勇者の定義
【人間国 評議室】 ※中間派議員ダレン視点
評議室が、静かだった。静かすぎる。
ダレンは、それが嫌いだった。
嵐の前の静けさを、長年の経験で知っていた。
今日の議題は、二つ。
一つ目は、建国地への今後の対応。
二つ目は、勇者エリオスの行動についての報告。
二つ目が、問題だった。
大司教が、正面に座っている。老将が、その向かいに座っている。
どちらも、表情が読めない。だが、空気が違う。
大司教の空気は、冷たい。老将の空気は、重い。
ダレンは、その間で、静かに座っていた。
(……今日は、荒れる)
議長が、口を開いた。
「では、勇者エリオス殿の件から始めましょう」
書記が、報告書を読み上げた。要点は、一つだった。
エリオスが、無断で建国地に単身接触した。
評議室の空気が、動いた。
大司教が、静かに言った。
「由々しき事態です」
声は穏やかだ。むしろ、穏やかすぎる。
「勇者は、この国の象徴です。その象徴が、異端の国に単身で赴いた。教会として、看過できません」
老将が、動かない。
ダレンは、老将を見た。何かを、待っている顔だ。
「エリオス殿を、呼びましょう」
大司教が、続けた。
「事情を聴かなければなりません」
◆◆◆
エリオスが、入ってきた。背が高い。剣を持っている。
だが、今日の目は、以前と違う。何かを、決めてきた目だ。
ダレンは、それを見て、胸が重くなった。
(……これは、揉める)
「エリオス殿」
大司教が、静かに口を開いた。
「建国地に、単身で赴いたとのこと。事実ですか」
「事実です」
エリオスが、迷わず答えた。
「理由を、聞かせていただけますか」
「見たかったからです」
評議室が、静まり返った。
大司教が、少し間を置いた。
「見たかった、とは」
「建国宣言が読まれた場所を。あの宣言を出した人間が、何を作っているかを」
「それは、個人的な好奇心ですか」
「そうです」
大司教の目が、わずかに細くなった。
「勇者としての立場を、お忘れではありませんか」
「忘れていません。だから、行きました」
「……意味が、分かりかねます」
「勇者として戦う相手が何者かを知ることは、勇者の務めではないのですか」
大司教が、また少し間を置いた。
「建国地は、異端です。闇属性と光属性が混在する、神の摂理に反した国です」
「見てきました」
「え」
「光属性の子が、そこにいました」
評議室が、また静まり返った。
ダレンは、息を呑んだ。
(……言ってしまった)
「魔族の、光属性の子が、普通に生きていました。名前を持って。怯えずに」
エリオスの声は、静かだった。怒っていない。
ただ、見てきたことを、話している。
「人間国では、闇属性の子を処刑します。魔物国では、光属性の子を消します。だが、あの国では、どちらも生きています」
「それが、異端というものです」
大司教が、静かに言った。
「神の定めた秩序に、反しているのです」
「その秩序で、何人の子供が消えましたか」
静寂。
大司教が、表情を変えなかった。
「秩序は、個人の感情で変えるものではありません」
「感情ではありません」
エリオスが、大司教を見た。
「問いです。私は、勇者として戦います。だが、何のために戦うかを、問う権利があるはずです」
大司教が、ゆっくりと立ち上がった。
「エリオス殿。あなたは今、非常に危険なことを言っています」
「知っています」
「教会は、勇者を支持しています。だが、支持には条件があります」
エリオスが、黙った。大司教が、続けた。
「建国地との接触を、禁じます。今後、無断での行動は認められません」
老将が、初めて口を開いた。
「大司教殿」
「何ですか」
「戦場での判断は、現場の指揮官に委ねられるものではないのですか」
「戦場の話ではありません」
「では、どこの話ですか」
老将の声は、穏やかだった。だが、穏やかすぎる。
ダレンは、二人の間で、小さくなっていた。
(……板挟みだ)
大司教は、正しいことを言っている。秩序の話をしている。
老将も、正しいことを言っている。現場の話をしている。
エリオスも、正しいことを言っている。問いの話をしている。
全員が、正しい。
だから、話が噛み合わない。
ダレンは、評議室の天井を見た。
(……アルトとかいう第三王子は、これを狙っていたのか)
建国宣言一つで、人間国の内側がここまで揺れている。
武力ではない。言葉と、存在だけで。
(……恐ろしい男だ)
評議室の議論は、続いていた。
大司教と老将が、言葉を交わしている。
エリオスが、静かに立っている。
ダレンは、どちらにも賛成できず、どちらにも反対できず、ただ座っていた。
窓の外に、空が見える。建国地は、どこかあの空の下にある。
小さな国が、こんなに大きな波紋を作っている。
(……盤面が、動いているな)
誰かの言葉が、頭の中で響いた気がした。
誰の言葉か、ダレンには分からなかった。
大司教が、椅子に戻った。だが、空気は変わらなかった。
むしろ、重くなった。
大司教が、また口を開いた。
「エリオス殿。一つ、確認させてください。あなたは、何のために勇者として戦っていますか」
評議室が、静まり返った。
ダレンは、思わず前のめりになった。
(……核心だ)
エリオスが、少し間を置いた。
「困っている者を、救うためです」
「困っている者」
「はい」
「それは、人間のことですね」
エリオスが、大司教を見た。
「そうとは、言っていません」
大司教の目が、細くなった。
「勇者は、人間国が召喚した存在です。人間国のために戦う、それが勇者の定義ではないのですか」
「定義は、誰が決めましたか」
「神が、決めました」
「神は、人間だけを救えと言いましたか」
静寂。
ダレンは、息を止めた。
大司教が、静かに言った。
「闇属性は、神に背く存在です。魔族は、神の摂理に反する存在です。それは、教義に明記されています」
エリオスが、また静かに言った。
「建国地で、闇属性の魔族が畑を耕していました。人間の老人と、並んで。神に背く存在が、土を触って、汗をかいていました」
「それが、何だというのですか」
「普通の人間と、同じでした」
大司教が、少し間を置いた。
「見た目が同じでも、本質は違います」
「本質とは何ですか」
「神の光を受けられるかどうかです」
「光属性の子がいました」
エリオスが、続けた。
「魔族の、光属性の子です。あの子は、神の光を受けられますか」
「魔族である時点で……」
「同じ光属性です」
エリオスの声が、少しだけ強くなった。
「私と、同じ光を持っています。あの子と並んで立ったとき、同じ光を感じました。あの子は、神の光を受けられないのですか」
大司教が、答えなかった。
ダレンは、その沈黙を、全身で感じた。
(……答えられないのか)
答えられないのではない。
答えたくないのだ。
老将が、静かに言った。
「大司教殿。勇者が戦う理由を、教会が決めるのですか」
「勇者は、教会の支援なくして存在できません」
「支援と、支配は違います」
大司教が、老将を見た。
「将軍殿は、勇者に好き勝手をさせろと言うのですか」
「勇者が自ら問いを持つことを、好き勝手と呼ぶのですか」
二人の視線が、交差した。
ダレンは、また小さくなった。
(……どちらも正しい。どちらも間違っている)
大司教の言いたいことは分かる。
勇者が独断で動けば、統制が取れなくなる。国の方針が、一人の人間に左右される。
それは、危険だ。
老将の言いたいことも分かる。
問いを持てない勇者は、ただの剣だ。剣は、誰かの意志で動く。
その誰かが、正しいとは限らない。
エリオスが、二人を見てから、口を開いた。
「一つだけ、言わせてください。私は、困っている者を救いたい。それが、勇者である理由だと思っています」
大司教が、何か言おうとした。
エリオスが、続けた。
「建国地で、光属性の子に会いました。あの子は、魔物国で消されかけた。人間国に生まれていれば、祝福されたはずの光を持って、消されかけた」
静かな声だった。
「あの子は、困っていた。今は、困っていない。名前を持って、生きています」
「それは……」
「私が救えなかった子です」
評議室が、また静まり返った。
ダレンは、エリオスの顔を見た。
怒っていない。責めていない。
ただ、事実を言っている。
「人間のためだけの勇者なら、あの子は最初から救う対象ではなかった。それで、いいのかと、私は問いたい」
大司教が、立ち上がった。
「エリオス殿。あなたの気持ちは理解します。だが、感情で秩序を変えることはできません」
「秩序が、子供を消すなら」
エリオスが、大司教を見た。
「その秩序は、誰のためにあるのですか」
返答は、なかった。
大司教が、ダレンを見た。老将を見た。他の議員を見た。
誰も、答えなかった。
ダレンは、天井を見た。
(……これは、終わらない)
今日は、決着がつかない。だが、何かが変わった。
エリオスが問いを口にした。その問いは、評議室の空気に残る。消えない。
(あの第三王子は、これも計算していたのか)
ダレンには、分からなかった。
だが、建国地という小さな国が、人間国の中心にまで波紋を広げている。
勇者を、揺さぶっている。評議室を、揺さぶっている。
武力ではなく、存在だけで。
窓の外の空は、変わらない。
だが、この部屋の空気は、今日から変わった気がした。
ダレンは、それが怖かった。
そして、少しだけ、希望に見えた。




