飲み込む光
事件は、戦場から戻って三日後に起きた。
王都の外縁、職人区画。
夜明け前、最も人の目が薄い時間帯。
闇属性の子が見つかった。
勇者エリオスに、その報が届いたのは、すでに「処理」が始まった後だった。
神殿の使者は、言葉を選ばない。
選ぶ必要がないからだ。
「問題は解決されました」
それだけで、通じる。
エリオスは、即座に向かった。
理由は、自分でも分からない。
ただ、足が動いた。
現場は、静かだった。騒ぎも、怒号もない。
血の匂いすら薄い。
秩序正しく、手慣れた手順で、終わった後の空気。
神官たちは、祈りを捧げている。
だがそれは、救済の祈りではない。
帳消しのための作業だ。
「……何歳だ」
エリオスは、低く尋ねた。
神官の一人が、淡々と答える。
「七」
それ以上の情報は、必要ない。
名前は記録されない。家族も、調べない。
闇属性で生まれた時点で、すべては終わっている。
(闇属性の人間は、どうなっている)
あの夜、アルト・ノクティスに投げかけられた問いが、脳裏に蘇る。
――知らない、か。
違う。知らされていなかった。
「……恐れていたか」
誰に向けたともなく、エリオスは呟いた。
神官は、少しだけ間を置いて答える。
「当然です。理解できなくても、恐怖は本能ですから」
正しい答えだ。
誰も嘘をついていない。
エリオスは、その場を離れた。
止めなかった。抗議もしなかった。
剣を抜くことも、声を荒げることもなかった。
それが、勇者として正しい行動だと理解しているからだ。
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事件のあと、勇者エリオスは眠れなくなった。
目を閉じると、七歳だと言われた子供の背丈が浮かぶ。
泣き叫んだわけではない。抵抗したわけでもない。
ただ、理解していない顔だった。
(あの子は……何を知る前に、終わった)
胸の奥が、締め付けられる。
怒りではない。憎しみでもない。遅れてきた後悔だ。
(本当に、他に方法はなかったのか)
考え始めると、止まらなかった。
闇属性で生まれただけで、すべてを奪われる。
それが、世界を守るために必要なことだとしても――
(……隠せなかったのか。魔族に、秘密裏に引き渡すことは)
だが、すぐに現実が追いつく。
魔族に子供を渡したと知れれば、人間国は内側から壊れる。
勇者が関与したと知られれば、象徴そのものが崩れる。
(なら、闇属性だけを集めた村を……)
勇者の管理下で、人目につかない場所で、危険にならないように。
そう考えた瞬間、別の恐怖が湧き上がる。
(それは……隔離と、何が違う)
守るために集める。
だが、逃げ場を奪うことにもなる。
選択肢を与えないまま、“安全”の名のもとに閉じ込める。
それは――
神殿と、同じやり方だ。
「……分からない」
エリオスは、初めて声に出した。
答えが出ない。
どの道も、誰かを犠牲にする。
どの選択も、正義とは言い切れない。
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夜が明け、勇者は王都を歩いた。
目的はない。ただ、外に出たかった。
市場の近くで、子供たちの声が聞こえる。
木の枝を剣に見立て、無邪気に走り回っている。
「勇者さまだ!」
「光の剣だ!」
見つかると、子供たちは笑顔で駆け寄ってくる。
エリオスは、ぎこちなく笑い返した。
その背後で、母親たちが安堵したように頭を下げる。
(……この光は、この日常を、守っている)
そう思った瞬間、胸の奥で何かが崩れた。
(守っているから、見ないで済んでいる。
知らなくていい、ことがある)
足が止まる。
視界が滲む。
子供たちは、何も知らずに笑っている。
あの七歳の子も、本当ならここに立っていたかもしれない。
同じように走り回っていたかもしれない。
「……っ」
エリオスは、その場で膝をついた。
嗚咽を噛み殺す。
勇者が泣いてはいけない。そう教えられてきた。
だが、もう抑えられなかった。
(俺が、背負う。
全部、背負う)
清くあろうとして、何もできなくなるより。
濁を拒んで、世界を壊すより。
(俺が、汚れる)
闇を知ったまま、光を掲げる。
矛盾を抱えたまま、前に進む。
誰かが泣かなくて済むなら、俺が泣けばいい。
エリオスは、ゆっくりと立ち上がった。
涙は拭った。
だが、消さなかった。
この痛みを、忘れないために。
(いつか、本当に闇と光が交わる道があるなら
俺は、そこまで生き残る)
それが、勇者エリオスの覚悟だった。
完全な正義ではない。
だが、逃げない正義だ。
その夜、勇者は神殿に向かう。
より激しい戦を、より早い決着を、自ら進言するために。
それが、今できる最善だと信じて。
光は、少しだけ重くなった。
だが、折れてはいない。




