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千年王国計画 〜第三王子による長期国家運営録〜  作者:
建国編

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それで十分だった

【建国地 執務室〜外 アルト視点】


 朝の報告が、二つ届いた。

 

 レオンが、地図の上に並べる。

「魔物国軍、撤退を開始しました」

「人間国軍は」

「補給の再建を理由に、後退しています。事実上の撤退です」

 

 アルトは、地図を見た。

 魔物国軍の矢印が、建国地から遠ざかっている。

 人間国軍の矢印も、同じ方向に動いている。

 両国が、同時に引いている。


(……動いた)

 胸の奥で、何かが静かに解けた。

 安堵ではない。確認だ。盤面が、読み通りに動いた。

 だが、それだけだ。

 終わったわけではない。


「魔物国の撤退、速度は」

「想定より速いです。ガルディアス殿下、急いで戻ろうとしている感じがします」

(……リオンの偽文書が効いているか)

 魔王との関係に亀裂が入っていると思えば、急ぐのは当然だ。

 だが、急ぐほど、兵の消耗が増える。


「追うな」

「はい」

「追えば戦になる。戦になれば死者が出る」

 レオンが、静かに頷く。


「人間国の方は」

「老将が、整然と後退しています。乱れがない」

 アルトは、その言葉に少し止まった。

(整然と、か)

 老将は、最後まで乱れなかった。

 噂に揺れながらも、撤退の形だけは保った。

 それが、あの男の矜持なのだろう。


「教会側の反応は」

「補給の失敗を軍の責任にしようとしているようです。軍人派との摩擦が表面化し始めました」

(内側の火種が、燃え始めている)

 ルカが動いてくれた効果が、出始めている。

 だが、火が大きくなりすぎれば、人間国の民が巻き込まれる。


「これ以上は煽るな」

 レオンが、少し驚いた顔をする。

「……止めるのですか」

「足を止めるだけで十分だ。潰す必要はない」

 レオンは、一瞬だけ考えて、頷いた。

「分かりました」


「エリオスは」

 アルトは、地図から目を離さずに聞いた。

「……軍に戻りました」

 レオンが、少し間を置いて答える。

「戻ったか」

「はい。ただ」

「ただ?」

「戻り方が、来たときと違います」

 アルトは、顔を上げた。

「どういうことだ」

「来たときは、一人で境界まで歩いてきました。

 戻るときは……しばらく、囲いの外で立っていたようです」

 アルトは、何も言わなかった。

 レオンが、静かに続ける。

「それから、ゆっくりと軍の方へ歩いていきました。振り返らずに」

(……振り返らずに、か)


 エリオスが、建国地で何を見たか。

 ルシエルと何を感じ取ったか。

 アルトには、分からない。

 だが、あの男の問いは、確実に深くなっている。

「剣を抜くつもりはないと思います」

 レオンが、静かに言った。

「少なくとも、今は」

「ああ」

 アルトは、頷いた。

「今は、それで十分だ」


 エリオスが変わるかどうかは、アルトには決められない。

 だが、問いを持ったまま剣を持つ人間は、いつか答えを探す。

 その答えが、どこに向かうか。

(……見ていよう)

 それだけだった。

 アルトは、地図から目を離した。


「レオン」

「はい」

「グランとセフィラとルシエルを呼んでくれ」

 レオンが、少し目を細めた。

「……報告、ですか」

「あいつらがいなければ、今日の盤面はなかった」

 レオンは、何も言わなかった。

 だが、扉に向かう前に、わずかに口元が動いた気がした。


◆◆◆


 四人が、揃った。

 グランが、床に座り込む。

「呼んだか」

「ああ」

 セフィラが、窓の外を見ながら立っている。

 レオンが、壁に背をつけている。

 ルシエルが、入り口の近くに静かに座っている。

 いつも通りの場所に、いつも通りの顔で。


 アルトは、地図を閉じた。

「両国が撤退した」

 グランが、天井を見たまま言う。

「そうか」

「お前たちのおかげだ」


 沈黙。

 グランが、首だけ動かしてアルトを見た。

「オデは大地に言ってくれって言った」

「大地にも礼を言う」

 グランが、また天井を見た。

「……まあ、いい」


 セフィラが、窓から振り返った。

「終わったわけではないですよね」

「ああ。おそらくルクレシアが動く。教会も次の手を考えるだろう」

「分かっています」

 セフィラは、また窓の外を見た。

「川が、透明になっていました」

「そうか」

「濁らせた水が、戻るのを見るのは、悪くない気分です」

 

 レオンが、静かに言った。

「九割は計算通りでした」

「一割は?」

「風と、運と……」

 レオンが、少し間を置いた。

「皆さんのおかげです」


 ルシエルが、小さく手を挙げた。

「あの」

「何だ」

「私は、何もしていません」

 グランが、床から首を伸ばした。

「ルシエルは宣言を読んだだろ」

「それは……」

「始まりがなければ、今日もない」

 グランが、また天井を見た。それだけだった。

 だが、ルシエルは、しばらく黙っていた。

 やがて、小さく頷いた。


 グランが、床から起き上がった。

「腹減った」

 場の空気が、一気に緩んだ。

 セフィラが、小さく笑った。

 レオンが、苦笑する。

 ルシエルが、立ち上がった。

「作ります」

「手伝う」

 グランが、のそりと立ち上がる。


 アルトは、それを見ながら、静かに思った。

(これでいい)

 派手な勝利宣言はいらない。誰も死ななかった。

 建国地は、まだここにある。

 五人が、同じ場所にいる。


 外に出た。

 朝の空気が、冷たかった。

 建国地の灯りが、まだ点っている。

 家族たちが、今日も生きている。子供が、走っている。

 いつも通りの朝だ。


 だが、昨日より、少しだけ遠くまで見える気がした。

 両国の矢印が、遠ざかっている。盤面は、まだ動いている。

 だが今日は、少しだけ息ができる。

(まだ、始まったばかりだ)

 アルトは、荒野の向こうを見た。

 遠くに、両国の影が消えていく。

 それで、十分だった。

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