言葉が剣に勝る夜
【魔物国 王都裏通り】※リオン視点
夜の王都は、静かだった。
だが、リオンの心臓は、うるさかった。
路地の角に立つ。
待つ。
一分。二分。
足音が、近づいてくる。
リオンは、息を止めた。
現れたのは、中年の男だった。
商人の服。だが、目が違う。
値踏みをする目ではない。観察する目だ。
「……お待ちしていました、リオン様」
声は、低い。
アルトが残した連絡網の、最も深いところにいる男だった。
名前は、知らない。
知らない方がいい、とアルトから教わっていた。
「受け取ってくれるか」
リオンは、懐から封筒を取り出した。
中には、二枚の文書が入っている。
一枚は、第一王子ガルディアスが魔王に無断で独断出兵した経緯を記した報告書。
これは、本当のことだ。
もう一枚は──
(……これが、汚い手だ)
第一王子が、建国地への出兵を口実に、魔王を廃して自ら即位しようとしている、という内容の密書。
偽文書だ。
だが、筆跡は本物に近い。
印章の模様も、細部まで再現した。
アルトから指示を受けて、リオン自身が三日かけて作った。
男は、封筒を受け取った。
「これを、どこへ」
「第二王女の派閥に近い貴族へ。ルートは、お前が知っている方法で」
「直接ではなく?」
「直接では、出所が割れる」
男が、頷く。
「……効果は、いつ頃出ますか」
「五日。早ければ三日」
リオンは、そう答えながら、内心では祈っていた。
(頼む。うまく広まってくれ)
偽文書が広まれば、ルクレシアは動く。
第一王子の動きを、反逆の証拠として魔王に突きつける。
魔王は、ガルディアスを呼び戻すか、あるいは切り捨てるか、どちらかを選ぶ。
いずれにせよ、建国地への圧力が、内側から緩む。
(アルト兄上の読み通りなら)
だが、読み通りにならない可能性も、ある。
魔王が、偽文書を見抜くかもしれない。
ルクレシアが、罠だと気づくかもしれない。
そうなれば、リオン自身が危うい。
王子が内部工作に関与していたと知れれば、ただでは済まない。
(……怖い)
正直な感情だった。
だが、手は震えていない。
あの夜、震えながら手紙を書いたときより、今は落ち着いている。
なぜか、自分でも分からない。
ただ、やるべきことが見えているから、かもしれない。
「もう一つ」
リオンは、男に告げた。
「第一王子の軍が撤退を始めたら、この話を兵士たちの間に流してくれ」
別の紙を、渡す。
「"第一王子は魔王に見捨てられた"という噂だ」
男が、紙を見た。
「……撤退の理由を、敗走ではなく粛清に見せる、ということですか」
「兵士が、指揮官を信じられなくなれば、再出兵は難しくなる」
男は、しばらく黙っていた。
「……用意周到ですね」
「兄の受け売りだ」
リオンは、それだけ言った。
男が、封筒と紙を懐にしまう。
「必ず、届けます」
「頼む」
男は、路地の奥に消えた。
リオンは、一人残された。
夜風が、冷たい。
王都の灯りが、遠くに見える。
(……これでよかったのか)
自問する。答えは、出ない。
だが、アルトが言っていた言葉が蘇る。
「汚い手だ。だが、誰も死なない」
剣を使えば、確実だ。
だが、死者が出る。
言葉を使えば、不確実だ。
だが、誰も死なない。
(……どちらがいいか、なんて分からない)
リオンは、まだ十二歳だった。
答えを出せる年齢じゃない。
だが、選んだ。
兄が選んだ道を、信じて。
リオンは、踵を返した。
王城への道を、一人で歩く。
夜が、深かった。
だが、建国地の方角に、かすかに灯りが見える気がした。
(……見届ける)
それだけが、今のリオンの答えだった。




