一枚の紙
【人間国 教会管轄区】※とある司祭視点
ガリウスは、一人で酒を飲んでいた。
教会の宿舎ではなく、街の外れの宿だ。
誰にも会いたくなかった。
今日、また命令が来た。
建国地周辺の集落への布教活動を中止せよ。
理由は、「異端思想の汚染を防ぐため」
ガリウスは、杯を置いた。
(布教を、止める)
それが、教会のすることか。
建国地が宣言したという内容は、伝わっていた。差別をしない。光と闇は等しい。
教会はそれを異端と呼んだ。
だが、ガリウスには、どこが異端なのか、よく分からなかった。
闇属性の子供が「処理」される現場を、一度だけ見たことがある。
七歳だった。泣いていた。
それが、神の御心だと言われた。信じた。
だが、今でも、その顔が夢に出てくる。
「……隣、いいですか」
声がした。ガリウスは、顔を上げた。
若い男が立っていた。旅人の格好をしている。
だが、どこか普通の旅人とは違う。
目が落ち着きすぎている。
「どうぞ」
男が、隣に座った。酒を一杯頼む。
しばらく、二人とも黙っていた。
「……司祭様ですか」
ガリウスは、少し驚いた。
「服を着替えているのに、分かりますか」
「雰囲気です」
男が、静かに笑った。
「悩んでいるように見えました」
「旅人が、司祭の悩みに興味を持つとは珍しい」
「大いに興味がありますよ」
嘘をついている顔ではなかった。
ガリウスは、杯を傾けた。
「これは聞き流してもらいたいんですが……
教会の命令に、疑問を持つことは、罪ですかね」
「どんな命令ですか」
「布教を止めろ、という命令です。異端の地に近いから、と」
男が、少し考えた。
「布教を止めることが、教会の目的に沿っていますか」
ガリウスは、その問いに、止まった。
「教会の目的は、救済のはずです。光を広めることのはずです」
「では、布教を止めることは…」
「……矛盾している」
言葉にしたのは、初めてだった。
胸の奥で、ずっと引っかかっていたものが、少しだけ形になった。
「その異端の地、というのは」
男が、静かに続ける。
「差別をしない、と宣言した場所ですか」
「……ご存知なのですか」
「旅の途中で聞きました」
ガリウスは、男を見た。
目が、静かだ。怖くはない。
だが、何かを計算している気配がある。
「あなたは、何者ですか」
男は、しばらく黙った。それから、静かに言った。
「建国地から来た者です」
ガリウスの心臓が、跳ねた。
立ち上がりかけた。
「待ってください」
男が、動じない。
「私は、あなたを脅しに来たのではない」
「では、何をしに」
「話をしに来ました」
ガリウスは、立てなかった。
男の目に、敵意がない。それが、かえって怖かった。
「……何の話を」
「あなたが夢で見ている顔の話を」
ガリウスは、息を呑んだ。
「なぜ、それを」
「七歳の子供の顔です。闇属性だった」
ガリウスの手が、震えた。
「……あなたは、何を知っているのですか」
「あなたが知っていることを、知っています」
男は、杯を置いた。
「教会が軍を動かし、建国地を潰そうとしている。あなたはその命令の末端にいる。だが、従いたくない理由がある」
全部、当たっていた。
「私に、何をさせたいのですか」
「何もしなくていい」
ガリウスは、意外な言葉に黙った。
「ただ、一つだけ聞いていいですか」
「……何を」
「あの子の名前を、覚えていますか」
ガリウスは、目を閉じた。
覚えている。一生、忘れない。
「……ルカといいました」
「ルカ」
男が、その名前を、静かに繰り返した。
「建国地には、ルカと同じ子供たちがいます。今も、生きています」
ガリウスは、何も言えなかった。
男が、立ち上がった。
「あなたに、何かを強制するつもりはありません」
懐から、小さな紙を一枚置いた。
「ただ、大司教が今、何を優先しているかを、周りの人間に聞いてみてください。あなたが感じていることは、あなただけではないはずです」
男は、それだけ言って、宿を出た。
ガリウスは、残された紙を見た。
そこには、大司教が教会の資金を軍事目的に流用している記録が、簡潔に記されていた。
数字と、日付と、署名。
本物に見えた。本物かもしれなかった。
(……ルカ)
ガリウスは、杯を置いた。
酒の味が、しなくなっていた。
◆◆◆
翌朝。
ガリウスは、同僚の司祭に、何気なく聞いた。
「大司教様の最近の動き、何か聞いていますか」
同僚が、少し声を落とした。
「……実は、私も気になっていたんですが─」
言葉が、広がり始めた。
静かに。
だが、確実に。




