持ち帰るものはこちらが決める
【建国地 市場】
その日、建国地に商人が来た。珍しいことではない。
南の獣道を使って、時々商人が訪れる。
物資を売りに来る者、珍しいものを買いに来る者、様々だ。
アルトは、執務室から外に出た。
特に用事はなかった。ただ、今日は空気を吸いたかった。
市場の端を歩く。住民たちが、商人と話している。賑やかだ。
建国地が少しずつ、普通の場所になっていく。
それが、悪くなかった。
ルシエルが、走ってきた。
「アルト」
「どうした」
ルシエルが、少し息を切らしている。声を潜めた。
「あの商人、変です」
アルトは、ルシエルの視線を追った。
市場の中央に、人間の商人が一人いる。中年の男だ。
荷物を広げて、布を売っている。
普通に見える。
「どこが変だ」
「目です」
ルシエルが、静かに言った。
「布を見ていない。人を見ています」
アルトは、もう一度男を見た。
確かに。男の目が、布ではなく周囲を見ている。
建物の配置。人の動き。何かを、数えるように。
(……そういうことか)
アルトは、表情を変えなかった。
「よく気づいたな」
「変な目の人は、魔物国にもいました」
ルシエルが、静かに言った。
それ以上は言わなかった。だが、アルトには分かった。
忌み子として生きてきた子は、視線に敏感だ。
自分を消そうとする目と、監視する目の違いを、身体で知っている。
「どうするのですか」
ルシエルが、アルトを見た。
「追い出しますか」
「いや」
アルトは、男から目を離した。
何事もなかったように、歩き続ける。
「泳がせる」
「泳がせる?」
「気づいていないふりをする。あいつが何を見て、何を持ち帰るかを見る」
ルシエルが、少し考えた。
「持ち帰らせていいのですか」
「何を見せるかを、こちらが決めればいい」
アルトは、市場を見渡した。
男が見ているのは、建物の配置、人の数、物資の量だろう。
それは、見せても構わない。
本当に大事なものは、見えない場所にある。
(むしろ、見せたいものを見せる機会だ)
ルクレシアが工作員を送ってきた。それはつまり、直接攻撃をしてこない、ということだ。
情報戦に切り替えた。だとすれば、こちらも情報戦で返す。
「ルシエル」
「はい」
「今日から、あの商人の近くで普通にしていてくれ」
「普通に、ですか」
「ただ、生活しているだけでいい。特別なことはしなくていい」
ルシエルが、少し首を傾けた。
「それが、何かの役に立ちますか」
アルトは、少し考えた。
「あいつが持ち帰る情報の中に、ルシエルが普通に生きている場所がある、ということが大事だ」
ルシエルは、また少し考えた。
「……よく分かりませんが、やってみます」
「それでいい」
アルトは、執務室の方向に歩き始めた。
男がまだ、市場で布を売っている。目は、周囲を見ている。
(見ていろ)
アルトは、振り返らずに思った。
(お前が持ち帰るものは、こちらが決める)
レオンに報告だ。
それと、男が帰る時の荷物も確認しておきたい。
盤面が、また動いている。
だが今回は、向こうが動いた分だけ、こちらにも手が増えた。
それで、十分だった。




