静かな火
【人間国軍 補給線 レオン視点】
補給線の守りは、厚かった。
レオンは、丘の陰から眼下を見渡した。
街道沿いに、等間隔で哨戒兵が立っている。
集積所の周囲には、二重の柵。
入り口には、常時四人。交代は、二時間ごと。
(……崩せない)
正直な判断だった。
正面から仕掛ければ、即座に増援が来る。
夜間に忍び込もうとしても、松明が多すぎる。
(崩せないなら、崩れるように仕向ける)
レオンは、地図を広げた。
補給線の全体像。集積所。中継地点。前線への搬出路。
どこかに、綻びがある。
ではなく──
(綻びを、作る)
それが、レオンの仕事だった。
作戦は、三段階だった。
まず、揺らす。次に、慣れさせる。
最後に、内側から崩す。
レオンは、部下に告げた。
「一段階目。少数で、東の哨戒線を叩く。すぐ引け」
「どのくらい圧をかけますか」
「怖がらせるだけでいい。傷つけるな」
部下が、怪訝な顔をする。
「……傷つけない?」
「傷つければ、警戒が増す。怖がらせるだけなら、疲弊する」
疲弊した兵は、判断が鈍る。それで十分だった。
一回目の陽動。
夜半。少数の部隊が、東の哨戒線に矢を放つ。
当たらない距離から。だが、音だけは大きく。
警報が鳴る。増援が走る。
だが、もう誰もいない。
二回目。
今度は、西から。また、すぐに引く。
三回目は、昼間に。
正面から少数が走り込み、また引く。
集積所の守備兵たちは、だんだん外を向き始めた。
どこから来るか分からない。いつ来るか分からない。
目が、外に向く。内側への注意が、薄れていく。
(……頃合いだ)
四回目の陽動が始まる直前。
レオンは、懐から小さな魔道具を取り出した。
掌に収まるほどの、地味な石。
これを起動すれば、外見が変わる。
魔力が、肌に染み込む感覚。
少しだけ、むず痒い。
鏡を見る。
そこには、人間の顔があった。
髪の色が変わり、角が消え、肌の色が少し明るくなる。
魔族特有の気配も、薄れる。
(……悪くない)
レオンは、人間国の労務者の服を着た。
補給線では、荷を運ぶ民間の人間も出入りする。
そこに、混じる。
部下が、心配そうに見ている。
「レオン様、本当に一人で?」
「一人の方が、目立たない」
「ですが――」
「陽動は、予定通り頼む」
レオンは、それだけ言って丘を下りた。
集積所の入り口は、混雑していた。
陽動が始まる前の、最後の搬入時間だ。
荷馬車が列を作り、兵士たちが荷を確認している。
レオンは、荷を担いだ労務者の群れに紛れた。
声は出さない。目も合わせない。
ただ、流れに乗る。
(……入れた)
集積所の内側は、広かった。
食料の山。矢の束。薬の箱。
前線を支えるものが、すべてここにある。
レオンは、荷を下ろしながら、内部を観察した。
柱の位置。出口の数。火の回りやすい場所。
全部、頭に入れる。
外で、陽動が始まった。
「東から来たぞ!」
警報が鳴る。守備兵が、外へ走る。
内側が、薄くなる。
(……今だ)
レオンは、積み荷の陰に滑り込んだ。
魔力を、指先に集める。
大きくしない。細く。小さく。
乾いた藁束の隙間に、火種を落とす。
一箇所。また一箇所──
見えない。煙も、まだ出ない。
だが、確実に、燻り始めている。
(三つ、仕込んだ)
レオンは、労務者の群れに戻った。
何事もなかった顔で、出口へ向かう。
兵士が、一人立っている。
「お前、見ない顔だな」
心臓が、跳ねた。だが、表情は変えない。
「西の集落から来ました。今日が初めてで」
訛りを、少し混ぜる。
兵士は、レオンをじろりと見た。
一秒。二秒。
「……荷は全部下ろしたか」
「はい」
「行け」
レオンは、静かに頭を下げた。
外に出る。丘に向かって、歩く。
速くならない。普通の速度で。
背中に、視線を感じる。
だが、振り返らない。
丘の陰に入った瞬間、部下が駆け寄った。
「レオン様!」
「静かに」
レオンは、空を見上げた。
風向きを確認する。東から西へ。
今日も、変わらない。
五分後──
集積所から、煙が上がった。
「火だ!」
「水を持ってこい!」
守備兵が、内側へ走る。
レオンは、それを見て、静かに手を上げた。
合図だ。
丘の左右に潜んでいた二つの別動隊が、動く。
「今です」
部下が、確認する。
「行け」
東の街道から、一隊が矢を放ちながら走り込む。
当たらない距離から。だが、音は大きく。
「東から来たぞ!」
混乱が、さらに広がる。
消火に向かおうとしていた兵が、足を止める。
内側の火か。外の敵か。
どちらを優先すべきか、判断できない。
その隙に、西からも別の一隊が仕掛ける。
「西も!」
「挟まれてるぞ!」
守備隊長の怒鳴り声が聞こえた。
「消火班はそのまま続けろ!警備は外を向け!」
命令は正しい。だが、人数が足りない。
消火に割ける人員は、半分以下になった。
火は、待ってくれない。
乾いた矢束が、次々と燃え広がる。
食料の袋が、煙を上げる。
二つの別動隊は、圧をかけ続けながら、少しずつ引いていく。
深追いさせない。ただ、外への意識を縛り続ける。
レオンは、丘の上で時間を数えていた。
(……もう十分だ)
「引かせろ」
部下が、旗を振る。別動隊が、静かに撤退する。
追撃は来なかった。追う余裕が、もうない。
集積所は、完全に混乱していた。
消火は続いているが、間に合っていない。
矢の備蓄は、半分以上が燃えた。食料も、相当量が失われた。
外への警戒で人員を割いた分、消火が遅れた。
遅れた分、火が広がった。
すべて、計算通りだった。
「……レオン様」
部下が、静かに言う。
「陽動の二隊、損害ゼロです」
「全体の損害は?」
「こちら、ゼロです」
レオンは、小さく頷いた。
九割は、計算通りだった。
残り一割は、風と運だ。
だが、それで十分だった。
燃え尽きない火は、今日も静かに燃え続けている。




