計算の外側
【魔物国 玉座の間 深夜】※ルクレシア視点
玉座の間は、静かだった。
深夜の謁見を許可されたのは、異例だった。
だが、魔王は待っていたかのように、すでに玉座に座っていた。
ルクレシアは、跪いた。
「夜分に申し訳ございません、父上」
「構わない」
短い返答。魔王の声は、低く、静かだ。
感情が、読めない。
ルクレシアは、立ち上がりながら、父の顔を見た。
疲れていない。怒っていない。
ただ、見ている。
(……最初から、私が来ることを知っていたような顔だ)
ルクレシアは、その考えを頭の隅に押しやった。
今は、申請だ。
「ガルディアス兄上の件、ご報告は届いておりますか」
「届いている」
「撤退を開始したとのことです」
「知っている」
魔王は、何も付け加えない。
ルクレシアは、続けた。
「建国地の防衛力は、想定を大きく上回っています」
懐から、報告書を取り出す。
「騎馬隊の完全封鎖。補給線の壊滅。回廊での足止め。
いずれも、軍事的な正面衝突では解決できない手法です」
魔王が、報告書に目を向ける。
だが、手は伸ばさない。
「読んだ」
「……では、父上はすでに」
「お前が来る前に、読んだ」
ルクレシアは、一瞬だけ止まった。
(準備していた、ということか)
深夜の謁見を、すぐに許可した理由が、少し分かった気がした。
「では、本題に入らせていただきます」
「ああ」
「兄上が失敗した今、このまま放置すれば魔物国の権威が損なわれ続けます。
建国地は日に日に力をつけ、周辺の不満分子を吸収していく」
魔王が、静かに聞いている。
「私に、対応を任せていただきたい」
玉座の間が、静まり返った。
一秒。
二秒。
三秒。
魔王が、口を開いた。
「理由は」
「ガルディアス兄上は力で押しました。それが通じなかった。ならば、別の手が必要です」
「別の手とは」
「情報戦。外交。内部からの切り崩し」
魔王の目が、わずかに動いた。
ルクレシアは、続ける。
「建国地は、まだ脆い。外から押すのではなく、内側から揺らす。時間はかかりますが、確実です」
魔王が、玉座の肘掛けを指で叩いた。
一度。また一度。
規則的な音が、静寂に響く。
「……許可しよう」
ルクレシアの胸が、静かに跳ねた。
表情には、出さない。
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある」
やはり、そうだった。
ルクレシアは、頷く。
「武力は、使うな」
一言だった。
ルクレシアは、その言葉を、頭の中で三度繰り返した。
(武力は、使うな)
「……外交で解決せよ、ということですか」
「そうだ」
「建国地が応じなければ」
「応じさせろ」
短い。だが、重い。
ルクレシアは、父の顔を見た。
何かを、読もうとした。
なぜ、武力を禁じるのか。
魔物国の王が、武力を禁じる理由は何か。
(……父上は、あの子を殺したくないのか)
その考えが、頭をよぎった。
だが、確認できない。
確認すれば、この謁見の均衡が崩れる気がした。
「もう一つ、思う存分やれ」
ルクレシアは、一瞬だけ止まった。
制約ではない。禁止でもない。
むしろ、逆だ。
(……父上は、私を試しているのか)
それとも。
(アルトを、信じているのか)
どちらか、分からない。
両方かもしれない。
「……承知しました」
ルクレシアは、深く頭を下げた。
「行け」
ルクレシアは、玉座の間を出た。
廊下を歩きながら、頭の中で整理する。
許可は得た。制約は、ない。
思う存分やれ、と言われた。
(外交で解決せよ、という条件だけで、あとは全て任された)
それは、自分の得意分野だ。
だが。
(父上の真意は、計算では読めない)
ルクレシアは、足を止めた。
廊下の窓から、夜の空が見える。
建国地の方角だ。
(……第三王子)
計算では、まだ読めない相手だ。
そして今夜、父上も、計算では読めなかった。
それが、少しだけ面白かった。
ルクレシアは、また歩き始めた。
足音は、乱れない。
だが、今夜は少しだけ、速かった。




