ。誰も、止められない」
ヴィクトルが、頭を下げた。
「御意」
扉が、閉まった。
大司教は、一人になった。
窓の外の城下町が、見える。信徒たちが、今日も生きている。
(神の秩序の中で、生きていろ)
大司教は、静かにそう思った。その秩序が、誰のためのものか。
問いは、頭の中にある。だが、答えは出さない。
出す必要が、ない。聖戦が終われば、問いも消える。
建国地が消えれば、問いの根拠が消える。
それで、十分だ。
大司教は、机に戻った。
ペンを取る。聖戦の準備を、始める。
神の名の下に。




